【足球日記】軟禁状態で行われた中国2部リーグ、厳しい現実

2021.01.13 20:15 Wed
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超ワールドサッカー
難しい環境下での中国でのサクセスストーリーを現地から届けてもらう連載企画『足球日記』。中国の地で奮闘する、日本と中国の血を引く男・夏達龍(なつたつりゅう)が現地の情報をお届けする。第4回は、コロナ禍での中国2部リーグの実情をご紹介します。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

みなさんこんにちは!夏です。

例年より約半年ほど遅れて、2020年9月12日より中国2部リーグが開幕しました!

今回は

・中国2部リーグ1年目の僕が実際にプレーして感じたこと
・中国サッカーがどのような新型コロナ対策を実施しながらリーグを開催したのか

について書いていきます。

◆今年のリーグ形式
(新型コロナウィルスの影響で例年とは全く違います)
*例年であれば4月〜12月の間がシーズンとなりJリーグと大体同じ流れです。

今年は第一段階と第二段階の2段階に分けて行われました。

第一段階
3グループ(各6チーム)がそれぞれ成都・常州・梅州の3つの都市に振り分けられ、約1カ月で10試合行われます。

第二段階
各グループの上位2チーム(計6チーム)が昇格争い組
各グループの3〜6位(計12チーム)を2グループ(各6チーム)の残留争い組に分けて、約2週間で5試合を行います。

*第一段階の成績は第二段階には持ち越されません。

最終順位によって入れ替え戦などが行われます。

◆徹底的なコロナ対策

宿泊施設

各6チーム全てが同じホテルに泊まります。選手はもちろんチームスタッフ・リーグ関係者・ホテルの清掃員全員が外出禁止というルールが設けられており、練習・試合以外はホテルの敷地内のみで過ごすこととなります。

ほぼ軟禁状態です…笑

外部との接触が一切無いように徹底されており、練習・試合時のバス移動では会場までの途中でトイレ休憩などで停まることも許されていません。中国でかなり普及している飲食店などのデリバリーサービスの使用も禁止で、ネットで買った物などは1度消毒をしてからホテルの中に運ばれてきます。

週に一度チームごとにPCR検査が行われて1人でも陽性反応が出ればリーグは中止になるとのことでした。多くの関係者の方々のおかげでリーグは最後まで陽性者を出すことなく無事に終えることができました。

◆ついに開幕!

9月12日リーグ開幕が決まり、9月7日に開催地である都市に入りました。出発前・到着後に2度のPCR検査を行い、問題なくリーグは開催されました!



◆念願のデビュー戦

第1節
スタメンとして出場はできませんでした。

しかし、後半15分0-2の状況でFWとして途中出場し念願の中国2部リーグデビューを果たすことができました!コロナの影響もありおよそ1年ぶりの公式戦で正直結構緊張しました笑

残り30分で2点ビハインドの状況だったので、とにかく走りまくってゴールを狙いましたが、なかなか相手のディフェンス陣を崩せずに試合終了となり初戦は黒星スタート。

◆受け止めなければいけない現実

第2節、第3節ではどちらも先発で起用されました。しかし、FWとして結果を残せずチームも勝ち切れず、2試合連続引き分けでなかなかいい流れに乗れません。

試合後には、SNSでサポーターから厳しい批判が書き込まれていました。

監督を筆頭に、選手の中ではFWとして結果を残せず、特に目立った経歴のない僕に対して批判的な声が上がっていました。

『なんでこいつがスタメンなんだ』『使い物にならない。』など。他にも目を背けたくなるような内容もたくさんあり、かなりショックを受けました。

このような経験がこれまで全くなく、完全にメンタルをやられて自信を失ってしまいました。

大した経歴もないからこそ
『わかりやすい結果を出さない限り認められることはない』
と思いました。

それは”ゴールを決めること”

