“湘南スタイル”で見事初優勝の曺貴裁監督「これがゴールではなく通過点」《ルヴァンカップ》
2018.10.27 17:35 Sat
▽JリーグYBCルヴァンカップ決勝が27日に埼玉スタジアム2002で行われ、横浜F・マリノスを1-0で退けた湘南ベルマーレがクラブ史上初のJリーグカップ制覇を成し遂げた。
▽湘南を率いる曺貴裁監督は試合後の記者会見に出席。初優勝を喜ぶとともに、“湘南スタイル”を出し切って優勝できたことを喜んだ。
◆曺貴裁監督(湘南ベルマーレ)
「埼玉スタジアムでルヴァンカップの決勝を戦うのは、個人としてもチームとしても初めてです。その中でも、絶対に優勝するという気持ちでピッチに立とうと選手と話して、前半の立ち上がりから非常に堂々とマリノスさんに対してプレーしてくれたと思います」
「J1の試合では最初に様子を見て、ボールを相手に渡してから様子を見るという試合展開が多かったんですが、今日は自分たちでボールを卵を扱うかのように、しっかり相手陣内に入れて、チャンスを作ってくれたということに、成長を感じました」
「前半が良すぎただけに、後半はキツいなと思っていましたし、そのような展開になりました。それでも、“湘南スタイル”というものが、縦に早いだけでなくて、最後にしっかり体を張って、相手のシュートをブロックするということを含めて、総括的なこと、もっと原則的なことだと思っています。それを今日出た選手たちが、出ていない選手たちと毎日切磋琢磨してピッチの中の温度を常に下げないで、出ている試合、出ていない試合と選手の中で選別しないでやってきたことが、こういった結果に繋がって嬉しく思います」
「僕は監督であると自分では全然思っていません。人を指導する立場にいる限りは、大人でも子供でも、向き合った人には、向き合ったなりのことをしないといけないと思っています。我々のクラブは、ユース、ジュニアユース、その下のクラスまで、たくさんトップを目指す選手がいて、そのほとんどの子たちがこのスタジアムに来ました」
「スタジアムに来た子供たち、その親御さんに、頑張ればここまで来れるんだということを見せられたことが、優勝したことよりも非常に嬉しいです。彼らが寄せ書きに、小学生なのにただ『勝ってください』とか、『◯◯選手頑張ってください』とか『優勝してください』ではなく、その前に8割ぐらいの選手が“湘南スタイルで”とか、“湘南魂で”とか、小学生が書くということに涙出そうになっていました」
「クラブ全体の勝利だと思いますし、僕は監督という立場ですけど、色々な人がこの日を待ちわびていたということで、ここに居られるのは幸せに感じます。逆にこれがゴールではなく通過点なので、この後チームがどう変わっていくかに責任がありますし、複雑な気持ちで居ます」
「ライザップさんの指導で糖質制限しているので、この前にあるルヴァンさんのお菓子は何も食べられないんですけど、今日はチップスターのうすしお味とルヴァンのビスケットみたいなやつを食べようかなと思います。ルヴァンカップのスポンサーの皆さんも大会を盛り上げてくれてありがとうございました。ここにいる皆さんにも、この場をお借りして感謝の気持ちを伝えたいと思います。トップの選手だけでなく、アカデミーの子たち、スタッフにもありがとうと伝えたいです」

「マリノスさんは自分たちのやり方を終始一貫してやられて来ているので、彼らのストロングポイントを出させないことが、自分たちのストロングポイントに繋がるということを、週明けからずっと言って来ました。前半はほぼパーフェクトにやったと思いますし、後半も悪くなかったですが、非常に良い戦い方をしてくれたなと思います」
──大会MVPはDF杉岡大暉でしたが、監督が選ぶMVPは
「MVP…1人の名前を出すと、言われなかった選手が拗ねると思います。でも、秋元と3バックの3人(山根、坂、大野)はこの大会見事だったと思います。本当に隙がないし、あれだけ身長がないのに、常にラインを上げて、リスクを冒しながらも、相手の攻撃を遮断する。入れ替わって、攻撃の第一歩になる。坂とか山根がクソみたいなドリブルをして奪われて居ましたが(笑)、そういった部分も含めて、大きくないといけないとか、早くないといけない、巧くないといけないというサッカーの原理原則みたいな、誰が決めたのかわからないそう言ったものに、1つクサビを打てたのではないかなと」
「小さくても、何かでカバーすることで、チームのやり方でその選手を生かせるとか、そう言ったものを我々指導者が工夫して生み出していかなくてはいけないんじゃないかなと自分は思って居ました。あの3人と陽太、後ろの選手だけじゃないですけど、ルヴァンカップやリーグ戦は良かったです。(大野)和成は新潟から帰って来た当初は、リズムが合わなくてメンバー外とかになりましたが、副キャプテンとしてチームを引っ張ってくれました。彼らには敬意を表したいと思います」
