日本サッカー協会会長選で田嶋氏が3選、それはそれでいいとして後継者はいるのだろうか?/六川亨の日本サッカーの歩み
2020.01.30 11:30 Thu
タイのバンコクで開催されていたU-23アジア選手権は、延長戦でサウジアラビアを1-0で下した韓国が初優勝を果たした。
残念ながら延長戦で右FKから長身DFにヘッドで決勝点を許してしまい準優勝に終わった。6試合で喫した失点は決勝戦でのゴールと日本戦で食野亮太郎が決めたミドルだけ。その堅守と、韓国のプレスをモノともしない個人技によるパスワークは、東京五輪でもジャイアントキリングを予感させるに十分だった。
懸念材料があるとすれば国際舞台の経験とメンタリティーか。いずれにしても東京五輪のアジア枠は特徴の異なった3チームが出場権を獲得したと言えるだろう。
田嶋氏は、2016年に初めて開催された会長選挙で原博実氏を破って会長に当選した。それまでJFAの会長はW杯と同じ4年サイクルで交代を繰り返してきた。1994年に会長に就任した長沼健氏(故人。元日本代表監督。古河出身)は、2002年の日韓W杯招致(1996年のFIFA総会で決定)に貢献し、1998年のフランスW杯初出場を機に会長職を岡野俊一郎氏(故人。元日本代表コーチ)に譲った。
岡野氏も2期4年のサイクルを守り、2002年日韓W杯後、川淵三郎氏(元日本代表。Jリーグ初代チェアマン。古河出身)に会長職をバトンタッチする。しかし川淵氏は2008年まで3期6年務めると、その後は犬飼基昭氏(元日本代表。元浦和レッズ社長)に託したものの、犬飼氏はシーズン移行やベストメンバー規定などの改革を試みたことなどで理事の信任を得られず、1期2年の短命で終わってしまう。
本来ならJFA会長は殿堂入りするルールだったが、「殿堂入りするには2期4年の任期が必要」というルールがいつの間にか作られ、JFA会長として唯一殿堂入りしていない。
その後は2010年に小倉純二氏(古河出身)が会長を務め、1期2年で退任。小倉氏はFIFA理事を務めるなど国際舞台での活躍が多く、2013年には旭日中綬章を受賞し、同年には殿堂入りも果たしている。
そして2012年に会長に就任したのが大仁邦彌氏(元日本代表。三菱出身)で、同氏は2期4年を務め、悲願だった「都心近郊にJFA専用のグラウンドと宿泊施設を備えた施設」、ナショナルフットボールセンターの建設を訴え、今年4月にはその一部が稼働する。
大仁氏の後を受けたのが田嶋会長(元日本代表。古河出身)で、同氏は2016年の会長選で勝利すると、「1期2年ではやりたいことも、なかなかできない」と嘆いていた。確かにその意見には一理ある。男女各年代の強化には膨大な時間がかかるし指導者や審判員の育成、さらに田嶋会長が掲げている2023年の女子W杯の承知、さらには女子プロリーグの創設などは2年間で達成できるほど簡単なものではない。
会長として継続して陣頭指揮を執ることでそれは可能になるし、ナショナルフットボールセンターのように、会長として次世代にバトンタッチして成就するケースもある。そこでちょっと不安なのが、次期会長候補の顔をなかなか見えないことだ。
現在3人いる副会長はJリーグチェアマンの村井満氏(60歳)、電通出身の岩上和道氏(67歳)、鳥取のJ昇格に貢献した池田洋二氏(都道府県サッカー協会選出。64歳)の3人。専務理事の須原清貴氏(54歳)もキンコーズ・ジャパンのCEO出身と、“サッカー畑”とはあまり縁がない。
ビジネスマンとして有能なら、サッカー経験の有無を問うのはナンセンスという意見もあるだろう。ただ、個人的な意見として、2度のW杯を経験した岡田武史氏(元日本代表。古河出身)や将来的にはW杯に出場した井原正巳氏らがJFAの会長もしくは要職に就いて欲しいとも思っている。
たぶん岡田氏は固辞するだろうが、その経験を日本サッカーの財産として生かせないのはもったいないと思うのだが、いかがだろうか。
