【足球日記】まさかの新型コロナウイルス蔓延、自ら切り拓いた新たなステージ

2020.07.31 22:45 Fri
twitterfacebookhatenalinegplus
photo
超ワールドサッカー
難しい環境下での中国でのサクセスストーリーを現地から届けてもらう連載企画『足球日記』。中国の地で奮闘する、日本と中国の地を引く男・夏達龍(なつたつりゅう)が現地の情報をお届けする。

第2回は、この厳しいコロナ禍で、現在所属する四川九牛に入団するまでの経緯をお届け。四川九牛は、あのシティ・フットボール・グループ(CFG)が保有するクラブの1つ。今シーズンは紆余曲折あり、中国甲級リーグ(中国2部)で戦うこととなった。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

皆さん、こんにちは。

ついに7月25日に中国スーパーリーグが開幕しました。僕の所属する2部リーグの開幕も遠くはないのでチームの士気も徐々に上がって来ています。

前回の連載1回目の記事がYahoo!ニュースにも掲載され、反響も頂き、少しでも多くの方に中国サッカーについて知ってもらえるようより一層頑張りたいと思います!

今回は現所属チーム四川九牛足球俱乐部加入までの経緯について書いていきます。

昨シーズン(2019)は保定容大に所属していました。2019年度のリーグが終わり日本へ一時帰国したのが昨年の11月頃で、12月にまた保定チームに 戻って冬のキャンプが始まる予定でしたが全体連絡で延期が告げられました。

この時点で、資金面の問題でチームの存続危機が起きているのは知っていて、すぐに代理人に連絡をして来季に向けてチーム探しを始めました。しかし、当時所属していた保定容大の解散発表がない限り、チームとの契約は有効なので慎重に動き、出来るだけトラブルのないように進めました。

トライアウトを受けるチームを見つける事すら難航する中、代理人の紹介で蘇州東呉(そしゅうとうご)のチーム練習に参加をすることが決まり、1月上旬に日本から蘇州に向かい10日間ほどトレーニングさせてもらいました。

もちろん移動費もトライアウトの費用(宿泊費・食費込み)も全て自費で、できるだけ早めに結果が欲しかったので2週間経たないうちに直接監督を訪ねてチームに残れるかを聞きました。

当時この蘇州のチームは、2部に昇格できるかできないかまだ確定していない状況で、監督からは「今答えを出すことはできない」と言われ、僕は早速次のトライアウト先である深圳壆岗(ボウガン)という今シーズンから3部に昇格するチームに合流することにしました。この深圳のチームからは、代理人を通さず僕個人に直接連絡がきていました。

春節の休みまで5日間ほどしかなく、とにかく短い間にできる限りアピールしました。そして、2月20日頃にチームは春節休みに入り、監督から休み明けまたチームに合流するよう言ってもらい、強い手応えを持ちながら日本へ一時帰国しました。

◆まさかの新型コロナウイルス蔓延

しかし、この春節休み期間中に新型コロナウイルスが中国国内で爆発的に流行し、チームの予定していた集合日時が無期限の延長になりました。当時の心境は、とにかく不安でした。

いつになったらチームは活動できるのか、そしていつまでこの状況が続くのか、中国に戻ってから14日間の隔離生活がどういうものなのか、中国国内での移動規制はどれほど厳しく無事に戻れるのか、など考えれば考えるほど答えのわからない不安に襲われていました。

もちろんチームが活動再開しても、参加できなければ契約もできません。なので、チーム活動の再開の目処が立ってない状況でしたが中国に戻る決意をし、2月28日に深圳へ戻りました。

チームが用意してくれた隔離環境が整っているホテルで14日間過ごすことになり、ホテルの外はもちろん部屋からも出てはいけないと言われ、毎日3回防護服を着た人が体温を測りに来るという徹底された環境でした。そういった状況の中、チームの活動が再開するのを祈りながら狭いスペースでできるトレーニングをして過ごしていました。

そして、この隔離期間中に保定容大との契約解除の手続きを済ませました。そして3月13日に念願の隔離生活からの解放。しかし、チームは未だ活動できておらず僕はチームの宿泊施設に泊まらせてもらうことになりました。14日ぶりの外出は本当に嬉しかったです!笑

