寝耳に大洪水のFIFAの思惑/六川亨の日本サッカーの歩み

2020.12.30 22:00 Wed
Getty Images
今年も残すところあと2日になったが、クリスマスの25日にはとんでもないニュースが飛び込んできた。FIFA(国際サッカー連盟)は来年5~6月にインドネシアで開催予定のU-20W杯と、10月にペルーで開催予定だったU-17W杯の2大会の中止を決定した。

両大会とも2年延期し、23年にそれぞれの国で改めて開催する予定だという。
この一報を聞いたJFA(日本サッカー協会)の反町技術委員長は、同日14時から急きょリモートによる会見を開いた。

両大会の中止を聞いた瞬間は「正直な話、とんでもないクリスマスプレゼント」と受け止め、U-19日本代表候補がキャンプ中でもあるため、「寝耳に大洪水」だったと表現した。

今年の流行語大賞は新型コロナによる「3密」に決定したが、もしも新型コロナの影響がなく、もう少し早く「寝耳に大洪水」が発せられていれば、流行語大賞の候補になったのではないかと思ってしまう。
それだけ“反町語録"として残したい名言だし、その半分くらいの発信力が森保監督にあればとも思うが、こればかりはキャラクターだけに無理強いはできないだろう。

イギリスでは新型コロナの変異ウィルスが確認され、日本も海外からの帰国者が感染していることが28日に判明した。感染拡大は新たなフェーズに入ったかもしれないが、情報は圧倒的に不足している。

そうした中でFIFAがU-20とU-17のW杯を中止したのは当然の措置とも言える。

ただ、穿った見方をすれば、両大会ともFIFAの持ち出しによる赤字の大会だから、簡単に中止を決定できたとも推測できる。その一方で、来年2月と間近に迫ったクラブW杯については一向に中止のアナウンスが聞こえてこない。恐らくは簡単に中止できない諸事情がFIFAにはあるのだろうと勘ぐりたくなる。

今年は新型コロナにより、Jリーグは過密日程ながらも全試合を実施できた。一方ルヴァン杯は大会方式を変更しながらも、なんとか決勝までこぎ着けた。天皇杯も大幅な変更を余儀なくされつつ、J1勢同士による100回記念の決勝を残すのみとなった。いずれも関係者の努力の賜物と言っていい。

と同時に、これらに共通するのは放映権であり大会スポンサーとの契約などである。契約事項に守秘義務があるため詳細が明かされることはないが、試合や大会を“実施しなければ"違約金が生じてしまう可能性がある。それは日本だけでなくAFC(アジアサッカー連盟)も同じだろう。だからこそACLの形式を簡略化し、辞退するチームが出ても決勝戦を開催せざるを得なかった。

FIFAとしては、コンフェデレーションズカップがなくなったぶん、2月のクラブW杯で1年9ヶ月後のW杯のシミュレーションをしたいのだろう。なぜならFIFAの役員と世界各国から集められたW杯組織委員会のメンバーが一堂に会する機会は、これが最初で最後になりかねないからだ。

と同時に、新型コロナの変異ウィルスの感染拡大の危機がありながら、それでも来年2月にFIFA主催の国際大会を開催することに、逆にFIFAの焦りを感じてしまう。クラブW杯は将来的に24チームに拡大する予定だが、そのために中国企業とどのようなスポンサー契約を交わしているのか。気になるのは私だけだろうか。

反町技術委員長は、国際大会こそ中止になったもののアジア選手権、W杯のアジア予選が中止になったとAFCから連絡はないので、そのための強化を粛々と進めるという。FIFAがW杯を中止するくらいだから、AFCも同じ判断を下す可能性が高いだろう。それでも技術委員長としては「強化の歩みをストップさせてはいけない」と準備を進めるしかない。

同じことは今後U-15日本代表にも当てはまるだろうし、W杯アジア2次予選にも影響が及ぶかもしれないが、現状は先がまったく読めない状況だ。

個人的な意見としては、日本代表(女子も含め)からアンダーカテゴリーまで、韓国や中国、オーストラリアなど近隣諸国とのテストマッチの回数を増やしてはどうだろう。いずれもアジア予選では日本に立ち塞がるライバルだし、コロナの影響を避けながらマッチメイクすることも可能だと思う。

改めて近隣のライバルと切磋琢磨する絶好の機会と思うのだが、いかがだろうか。
【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた

