女子W杯辞退と主審の重要性/六川亨の日本サッカー見聞録

2020.06.26 22:00 Fri
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本来なら6月25日はFIFA(国際サッカー連盟)カウンシルでリモートによる投票から2023年の女子W杯開催国が決まるはずだった。しかし日本は22日の臨時理事会で女子W杯の招致から撤退することを決めた。その理由として、10日に公表されたFIFAの候補地評価報告書では、6項目(スタジアム、・チーム、審判の設備、・宿泊施設、・国際放送センター、・関係イベント会場、・商業面で各5点満点)の総合評価で3・9点の2位にとどまったことが前提にあった。1位は共催で立候補したオーストラリア/ニュージーランドで、総合評価は4・1点。6項目中4項目で日本を上回り(スタジアムは同点)、日本は宿泊施設だけが高く評価された(唯一満点に近い4・9点)。

こうした客観的な情勢に加え、近年のFIFA主催の国際大会は規模が拡大傾向にあり(女子W杯も23年は24チームから32チームに増加)、そのため共催が認可されやすい傾向にあること。ASEANサッカー連盟が共催の支持を表明したこと。そして新型コロナウイルスにより東京五輪が来年に延期されたことで、女子の2大国際イベントが「短期間に日本で開催されることを危ぶむ声があった」(須原清貴JFA専務理事)ことなどから日本は撤退を決めた。

W杯の予行演習として五輪を開催した(68年と70年のメキシコ、72年のミュンヘンと74年の西ドイツ)のは遙か遠い昔の出来事だ。23年の女子W杯が黒字になるかどうかはわからないが、オーストラリアとニュージーランドにとって大会を成功裏に終わらせれば、次の国際大会の招致に向けて実績となる。

田嶋幸三JFA会長も、「(男子の)W杯を1カ国で開催できる国は限られているので、FIFAは共催がトレンドになりつつあります」と漏らしていた。すでにEUROは2000年にベルギーとオランダの共催で実施した。W杯なら02年の日韓大会があり、26年はアメリカ、カナダ、メキシコの3カ国による共催となっている。

過去のW杯で、南半球で開催されたのは南アとブラジルの2回しかない。それも10年、14年とつい最近だ。このため、そう遠くない将来、オーストラリアとニュージーランドで男子のW杯が開催される可能性は大きいのではないだろうか。

撤退するかどうかを決める理事会では、「玉砕」を覚悟に投票に賭ける理事もいたという。しかし「票読みはぎりぎりにならないとわからない。負け方によっては次にマイナスになりかねない」(田嶋会長)ことと、アジア勢同士の直接対決を避けることで「アジアのソリダリティー(連帯)と、ポイントの評価は次につながる。そのインパクトは次に計り知れないのではないか」(田嶋会長)という2点から、投票3日前の撤退となった。

12年のヤングなでしこ(U-20女子代表)に続くW杯の開催断念は残念だ。とはいえ次に可能性を広げる撤退と前向きに判断したい。

翌23日にはJリーグの臨時理事会が開催され、主立った決議事項はすでに当サイトで紹介済みだ。VARシステムは3密が予想されるだけでなく、審判はリーグ戦の過密日程で例年にない厳しいシーズンとなる。このため審判への負荷を減らすためにもVARは見送ることになった。

そして試合は主審と副審2名、第4の審判員の4名で構成されるが、万が一主審が試合当日の朝に発熱したり、移動途中で発熱したりして欠場を余儀なくされた場合は試合が中止になる可能性もある(補充できれば開催される)。これまでは選手にばかり目が行きがちだったが、ホイッスルを吹く主審は1人しかいない。むしろ主審の不在により試合が中止になる可能性の方が高いのではないだろうか。

それが杞憂に終わることを祈りつつ、27日に再開・開幕するシーズン到来を待つことにする。リモートマッチを取材できるのはカメラマン15名、記者26名という狭き門で、当日はJ2の試合を申請したが、残念ながら却下されてしまった。このためDAZNで複数の試合を楽しもうと思っている。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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高校サッカーのロングスローは歓迎/六川亨の日本サッカー見聞録