──途中出場のMF松田天馬を途中交代させた理由は
「能力は凄く高いんですが、色々な意味で。ただ、ゲームに飲まれてしまうところがあります。今日も先発で使おうかどうか、正直迷って居ました。昨日まで先発で行こうと思っていた選手です。あそこで存在感を出して、もう1点とれる、そこに絡んでいける選手にならないといけません。でも潜在能力はかなりあります」
「今日はゲームに飲まれて、攻撃にも守備にも難しいとは思いますが、そこは勝ち負けとは別に本人に分からせたいなと。この大観衆の前で、途中出場、途中交代というのは無茶苦茶恥ずかしい思いをするので、そういうことは彼にとって大事だと思いましたし、今日の優勝を心から喜べて居ないということが、次のリーグ戦にも繋がると思います。これで終わりという話ではなく、ここが通過点なので、チームと自分のバランスを考えないといけない。考えさせないといけないと思います」
──今日の試合でセカンドボールを多く奪えていた理由は
「戦術的なことになると、相手に依存して守るのか、味方の距離で守るのかで絶対的に違うと思います。自分たちは、相手ではなく味方の距離を大事にしているので、セカンドボールは味方が良い距離感でいれば、当然そこに溢れて来ます。そういったことは、今日、明日やるということではなく、常にやっていかないと選手の頭の中に入りません。後半は間延びして良くなかった部分はありましたが」
──今日はMF石川俊輝を1つ前に置いたことで、前半の良い流れができたように思うが、どう言った決断だったのか
「昨日の夜パーティーから帰って来てから決めました。戦術的なことではなく、俊輝は後ろも前もクレバーにできる選手です。相手がボールを動かすチームだとわかっていれば、最初のワンプレー、ツープレーで今日は動かしづらいなという印象を与えたかったので、入れ替わられて1点入れられてもそういった選択にしました」
「マリノスさんは真ん中に人が多く、アウトサイドを少なくして、幅を使って真ん中の選手の距離感でボールを動かしてくるので、うちは真ん中を多くして、センターバック2枚に持たせて、次のボールを狙うというのは、マリノスさんが考えられていた以上に行けたかなと前半は思います」
「ただ、飯倉選手を含めて、ビルドアップの能力は高いので、全部奪えたわけではないですが、奪えたときは全部にチャンスにできたかなと。もうちょっと、(梅崎)司もヤマ(山﨑凌吾)も入れて欲しいなと思いますけど。選手の配置が大事だったと思います」
──試合終了直後、芝生に倒れ込んでいましたが、どういったことを考えられていましたか
「何度か折れそうになったのではなく、何度も折れていました。ポキポキ、ポキポキ。折れていたことをちょっと思い出して、ホッとしたでも良かったでもなく、ギリギリのところでやって来たことが、選手が報われて良かったなと。チャンピオンチームに一員になって、真壁さんや水谷さん、(坂本)絋司も含めて、僕というより、そういったものに思いを馳せてあのような感じになりました。ただ、寝てても誰もこないので、起きないとなと(笑)。それぐらい冷静でした」
──昨年J2で優勝して、この短期間でタイトルを獲れた要因は
「ミッションや目的は、チームには絶対ないといけないもので、そこに向かっていくことは間違いないです。この大会に優勝しようと入ったわけでは、間違いなくないです。目の前の試合に全力を尽くす。今年の予選リーグは30名以上を使ったと思うのですが、彼らがその試合でどう成長するか、どう伸びていくか、どう勝っていくかに向き合って来たつもりです」
「長崎戦と仙台戦の後に、これは優勝までいけるんじゃないかなという予感は、これは結果論なのでウソつくなと言われたらそれまでですが、僕は今日も優勝するよお前ら絶対にと言いました。負けたら思い切り、何言ってんのって言われますが、そんな予感がありました」
「ギャンブルではなく、そういった感じになっているなと。選手が凄く自信を持ったなというのは、この1カ月ぐらい感じていました。むしろ、俺がそれを邪魔してはいけないなという感じでした」
──今日の試合の後半は特に“湘南スタイル”が出ていたと思うが、そのスタイルをどう考えているか
「湘南スタイルは語呂もいいし、雑誌もあるし、誰かが思って発したことに乗っていったんですけど、当初は湘南は若くてよく走って、縦に早いよねと言われていました。でも、何よりも選手を見ている人に分かりやすい。分かりづらいというのは、浸透しづらいと思っていました」
