スパーズ、フリーでスタリッジ獲得へ
2019.02.13 15:25 Wed
トッテナムが、リバプールに所属する元イングランド代表FWダニエル・スタリッジ(29)の獲得を検討しているようだ。イギリス『ミラー』の情報をもとに同『HITC』が伝えている。
マンチェスター・シティ下部組織出身のスタリッジは2006年にトップチーム昇格を果たすと、2009年にチェルシーへ移籍。その後、ボルトンへの期限付き移籍を経て2013年初めにリバプールへ加入した。
加入初年度はシーズン途中ながらプレミアリーグ14試合で10ゴール5アシストを記録。翌シーズンもリーグ戦29試合で22ゴール9アシストをマークし、目覚ましい活躍を見せたが、近年はFWサディオ・マネ、FWロベルト・フィルミノ、FWモハメド・サラーの間に割って入ることが出来ず。今シーズンもリーグ戦13試合で2得点に留まっている。
そんなスタリッジとリバプールの現行契約は今シーズンまで。来夏にはフリーでの獲得が可能になることから、イングランド代表FWハリー・ケインのバックアッパーを探しているトットナムが関心を抱いているという。また、スタリッジの週給は12万ポンド(約1700万円)と高額だが、ホーム・グロウンプレイヤーを増やすことができる点が有利に働くと指摘されている。
一方で、これまでケインのバックアッパーを務めてきた元スペイン代表FWフェルナンド・ジョレンテは、今シーズン限りでの退団が濃厚なようだ。
マンチェスター・シティ下部組織出身のスタリッジは2006年にトップチーム昇格を果たすと、2009年にチェルシーへ移籍。その後、ボルトンへの期限付き移籍を経て2013年初めにリバプールへ加入した。
加入初年度はシーズン途中ながらプレミアリーグ14試合で10ゴール5アシストを記録。翌シーズンもリーグ戦29試合で22ゴール9アシストをマークし、目覚ましい活躍を見せたが、近年はFWサディオ・マネ、FWロベルト・フィルミノ、FWモハメド・サラーの間に割って入ることが出来ず。今シーズンもリーグ戦13試合で2得点に留まっている。
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