その後試合に出てもいつもと違う緊張感に襲われ体が力んでしまい、思うようなパフォーマンスが発揮できず、試合後叩かれて落ち込むという負の連鎖に陥ってしまいました。

勝ちきれなかった試合後のロッカールームでは、『もうすぐ外国人FWが合流するから大丈夫だ!』『必ず勝てるようになる!』など。苦しい状況の中、チームではそんな言葉が飛び交っていました。

FWとしてこんなに悔しいことはない。顔を上げることすらできませんでした。もちろん全ての原因は自分の実力不足。しっかりと現実を受け止めていくしかない。

◆過密スケジュール

今年の試合日程は3、4日に1試合という過密スケジュールです。悩んでいる暇なんて無く、次の日には次節に向けての準備に切り替える必要がありました。

宿泊先のホテルでは2人部屋だったので一人の時間を作るために、ホテル敷地内の限られたスペースを散歩するのが唯一の気分転換でもあり、気持ちをリセットするための貴重な時間でした。散歩コースすぐ横に小さな川があり、川の向こう側の街を見ると逃げ出したくもなりました。

そしてリーグ第6節には外国人FW選手がチームに合流して、ポジション争いがより熾烈になっていきました。しかし、徐々に試合出場機会も減っていき、第一段階の10試合中6試合に出場(途中交代含め)しましたがゴールを決めることはできませんでした。

第二段階、チームは残留争い組に入ることになりました。

第一段階と第二段階の間に3日間のオフがあり、約40日ぶりに閉鎖された環境から解放されました。自由に外に出られただけで嬉しかったです笑

上海に行き、学生時代お世話になった方々に会い、心身共に疲弊していましたがかなりリフレッシュもできて元気をもらえました。

◆新たな戦い

オフはあっという間に終わり、第二段階開催地の梅州という街に向かいました。

第二段階は5試合だけです。残留を懸けた戦い、これまで以上に厳しい戦いが始まります。すると、チームは補強のためにもう一人外国人FW選手をレンタルしていました。

それから練習でもなかなかFWとしてプレーする機会が減り、FWとCB両方をやることが増えました。最初は戸惑いもありましたが、自分にとって必ずいい経験になると信じ、与えられたポジションでしっかりトレーニングをしました。

そして、FWとして生き残るための厳しさを実感した瞬間でもありました。

そして、第二段階第1節が開催されました!しかし、僕はベンチ外でした。

試合は勝利し、チームはかなりいい雰囲気で第二段階のスタートを切りました。正直、僕個人としてはもちろん嬉しさはありますが、それ以上に悔しさの方がはるかに大きかったです。

チャンスは必ず来る。そう信じながら毎日トレーニングしていました。

ただ、現実は無情で第4節まで一度もベンチに入ることができませんでした。

そして最終節へ向けてのトレーニングの途中で右太ももの裏を肉離れしてしまい、僕の中の今シーズンは終わってしまいました。

◆悔しさを糧に

これほどまでに辛い経験ができたことが今後自分の糧になると思っています。サッカー選手としてドン底まで落ちたような気分のシーズンでした。

しかし、今年このような経験ができたことで来シーズンの教訓にして頑張って行きたいと思います!

◆プロフィール
名前:夏達龍(なつ・たつりゅう)
生年月日:1993年6月27日
出身地:愛知県名古屋市
職業:プロサッカー選手
所属チーム:四川九牛足球俱乐部(中国プロサッカー2部)
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【足球日記】悔しかった日本でのサッカー人生、紆余曲折を経て掴んだプロへの道