「その中で僕が折れていたのは、そのスタイルを出して入ればいいのか。出されないようにされたチームに対して、出せなかった。でもこのスタイルはカルチャー作りにとって大事なんだといっても、説得力がないんです。その中で、勝つためにどうしたらいいかと考えた時に、それ以外のレベルを上げていないと、選手が成長したと実感が持てない感じがしました」
「ここ2年は、ゴール前で簡単に失点しないために何をしなくてはいけないかとたくさんやりましたし、(ボールを)取られて、『おい』って言ってる間に、逆サイド戻れよと散々言いました。それは全選手に対してです。でも、それを嫌々やるのではなく、チームが勝つためにやろうとした時に、湘南スタイルというのがレベルが上がると思います」
「監督が言うからとか、チームに求められるからこれをやるしかないんだという選手はいると思いますけど、それは責任放棄だと思っています。個人事業主として、自分を輝かせるためにどう塩梅をつけるかということに責任を持ってもらいたいです。今のサッカーにおいて、中学生でも高校生でも大事なんじゃないかなと思います。全て包括的に、“勇気”を持てるように、毎日、日々できたんだということが繋がったらいいなと思っています」
▽湘南を率いる曺貴裁監督は試合後の記者会見に出席。初優勝を喜ぶとともに、“湘南スタイル”を出し切って優勝できたことを喜んだ。
◆曺貴裁監督(湘南ベルマーレ)
「埼玉スタジアムでルヴァンカップの決勝を戦うのは、個人としてもチームとしても初めてです。その中でも、絶対に優勝するという気持ちでピッチに立とうと選手と話して、前半の立ち上がりから非常に堂々とマリノスさんに対してプレーしてくれたと思います」
「前半が良すぎただけに、後半はキツいなと思っていましたし、そのような展開になりました。それでも、“湘南スタイル”というものが、縦に早いだけでなくて、最後にしっかり体を張って、相手のシュートをブロックするということを含めて、総括的なこと、もっと原則的なことだと思っています。それを今日出た選手たちが、出ていない選手たちと毎日切磋琢磨してピッチの中の温度を常に下げないで、出ている試合、出ていない試合と選手の中で選別しないでやってきたことが、こういった結果に繋がって嬉しく思います」
「今年の途中からライザップさんが我々と一緒に経営参画してくれました。一緒に強くなろうということで、メッセージをいただき、幹部とかプレーヤーの補強も含めて、目に見えないところで選手のサポートをしていただいたり、食事のサポートをしていただいたり、そしてチームの資金的なサポートをしてくれました。瀬戸健社長をはじめ、ライザップの皆さんにもおめでとうございます、ありがとうございますという言葉を伝えたいです。何より、今日ここにたくさん来てくれた緑のサポーターに少しは良い思いをさせられたのかなと思います」
「僕は監督であると自分では全然思っていません。人を指導する立場にいる限りは、大人でも子供でも、向き合った人には、向き合ったなりのことをしないといけないと思っています。我々のクラブは、ユース、ジュニアユース、その下のクラスまで、たくさんトップを目指す選手がいて、そのほとんどの子たちがこのスタジアムに来ました」
「スタジアムに来た子供たち、その親御さんに、頑張ればここまで来れるんだということを見せられたことが、優勝したことよりも非常に嬉しいです。彼らが寄せ書きに、小学生なのにただ『勝ってください』とか、『◯◯選手頑張ってください』とか『優勝してください』ではなく、その前に8割ぐらいの選手が“湘南スタイルで”とか、“湘南魂で”とか、小学生が書くということに涙出そうになっていました」
「クラブ全体の勝利だと思いますし、僕は監督という立場ですけど、色々な人がこの日を待ちわびていたということで、ここに居られるのは幸せに感じます。逆にこれがゴールではなく通過点なので、この後チームがどう変わっていくかに責任がありますし、複雑な気持ちで居ます」
「ライザップさんの指導で糖質制限しているので、この前にあるルヴァンさんのお菓子は何も食べられないんですけど、今日はチップスターのうすしお味とルヴァンのビスケットみたいなやつを食べようかなと思います。ルヴァンカップのスポンサーの皆さんも大会を盛り上げてくれてありがとうございました。ここにいる皆さんにも、この場をお借りして感謝の気持ちを伝えたいと思います。トップの選手だけでなく、アカデミーの子たち、スタッフにもありがとうと伝えたいです」

(C)CWS Brains,LTD.