チームの施設内のグランドやジムで毎日1人でトレーニングしながら活動再開するのを待っていると、ついに4月3日にチーム活動開始との連絡が来ました。

しかし、ここで活動再開までの間に知り合いのコーチから連絡がきました。それは、四川九牛の練習参加をしないか? という内容で、しかもそのチームは僕のいる深圳の隣町ですぐにでもいける距離でトレーニングをしていました。

◆思わぬ連絡に葛藤の日々

四川九牛は今シーズンから2部に昇格する可能性もあり、シティフットボールが所有するクラブの一つでまさかこんなチャンスが来るとは思ってもいませんでした。

深圳のチームの活動再開までまだ時間もあり、翌日早速チームに合流し、いきなり紅白戦に参加するというかなりハードな展開で訛った身体を無理やり動かしました。笑

紅白戦を終え、監督からこのままチームのトライアウトに残って欲しいと言われましたが深圳のチームのこともあるので一旦戻り、色々考えた結果、荷物をまとめて四川九牛に合流する決断をしました。

深圳に残る方が契約の可能性は高く、もしこれで四川九牛に残れなかった場合にもう深圳には戻れないと考えるとかなり大きなリスクがありました。この時はまだどっちを優先して考えて行動すべきか迷っていました。

◆考え抜いて選んだ道、その結果は…

去年の12月から実質未所属の状況が続いていて、今すぐにでもしたい契約。目の前にある深圳の契約書に手を伸ばすのか、ここでもう一つチャレンジするのか。そのあと3日間の四川九牛での練習を終えるとチームは休みに入り、その後チームは四川に戻る予定でした。しかし、僕は四川に行くのか深圳に留まるのかまだ決心できていませんでした。

もちろん四川九牛とは契約の話まではできてなかったです。休みの間考えた結果、深圳のチームにはもう戻らないと連絡をして休み明けに四川に向かいました。恐怖もリスクもありましたが、それを抱えても四川九牛でチャレンジしたいという気持ちが勝ったので決心することができました。

4月13日にトレーニングが再開し、契約するために必死でアピールしました。しかし四川に来て4日後の紅白戦で左足首を蹴られ、パンパンに腫れ上がり途中交代しました。

次の日も腫れは一向に引かず、針で血を抜いたり(激痛)してなんとか3日後にはチームトレーニングに復帰することができました。それでも足首はパンパンのままで、痛みを我慢しながら休むわけにはいかないとなんとか食らいつきました。

5月に入っても契約はできておらず気持ちは焦るばかりで、他のトライアウト生が契約したという話を聞くとますます不安になります。この時まだ四川九牛が今シーズン3部なのか2部に昇格するのか確定していませんでした。

そんな時、深圳のチームのスタッフが僕を気にかけて連絡をくれました。

まだ契約できていないと報告すると、深圳に残っていたらもうサインしてたよと言われ、苦笑いしかできませんでした笑

それでも自分で決めてここまで来たので後悔はありません。

後日行われた2部チームとの練習試合で後半途中からFWとして出場してゴールを決めることができました!

そして5月20日

チームの事務所に呼ばれて、なんとか四川九牛と契約することができました! さらに、その3日後に中国サッカー協会が四川九牛の2部昇格を公式発表し、最高の形で今シーズンのスタートラインに立つことができました。


◆プロフィール
名前:夏達龍(なつ・たつりゅう)
生年月日:1993年6月27日
出身地:愛知県名古屋市
職業:プロサッカー選手
所属チーム:四川九牛足球俱乐部(中国プロサッカー2部)
コメント
関連ニュース
thumb