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Jリーグは5月21日に第5回の理事会会見と、23年度のクラブ経営情報の開示を行った。理事会会見で注目したいのは、Jリーグとサウジアラビアのプロフットボールリーグ(SPL)が戦略的パートナーシップ協定を5月20日から25年12月31日まで結んだことだ。 「具体的な内容はこれから詰める」ものの、「フットボール水準の向上を目的とした人材交流」、「両リーグの成長と発展を目的としたワークショップ、ビジネスカンファレンスの開催、育成などに関する情報共有等」、「交流イベント、親善試合などを通じた国際交流」などが予定されている。 ただ、これまでJリーグはタイ、ベトナム、ミャンマー、カンボジア、シンガポール、インドネシア、マレーシアのプロリーグと協定を結んでおり、各国リーグの国籍を有する選手は試合エントリー時に外国籍選手ではないものと見なしてきた。東南アジアのレベルアップを図りつつ、ビジネスチャンスの拡大ととらえていたからでもある。 しかしサウジアラビアの国籍を有する選手はこれに該当しない。そもそも高給取りのサウジアラビアの選手がJリーグに来ることは考えづらいし、Jリーグの日本人選手やブラジル人選手を引き抜くことはあっても逆はまずないからだ。 そして今回の協定の一番の目的は、中東の盟主であるサウジアラビアとの関係強化に他ならないだろう。ご存知のようにサウジアラビアは2年後のU-23アジアカップ2026と、3年後の27年アジアカップ2027の開催が決定している(いずれも初の開催となる)。 これまでUAEやカタールはアジアカップを複数回、開催してきた。サウジアラビアがこれまで開催に手を挙げなかったのは、基準を満たすスタジアムがないからだった。ところがサウジアラビアは、27年のアジアカップだけでなく、34年のW杯開催にも立候補した。日本サッカー協会も23年10月19日の理事会で、34年W杯を招致しているサウジアラビアを支持すると表明した。 34年のW杯は日本も開催に名乗りをあげる予定だった。しかし34年のW杯では8万人以上収容のメインスタジアムの他に6万人収容が2つ、4万人収容のスタジアムも複数必要という条件があり、今年7月までに政府保証(日本の場合は閣議決定)と合わせて書類を提出する必要があった。 FIFA理事も務める田嶋幸三JFA名誉会長は「もう少し準備の時間があると思っていたが、あまりにも短く間に合わないと判断。ベースとなる基本のもの(スタジアム)がないため諦めざるをえない。時間をかけて環境整備を進めたい。機会はもう1回ある。今回はサウジ支持が一番近道になる」と2050年までに再びW杯を単独で開催するという目標に期待を込めた。 こうしたJFAとの思惑とも相まって、Jリーグはサウジアラビアとの戦略的パートナーシップ協定を結んだことは想像に難くない。過去にはクラブW杯のホストカントリーを務めた。来年スタートする新たなクラブW杯はアメリカで開催されるが、4年に1回の大会とはいえサウジアラビアが開催国に名乗りをあげる可能性は高いだろう。情報の収集や、親善試合への招待でビジネス面での効果も期待できそうな協定と言える。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2024.05.22 10:30 Wed

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8大会連続五輪出場決定、大岩監督のメッセージを感じる采配/六川亨の日本サッカーの歩み

大岩ジャパンは昨夜29日、ドーハでのU-23アジアカップ準決勝で難敵イラクを2-0で下し、今夏パリで開催される五輪の出場権を獲得した。これで日本は96年のアトランタ五輪以来8大会連続のオリンピック出場を決めた。 28年ぶりの五輪だったアトランタ大会にしても、その後のシドニー、アテネ、北京、ロンドン、リオも「出場して当然」と思われながらアジア最終予選では苦労した。理由は年齢制限があるからだ。ここがW杯予選との大きな違いである。加えて近年は本大会も含めて“海外組”が増えたことで、選手の招集に強制力がないことも日本のネックになっていた。 そうした意味で今回の予選では、MF藤田譲瑠チマをシント=トロイデンが招集に前向きだったことが予選突破に大きく貢献した。守備では、激しくないもののサラリと相手ボールを突っつくようにしてカットしては味方にパスを送る。そして攻撃では絶妙のポジショニングでフリーとなってDFラインからパスを引き出し、前線に好パスを配球する。まさに“攻守の要”であり、遠藤航の後継者、あるいは彼を凌ぐタレントの持ち主ではないか。 藤田のパスから2ゴールが生まれたシーンは改めて説明する必要はないだろう。1点目はFW細谷真大の好トラップと、その後の反転とダブルタッチが絶妙だった。カタール戦で決めた股抜きシュートはイラクGKに防がれていたため、コースを狙った一撃も彼にしては珍しいが、余裕があった証拠だろう。 2点目のコンビネーションも日本らしいゴールで、藤田のワンタッチパスに抜け出た荒木遼太郎が外すとは思わなかった。藤田と荒木、そして今シーズンはFC東京で荒木と絶妙のコンビを組む松木玖生をなぜ同時起用しないのか、大岩剛監督には疑問を感じていた。 今大会に限らずW杯でも、グループリーグの初戦は絶対に負けてはならない。そしてグループリーグを突破してからは必勝が義務づけられる。いわゆる「絶対に負けられない」戦いが続く。そして今大会では“一番のキモ”が五輪の出場権のかかった準決勝のイラク戦となる。 この試合に備えて選手をターンオーバーしつつ、藤田、松木、荒木の3選手を同時起用するまで『隠していた』としたら、大岩監督の采配には敬服するしかない。準々決勝のカタール戦の前半で松木が警告を受けたため、後半にFW藤尾翔太と交代させたのも準決勝を想定しての選手起用だとしたら、“策士”としか言いようがない。 過去の五輪予選がそうであったように、「終わってみれば」日本は五輪予選を通過してきた。アンダー世代での継続した強化の賜物だろう。とはいえ、それが五輪でのメダルを約束してくれるわけではない。そして近年の五輪やW杯では空中戦に強いFWの存在が重要視されている。劣勢の際はハイクロスが武器になることは変わらないからだ。 そうした意味でCB高井幸大は重要な選手だし、後半アディショナルタイムに内野航太郎をピッチに送り出したのも大岩監督の日本サッカーに対するメッセージと感じた。 まだ今大会は無失点のカザフスタンとの決勝が控えているが、DF陣を含めて選手の成長を感じた5試合でもある。パリ五輪でOA枠を使うかどうか、これはこれで議論を呼ぶかもしれない。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> <span class="paragraph-title">【動画】きっちり勝利で8大会連続の五輪出場決定!</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="NpGyB1NtSYg";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.04.30 20:00 Tue

