モンゴル戦の変更で思い出すホームゲームの変更/六川亨の日本サッカー見聞録

2021.02.12 15:00 Fri
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JFA(日本サッカー協会)は2月9日に技術委員会を開き、3月30日に予定されているW杯2次予選のモンゴル戦を、当初のウランバートルではなく日本で開催すると発表した。委員会後のブリーフィングで反町技術委員長が明かした。

反町技術委員長によると、「モンゴル政府の考え方として、6月末まで国内では国際試合ができない。鎖国状態で(コロナを)ブロックしているので、6月まで禁止している」状況だという。

そして「推測ですが」と断った上で、中立地の第3国での開催を模索したが、コロナ禍で代替地が見つからず、「最終的に日本でやりたい」という結論に落ち着いたようだ。

日時は3月30日の19時30分キックオフで、会場は千葉のフクダ電子アリーナ。試合は無観客で行われ、モンゴルのホームゲームとして開催される。

フクダ電子アリーナで開催される経緯について、反町技術委員長は「僕らが決めてはいないので理由は不明」としながらも、「コミュニケーションは取っている」ことから、成田空港に近いこと、都心より千葉県の方がホテル代も安いことを指摘した。

それに加えてスタジアムの使用料も抑えられ、スポーツトラック(来日した選手・スタッフは宿泊ホテル、練習場、試合会場以外は外出禁止)も遵守しやすいなどが推測できる。

3月25日には日産スタジアムでミャンマー戦も予定されているが、現在のミャンマーは軍部のクーデターにより非常事態宣言が出されている。これについて反町技術委員長は「コロナだけでなく政治的な事情に驚いていて難しい状況。あと1ヶ月しかないが連絡は取れている。情報と状況は得ている」と説明しつつ、試合を開催できるかどうかに関しては「はっきり言えません」と言葉を濁した。

反町委員長ならずとも、頭を抱えたくなることの連続だ。対戦相手のホームゲームが日本で開催されるのは、たぶん初めての出来事ではないだろうか。

しかし、その逆は過去にもあった。1976年3月に開催されたモントリオール五輪予選だった。

最終予選に進出したのは日本と韓国、それに当時はAFC(アジアサッカー連盟)に所属していたイスラエルだった。

ここで簡単にイスラエルの歴史を紹介しよう。ユダヤ人国家としての独立は第二次世界大戦後の1948年だったが、パレスチナ人を支援するアラブ諸国とは独立当初から戦争状態にあった。

サッカーでは1956年にAFCに加盟し、70年メキシコW杯に初出場してベスト8に入る。しかし当時からアラブ諸国はイスラエルとの対戦を拒否したため、予選では東アジアやオセアニアに入ることが多かった。

そして1973年に第4次中東戦争が勃発し、イスラエルが占領地を拡大したためサウジを中心とするOPEC(石油輸出国機構)は原油の生産を制限した。世に言う「オイルショック」である。日本もその影響で、スーパーマーケットからティッシュペーパーやトイレットペーパーが買いだめのため姿を消した。

その後もイスラエルはパレスチナだけでなくヨルダン川西域を占領したため、アラブの過激派はテロ攻撃に出る。当時の日本には左翼の過激派として連合赤軍なども活動しており、アラブの過激派に同調したため、日本の警備当局と外務省は安全を保証できないとしてイスラエルの入国を認めなかった(74年に平壌4・25が来日して日本代表と対戦したときは、右翼の街宣車が国立競技場を周回したこともあった)。

この結果、日本はホームで韓国と対戦(0-2)したが、ホームゲームはこの1試合だけ。イスラエルとのホームゲームは韓国のソウルで行い(0-3)、アウェーゲームはテルアビブで1-4の大敗を喫した(アウェーの韓国戦は2-2)。

モントリオール五輪にはイスラエルが出場してベスト8に進出したが、イスラエルが国際舞台に出たのはこれが最後だった。それというのも1974年にAFCを除名になると、地域連盟未登録での予選参加を余儀なくされ、アジアやオセアニア地域で試合を重ねたものの、ボイコットが予想されるアラブ諸国とは一度も同じグループに入らなかった。

FIFA(国際サッカー連盟)にとってもイスラエルは扱いづらい“鬼っ子"だった。こうした問題は1992年にイスラエルがUEFA(欧州サッカー連盟)に加盟したことで解決した。以来、一度も予選を突破できずW杯とEUROには出場できていない。