【足球日記】悔しかった日本でのサッカー人生、紆余曲折を経て掴んだプロへの道

かつては“爆買い"というワードがサッカー界を大いに沸かせ、ヨーロッパの第一線でプレーしている代表クラスの選手を多く集めていた中国スーパーリーグ。しかし、その後は給与の未払い問題やサッカーレベルの問題、生活環境の問題などが明るみに出て、多くのスターたちが短期間で中国を後に。一世を風靡した“爆買い"も横行することはなくなった。 さらに、2020年はリーグ戦開幕を控えていた1月に武漢を中心に、後に世界中で大流行する新型コロナウイルス(COVID-19)の感染者が多数見つかり、ほどなくして蔓延。サッカーどころではない状況となっていた。 そんな中国でプレーする1人の選手がいる。その名は、夏達龍(なつたつりゅう)。日本人の血を引く中国国籍の選手だ。難しい環境下での中国でのサクセスストーリーを現地から届けてもらう連載企画が今回からスタートする。第1回目はプロフットボーラーになるまでの紆余曲折、様々な人との出会いをお届けする。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 初めまして。夏です。 現在中国プロサッカーリーグでプレーしています。現役選手として中国サッカーの情報を少しでも多くのサッカーファンの皆様に共有できる場を設けていただき感謝していると同時に非常に嬉しく感じています。 今回は、僕自身の事と中国でプロサッカー選手になるまでの経緯を書いていきたいと思います。 ◆プロフィール 名前:夏達龍(なつ・たつりゅう) 生年月日:1993年6月27日 出身地:愛知県名古屋市 職業:プロサッカー選手 所属チーム:四川九牛足球俱乐部(中国プロサッカー2部) 父は中国人、母は日本と中国のハーフで、僕は4分の3が中国人で4分の1が日本人のクウォーターです。国籍は中国で在日中国人として日本でずっと生活していました。 5歳の時地域のサッカーチーム(Nagoya S.S)に入り、中学卒業までそのチームに所属しました。「将来プロサッカー選手になる」という夢を意識し始めたのは小学6年生の時でした。 小学4年の時にキャプテンを任されましたが、中学3年生最後の年でレギュラーに定着できずキャプテンとして上手くチームもまとめられずキャプテンを降ろされました。これは僕にとって大きな挫折、というより大きなショックだったことを今でも覚えています。 それでも「プロサッカー選手になる」という夢は全くブレませんでした。 高校は愛知県のサッカー強豪校でもある東海学園高校に入学してサッカーを続けましたが、3年間を通して特に大きな目標を達成したり、全国大会に出たりすることなく、入学前に描いていた理想とは真逆の高校サッカー生活となってしまいました。 しかし、高校時代決まったメンバーで毎日のように居残り練習をしていたおかげで、今でも自分に足りない部分を少しでも成長させるための自主トレが習慣になっていて、プロになった今でも積み重ねの大切さを日々実感しています。 そして高校サッカー引退が決まったあと僕には2つの進路がありました。 1つ目はそのまま付属の大学に上がって日本でサッカーを続けてプロを目指す。 2つ目はプロになるのを諦め、母国でもある中国で中国語を0から学ぶ留学という選択肢がありました。 中国留学を意識し始めたのは高校2年の時の進路相談からでした。実際に留学経験のあった姉から「中国の大学に行ったら?」という勧められ、正直それを聞いたときは「留学ありかも」とただ留学というワードに惹かれていました。 そして、進路の決断をするのに僕にとって大きな出来事がありました。 それは高校3年の最後の選手権予選、相手チームに敗れ引退が決まった瞬間、僕はベンチに座っていました。 負けたことよりも、引退が決まったことよりも、何より最後ピッチに立てなかったことが悔しくて泣いていました。むしろ監督が交代枠を使い切った時点で涙が勝手に出ていました。 夢に対してもっと強い信念を持っている選手であれば「大学サッカーで結果を出してプロになってやる」となっていると思いますが、僕はそのとき完全に「諦めよう」という決断をして、中国留学を決意しました。 <span class="paragraph-title">◆決意の中国留学</span> 2012年3月高校を卒業してすぐに北京の語学学校に通い始めました。ネットで見つけた北京在住の日本人サッカーチームがあり、すぐに連絡をして毎週末そこでサッカーをしました。 ここで自分にとってサッカーの楽しさを改めて感じることができました。