──横浜F・マリノス対策はどのような指示を出したのか「マリノスさんは自分たちのやり方を終始一貫してやられて来ているので、彼らのストロングポイントを出させないことが、自分たちのストロングポイントに繋がるということを、週明けからずっと言って来ました。前半はほぼパーフェクトにやったと思いますし、後半も悪くなかったですが、非常に良い戦い方をしてくれたなと思います」
──大会MVPはDF杉岡大暉でしたが、監督が選ぶMVPは
「MVP…1人の名前を出すと、言われなかった選手が拗ねると思います。でも、秋元と3バックの3人(山根、坂、大野)はこの大会見事だったと思います。本当に隙がないし、あれだけ身長がないのに、常にラインを上げて、リスクを冒しながらも、相手の攻撃を遮断する。入れ替わって、攻撃の第一歩になる。坂とか山根がクソみたいなドリブルをして奪われて居ましたが(笑)、そういった部分も含めて、大きくないといけないとか、早くないといけない、巧くないといけないというサッカーの原理原則みたいな、誰が決めたのかわからないそう言ったものに、1つクサビを打てたのではないかなと」
「小さくても、何かでカバーすることで、チームのやり方でその選手を生かせるとか、そう言ったものを我々指導者が工夫して生み出していかなくてはいけないんじゃないかなと自分は思って居ました。あの3人と陽太、後ろの選手だけじゃないですけど、ルヴァンカップやリーグ戦は良かったです。(大野)和成は新潟から帰って来た当初は、リズムが合わなくてメンバー外とかになりましたが、副キャプテンとしてチームを引っ張ってくれました。彼らには敬意を表したいと思います」
──途中出場のMF松田天馬を途中交代させた理由は
「能力は凄く高いんですが、色々な意味で。ただ、ゲームに飲まれてしまうところがあります。今日も先発で使おうかどうか、正直迷って居ました。昨日まで先発で行こうと思っていた選手です。あそこで存在感を出して、もう1点とれる、そこに絡んでいける選手にならないといけません。でも潜在能力はかなりあります」
「今日はゲームに飲まれて、攻撃にも守備にも難しいとは思いますが、そこは勝ち負けとは別に本人に分からせたいなと。この大観衆の前で、途中出場、途中交代というのは無茶苦茶恥ずかしい思いをするので、そういうことは彼にとって大事だと思いましたし、今日の優勝を心から喜べて居ないということが、次のリーグ戦にも繋がると思います。これで終わりという話ではなく、ここが通過点なので、チームと自分のバランスを考えないといけない。考えさせないといけないと思います」
──今日の試合でセカンドボールを多く奪えていた理由は
「戦術的なことになると、相手に依存して守るのか、味方の距離で守るのかで絶対的に違うと思います。自分たちは、相手ではなく味方の距離を大事にしているので、セカンドボールは味方が良い距離感でいれば、当然そこに溢れて来ます。そういったことは、今日、明日やるということではなく、常にやっていかないと選手の頭の中に入りません。後半は間延びして良くなかった部分はありましたが」
──今日はMF石川俊輝を1つ前に置いたことで、前半の良い流れができたように思うが、どう言った決断だったのか
「昨日の夜パーティーから帰って来てから決めました。戦術的なことではなく、俊輝は後ろも前もクレバーにできる選手です。相手がボールを動かすチームだとわかっていれば、最初のワンプレー、ツープレーで今日は動かしづらいなという印象を与えたかったので、入れ替わられて1点入れられてもそういった選択にしました」
「マリノスさんは真ん中に人が多く、アウトサイドを少なくして、幅を使って真ん中の選手の距離感でボールを動かしてくるので、うちは真ん中を多くして、センターバック2枚に持たせて、次のボールを狙うというのは、マリノスさんが考えられていた以上に行けたかなと前半は思います」
「ただ、飯倉選手を含めて、ビルドアップの能力は高いので、全部奪えたわけではないですが、奪えたときは全部にチャンスにできたかなと。もうちょっと、(梅崎)司もヤマ(山﨑凌吾)も入れて欲しいなと思いますけど。選手の配置が大事だったと思います」
──試合終了直後、芝生に倒れ込んでいましたが、どういったことを考えられていましたか

(C)CWS Brains,LTD.