かつては“爆買い"というワードがサッカー界を大いに沸かせ、ヨーロッパの第一線でプレーしている代表クラスの選手を多く集めていた中国スーパーリーグ。しかし、その後は給与の未払い問題やサッカーレベルの問題、生活環境の問題などが明るみに出て、多くのスターたちが短期間で中国を後に。一世を風靡した“爆買い"も横行することはなくなった。 さらに、2020年はリーグ戦開幕を控えていた1月に武漢を中心に、後に世界中で大流行する新型コロナウイルス(COVID-19)の感染者が多数見つかり、ほどなくして蔓延。サッカーどころではない状況となっていた。 そんな中国でプレーする1人の選手がいる。その名は、夏達龍(なつたつりゅう)。日本人の血を引く中国国籍の選手だ。難しい環境下での中国でのサクセスストーリーを現地から届けてもらう連載企画が今回からスタートする。第1回目はプロフットボーラーになるまでの紆余曲折、様々な人との出会いをお届けする。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 初めまして。夏です。 現在中国プロサッカーリーグでプレーしています。現役選手として中国サッカーの情報を少しでも多くのサッカーファンの皆様に共有できる場を設けていただき感謝していると同時に非常に嬉しく感じています。 今回は、僕自身の事と中国でプロサッカー選手になるまでの経緯を書いていきたいと思います。 ◆プロフィール 名前:夏達龍(なつ・たつりゅう) 生年月日:1993年6月27日 出身地:愛知県名古屋市 職業:プロサッカー選手 所属チーム:四川九牛足球俱乐部(中国プロサッカー2部) 父は中国人、母は日本と中国のハーフで、僕は4分の3が中国人で4分の1が日本人のクウォーターです。国籍は中国で在日中国人として日本でずっと生活していました。 5歳の時地域のサッカーチーム(Nagoya S.S)に入り、中学卒業までそのチームに所属しました。「将来プロサッカー選手になる」という夢を意識し始めたのは小学6年生の時でした。 小学4年の時にキャプテンを任されましたが、中学3年生最後の年でレギュラーに定着できずキャプテンとして上手くチームもまとめられずキャプテンを降ろされました。これは僕にとって大きな挫折、というより大きなショックだったことを今でも覚えています。 それでも「プロサッカー選手になる」という夢は全くブレませんでした。 高校は愛知県のサッカー強豪校でもある東海学園高校に入学してサッカーを続けましたが、3年間を通して特に大きな目標を達成したり、全国大会に出たりすることなく、入学前に描いていた理想とは真逆の高校サッカー生活となってしまいました。 しかし、高校時代決まったメンバーで毎日のように居残り練習をしていたおかげで、今でも自分に足りない部分を少しでも成長させるための自主トレが習慣になっていて、プロになった今でも積み重ねの大切さを日々実感しています。 そして高校サッカー引退が決まったあと僕には2つの進路がありました。 1つ目はそのまま付属の大学に上がって日本でサッカーを続けてプロを目指す。 2つ目はプロになるのを諦め、母国でもある中国で中国語を0から学ぶ留学という選択肢がありました。 中国留学を意識し始めたのは高校2年の時の進路相談からでした。実際に留学経験のあった姉から「中国の大学に行ったら?」という勧められ、正直それを聞いたときは「留学ありかも」とただ留学というワードに惹かれていました。 そして、進路の決断をするのに僕にとって大きな出来事がありました。 それは高校3年の最後の選手権予選、相手チームに敗れ引退が決まった瞬間、僕はベンチに座っていました。 負けたことよりも、引退が決まったことよりも、何より最後ピッチに立てなかったことが悔しくて泣いていました。むしろ監督が交代枠を使い切った時点で涙が勝手に出ていました。 夢に対してもっと強い信念を持っている選手であれば「大学サッカーで結果を出してプロになってやる」となっていると思いますが、僕はそのとき完全に「諦めよう」という決断をして、中国留学を決意しました。 <span class="paragraph-title">◆決意の中国留学</span> 2012年3月高校を卒業してすぐに北京の語学学校に通い始めました。ネットで見つけた北京在住の日本人サッカーチームがあり、すぐに連絡をして毎週末そこでサッカーをしました。 ここで自分にとってサッカーの楽しさを改めて感じることができました。監督やコーチのプレッシャーが全くない自由にできるサッカーがこんなにも面白いのかと驚きました。 