監督やコーチのプレッシャーが全くない自由にできるサッカーがこんなにも面白いのかと驚きました。 プロになる夢は諦めたけどやっぱりサッカーが好きだと実感しました。 2014年9月上海の大学に中国人本科生として入学することになり、勉強とサッカーを中心に生活をしていました。バイトもサッカーコーチをして、まさにサッカー漬けの毎日でした。 2016年に現地の社会人サッカーチームに入ると、そこであるコーチに出会いました。そのコーチにかなり気に入ってもらい「君の実力なら中国でプロサッカー選手になれる」と言われ、本気で考えてみることにしました。 当時大学2年生(23歳)。卒業までまだ2年もあるし、何より日本生まれで中国に戸籍がなかった僕はまずコーチの助言で戸籍申請の準備をしました。(戸籍登録をして身分証を発行しないと国内選手として登記できないため) 翌年2017年そのコーチから連絡が来ると3部のプロチームに来ないかとオファーを受けました。しかし、その時点でまだ僕の戸籍申請は通っておらず、大学を辞める覚悟もできなかったので断りました。 2018年大学4年生になった僕はいよいよ進路のことも考えないといけない時期で、プロになりたいという気持ちはあったけど、戸籍が取得できない限り中国人国内選手として登録できないのでかなり悩ましい状況でした。 そのコーチは深センという街の4部のアマチュアチーム(日本でいうJFL)の監督として活動していて、僕に連絡をくれました。僕は現在の状況を説明すると、コーチは色々な人脈を使ってくれてなんとか戸籍登録を済ませることができました。 そして、2018年はそのコーチが監督を務めるアマチュアチームで3部昇格を目指し、給料が出る契約を結ぶことができたので、僕は就活はせずに「今度こそプロになってやる」と強い気持ちとともに中国サッカーの世界へ飛び込むことを決意しました。 当時25歳。この世界では遅すぎる挑戦だけど自信はあったし、もしうまくいかなくても悔いはない挑戦だと冷静に前向きに捉えることができました。 そして、地方予選を勝ち抜いた僕たちは全国大会のトーナメント進出を決めました。このまま勝ち進んでいけば3部のプロリーグに昇格できる。しかし、まさかの1回戦負け。昇格機会を逃し、オーナーもチームを手放してしまいました。 2018年10月にフリーになり、2019年に向けチーム探しをするため、紹介していただいた代理人の方と契約をして、冬のトライアウトまで日本で過ごすことになりました。 そして、冬になると代理人の指示で青島黄海(当時ヤヤ・トゥーレが所属し、元ヴィッセル神戸のフアン・マヌエル・リージョが後に監督を務めていた)という2部のチーム(今年から中国スーパーリーグ)にトライアウトを受けに行きました。 もちろんプロとして全く経歴がないので、僕自身が短いトライアウト期間中でどれだけアピールできるかが勝負なのでかなり難しかったです。 結果は不合格。 すぐに次のチームを探してもらう事になり、他の2部のチームに参加する予定でしたが、話だけでなんの進展もなく3部のチームに練習参加する事になりました。 瀋陽(しんよう)と宁夏(ねいか)のチームに参加しましたがすでに同ポジションの枠がなく結果は不合格。このあたりからかなり焦り始めて「ん?このままだと3部も契約できないんじゃないか?」と毎日不安に襲われ始めました。 そしてここで一旦春節休みに入り日本へ一時帰国。この期間が振り返ってみれば中々地獄でした。(笑) 次どこのチームのトライアウトにいけるかも確定していなく、チームもどの選手を取るかだいたい決まり始めている状況。そんな中ついに代理人から保定(ほてい)のチームが見つかったと連絡が来て、すぐに中国へ戻って練習参加しました。 1週間ほどのトレーニングを通して、しっかりとアピールもできてついに合格!! 保定容大足球俱乐部と2年契約することができました。とりあえず一安心。 2019年、子供の頃には予想もつかなかった中国プロサッカーリーグにて、念願だったプロサッカー選手になるという夢を叶えることができました。 <div style="text-align:center;" id="cws_ad"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/20200706natsu_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div> 2020.07.06 22:30 Mon
twitterfacebook