「優勝しても絶対泣かないと決めていましたし、そういったつもりもなかったです。2012年に町田さんに勝って昇格したときは、力が抜けて最後倒れたんですが、力は入っていました。今プレーしていた選手も僕も、スタッフもクラブ全体として、これだけのお客さんの前でプレーすることは当たり前じゃなかったです」「何度か折れそうになったのではなく、何度も折れていました。ポキポキ、ポキポキ。折れていたことをちょっと思い出して、ホッとしたでも良かったでもなく、ギリギリのところでやって来たことが、選手が報われて良かったなと。チャンピオンチームに一員になって、真壁さんや水谷さん、(坂本)絋司も含めて、僕というより、そういったものに思いを馳せてあのような感じになりました。ただ、寝てても誰もこないので、起きないとなと(笑)。それぐらい冷静でした」
──昨年J2で優勝して、この短期間でタイトルを獲れた要因は
「ミッションや目的は、チームには絶対ないといけないもので、そこに向かっていくことは間違いないです。この大会に優勝しようと入ったわけでは、間違いなくないです。目の前の試合に全力を尽くす。今年の予選リーグは30名以上を使ったと思うのですが、彼らがその試合でどう成長するか、どう伸びていくか、どう勝っていくかに向き合って来たつもりです」
「長崎戦と仙台戦の後に、これは優勝までいけるんじゃないかなという予感は、これは結果論なのでウソつくなと言われたらそれまでですが、僕は今日も優勝するよお前ら絶対にと言いました。負けたら思い切り、何言ってんのって言われますが、そんな予感がありました」
「ギャンブルではなく、そういった感じになっているなと。選手が凄く自信を持ったなというのは、この1カ月ぐらい感じていました。むしろ、俺がそれを邪魔してはいけないなという感じでした」
──今日の試合の後半は特に“湘南スタイル”が出ていたと思うが、そのスタイルをどう考えているか
「湘南スタイルは語呂もいいし、雑誌もあるし、誰かが思って発したことに乗っていったんですけど、当初は湘南は若くてよく走って、縦に早いよねと言われていました。でも、何よりも選手を見ている人に分かりやすい。分かりづらいというのは、浸透しづらいと思っていました」
「その中で僕が折れていたのは、そのスタイルを出して入ればいいのか。出されないようにされたチームに対して、出せなかった。でもこのスタイルはカルチャー作りにとって大事なんだといっても、説得力がないんです。その中で、勝つためにどうしたらいいかと考えた時に、それ以外のレベルを上げていないと、選手が成長したと実感が持てない感じがしました」
「ここ2年は、ゴール前で簡単に失点しないために何をしなくてはいけないかとたくさんやりましたし、(ボールを)取られて、『おい』って言ってる間に、逆サイド戻れよと散々言いました。それは全選手に対してです。でも、それを嫌々やるのではなく、チームが勝つためにやろうとした時に、湘南スタイルというのがレベルが上がると思います」
「監督が言うからとか、チームに求められるからこれをやるしかないんだという選手はいると思いますけど、それは責任放棄だと思っています。個人事業主として、自分を輝かせるためにどう塩梅をつけるかということに責任を持ってもらいたいです。今のサッカーにおいて、中学生でも高校生でも大事なんじゃないかなと思います。全て包括的に、“勇気”を持てるように、毎日、日々できたんだということが繋がったらいいなと思っています」
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Jリーグは25日、2025年度理念強化配分金の支給対象候補クラブ、2024年度ファン指標配分金支給対象クラブを発表した。 理念強化配分金は、2023年の明治安田生命J1リーグで1位から10位に対して送られるもの。20チーム制に変更となったために1チーム増えることとなった。また、2024シーズン年間ファン指標順位(DAZN視聴者数等1~10位)に基づいても支給される。 競技面では連覇を達成したヴィッセル神戸から10位のセレッソ大阪までに支給され、神戸は2025年、2024年にそれぞれ2億5000万円ずつを手にする。なお、2023年も優勝したため、その分の2億5000万も今回支給される。また、2位のサンフレッチェ広島には2年間で1億8000万円ずつ、3位のFC町田ゼルビアは、1億5000万円(2025年)と7000万円(2026年)を手にする。なお、2023年2位の横浜F・マリノスには1億8000万円、3位の広島には7000万円がしキュされる。 また、ファン指標順位は1位は2024年も浦和レッズとなり1億7000万円。2位が鹿島アントラーズで1億2000万円、3位が横浜FMで7000万円と続き、10位は名古屋グランパスで1000万円となった。なお、競技順位で10位以内に入っていないクラブでは、1位の浦和、10位の名古屋に加え、8位に北海道コンサドーレ札幌が入り2000万円となった。 さらに、「ファン指標配分金」として、13億6000万円をJリーグの全60クラブに分配。