当時のイスラエルにはシュピーグラーという名MFがいて、非常にエレガントなプレーをしていた記憶がある。ソ連出身で、代表での歴代最多ゴール(32)を誇り、パリSGやニューヨーク・コスモスでもプレーし、コスモスではペレとチームメイトだった。

サッカーが政治に翻弄された76年の出来事でありイスラエルの歴史だったが、まさか100年に一度という厄災(コロナ禍)と予期せぬクーデターでホームゲームが変更になるとは予想できなかった。

3月は無事に2試合を開催できるよう、コロナの収束を願わずにいられない。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた



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新宿や渋谷などにみる地域密着の将来性/六川亨の日本サッカー見聞録

先週のコラムでは、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2021決勝ラウンドの途中経過をお伝えした。その後の対戦でクリアソン新宿は2勝1分けの1位で、FC.ISE-SHIMAは1勝2分けの2位でJFLとの入替え戦に臨むことが決定した。 クリアソン新宿の対戦相手はJFL最下位のFC刈谷に決定している。一方、FC.ISE-SHIMAの相手は東京武蔵野ユナイテッドFCかホンダロックSCのどちらかで、最終戦で前者が勝てば残留が決定。もしも引き分けて、後者が勝利なら勝点30で並ぶものの、得失点差で東京武蔵野ユナイテッドFCが4点リードしているが、意外と微妙な数字かもしれない。 そのクリアソン新宿の中心選手である小林祐三(柏、横浜M、鳥栖で活躍)が、超ワールドサッカーで今シーズン限りの現役引退を表明したことを知った。 クリアソン新宿に移籍して1年。チームをJFL昇格まであと1歩、あと1試合まで導いての現役引退には正直びっくりした。決断に至った心境や経緯、これまでのサッカー人生、クリアソン新宿との出会いなどが詳細に語られているので<a href="https://web.ultra-soccer.jp/news/view?news_no=408116" targt="_blank">こちら</a>を参照して欲しい。 そして渋谷区をホームにする渋谷シティFCは12月1日、元日本代表候補の阿部翔平(名古屋や甲府でプレー)が監督兼選手として来シーズンの指揮を執ることを発表した。2014年設立の東京シティF.C.が前身となるこのチームは、2019年にJリーグ参入を目指すことを発表。「渋谷シティFC」に名称を変更して臨んだ今シーズンは東京都リーグ1部で7勝3分け6敗の7位(18チーム中)でリーグ戦を終えた。 ちなみにJ1リーグに昇格するには、東京都1部リーグをクリアしたら関東リーグ2部(高橋陽一氏が代表を務める南葛SCなどが所属)、関東リーグ1部(クリアソン新宿などが所属)と昇格して、JFLとの入替え戦に勝利してやっとJFLに昇格できる。そしてJ3、J2とステップアップできて初めてJ1に昇格することになる。都リーグ1部所属なら、最低でも7年はかかる長い道のりだ。 それでも渋谷シティFCのパートナー・スポンサーは160社を超えたそうだ。クリアソン新宿にしてもパートナーだけで大小合わせて33社もある。そもそも「東京シティF.C.」ではFC東京や東京Vなどライバルが多いし、これは3チームに共通することだがホームタウンが漠然としすぎて(広すぎて)親近感がわかないファン・サポーターも多いのではないだろうか。 その点「新宿」や「渋谷」は限定することによって逆に“身近”に感じられる利点があるし、この2つの区には大小合わせて様々な企業が存在する。ビジネス的にも“おいしいホームタウン”と言っていいだろう。 WEリーグの誕生で味の素フィールド西が丘をホームにする日テレ・東京ヴェルディベレーザは、スタジアム所在地の北区と隣接する板橋区をホームタウンにするためポスターを掲出して宣伝したり、中学生以下の子供を無料招待したり、選手と女の子たちのふれあいイベントを積極的に開催したりしている。 これからの時代はメトロポリタンの東京ではなく、より限定された地域との密着が求められていく可能性が高い。 それは東京だけでなく、京都市や亀岡市など14市をホームタウンにする京都サンガF.C.より、京都市だけをホームタウンにするおこしやす京都(株主企業132社。関西リーグ1部)の方が、将来的には地域に密着するクラブになるかもしれない。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.12.04 22:01 Sat
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なでしこジャパンと全国地域サッカーチャンピオンズリーグ/六川亨の日本サッカー見聞録