プロになる夢は諦めたけどやっぱりサッカーが好きだと実感しました。 2014年9月上海の大学に中国人本科生として入学することになり、勉強とサッカーを中心に生活をしていました。バイトもサッカーコーチをして、まさにサッカー漬けの毎日でした。 2016年に現地の社会人サッカーチームに入ると、そこであるコーチに出会いました。そのコーチにかなり気に入ってもらい「君の実力なら中国でプロサッカー選手になれる」と言われ、本気で考えてみることにしました。 当時大学2年生(23歳)。卒業までまだ2年もあるし、何より日本生まれで中国に戸籍がなかった僕はまずコーチの助言で戸籍申請の準備をしました。(戸籍登録をして身分証を発行しないと国内選手として登記できないため) 翌年2017年そのコーチから連絡が来ると3部のプロチームに来ないかとオファーを受けました。しかし、その時点でまだ僕の戸籍申請は通っておらず、大学を辞める覚悟もできなかったので断りました。 2018年大学4年生になった僕はいよいよ進路のことも考えないといけない時期で、プロになりたいという気持ちはあったけど、戸籍が取得できない限り中国人国内選手として登録できないのでかなり悩ましい状況でした。 そのコーチは深センという街の4部のアマチュアチーム(日本でいうJFL)の監督として活動していて、僕に連絡をくれました。僕は現在の状況を説明すると、コーチは色々な人脈を使ってくれてなんとか戸籍登録を済ませることができました。 そして、2018年はそのコーチが監督を務めるアマチュアチームで3部昇格を目指し、給料が出る契約を結ぶことができたので、僕は就活はせずに「今度こそプロになってやる」と強い気持ちとともに中国サッカーの世界へ飛び込むことを決意しました。 当時25歳。この世界では遅すぎる挑戦だけど自信はあったし、もしうまくいかなくても悔いはない挑戦だと冷静に前向きに捉えることができました。 そして、地方予選を勝ち抜いた僕たちは全国大会のトーナメント進出を決めました。このまま勝ち進んでいけば3部のプロリーグに昇格できる。しかし、まさかの1回戦負け。昇格機会を逃し、オーナーもチームを手放してしまいました。 2018年10月にフリーになり、2019年に向けチーム探しをするため、紹介していただいた代理人の方と契約をして、冬のトライアウトまで日本で過ごすことになりました。 そして、冬になると代理人の指示で青島黄海(当時ヤヤ・トゥーレが所属し、元ヴィッセル神戸のフアン・マヌエル・リージョが後に監督を務めていた)という2部のチーム(今年から中国スーパーリーグ)にトライアウトを受けに行きました。 もちろんプロとして全く経歴がないので、僕自身が短いトライアウト期間中でどれだけアピールできるかが勝負なのでかなり難しかったです。 結果は不合格。 すぐに次のチームを探してもらう事になり、他の2部のチームに参加する予定でしたが、話だけでなんの進展もなく3部のチームに練習参加する事になりました。 瀋陽(しんよう)と宁夏(ねいか)のチームに参加しましたがすでに同ポジションの枠がなく結果は不合格。このあたりからかなり焦り始めて「ん?このままだと3部も契約できないんじゃないか?」と毎日不安に襲われ始めました。 そしてここで一旦春節休みに入り日本へ一時帰国。この期間が振り返ってみれば中々地獄でした。(笑) 次どこのチームのトライアウトにいけるかも確定していなく、チームもどの選手を取るかだいたい決まり始めている状況。そんな中ついに代理人から保定(ほてい)のチームが見つかったと連絡が来て、すぐに中国へ戻って練習参加しました。 1週間ほどのトレーニングを通して、しっかりとアピールもできてついに合格!! 保定容大足球俱乐部と2年契約することができました。とりあえず一安心。 2019年、子供の頃には予想もつかなかった中国プロサッカーリーグにて、念願だったプロサッカー選手になるという夢を叶えることができました。 <div style="text-align:center;" id="cws_ad"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/20200706natsu_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div> 2020.07.06 22:30 Mon
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