Jリーグはオフシーズンに突入し、国内はもちろん海外への移籍も活発だ。こちらは落ち着いてから整理して、戦力分析をしようと思っている読者も多いだろう。 AFC(アジアサッカー連盟)からは8日の昼過ぎにメールが届き、次回のアジアカップが23年6月から7月にかけて中国で開催されること。本大会はこれまでの16カ国から24カ国に増えるものの、大会日数は前回UAE大会の28日から31日と3日間しか違わないことなどが報告されていた。 気になる開催都市だが、まだ2年以上先ということで詳しい情報はなかった。それよりも、まずは今夏の東京五輪、来年2月の北京冬期五輪、そして11月開幕のカタールW杯が無事に開催できるかどうか。 そのためにも、まずは2月開幕のJリーグと3月のW杯2次予選を無事に迎えることが最初の課題と言っていい。 さて、全国高校サッカー選手権も残すところ9日の準決勝と11日の決勝戦となった。4都県に緊急事態宣言が出されたことで、生徒と父兄ならびに学校関係者の観戦が取りやめとなったのは残念だが、感染が拡大している現状ではやむを得ないだろう。 そんな高校選手権を年末年始に取材して感じたことが2点ある。 まず1点は、かつては珍しかったロングスローを投げる選手が、いまはどのチームにもいたことだ。このためFK、CKと同様にロングスローからの空中戦も大きな武器になっていた。 もう1点は、交代枠が5人に増えたことで、Jリーグ同様選手交代を早めに行うチームが増えたということである。 まず交代枠だが、4人から5人に増加されたのは3年前の第96回大会からだった。それまでは、主力11人をスタメンで送り出し、(1)劣勢に立たされたチームが起死回生で温存したスーパーサブを投入する。(2)来年度のチーム作りに向けて期待の1年生に選手権を経験させるために送り出す。(3)勝負は半ば諦めて、3年間頑張った控えの選手に出場機会を与える――というパターンが多かったと記憶している。 ところが第96回大会では優勝した前橋育英(群馬)や準優勝の流通経済大柏(千葉)ら、選手層の厚いチームは5人の交代枠を有効に使って好成績を収めた。 大会は連戦もあるため交代選手を9人登録できる。交代枠が3や4だと、サブの選手は次に誰が出場機会をつかむのか推測しやすいだろう。しかし5に増えたことで、50パーセントの確率で出場できるため、選手のモチベーションも高まるはずだ。 監督にしても、交代選手の数が増えれば柔軟な対応ができる。例えば対戦相手をスカウティングしてスタメンを送り出しても、ゲームプランが狂えば前半の20分くらいで選手交代により修正できるメリットがある。 ただ、個人的には悩むところだ。1つは「たった20分で交代させるのは、選手を駒としか扱っていないのではないか」という思いだ。その一方で、「20分でもピッチに立て、さらに交代枠をすべて使えば16人の選手が選手権を経験できるメリットがある」という考え方だ。 これは、たぶん答えの出ない自分自身への問いかけでもある。 それに比べてロングスロー攻撃は歓迎だ。選手もロングスローを投げられるよう肉体改造に努力しているのだから、それは賞賛すべきだろう。そもそも堅守からCKやFKから長身選手のゴールで勝つのはいまに始まったことではない。 小嶺監督時代の国見(戦後最多の6回優勝)、そして市立船橋(優勝5回)が全国制覇した時は、いつもセットプレーが大きな武器で、ヘディングの強い長身選手を擁して空中戦を得意としていた。一発勝負のトーナメントを勝ち抜く、効率の良いサッカーである。 もちろん見ていて楽しいサッカーではないため否定する向きもある。しかし彼らの“アンチ"としてドリブルやパスサッカーを標榜する静岡学園や野洲があった。どちらが良い悪いではなく、いろいろな考え方とスタイルがあっていいと思う。 その上で、日本代表を始めJクラブも国際試合、EAFF E-1選手権とACLでは韓国代表と韓国のクラブ(と韓国人が監督を務める中国クラブ)には、ロングボールによる空中戦攻撃に苦しめられている。いまに始まったことではないが、空中戦に強い長身FWの育成と、しっかりヘッドで弾き返せるCB(闘莉王や中澤のような)の育成は急務なので、高校年代からヘディングの強化は歓迎したい。 なぜか日本では、ヘディングの技術が軽視されていると感じられてならないのは私だけだろうか。 <div id="cws_ad">【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.01.09 19:00 Sat
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天皇杯決勝で思い出された出来事/六川亨の日本サッカー見聞録

