レーティング: パラグアイ 2-4 日本《国際親善試合》2018.06.13 00:01 Wed

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▽日本代表は12日、国際親善試合でパラグアイ代表とオーストリアで対戦し、4-2で勝利した。超WSの選手採点結果と寸評は以下の通り。

▽日本採点
(C)CWS Brains,LTD.
GK
12 東口順昭 5.5
失点シーンは相手のシュートを褒めるべき

(→中村航輔 5.5)
終了間際にミドルシュートを叩き込まれた

DF
6 遠藤航 5.0
持ち味でないため致し方ないが、攻撃面で難があった

(→酒井宏樹 5.5)
無理せず要所を締めたプレー

2 植田直通 6.0
対人プレーで負けず

3 昌子源 6.0
1失点目の場面ではハイボールに競り負けてしまったが、それ以外は安定。後半の同点ゴールに関与

21 酒井高徳 6.0
右サイドバックでの出場時よりも攻守にソリッドだった

MF
13 武藤嘉紀 5.5
なかなか合わなかったがクロスを入れ続け、2点目を演出

(→大迫勇也 5.5)
1本枠内シュートを放つ

7 柴崎岳 6.0
よくボールを捌いて攻撃を組み立てる。バーを掠める直接FKがあった

10 香川真司 6.5
バイタルエリアでボールを受けてアクセントに。1ゴール2アシストの活躍

16 山口蛍 5.5
下がってボールを配球することに集中

14 乾貴士 6.5
前半はキック精度を著しく欠いたが、後半に面目躍如の2ゴール

(→宇佐美貴史 -)

FW
9 岡崎慎司 5.0
コンディションが悪そうでボールが収まらず

(→原口元気 5.5)
決定機を2つほど演出した

監督
西野朗 6.0
メンバーを大幅に入れ替えてW杯前に初勝利。攻撃面で収穫があった

★超WS選定マン・オブ・ザ・マッチ!
乾貴士(日本)
▽香川とのセレッソ・コンビでパラグアイを翻弄。後半に持ち直して2ゴールを決めた。

パラグアイ 2-4 日本
【パラグアイ】
ロメロ(前32)
オルティス(後45)
【日本】
乾貴士(後6)
乾貴士(後18)
OG(後32)
香川真司(後46)
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成20年/2008年 未来の主役たちの初陣!