日韓戦で感じた違和感/六川亨の日本サッカーの歩み

とても奇妙な前半戦だった。パリ五輪のアジア最終予選を兼ねたU-23アジアカップのグループB最終戦、日本と韓国は勝点6、得失点差+3で並び、両国の直接対決でグループBの1位と2位が決まる。1位抜けなら準々決勝はグループA2位のインドネシア、2位だとホストカントリーのカタールと対戦する。できればカタールとの対戦は避けたいところ。とはいえ、準々決勝で勝ったとしてもパリ五輪の出場権は獲得できない。そんな微妙な背景で試合は始まった。 日本は第2戦のUAE戦から7人のメンバーを代えた。GK野澤大志ブランドンら3選手は今大会初出場だ。対する韓国も10人の選手を入れ替えてきた。グループリーグを1位で抜けようと2位になろうとも、準々決勝はパリへの通過点に過ぎない。主力選手をターンオーバーで温存するのは当然の策でもあった。 そして前半は、奇妙なほど攻め手を欠く大凡戦だった。韓国が中盤での争いを避け、ロングボールによるカウンター狙いは今に始まったことではない。フィジカルの強さと空中戦での優位を生かし、セットプレーに活路を見いだすのも常套手段である。 対する日本も攻め手を欠いた。CBの高井幸大と鈴木海音、ボランチの川﨑颯太と田中聡は安全第一なのか、それともポストプレーヤーが見つけられなかったのか、急所を突くようなタテパスは皆無で、サイドに開いた平川悠や藤尾翔太の足元に緩いパスをつなぐだけ。とはいえ両選手とも三笘薫や伊東純也のようなドリブラーではないため、決定機を演出するまでにはいたらない。 互いに負けたくないという心理状態が色濃く反映された前半は、82年スペインW杯1次リーグの“出来レース"と言われた西ドイツ対オーストリアの試合(初戦でアルジェリアに負けた西ドイツが2次リーグに進むには最終戦のオーストリア戦を2点差以内で勝つしかなく、西ドイツが前半にリードすると後半は互いに無理をせず時間が過ぎるのを待った)を彷彿させる退屈な45分間だった。 ところが後半に入り13分過ぎから両チームとも選手交代をしたところ、突然攻撃が活性化した。日本は川﨑と田中に代えて藤田譲瑠チマと松木玖生を投入。やはり彼らが大岩剛監督にとって選択肢のファーストチョイスなのだろう。松木は後半26分にミドルサードで2人の選手に囲まれながらもフィジカルの強さを生かしてボールをキープすると、1トップの内野航太郎に決定的なスルーパス。安全を優先したプレーでは、組織的な守備を崩せないことを自ら証明した。 彼らと山本理仁、レフティーモンスターの山田楓喜が現チームの主力であり、準々決勝のカタール戦ではスタメンに名前を連ねると思う。そして、大岩監督の気持ちはわからないでもないが、野澤大志ブランドンは肉体的な資質は申し分ないものの、鈴木彩艶と同様にA代表やU-23代表で起用するには経験不足は否めないのではないだろうか。野澤は元々キックに難点があり、左足は得意ではないためトラップして右足に持ち替えることが多い。韓国戦でも冷やっとしたシーンがあったし、なんでもないシュートを後ろにそらしてOGの危険性もあった。 これまで2試合でチームを救った小久保怜央ブライアンを使っていれば、CKに飛び出てクリアするでもなく、中途半端なポジショニングで何もできずに失点したシーンも何とかできたのではないかと思ってしまう。期待するのは悪いことではない。しかし、その見極めを誰がいつするのか。これは個人的な見解だが、鈴木彩艶は今年のアジアカップで、野澤大志ブランドンは韓国戦のプレーをシビアに検証すべきだろう。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> <span class="paragraph-title">【動画】日韓戦は韓国に軍配! 低調な試合も後半は一変</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="TMihrmhQQbc";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.04.23 14:30 Tue
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