今週末は充実した取材の日々だった。25日の深夜というか午前3時30分から、オランダ遠征中のなでしこジャパン対アイスランドとの試合をテレビで観戦。26日は味の素フィールド西が丘での全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2021決勝ラウンドを取材。そして27日はJ1リーグの浦和対清水戦を取材した。 新生なでしこジャパンは、池田太新監督のメッセージは伝わってきた。アイスランドの俊足FWに対し、21歳と若くフィジカルも強い方で、ワシントン・スピリットでプレーしている宝田沙織をマーカーに抜擢。しかし相手の方が1枚上手で、日本選手はスピードに太刀打ちできず1ゴール1アシストを許して0-2と敗れた。 これは昔からの“なでしこジャパンの弱点”でもある。克服できる特効薬はないだけに、2点とられたら3点とり返すしか解決策はないだろう。 一方、攻撃陣に目を向けると池田監督は植木理子(22歳)を最後まで辛抱強く使った。いつまでも岩渕真奈(28歳)に頼るわけにはいかないし、菅澤優衣香(31歳)、田中美南(27)もベテランの域に入りつつある。若返りが急務であることは明白だし、池田監督の意図も前任者と違ってわかりやすかった。 全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2021決勝ラウンドでは、初日に勝利をあげたFC.ISE-SHIMAとクリアソン新宿が激突。クリアソン新宿は元横浜F・Mの小林祐三や浦和のGK岩舘直らを擁し、新宿区を本拠にJリーグ入りを目指すクラブだ。区内にはホームにできるスタジアムがないものの、今年2月には「Jリーグ百年構想クラブ」に認定されている。 一方のFC.ISE-SHIMAは名前の通り三重県をホームにする、こちらも将来のJリーグ入りを目指すクラブだ。チームの母体を作ったのは伊勢市出身で、四日市中央工業高校時代に高校選手権で帝京高校と同時優勝を果たした中田一三氏(元京都監督)。現在は高校時代のチームメイトである中西永輔氏、島岡健太氏(元南葛SC監督)らとともにクラブのアドバイザーを務めている。 そしてチームを率いる監督はというと、四中高時代に「レフティー・モンスター」(命名したのはサッカーダイジェスト時代に高校サッカーを担当していた金子達仁氏)と言われた小倉隆史氏だ。 試合は0-0のドローに終わったものの、小倉監督のチームはボールを保持して多彩な攻撃を繰り広げるなかなかの好チームで、かつての四中高を彷彿させた。ただ、選手層が厚くフィジカルの鍛えられているクリアソン新宿(何せスタメンに徳島や鳥栖など元Jリーガーが8人、サブに2人)に終盤は防戦一方になったのは仕方のないところ。それでも引き分けて28日の最終戦に望みをつないだ。 全国地域サッカーチャンピオンズリーグで1位と2位になったチームには(2試合を終えて3位は1勝1敗のおこしやす京都AC、4位は2敗のFC徳島)JFLの下位チームとの入替え戦が待っている。 全国地域サッカーチャンピオンズリーグで優勝したからといって、すんなりJFLに昇格できるわけではない。それを考えると、J3リーグに昇格するのにもスタジアム要件などクリアしなければならないハードルは数多く、高い。その頂点にいるJ1リーグには、いかにレベルの高い選手が揃っていることか。改めて痛感させられた全国地域サッカーチャンピオンズリーグの決勝ラウンドだった。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.11.28 14:00 Sun
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気になる大迫と鎌田の起用法/六川亨の日本サッカー見聞録