これは、2024シーズンのDAZN視聴者数やDAZNシーズンパス販売実績等で配分され、1位が浦和で8921万5930円。2位が横浜FMで7945万2984円、3位が川崎フロンターレで6648万1993円となっている。なお、最下位はY.S.C.C.横浜となり182万4625円が分配される。 <h3>◆理念強化配分金(競技)/総額11億2000万円</h3> 1位:ヴィッセル神戸 1年目ー2億5000万円、2年目ー2億5000万円 2位:サンフレッチェ広島 1年目ー1億8000万円、2年目ー1億8000万円 3位:FC町田ゼルビア 1年目ー1億5000万円、2年目ー7000万円 4位:ガンバ大阪 1年目ー1億5000万円、2年目ーなし 5位:鹿島アントラーズ 1年目ー1億2000万円、2年目ーなし 6位:東京ヴェルディ 1年目ー9000万円、2年目ーなし 7位:FC東京 1年目ー6000万円、2年目ーなし 8位:川崎フロンターレ 1年目ー5000万円、2年目ーなし 9位:横浜F・マリノス 1年目ー4000万円、2年目ーなし 10位:セレッソ大阪 1年目ー3000万円、2年目ーなし <h3>◆理念強化配分金(人気)</h3> 1位:浦和レッズ/1億7000万円 2位:鹿島アントラーズ/1億2000万円 3位:横浜F・マリノス/7000万円 4位:ヴィッセル神戸/5000万円 5位:川崎フロンターレ/4000万円 6位:サンフレッチェ広島/3000万円 7位:ガンバ大阪/2000万円 8位:北海道コンサドーレ札幌/2000万円 9位:FC町田ゼルビア/1000万円 10位:名古屋グランパス/1000万円 <h3>◆ファン指標配分金</h3>(昨年との金額比較) 1位:浦和レッズ/8921万5930円(↑) 2位:横浜F・マリノス/7945万2984円(↑) 3位:川崎フロンターレ/6648万1993円(↓) 4位:鹿島アントラーズ/6598万4095円(↓) 5位:ヴィッセル神戸/6491万8131円(↑) 6位:ガンバ大阪/5864万8883円(↑) 7位:名古屋グランパス/5851万4812円(↓) 8位:北海道コンサドーレ札幌/5315万3249円(↑) 9位:FC東京/4924万9886円(↑) 10位:サンフレッチェ広島/4572万5356円(↑) 11位:FC町田ゼルビア/4558万3908円(↑) 12位:アルビレックス新潟/4466万3143円(↓) 13位:ジュビロ磐田/4426万2918円(↑) 14位:セレッソ大阪/3988万8434円(↓) 15位:サガン鳥栖/3834万3648円(↑) 16位:柏レイソル/3695万3904円(↓) 17位:湘南ベルマーレ/3554万5920円(↓) 18位:東京ヴェルディ/3459万9966円(↑) 19位:京都サンガF.C./3438万1632円(↑) 20位:清水エスパルス/3362万962円(↓) 21位:アビスパ福岡/3259万3587円(↓) 22位:ベガルタ仙台/2298万6246円(↑) 23位:V・ファーレン長崎/1758万2571円(↑) 24位:大分トリニータ/1716万3388円(↑) 25位:ファジアーノ岡山/1704万1315円(↑) 26位:横浜FC/1664万9981円(↓) 27位:ジェフユナイテッド千葉/1608万1426円(↓) 28位:モンテディオ山形/1442万3396円(↓) 29位:ヴァンフォーレ甲府/1362万8966円(↓) 30位:松本山雅FC/1324万9873円(↑) 31位:ロアッソ熊本/1008万4227円(↓) 32位:栃木SC/983万8888円(↓) 33位:徳島ヴォルティス/934万7583円(↓) 34位:RB大宮アルディージャ/925万5971円(↓) 35位:ザスパ群馬/888万8344円(↓) 36位:レノファ山口FC/886万2864円(↓) 37位:いわきFC/878万641円(↓) 38位:鹿児島ユナイテッドFC/825万2572円(↑) 39位:愛媛FC/768万2897円(↑) 40位:水戸ホーリーホック/718万9579円(↓) 41位:藤枝MYFC/708万1435円(↓) 42位:ツエーゲン金沢/622万6288円(↓) 43位:ブラウブリッツ秋田/619万6520円(↓) 44位:カターレ富山/481万4398円(↑) 45位:ギラヴァンツ北九州/459万264円(↓) 46位:FC岐阜/396万9504円(↓) 47位:SC相模原/341万1253円(↓) 48位:FC今治/327万7554円(↓) 49位:AC長野パルセイロ/317万8338円(↓) 50位:カマタマーレ讃岐/313万7389円(↓) 51位:FC琉球/309万4569円(↓) 52位:福島ユナイテッドFC/288万7440円(↑) 53位:ガイナーレ鳥取/282万3403円(↓) 54位:ヴァンラーレ八戸/265万6822円(↓) 55位:いわてグルージャ盛岡/261万6733円(↓) 56位:アスルクラロ沼津/251万5766円(↓) 57位:テゲバジャーロ宮崎/237万4594円(↑) 58位:FC大阪/226万1536円(↑) 59位:奈良クラブ/223万1534円(↓) 60位:Y.S.C.C.横浜/182万4625円(↓) 2025.02.25 17:40 Tue3