明けましておめでとうございます! 第100回を迎えた天皇杯決勝、元日の風物詩でもある川崎F対G大阪の試合は三笘のゴールで川崎Fが念願の初優勝を遂げた。J1リーグでは圧倒的な攻撃力で対戦相手をねじ伏せて早々と優勝を決めた川崎Fだけに、天皇杯との2冠は順当だったと言ってもいい。 川崎Fは、前回のリーグ優勝時も攻撃パターンは多彩かつ緩急の変化に富んでいた。MF中村、大島とFW小林のホットラインが基本的な生命線だ。相手を食いつかせるスローなパス交換でスペースを作りながら、ボックス内では急所を突いたショートパスでフィニッシュに結びつける。その緩急の変化に対応できず、フリーでシュートを許して失点を重ねるチームが多かった。 基本的に当時の川崎Fの攻撃は中央突破がメインで、サイドに展開して攻撃の起点を作るものの、それでも仕上げはボックス内の地上戦が多かった。守る側からすれば、いかに小林と中村(大島)のホットラインを分断するか。それが川崎F対策でもあった。 それが、昨シーズンは違った。右SB山根の補強による攻撃参加は大きかったが、それに加えて田中碧、脇坂ら中盤の選手が意外性のある飛び出しからサイドに張り出すことで攻撃の幅を広げた。 対戦相手のある監督が言った。「これまでのフロンターレの攻撃は中、中で、最後は憲剛と小林を見ていれば良かった。しかし今シーズンはサイド(からの崩し)もケアしないといけない」と。その指摘通り昨シーズンの川崎Fは攻撃の幅が広がった。様々なデータが示す通り、川崎Fのリーグ優勝は順当な結果と言えた。 そんな川崎F相手に、天皇杯決勝でG大阪の宮本監督は面白いゲームプランをぶつけてきた。 4BKをベースに、矢島と山本のダブルボランチで、両サイドに小野瀬と宇佐美、これに倉田が1トップのパトリックのシャドーとなって動き回る4-5-1のシステムだが、守備時には選手がスライドして守りを固めた。 リーグ戦のアウェーでは0-5と大敗して優勝を決められただけに、それも当然の策だろう。小野瀬がDFラインに下がって5BKになり、連動して倉田が右MFに落ち、宇佐美も戻って5-4-1で川崎Fの攻撃陣を迎撃した。 「相手システムとのミスマッチであったり、ボールを奪った後に速く攻めるコンビ-ネーション」(宮本監督)が狙いで、「立ち上がりはうまくいった」と振り返ったように、川崎Fゴールに迫るシーンもあった。 しかし時間の経過とともに川崎Fも順応し、本来はアンカーの守田が攻撃参加することで、G大阪の守備バランスを崩しにかかった。 結果は1-0という僅差のスコアで終わり、盛り上がりに欠けたと物足りなく感じたファンもいたかもしれない。しかしそれは、川崎Fの実力からしてG大阪は守備的な戦いを選択せざるを得なかったからで、誰を責めることもできない。 むしろ終盤は0-1の最小スコアを保ちながらG大阪がパワープレーで川崎Fゴールに襲いかかったことで、鬼木監督はこの試合を最後に引退する中村の花道を作ることはできなかった。彼が試合に出て、タイムアップの瞬間をピッチで迎えたら、それはそれでドラマになったが、リーグ2位のG大阪の意地が阻止したと言えよう。 そして表彰式である。接触を避けるためメダルを始め天皇杯などの授与は手渡しではなかったが、G大阪のある選手はピッチに設営された記念ボードで集合写真を撮る際に、首からさりげなくメダルを外した。 そのシーンを見て思い出したのが、09年11月4日のナビスコ杯(現ルヴァン杯)決勝後のシーンだった。当時の決勝戦は旧国立競技場で開催され、試合後のセレモニーはメインスタンド中央にあるロイヤルボックス内で行われた。 準優勝に終わった川崎Fの選手たちは、首にかけてもらったメダルをすぐに外したり、握手を拒否したりした。ある選手はガムを噛みながら表彰式に参加したため、こうした一連の行為が物議を醸したものだ。 クラブは選手へのヒアリングを含めた対応の結果、賞金5千万円の辞退を申し入れたが、Jリーグとヤマザキナビスコ社は「社会貢献などに有効活用して欲しい」との理由から返上を認めなかった。そこで川崎Fはこの5千万円を地域密着のために活用することにして、その一環で翌10年にはオリジナルの“算数ドリル”を市内の全小学校や特別支援学校に配布した。 FC東京に0-2で敗れてから10年後、やっとリーグカップを制し、今年は天皇杯でも優勝して4年連続の戴冠となった。新シーズンは再び追われる立場になるが、川崎Fがどんな進化を遂げるのか興味深いところである。 <div id="cws_ad">【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.01.03 19:30 Sun
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大卒選手の台頭でますます狭き門の五輪代表/六川亨の日本サッカー見聞録