11月11日、日本がアウェーでベトナムを1-0で下した数時間前、オーストラリアはサウジアラビアと0-0で引き分けた。首位と2位チームの対決だけに、0-0は妥当な結果であり想定内だった。 そして日本がオマーンと対戦した16日、日本戦より1時間早くキックオフされた中国対オーストラリア戦でも“サッカルー"は1-1で引き分け、2試合連続して勝点を落とした。日本に敗れたオーストラリアだが、それは来年3月24日のホームゲームでリベンジすればいい。サウジアラビア戦も同じことが言える。となると、やはり中国戦を引き分けてしまったことは痛恨と言えるだろう。 そして日本である。アウェーの連勝で勝点を12に伸ばして2位に浮上した。しかしオーストラリアとは1ポイントの違いとあって、差はないに等しい。このままサウジアラビアが一人旅で独走すれば、日本とオーストラリア、さらにオマーンを含めた3カ国による熾烈な2位争いが、来年1月から再開されるW杯予選の重要なテーマとなる。 といったところでオマーン戦である。勝因は三笘薫を起用したこと。それは素人の目にも明らかだ。最終予選が始まってからの日本は、序盤戦こそ堂安律や久保建英らドリブラーがいたものの、2人とも負傷でチームを離脱。前線には伊東純也や浅野拓磨、古橋亨梧といったスピードを武器にするストライカーはいたが、ドリブルで相手を剥がせる選手が日本には欠けていた。 その、「欠けているピース」を埋めたのが三笘だったが、まさかこれほど簡単に相手を翻弄するとは、こちらも予想外の出来事だった。 来年1月から再開されるW杯最終予選で、もしも中島翔哉や久保建英らがケガから復帰してベストパフォーマンスで戻ってきたら、彼ら3人のドリブラーに加えて伊東、古橋、浅野、前田大然らスピードスターも控えている。これほど豪華な攻撃陣はないだろうし、全員が23人の登録枠に入れるとも限らない。というか、まず全員は入らないだろう。 そこで整理したいのが、1トップの大迫とトップ下の鎌田大地の起用法である。大迫は、ベトナム戦こそポストプレーから伊東の決勝点につながるプレーで勝利に貢献した。しかし、相手のハードマークに遭い、ボールを失うシーンも目についた。セットプレーでも脅威になれていない。いま現在、ベストパフォーマンスを発揮できているのかどうか。それを確かめられる神戸での試合も今シーズンは残り少ないだけに、年明けのオフシーズンでの招集には疑問符がつく。 鎌田も4-2-3-1のトップ下では森保ジャパンで不動の選手だった。しかし初戦のオマーン戦でハードマークにより持ち味を消されると、続く中国戦では後半31分に警告を受けた伊東と交代でピッチに立ったものの、存在感を発揮することはできなかった。そしてサウジアラビア戦では後半28分にオナイウ阿道と交代でベンチに退くと、その後の試合ではメンバー入りこそしたものの起用されることはなかった。 1-0で勝ったオマーン戦でもベンチを温めたまま、交代選手として起用されることなく90分を終えた。鎌田が森保ジャパンにとって必要な戦力であること、チームに不可欠な戦力であることを理解してもらうために森保監督は招集し続けているのかもしれない。しかし、そうであるならお互いにとって不幸な出来事ではないだろうか。 長距離を移動し、時差調整もしなければならない。にもかかわらず、ベンチに座ったままドイツに帰国する。そして彼が登録されたことで、もしかしたらポスト大迫となりうる上田綺世がベンチに入れなかったり、J1リーグ得点王の前田も出場の機会を失ったりしている。 コロナ禍で今回は27人の選手を招集し、その中から23人をエントリーした。それはそれで仕方がない。それでも、W杯は1年後に迫っているのだからシビアに戦力の見極めをする時期も迫っている。いつチームとしての完成形を示すのか。 試行錯誤の繰り返しでチームを完成させられなかった東京五輪の二の舞だけは避けて欲しいものだ。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.11.19 21:40 Fri
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FC東京の暫定監督が決定。ベトナム戦のスタメンは?/六川亨の日本サッカー見聞録