中田英寿氏が波乱万丈のサッカーキャリア回想…『The Atletic』のロングインタビューに答える
元日本代表MFの中田英寿氏が、『The Atletic』のロングインタビューで自身のサッカーキャリアを振り返った。 中田氏はベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でプロキャリアをスタートし、以降は2006年の現役引退までペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナのイタリア5クラブ、イングランドのボルトンでプレー。 また、日本代表としては1998年フランス大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会と3度のワールドカップに出場し、通算77キャップを刻んだ。 そのアジアを代表するレジェンドは『The Atletic』で29歳での現役引退を始め、キャリアにおけるトピックについて語った。 2006年ドイツW杯のグループステージ最終節のブラジル代表戦での1-4の敗戦後、スパイクを脱ぐ決断を下したMFは、その突然の引退から19年を経たなかで改めて決断の理由に言及。 「プロのサッカー選手になる夢は一度もなかったが、どういうわけかそれが実現し、ワールドカップでプレーし、イタリアとイングランドに行った。情熱のためにいつもプレーしていた。私はサッカーのファンではなく、サッカーをプレーするのが好きだった。それが私が引退した理由だ。情熱を失っていたし、情熱がなければ、自分に嘘をついているようなものだった」 「私が好きなのはプレーすることであり、コーチやコメントをすることではない。それが引退後に『別の情熱を見つけなければならない』と言った理由だった」 インタビュー冒頭で、サッカーキャリアの終わりについて語った元日本代表はここからキャリアの最初期に立ち戻り、「当時は、プロサッカー選手になることを夢見る人は誰もいなかった。日本で一番人気のスポーツは野球だった。だけど、結局、私は漫画『キャプテン翼』が大好きだったから、サッカーをやろうと決めた」と、サッカーを始めた理由を明かした。 続けて日本代表が初めてW杯に出場した1998年フランスW杯での奇抜な髪色については「(W杯前でさえ)毎日髪の色を変えていたが、海外でプレーしたかったので世界に知られることが重要だった。だから注目されたいと思っていた」と、振り返る。 その目論見通り、W杯直後にはセリエAのペルージャへ完全移籍。イタリアでのキャリアをスタート。その新天地では加入1年目から鮮烈な輝きを放ったが、プレーすること以外でサッカーに関心がなかったことが良い意味でプラスに働いたという。 「私はサッカーの大ファンではなかったし、サッカーを見たり新聞で読んだりもしなかった。そういう人間ではないんだ。ただサッカーをするのが好きで、毎日もっといい選手になりたいと思っていた」 「イタリアに来たときは、セリエAが世界最高のリーグで、ジネディーヌ・ジダンやアレッサンドロ・デル・ピエロのような選手がいたが、私は選手をあまり知らなかった。リーグのチームの半分も知らなかった」 「でも、そのおかげで自分のプレーに集中できたし、それが私の強みだった。とにかく恐れがなかった」 そのペルージャでの活躍によって2000年にはローマへステップアップ。当時、頭角を現わしていたフランチェスコ・トッティとのポジション争いで苦戦を強いられた一方、2005年1月のユベントス戦ではクラブ史に刻まれた圧巻のロングシュートを突き刺し、ジャッロロッシのスクデット獲得に大きく貢献した。 中田氏はそのローマ時代について「ローマに戻るたびに、ファンのみんなが私のところに来て『ありがとう、ナカタ』と言ってくれる」と、自身の重要な働きに満足感を示した。 その後、1年でイタリアの首都を離れてパルマに活躍の場を移すと、コッパ・イタリア優勝に貢献。2年連続のタイトル獲得を経験。そして、日韓W杯では大会の目玉選手の一人として日本代表史上初の決勝トーナメント進出に貢献した。 「もっといい結果を出せたはず」トルコ代表に敗れてのベスト16に不満を示しながらも、「雰囲気は素晴らしかった」と、自国開催のW杯をポジティブに振り返った。 「日本では誰もが、私たちがグループリーグを突破して決勝トーナメントに進出するだろうと期待していたが、それはとても大変だった」 「私たちはとても若いチームで、ほとんどのメンバーがワールドカップでプレーしたことがなかった。当時、海外でプレーしていたのは数人だけで、プレッシャーは大きかった。しかし同時に、国全体が私たちを応援してくれたので、雰囲気は素晴らしかった」 その後、チェーザレ・プランデッリ監督との衝突を機に、ボローニャ、フィオレンティーナとイタリア国内での移籍を繰り返した後、2005年に7年間過ごしたイタリアを離れ、プレミアリーグのボルトンへレンタル移籍。 