天皇杯の準決勝は、順当に川崎F対秋田、G大阪対徳島のJリーグ勢同士の顔合わせとなった。そして新型コロナウイルスの影響か、海外から監督を招聘したり選手を補強したりする動きは今のところ数えるほどと言っていい。その代わり、国内での監督と選手の移動はかつてないほど賑やかだ。 来シーズンは降格チームの数が増えることと、東京五輪が開催されればJ1リーグは今シーズン同様過密日程が予想されるため、チーム編成(作り)を早めに進めたいという思惑があるからだろうか。 監督に関して言えば、1位・川崎Fの鬼木監督、2位・G大阪の宮本監督、3位・名古屋のフィッカデンティ監督と、6位・FC東京(長谷川監督)、8位・広島(城福監督)、9位・横浜FM(ポステゴグルー)、11位・大分(片野坂監督)、13位・鳥栖(金明輝監督)、15位・横浜FC(下平監督)、18位・湘南(浮嶋監督)は続投を決定した。 一方、4位のC大阪(クルピ)、10位の浦和(ロドリゲス)、16位の清水(ロティーナ)、17位の仙台(手倉森誠か大槻毅)は新監督を招聘することを表明。残る札幌や鹿島、柏などは続投がかなり濃厚だが、25日時点で正式な発表はない。 反町JFA(日本サッカー協会)技術委員長は、来シーズンはW杯予選と五輪の活動が重なるため、森保監督の了解を得て同監督をサポートするための人材補填を認めていた。公表時期はJリーグが終了する12月20日以降としていたものの、いまだに氏名は漏れ伝わってこない。 となると、まだシーズンが終わっていない(天皇杯とルヴァン杯決勝がある)川崎F、G大阪、FC東京、柏の4チームの関係者ということだろうか。 そしてもう1つ気になるのが、森保監督をサポートしていた関塚ナショナルチームダイレクターが11月末日に退任したものの、同氏のその後の動向も一向に伝わってくる気配がないことだ。コロナの変異種で感染が拡大している現状では、西野タイ代表監督のように海外(東南アジア)で監督を務めることも難しいだろう。 まさか西野技術委員長とハリルホジッチ監督の時のように、ナショナルチームダイレクターを辞任してから東京五輪の監督に就任(ロンドン五輪ではベスト4に進出した実績がある)するという“ウルトラC"(という言い方がいまも通用するかどうか)の再現でもあるのだろうか。 こちらは自分で書いていても信じられないため、現実的ではないだろうが……。 さて昨日23日は、午前は五輪代表候補キャンプを、午後からはU-19日本代表候補対慶応大学のトレーニングマッチを取材した。五輪代表の候補キャンプには23名が招集されたものの、2名の選手が負傷で辞退したため新たに3名が追加招集され、さらに1名が負傷で離脱したため±0で、23名になった。 改めて言うまでもないが、五輪の登録人数は18名とかなりの“狭き門"だ。そして今回のキャンプには27日に天皇杯を控えている川崎Fの三笘、田中碧、旗手と今シーズン活躍した3選手が呼ばれていない。 さらに10~11月のA代表にも冨安(ボローニャ)を始め中山(ズヴォレ)、板倉(フローニンゲン)、久保(ビジャレアル)ら五輪候補7名の海外組が呼ばれたし、堂安(ビーレフェルト)も好調を取り戻しつつある。 