【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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もともと韓国は、唯一グループリーグを3戦全勝で突破した実力があった。その韓国を一方的に攻め立てたサウジの攻勢に正直驚いた。日本と対戦した際のサウジがそうだったように、チームスタイルは伝統的に堅守から個人技によるカウンターだ。しかし韓国の前線には190センチを越える長身FWがいるため、引いて守って彼を簡単にペナルティエリア内に入れたら厄介だとサアド・アリ・アル・シェフリー監督は思ったのかどうかわからないが、ボールポゼッションで韓国を圧倒した。懸念材料があるとすれば国際舞台の経験とメンタリティーか。いずれにしても東京五輪のアジア枠は特徴の異なった3チームが出場権を獲得したと言えるだろう。
さて今週の本題である。25日、JFA(日本サッカー協会)は都内で臨時の評議委員会を開催し、3月の役員改選に伴う会長選挙で、唯一立候補していた現職の田嶋幸三会長を再選した。3月29日の評議委員会で新理事が決まれば、同日の理事会での互選により正式に決定する。任期は2022年までの2年で、2016年に会長に就任して3期目となる。
田嶋氏は、2016年に初めて開催された会長選挙で原博実氏を破って会長に当選した。それまでJFAの会長はW杯と同じ4年サイクルで交代を繰り返してきた。1994年に会長に就任した長沼健氏(故人。元日本代表監督。古河出身)は、2002年の日韓W杯招致(1996年のFIFA総会で決定)に貢献し、1998年のフランスW杯初出場を機に会長職を岡野俊一郎氏(故人。元日本代表コーチ)に譲った。
岡野氏も2期4年のサイクルを守り、2002年日韓W杯後、川淵三郎氏(元日本代表。Jリーグ初代チェアマン。古河出身)に会長職をバトンタッチする。しかし川淵氏は2008年まで3期6年務めると、その後は犬飼基昭氏(元日本代表。元浦和レッズ社長)に託したものの、犬飼氏はシーズン移行やベストメンバー規定などの改革を試みたことなどで理事の信任を得られず、1期2年の短命で終わってしまう。
本来ならJFA会長は殿堂入りするルールだったが、「殿堂入りするには2期4年の任期が必要」というルールがいつの間にか作られ、JFA会長として唯一殿堂入りしていない。
その後は2010年に小倉純二氏(古河出身)が会長を務め、1期2年で退任。小倉氏はFIFA理事を務めるなど国際舞台での活躍が多く、2013年には旭日中綬章を受賞し、同年には殿堂入りも果たしている。
そして2012年に会長に就任したのが大仁邦彌氏(元日本代表。三菱出身)で、同氏は2期4年を務め、悲願だった「都心近郊にJFA専用のグラウンドと宿泊施設を備えた施設」、ナショナルフットボールセンターの建設を訴え、今年4月にはその一部が稼働する。
大仁氏の後を受けたのが田嶋会長(元日本代表。古河出身)で、同氏は2016年の会長選で勝利すると、「1期2年ではやりたいことも、なかなかできない」と嘆いていた。確かにその意見には一理ある。男女各年代の強化には膨大な時間がかかるし指導者や審判員の育成、さらに田嶋会長が掲げている2023年の女子W杯の承知、さらには女子プロリーグの創設などは2年間で達成できるほど簡単なものではない。
会長として継続して陣頭指揮を執ることでそれは可能になるし、ナショナルフットボールセンターのように、会長として次世代にバトンタッチして成就するケースもある。そこでちょっと不安なのが、次期会長候補の顔をなかなか見えないことだ。
現在3人いる副会長はJリーグチェアマンの村井満氏(60歳)、電通出身の岩上和道氏(67歳)、鳥取のJ昇格に貢献した池田洋二氏(都道府県サッカー協会選出。64歳)の3人。専務理事の須原清貴氏(54歳)もキンコーズ・ジャパンのCEO出身と、“サッカー畑”とはあまり縁がない。
ビジネスマンとして有能なら、サッカー経験の有無を問うのはナンセンスという意見もあるだろう。ただ、個人的な意見として、2度のW杯を経験した岡田武史氏(元日本代表。古河出身)や将来的にはW杯に出場した井原正巳氏らがJFAの会長もしくは要職に就いて欲しいとも思っている。
たぶん岡田氏は固辞するだろうが、その経験を日本サッカーの財産として生かせないのはもったいないと思うのだが、いかがだろうか。
【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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