天皇杯のあり方…アマチュア大会へモデルチェンジのススメ/六川亨の日本サッカーの歩み

2020.04.28 12:45 Tue
©超ワールドサッカー
日本で最古の大会である天皇杯全日本サッカー選手権大会が始まったのは、1921年(大正10年)11月のことだった。東京の日比谷公園グラウンドで4チームにより開催され、東京蹴球団(教員で作られた日本初のクラブチーム)が第1回大会の覇者となった。

それから100年、今年の天皇杯は記念すべき第100回大会とあって、JFA(日本サッカー協会)も特別予算を組んで備えてきた。しかし、新型コロナウイルスの影響でJリーグの再開は目処が立たず、あらゆるカテゴリーの大会も中止となり、26日にはインターハイの中止も決まった。
このためJFAは4月23日に須原清貴・天皇杯実施委員長がwebブリーフィングで大会方式の変更を発表した。今年に関しては全国88チームが参加して、ノックアウト方式で5月23、24日に開幕する予定だった。

しかし、前述したようにJリーグを始め各種大会・予選の延期・中止が相次いでいるため、第100回大会に限って出場チームを50チームに絞り、7回戦のノックアウト方式で、9月16日に開幕することを決めた。参加チームは、J1~J3の56クラブはレギュラースケジュールの消化を優先(DAZNとの放映権料確保のため)するため、今シーズンのJ1リーグの成績上位2チームだけが準決勝(12月27日)から出場する。

というのも、優勝チームにはACLの出場権が与えられるからで、Jリーグ以外のチームが優勝した場合はJ1クラブに振り替えられる。ただし、決定方法は検討中となっている。それというのも9月16日に天皇杯を開幕できるのかどうか、そしてJリーグが天皇杯の準決勝までにレギュラースケジュールを消化できているかどうかは、現時点で断言できないからである。
このため他の参加チームは都道府県代表の47チームと、アマチュアシードチームのHonda FC(JFL)の50チームになった。そして1回戦から3回戦までは、各地域でトーナメントの櫓、ブロックを組んで試合をする。それというのも「同じ地域の会場にすれば選手、スタッフ、関係者の移動を極力少なくして、安全確保とコスト減」(須原委員長)につながるからだ。

ただ、問題がないわけではない。すでに地域によっては天皇杯の出場チームが決まっているところもある。秋田県では代表決定戦が開催できないため、県協会は推薦でJ3ブラウブリッツ秋田の出場を決めた。しかし須原委員長は「Jのクラブは出場しない前提なので資格を失う。出場チームは県協会で決めて欲しい」と再考を促した。

福島県ではJ3の福島ユナイテッドFCとJFLのいわきFCによる代表決定戦を行う予定だったが、同じ理由で福島ユナイテッドFCは参加資格を失った。

天皇杯はプロ、アマに門戸を開いたオープンな大会に比べ、J1~J3はプロの興行である。どちらの大会を優先すべきかは自明の理とも言える。

さて天皇杯が現行のようにJリーグ全チームと、47都道府県の代表、JFL上位チーム、大学シードと都道府県予選を勝ち抜いた2種チーム(高校勢)が参加するようになったのは1996年の第76回大会(80チームによるノックアウト方式)からだった。

これは個人的な見解だが、近年のJリーグの過密日程は異常とも言える。リーグ戦に加えJ1リーグのチームはルヴァン杯があり、上位チームはACLもある。今年は新型コロナウイルスによりさらなる過密日程が予想され、来年は東京五輪2020で同じリスクがある。

そろそろ天皇杯は“アマチュアの最高峰”を目指す大会にモデルチェンジしてもいいのではないだろうか。そしてACLの出場権は天皇杯優勝チームではなく、リーグカップ戦とも言えるルヴァン杯の優勝チームに与えるべきだと思っている。(編集部注:ACLの出場権は、全国レベルの最上位リーグの優勝クラブが第1代表、全国レベルの国内カップ戦優勝クラブが第2代表と決められている。天皇杯でなくても全国レベルのカップ戦であれば問題はない)

かつてJSL(日本サッカーリーグ)時代の1986年のことだ。リーグ優勝した古河には西ドイツから奥寺康彦氏が戻っていた。その古河がアジアの大会を勝ち上がり、12月末の決勝リーグに進出した。しかし天皇杯と日程が重なっている。そこで古河は天皇杯を辞退してアジアの大会に臨み、見事アジアクラブ選手権(現ACL)で初優勝を遂げた。

87年元旦、国立競技場で帰国したばかりの清雲栄純監督、奥寺氏や岡田武史氏らは優勝トロフィーを前に記者会見に臨んだ。当時の彼らは天皇杯よりもアジアのタイトルを優先し、チャレンジして結果を出した。ましてプロリーグができたのだから、優先順位を変えるべきだろう。

元旦に国立競技場でプレーするのは選手にとって憧れかもしれない。しかし、選手を休息させるため、代表強化のためにも天皇杯はアマチュアの大会にするべきだと思っている。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。


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