こうして見ると五輪代表候補のラージグループは35名にも膨れ上がる。ここからOA枠3名を引いたら果たして今いるメンバーから何名が残れるのか……と思いながら練習を見てしまった。 今回は初招集の選手もいたが、それは今シーズンのJリーグで結果を残したからである。その代表格が安部(FC東京)だろう。「自分は世代別の代表に入ったことがなく、今回が初の代表でうれしかったし目標だったので、素直にうれしいです」と喜びを表した。そして五輪が1年延期されたことで「出たいなという思いはあったけど、現実的ではなかった」のが、今回選ばれたことで「近づいたかな」と五輪への思いを強くした。 同じFC東京の先輩である渡辺は、今回の招集を違った角度で見ていた。 昨シーズン夏以降の活躍で代表に初招集され、今年1月のU-23アジア選手権にも参加したが、「アジアレベルで活躍できなかった。元々は(五輪代表に)滑り込んでやろうと思った」ところ、「(五輪が)1年延びたことで実力を見てもらえるようになったと思う。立場は変わり、実力を見て選ばれたのだと思う」と今回の招集に自信を深めつつ、アピールを狙っていた。 そんな2人とはちょっと違うスタンスなのが、ルビン・カザンへの移籍が決まった齋藤(湘南)だ。年代別の代表に選ばれたことで国際経験が豊富なせいか、「森保監督も横内コーチも言っていますが、五輪代表の先にA代表がある。僕もそのつもりで活動しています」と先を見据えている。カザンは日本代表がロシアW杯の際にキャンプ地として利用し、U-19日本代表も一緒にキャンプをした思い出の地でもある。 齋藤は「馴染みがあるのでしっかりプレーしたいです」と抱負を述べながらも、「いまここでしっかりやることも大事だし、ロシアに行ってもしっかりやることが重要になる」と常に足下を見つめていた。 今回のキャンプは最終日に関東大学選抜との練習試合で打ち上げとなり、次回の活動は来年3月26日の親善試合までない。この3月の2試合と6月の2試合はインターナショナルマッチデーのため、海外組の招集が可能だ(コロナの感染が深刻な状況にならない限り)。恐らくこの4試合が最終テストで、7月上旬のキリンチャレンジ杯2試合を経て五輪本大会に臨むことになるだろう。 こうして見ると、やはり五輪代表に残るのは、アピールする機会も限られているので改めて“狭き門"だと思う。 左右からクロスを入れてのシュート練習や、ハーフコートでの紅白戦で森保監督と横内コーチはどこまで選手の実力をチェックできるのか。半日ほどの取材では到底うかがい知ることはできないが、やはり選手にとっては新シーズンのリーグ戦がアピールする格好の場になるのではないだろうか。 そんな思いにとらわれた、五輪代表候補のキャンプを取材したインプレッションだった。 <div id="cws_ad">【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.12.25 20:50 Fri
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マラドーナに続きロッシまで/六川亨の日本サッカー見聞録