11月6日のJ1リーグ第35節で横浜FMに0-8の大敗を喫したFC東京。翌7日には長谷川健太監督が辞意を表明し、チームも受理した。それから3日後の10日、FC東京はGKコーチの森下申一氏(60歳)が今シーズンの残り3試合の指揮を執ることになった。 残りは3試合なのだから、長谷川監督は辞める必要があったのかという声があるかもしれない。しかし8日のコラムでも書いたように、自信を失って崩壊の危機があるチームを立て直すには“指揮官の辞任”という「ショック療法」が必要だった。 問題は誰がその後のチームを率いるのかということになる。長谷川監督は今シーズンでの退任が濃厚だっただけに、すでに次期監督候補とは交渉を進めているかもしれない。しかし残り3試合での新監督招聘は現実的ではない。 となると現有戦力での代役ということになり、S級ライセンスを保持しているのは古矢武士トップチームマネジメント(強化部長)と森下GKコーチしかいなかった。となれば、長谷川前監督(56歳)、古矢強化部長(51歳)より年長で、元日本代表でもある森下GKコーチに落ち着いたのは当然の流れと言える。 森下監督は就任会見で「突然の監督要請、ショッキングな結果の後なので、すぐには返事ができなかった」と戸惑いつつ、「コーチングスタッフが残っているので私がやるのが当然かなと思った」と監督受諾の経緯を語った。 森下監督は、現役時代は1980年代半ばから末にかけて日本代表として活躍し、森孝慈監督、石井義信監督、横山謙三監督と3人の監督の下でプレーした。身長180センチは、当時のGKとしては長身の部類に入り、しなやかなセービングが持ち味だった。 GKコーチとしては2016年から17年にかけてG大阪のコーチを務め、長谷川監督をサポートしたものの、残念ながらタイトルとは無縁だった。 現役時代にGKで、引退後に監督に転身した例はあまりない。海外で有名な選手としてはイタリアのディノ・ゾフ、ブラジルのエメルソン・レオン(清水の監督も歴任)くらいだろうか。日本に目を移しても、前述した横山監督と、JSL(日本サッカーリーグ)黎明期の東洋工業(現・広島)や、その後は藤和不動産(現・湘南)の黄金時代を作った下村幸男氏くらいしか思い浮かばない。 その点について森下監督は「日本では(監督に)移行するタイミングがなかなかない。こういう機会を頂いて、後ろから見ているイメージがあるので、それをどう選手に伝えるか。勝たせるサッカーを伝えたい」と言ったように、GKはまずGKコーチからスタートするので、なかなか監督に転身するのは難しいかもしれない。 森下新監督の初陣は20日の第36節、ホームでの徳島戦だ。チームを立て直す時間は10日ほどあるので、どんな仕事をするのか楽しみにしたい。すでに新シーズンに向けてのチーム編成(契約更改)は佳境を迎えているだろうから、こちらも注目したいところだ。 話は変わり11日はカタールW杯アジア最終予選グループBの第5節が行われ、日本はアウェーでベトナムと対戦する。オランダに集合した吉田麻也ら海外組11人はチャーター機でハノイ入りする予定だったが、給油先のロシアで足止めをくらい、入国できたのは9日の深夜だった。このため全体練習は10日の1回だけ。 それでも森保監督は「明日のメンバー選考ではプレーできると考えている。最終的に今日の練習を見て決める」と絶大な信頼を寄せていた。果たしてどのようなスタメンになるのか、こればかりはキックオフを待つしかない。そこで、いまだからできる仮想スタメンを考えてみた。 現在の日本代表は吉田や長友佑都を始め、ちょっと前までは本田圭祐、香川真司ら08年北京五輪の選手が長く主力を務めてきた。一時期は山口蛍や永井謙佑らロンドン五輪のメンバーが代表入りしたが、定着したのは酒井宏樹くらいで、北京五輪に比べると圧倒的に少なかった。 16年リオ五輪からは南野拓実、遠藤航、室屋成、浅野拓磨の4人が今回もメンバー入りを果たした。彼らに加えてコンディションが上向けば中島翔哉も有力な代表候補になるだろう。そこで、それを一歩進めて東京五輪のメンバーで代表チームを編成してみた。 GKは谷晃生、DFは右から冨安健洋(山根視来)、谷口彰俉(冨安)、板倉滉、中山雄太。中盤はボランチに守田英正、右に田中碧、左に旗手怜央。そして3トップは右から前田大然、上田綺世、三笘薫という11人である。東京五輪世代からは9人、川崎Fからは現役とOBも含めて6(7)人というチーム編成だ(もちろん久保建英と堂安律も有力な候補)。チームの世代交代を図りつつ、バイエルン・ミュンヘンやバルセロナのように単独チームの選手をベースにするチーム作りだ。 まあ、あり得ないイレブンとは思うが、万が一の時はこれくらい思い切った若返りも必要ではないだろうか。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.11.11 18:25 Thu
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期待の2人がやっと代表入り/六川亨の日本サッカー見聞録

