ヴェンゲル、破綻したESL構想にコメント「あまりしっかりしていなかった」

2021.04.22 20:35 Thu
Getty Images
かつてアーセナルで指揮を執っていたアーセン・ヴェンゲル氏が、ヨーロッパ・スーパーリーグ(ESL)構想と、マンチェスター・ユナイテッドのエド・ウッドワードCEO(最高経営責任者)について語った。イギリス『フットボール・ロンドン』が伝えた。

ヨーロッパの12クラブが18日に一斉に参戦を表明したESL構想。15クラブが中心となり、20チームでのリーグ戦を行うとされていた。

しかし、発表直後にファン・サポーターや選手、監督、そして国際サッカー連盟(FIFA)や欧州サッカー連盟(UEFA)などから反対の意見が大量に出ることに。発表から2日が経った20日にはプレミアリーグの6クラブが撤退を発表。21日には、アトレティコ・マドリー、インテル、ミランが撤退を発表し、ユベントスは敗北宣言をしていた。
現時点で、レアル・マドリー、バルセロナの2クラブが撤退を表明していないが、事実上の消滅と言って良い状況だ。

このESLプロジェクトは、レアル・マドリーのフロレンティーノ・ペレス会長をトップに、ユナイテッドのジョエル・グレイザー会長が副会長になるとみられており、ユナイテッドのCEOであるウッドワード氏は主導的な立場にあったとされている。
それもあり、20日には今年いっぱいでの退任が発表されていたが、現在はFIFAのチーフを務めるヴェンゲル氏が『beIN SPORTS』でコメント。プロジェクトを批判し、ウッドワード氏についても言及した。

「まぁ、彼はプロジェクトが十分に準備されていないことに気がついたと言えるだろう。ウッドワードが何をするのかは分からない」

「でも、10チームの2グループでスーパーリーグを作ろうと思ったら、12チームしか出てこず、何かを失う可能性があることが分かったら、プロジェクトはあまりしっかりしているとは言えない(笑)」

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