Jリーグは16日にJ1とJ2の最終節(19日と20日)前の試合を開催し、記録の更新も含めてACL出場チームやJ1昇格チームが決まった。 記録では、川崎F対浦和戦で興梠がPKから浦和の先制点を決めた。これで興梠はJ1記録を更新する9年連続2桁得点をマーク。J1歴代最多得点でも中山雅史と並ぶ157の3位で、2位・佐藤寿人の161も視野に入ってきた。 試合はリーグ優勝を決めている川崎Fが後半の3ゴールであっさり逆転。2点目を決めた三笘は通算13得点で、大卒ルーキーの最多得点記録を持つ渡邊千真(当時は横浜FM)と武藤嘉紀(同FC東京)に並び、最終戦で記録の更新に挑む。 そして2位のG大阪が横浜FCに2-0と勝ち、4位のC大阪が鳥栖に1-2で敗れたため、1試合を残してG大阪の2位が確定した。G大阪は27日から始まる天皇杯準決勝と来シーズンのACLの出場権を獲得した。 J1リーグの上位3チームに与えられるACLの出場権は、3位の名古屋、4位のC大阪、5位の鹿島の3チームによる争いに絞られた。しかしながら天皇杯の出場チームがJ1の1位と2位のため、ACLの出場権は天皇杯ではなくリーグ戦の4位まで枠は広がるはずだ。このため最終戦でのC大阪(勝点59)対鹿島(同58)の直接対決は痺れる試合になるだろう。3位の名古屋は勝点60のため、鹿島は勝つしかACLの道は開けない。 Jリーグの詳しい総括については別の機会に譲るとして、年末は悲報が相次いだ。マラドーナの訃報に続き、12月9日には元イタリア代表FWのロッシが肺がんのため64歳でこの世を去った。 パオロ・ロッシがW杯にデビューしたのは1978年のアルゼンチン大会だった。同大会ではブラジルのジーコ、フランスのプラティニらがデビューしたものの、その後ロッシの名前が日本のサッカー雑誌に載ることはほとんどなかった。 それというのもペルージャ在籍時代の80年に、八百長に連座したとの疑いから3年間の出場停止処分を受けたからだ。 幸か不幸かロッシの出場停止処分は2年に軽減され、82年の4月にはスペインW杯の最終メンバーにエンツォ・ベアルゾット監督はロッシを加えた。まず日本では、八百長事件に連座した選手を代表に加えることは100%ないだろう。さらに2年間の出場停止ということで、実戦からも遠ざかっている。 <div id="cws_ad"><div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJ4VnRoaUF2SCIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script></div> 当然イタリア国内でもベアルゾット監督に対する批判は凄まじいものがあった。ただ、エースはあくまでもベテランのロベルト・ベッテガであり、ロッシはサブという扱いだったこと。そして、イタリア国民の大多数が母国の活躍をほとんど期待していなかったことが幸いしたのではないだろうか。 優勝候補の筆頭はブラジルだった。なにしろ前年5月に行った長期にわたるヨーロッパ遠征では敵地にもかかわらずイングランド、西ドイツ、フランスを撃破。偶然にもテレビ中継していたイングランド対ブラジル戦を見たが、前後半ともブラジルのワンサイドゲーム。というか、ほとんどイングランド陣内でのハーフコートマッチだった。いくらテストマッチとはいえ、ここまでヨーロッパの強豪を圧倒するチームを見たのは初めてだった。 変幻自在の中盤、「クワトロ・ジ・オーロ(黄金の4人)」と言われたジーコやファルカンらが織りなすゲームメイクはまさに圧巻ものだった。 そんなブラジルの対抗馬は前回優勝国で、新たにマラドーナやディアスらを加えたアルゼンチン。