「やっと」と言うか、「ついに」と言うべきか、日本代表に三笘薫(ユニオン・サン=ジロワーズ)と旗手怜央(川崎F)の2人が招集された。その実力は、川崎Fでも移籍先での活躍でも実証済み。さらに旗手はリーグ連覇を決めた浦和戦後のセレモニーで惜別の涙を浮かべるなど、海外移籍が濃厚だ。2人はまさしくいまが“旬”の選手と言える。彼らをいま使わないで、いつ使えと言うのだろうか。 それでも森保一監督は、彼らをスタメンで使うことに躊躇うだろう。いきなりのW杯最終予選、それも負けることが許されない試合というプレッシャーに、2人が萎縮することを心配するからだ。しかし、一番心配するのは森保監督自身が萎縮して、決断が鈍ることである。 いまさら言うまでもないが、日本は2勝2敗の勝点6で、サウジアラビア、オーストラリア、オマーンに次ぎ4位に甘んじている。W杯にストレートインできる2位はおろか、プレーオフ進出の3位をオマーンと争っているのが現状だ。 このためアウェーとはいえ、最下位のベトナム戦(11日21時キックオフ)はもちろん、オマーン戦(16日。キックオフ時間は未定)も勝利しないと首位のサウジアラビアを射程圏内にとらえることはできない。 これまでの日本なら、例えアウェーとはいえベトナムやオマーン相手なら2連勝は間違いないと思われた。しかしここ数年で彼らだけでなく、アジアの第2グループと思われていた国々が急速に力をつけてきた。 オマーンは日本とのアウェーゲームで外国人監督の下、大迫勇也(神戸)と鎌田大地(フランクフルト)のホットラインを分断しつつ、これまで偶然頼りか個人のタレント頼りだったカウンターから、チームとして明確な狙いを持ったカウンターで日本の左サイドを崩しに来た。オマーンはサウジアラビアには0-1で敗れたが、試合内容は互角だったことも頷ける。 そんな相手とのアウェーゲームで、ベトナムとは時差が2時間、オマーンとは6時間の時差がある。これまで森保監督は「ラージグループ」を拡大してきた。このため、例えばベトナム戦には国内組を中心に臨み、ヨーロッパとの時差が3時間のオマーンには海外組で臨むという割り切り方もあるが、やはりチームの主力は海外組のためこのプランには無理がある。 さらにベトナムは国際便の入国がほとんど認められていないため、海外組で早く試合の終わる選手は一度日本に帰国して、国内組と合流してからハノイへ移動することになる。森保監督は、これまでのW杯予選はIMD(インターナショナルマッチデー)を有効に使い、合流して最初の試合はコンディションがよくないためキリンチャレンジ杯などの親善試合で調整してから本番に臨んできた。しかし最終予選は日程が詰まっているため、そうした調整ができないと話していた。 だからと言ってオマーンやサウジアラビアに敗れた言い訳にはならないが、パフォーマンスがよくなかったのも事実である。さらに今回のベトナム戦は上記のように移動のストレスもあるため、現在最下位だからと言って甘く見るのは危険だ。 となると、ベトナム戦のスタメンは前回で成功した4-3-3のシステムを踏襲し、起用される選手もケガやコンディションが悪くない限り同じ顔ぶれでスタートすべきだろう。オーストラリア戦で負傷した大迫を無理して使う必要はないので、CFには大迫と同じタイプの上田綺世(鹿島)が有力か。 セルティックでゴールを量産している古橋亨梧は森保ジャパンではサイドで起用されてきたが、彼が生きるのはやはりセンターだ。このため上田ではなく古橋でスタートするというのも面白い。いずれにせよ、「大迫の1トップと鎌田のトップ下」という攻撃パターンは相手にバレバレなので、攻撃陣の顔ぶれを変えることはアウェー2連戦の絶対条件である(ケガから復帰の大迫と守備の強度に欠ける鎌田、柴崎岳を招集したのは意外だった)。 そしてオマーン戦である。攻撃参加を得意とする左SB長友佑都(FC東京)の裏のスペースが狙われていることは、オマーン戦でもオーストラリア戦でも明らかだった。ここは旗手を使わない手はない。オマーンにとって旗手の情報は少ないだろうし、同じことは三笘にも当てはまる。彼ら川崎Fのコンビを生かすために、次のようなスタメンはどうだろうか(GK川島永嗣とDF板倉滉も元川崎Fだが、川島はかなり昔だし、板倉も一緒にプレーした時間は限られるため外した)。 GK権田修一(清水)、DF陣は右から冨安健洋(アーセナル)、吉田麻也(サンプドリア)、谷口彰俉(川崎F)、旗手。ボランチに遠藤航(シュツットガルト)、サイドMFに守田英正(サンタ・クララ)と田中碧(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)。前線は右から伊東純也(ヘンク)、古橋(上田)、三笘という11人だ。左サイドからはパスワークと三笘のドリブルで仕掛け、右サイドは伊東のスピードと田中の飛び出し、冨安の攻撃参加で崩しにかかる。 酒井宏樹(浦和)と長友はベトナム戦に出場したと仮定して、連戦での疲労を考慮してスタメンから外した。そのために培ってきた「ラージグループ」のはずなので、思い切った決断を指揮官には望みたい。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.11.06 18:30 Sat
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