自身最後のクラブとなったマンチェスターのクラブではキック&ラッシュでお馴染みのサム・アラダイス監督が率いたチームということもあり、イタリアと大きく異なる環境面を含めて難しい日々を過ごした。 「イタリアから来たので、サッカーはまったく違っていた。多くのチームがロングボールをプレーしていた。それは少しショックだった。そしてイタリアからマンチェスターに来て、食べ物の面でも違ったし、雨も多かった。そういった意味で少し大変だった」 その後、前述のドイツW杯での現役引退で中田氏の波乱万丈のサッカーキャリアは締めくくられた。 そして、自身のサッカーキャリアを通じて「どのように記憶されたいか?」との問いに対して、中田氏は「私は美しいプレー、優雅さが好きだ。ジネディーヌ・ジダンのようなプレーが美しい。スピードやパワーではなく、美しいパス、美しいプレー。ゴールである必要はない。私は優雅さが好きで、サッカーだけでなく人生でもそうだ。優雅で美しいものが好きだ。つまり美しい服、美しい建築物、デザイン、景色…」と返答している。 現役引退後は3年間に渡っておよそ100カ国以上を巡る放浪の旅に出て、以降は魅了された日本酒造りや日本茶のブランド立ち上げなど、日本の文化や食文化の発信者として活躍する48歳。 今回のロングインタビューの最後には改めて自身の生き方について語り、これからも自身の情熱の赴くがままに様々なことにチャレンジしたいと結んだ。 「29歳で引退したとき、たくさんの人から『まだプレーできるよ』とか『サッカー業界で働いてコーチでもしたらどうだ』と言われた」 「でも、できるからやることを選んでいるわけではない。やりたいからやっている」 「私は好きなことをやっている。だからファッションが好きならファッションをやるし、他の文化が好きなら他の文化。日本酒が好きなら日本酒をやる」 「他の人は時々その理由が理解できないことがある。それは私が情熱を持ってやっているからだ」 2025.03.19 00:14 Wed4
平塚、山形、草津で指揮の植木繁晴氏が逝去…フジタを長期に支え、ザスパ創設にも尽力
ザスパ群馬は12日、クラブを長きにわたって支えた植木繁晴氏(享年69歳)が11日に逝去したと発表した。同氏に縁のある湘南ベルマーレとモンテディオ山形も同じく訃報を伝えている。 神奈川県川崎市出身の植木氏は、神奈川県立新城高校、日本大学を経て1977年にフジタ工業(現:湘南ベルマーレ)サッカー部へ入団。1987年の現役引退までフジタ一筋、引退後も同クラブで指導者キャリアを歩み続けた。 1995年には監督代行としてベルマーレ平塚を第6回アジア・カップウィナーズカップ選手権優勝に導き、1996年9月から1998年まで、正式に平塚の監督として指揮を執った。 以降は山形の監督、日大のコーチを歴任。群馬(当時:ザスパ草津)のクラブ創設に尽力し、2002年に総監督に就任。代表取締役やゼネラルマネージャー(GM)としても2014年2月までクラブの支柱となり、その後は2023年まで上武大学の監督/総監督を務めていた。 各クラブは公式サイトを通じて植木氏への哀悼の意を伝え、群馬と湘南は次節に喪章を着用して試合に臨むとしている。 ◆ザスパ群馬 ▽代表取締役社長 赤堀洋氏 「クラブ創設の功労者であり、長年に渡りクラブにご尽力いただいた植木さんがお亡くなりになられ、ご逝去の報に接し、心から哀悼の意を捧げます」 「群馬のこの地にザスパというチームを発足させ、発展するまで非常に困難や大変なことあったかと思いますが、ザスパが現在の姿まで発展できたのは、植木さんのご尽力あってのことだと思っております」 「ここ最近お身体の調子があまり良くないお話は伺っておりましたが、それでもスタジアムでお会いすると明るく元気な様子で接してくださり、ザスパの今後を常に気にかけてくださいました。クラブハウスの完成を非常に楽しみにされていた中で、お見せすることができなかったのが非常に悔やまれます。植木さんがザスパの築き上げてきた教えはトップからアカデミーまでクラブ全体で大切に引き継いでまいります。今後の日本のサッカー界、ザスパを見守ってください。本当にありがとうございました。」 ◆湘南ベルマーレ ▽代表取締役会長 眞壁潔氏 「フジタ工業サッカー部の中心的な選手として活躍し、指導者となってからも多くの先輩、後輩から慕われた偉大なOBを失い、残念な気持ちでいっぱいです」 「湘南ベルマーレとして再生した折も、ことあるごとにご心配をいただき、明るく励ましていただきました」 「湘南ベルマーレのミッションステートメントの源は、ありし日の笑顔あふれ常にポジティブな植木さんの行動にあることを皆さまにお伝えして、お別れの言葉とさせていただきます」 ◆モンテディオ山形 「モンテディオ山形で1999-2000年に監督を務めていた植木繫晴氏が4月11日にご逝去されました。在任中はJ2参入時の初代監督として多大なるご尽力をいただきました。ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げますとともに、心よりご冥福をお祈りいたします」 2024.04.12 17:55 Fri5