そしてヨーロッパ勢では西ドイツと、キャプテンになったプラティニとジレス、ティガナら中盤のタレントから「4銃士」と呼ばれたフランスだった。 イタリアは……34年と38年に優勝したが、それははるか大昔のこと。70年メキシコ大会こそ決勝に勝ち進んだが、その前後の66年イングランド大会と74年西ドイツ大会は1次リーグで敗退と、蓋をあけてみないとわからないのがイタリアだった。 案の定イタリアはスペイン大会の1次リーグを過去の実績からシードされながら3引き分けのスタート。総得点でカメルーンをかわして2次リーグに進んだ。ところが2次リーグでは、ブラジルとアルゼンチンと同居したため「草刈場になる」という大方の予想を大きく裏切る活躍を見せた。 アルゼンチンに2-1の勝利を収めると、ブラジル戦ではロッシがハットトリックの爆発で3-2と競り勝ちブラジルに引導を渡したのだ。この試合は両チームともほとんどミスのない、いまで言うアクチュアル・プレーイングタイムの長い、W杯史に残る好ゲームと言える。 南米2強を倒して勢いに乗ったイタリアは、準決勝のポーランド戦でもロッシの2ゴールで勝ち上がると、決勝の西ドイツ戦でもロッシの先制点から3-1の勝利を収め、実に44年ぶりとなる3度目のW杯制覇を果たしたのだった。 このときの教訓から、W杯でのイタリアは1次リーグでは「死んだふり」をするとか、1次リーグのイタリアは「当てにならない」とも言われるようになった。 そしてロッシは得点王とMVPを獲得し、「バンビーノ・デル・オロ(黄金の子供)」と称えられた。同年にはバロンドールも受賞してピークを迎えたロッシだったが、代表でのキャリアで輝いたのはこのスペインW杯だけだった。 このロッシと、90年イタリア大会で得点王を獲得したスキラッチは「ごっつぁんゴール」を得意とする選手の代名詞と思われがちだが、けしてこぼれ球だけを得意とする選手ではなかった。ブラジル戦での1点目、攻撃的左SBカブリーニからのクロスをファーサイドで、ヘッドで決めたゴールはポジショニングの巧みさ、後にディエゴ・フォルランも得意とした「アザーサイドへ流れる」動きからのゴールである。 2点目はトニーニョ・セレーゾの横パスをカットして、自らドリブルで持ち込むと豪快なミドルで決めた。そして3点目は右CKのクリアから味方のミドルシュートをゴール前で反応してコースを変えたように、違ったパターンからハットトリックを達成している。 この3ゴールからわかることは、ロッシはストライカーとして多彩な得点パターンを持っているということだ。82年の夏に「一瞬の輝き」を残したロッシは、イタリアに3回目のW杯優勝という偉業をもたらして64歳の生涯を閉じた。 記録に残る選手ではないが、同時代を過ごしたファン・サポーターにとっては記憶に残る選手であることに間違いはない。 余談だが、今回の原稿を書く際に参考資料として当時のダイジェストの増刊号を見返した。するとユーゴスラビアの選手紹介ページで、昨夏ナントへ移籍したパワフルなCFとして若き日のハリルホジッチが写真付きで掲載されていた。なかなか甘いマスクのハンサムな選手だった。 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/roku201219_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div> <div id="cws_ad">【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.12.19 14:30 Sat
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神戸ベスト4進出も問題多いACL/六川亨の日本サッカー見聞録

10日に行われたACL準々決勝は、日本勢で唯一勝ち残った神戸がPK戦の末に水原(韓国)を下し、ベスト4へと勝ち進んだ。神戸は13日にペルセポリス(イラン)の待つ決勝戦(19日)への出場権を賭けて、蔚山(韓国)と対戦する。 勝つには勝った神戸だが、中2日で準決勝を戦わなければならないことを考えると、延長戦の30分は余分だったというのが正直な感想だ。後半のビッグチャンスをドウグラスが確実に決めていれば――ピッチはデコボコのフカフカだったため、彼を責めることはできないとしても――90分で決着をつけるべきだった。 そしてまた、圧倒的に押していてもワンチャンスを決められたり(延長後半の決定機は山口が阻止)、PK戦で敗れたりするのもサッカーであり、韓国勢との戦いでもあった。日本勢への対抗心と、ACLがもたらす賞金からくる図式であり、これはいまも昔も変わらない。 神戸に話を戻すと、PK戦こそ第1キッカーでシュートを成功させたイニエスタだが、右足太股のケガはかなり深刻そうだ。残り2試合(勝ち進めば)、彼の不在を前提に戦わなければならないだろう。それでも総力戦でJリーグの底力を発揮して欲しい。 このACLだが、現状では来シーズンの日程が決まらないことで様々な障害になっている。 現状で決まっているのは、来年2月に延期された“クラブW杯”がカタールで開催されること。本来は24チームに改編され、中国での開催が決まっていた“新クラブW杯”がコロナの影響で、現行の7チームによる大会として12月に日本で開催されること。そして2年に1回開催される“EAFF E- 1選手権”が中国で12月に開催されることだ。 これらの大会はセントラル開催で、開催期間も限られている。一方のACLはホーム・アンド・アウェーが基本で、開催時期も長く、地域も広大だ。このためACLの開催時期が決まらないと、Jリーグも開幕と閉幕の日時を決められないだけでなく、上記の国際大会も日程を決められない。 しかしながら、12月の中旬を迎えようとしている現在もACLの日程は未定のまま。そこでJリーグは、開幕の日程が決まらないと各クラブも1月のオフの期間をいつまでにするか、チームの始動日と新入団選手の会見、キャンプの日程が決められないとして「12月8日がリミット」と決断。J1の開幕は2月27日、J2とJ3は3月13日と決めた。 そしてJリーグの最終節は、日本開催のクラブW杯とEAFF E- 1選手権の最終日と重ならないようにしなければならない。これら2大会についてJリーグの関係者は「JFA(日本サッカー協会)マター」としながらも、村井チェアマンは「現行スタイルのクラブW杯の最後の大会が日本で開催されるのは大変光栄なこと。その前にリーグの全日程を終えなければならない」として、12月4、5日を最終節に決めた。 ただし、リーグ王者の川崎Fと天皇杯覇者の対戦するゼロックス杯とルヴァン杯の日程はACLが未定のため、こちらも未定のままだ。 ちなみに田嶋JFA会長はリモートによるFIFA(国際サッカー連盟)のコングレス(総会)に参加後、「クラブW杯の日本開催はAFC(アジアサッカー連盟)も全会一致で決まった。日程は決まっていないが、ヨーロッパのカレンダーは12月のクリスマス前に中断する。来年はE-1があるがヨーロッパを考えると決勝は19日しかないかな」と私案を語り、須原専務理事も「(E-1連盟と)連絡はとっています」とのことだ。 このコングレスでは、英国そのものがEU(欧州連合)から脱退したことを受け、英国4協会(イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)もEUから外れたことが報告された。ただし英国4協会はいままで通りそれぞれが独立したFA(協会)で、それは香港と中国、グアムとアメリカ(いずれも別協会とする)などと同じ扱いであることも確認された。 こうして日程の決まらないACLを尻目に、できる範囲で日本も大会の枠組みを決めている。それでも懸念されるのは、五輪やW杯予選も開催された上で、チーム数の増えたJ1リーグが無事に日程を消化できるかどうかということである。 今年はコロナの影響でリーグ戦の再開が遅れたため、リーグ戦とルヴァン杯とACLを並行して戦った神戸、横浜FM、FC東京は連戦を強いられた。リーグ戦で失速した一因と言えるだろう。さすがに来シーズンは日程的に今年より緩やかになるだろうが、五輪が開催されれば横浜FMとFC東京はホーム・スタジアムを使えないため、夏場にアウェーの連戦が予想される。 両チームに救いがあるとすればACLがないことで、つくづくACLは日本のサッカーカレンダーにとってネックになっている。さりとてFIFA主催のクラブW杯につながるだけに、無視するわけにはいかない。なんとも悩ましい大会でもある。何かいい解決法はないだろうか。 <div id="cws_ad">【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.12.12 20:00 Sat
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