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0420.jpg" alt="" width="100%"></div> 2008年、いわゆる「リーマン・ショック」が起き、日本でも経済的に大きな被害を被った。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■悲劇と混乱の1年</span> 平成が始まってから20年目に入った節目の年は、日本を含めた世界各国で多くの混乱が生じた1年でした。 アメリカの大手証券会社「リーマン・ブラザーズ」が経営破綻した、いわゆる「リーマン・ショック」と呼ばれる出来事が起きたのがこの年です。日本の株も大暴落する等、様々な影響を及ぼしました。 さらに日本では前年の安倍晋三氏に続き、後任の福田康夫首相も任期1年を待たずに辞任。辞任会見では、「突然の辞任は無責任ではないか」という質問をした記者に対して「あなたとは違うんです」と怒りを露にし、注目を浴びました。 また、「天才バカボン」の生みの親であり、日本ギャグマンガ界の巨匠である、赤塚不二夫氏が死去したのもこの年です。赤塚さんの葬儀では、赤塚さんと親交があったタレントのタモリさんが弔辞を読み、「私もあなたの数多くの作品の一つです」というセリフを残しました。また、タモリさんが読んでいた弔辞のメモが、実は白紙だったということも話題になりました。 この年の夏には北京オリンピックが中国で開幕してます。四川大地震やチベットでの暴動などもあり、開催への影響が心配されましたが、北京オリンピックは予定通り行われました。日本は多くの金メダルを獲得しましたが、中でも男子競泳平泳ぎ100mで、世界新でオリンピック連覇を果たした北島康介選手の「なんも言えねぇ」という言葉はアテネオリンピックの際の「チョー気持ちい!」と同様に話題になりました。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042001.jpg" alt="" width="100%"></div> アメリカ大統領選では、オバマ氏が「Change(変革)」をスローガンに勝利し、アメリカ初の黒人大統領となった。 そんな中、11月に行われたアメリカ大統領選挙では大統領選が行われ、民主党のバラク・オバマ氏が黒人初のアメリカ大統領になることが決まったのでした。混乱が多かった1年の中で、オバマ氏の当選は多くの人に勇気を与えました。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042002.jpg" alt="" width="100%"></div> 2008年に行われた北京オリンピックでは、サッカー男子でメッシ、アグエロ擁するアルゼンチンが金メダルに輝いた。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■未来の主役たちが初の表舞台へ</span> 前述の通り、2008年は北京オリンピックが行われ、男子サッカーが出場しています。次世代のスターが誕生に期待がかかりましたが、結果はまさかの3戦全敗。しかし、この時のオリンピックメンバーを見てみると、長友佑都、吉田麻也、本田圭佑、香川真司ら、その後の日本サッカーを牽引していく選手が多くいました。北京オリンピックでの悔しい経験が彼らが後に世界の場で活躍する糧になっていたのかも知れません。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042003.jpg" alt="" width="100%"></div> 前年の浦和レッズに続き、今度はガンバ大阪がAFCチャンピオンズリーグを制覇。日本勢がアジアで躍動した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■アジアで躍動するJクラブ</span> この年、前年の浦和レッズに続き、またしてもJクラブがアジアの舞台で躍動します。2007年の天皇杯優勝チームガンバ大阪が2008年シーズンのAFCチャンピオンズリーグで優勝し、浦和レッズに続き、日本勢のアジア連覇を達成します。そしてアジア王者として出場したFIFAクラブW杯でも前年の浦和レッズに続き3位に食い込みます。特に、準決勝では、クリスティアーノ・ロナウドら擁する欧州王者であるマンチェスター・ユナイテッド相手に3-5の打ち合いを演じた末に敗退しますが、Jリーグのクラブが“あの”マンチェスター・ユナイテッド相手に3点と取る姿は多くのサッカーファンに強く印象を残しました。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei042004.jpg" alt="" width="100%"></div> この年に行われた東アジア選手権では、翌年の偉業の布石となる全勝優勝を果たした。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■世界王者への道を歩み始めたなでしこジャパン</span> この時期に、男子の日本代表に負けずに、力を付けてきたのがサッカー女子日本代表「なでしこジャパン」です。それまでは、結果が出ずに苦しい時期が続きましたが、この年の2月に行われた東アジア選手権では、中国、韓国、北朝鮮に全勝して、優勝。主要な国際大会として初めてのタイトルを獲得します。続く北京オリンピックでも、開催国中国を準々決勝で破る等、快進撃を見せます。惜しくもメダルには届かない4位となりますが、それでも史上最高順位に付ける偉業を達成しています。この後世界を席巻するなでしこジャパンが頭角を現し始めていました。 2019.04.20 19:00 Sat
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成19年/2007年 志半ばで途切れた理想

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0419.jpg" alt="" width="100%"></div> 2007年、米アップル社から「iPhone」が発売。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■信頼を落とした政界と食品業界</span> 平成19年(2007年)は、政界と食品業界が大きく荒れた1年となりました。政界では、前年から安倍晋三首相が日本の舵取りを担っていましたが、閣僚の度重なる不祥事に伴い、支持率が急降下。7月の参議院選挙でも大敗や、首相本人の体調不良を原因に突然の辞意を表明しました。後任には福田康夫氏が選ばれますが、この後も短命な政権が続き、政治不信が高まっていくきっかけとなります。 また、地方では「そのまんま東」の名前でタレントとして活躍していた、東国原英夫氏が地元の宮崎県知事選に出馬し、当選。選挙活動中に口にした「宮崎をどげんかせんといかん(どうにかしないといけない)」というフレーズは注目を集め、流行語大賞にも選ばれました。 一方、食品業界にも不祥事が発覚します。「不二家」、「赤福」、「船場吉兆」で、産地偽装や賞味期限切れの食品を使っていた、食品偽装問題が相次ぎ業界そのものの信頼を大きく落としました。特に、老舗料亭の「船場吉兆」は、謝罪会見の際に「頭が真っ白になった…」と質問への回答を耳打ちする女将の姿がカメラに収められ、「ささやき女将」として大きな話題を呼びました。 さらに、この年は、新潟県中越沖地震が起こった年でもあります。被災地の新潟県にあった、柏崎刈羽原発が地震の影響を受けて自動停止。一時は火災が発生し、原子力発電所の危うさについて再認識させられるきっかけの一つとなりました。 その他には、テノール歌手の秋川雅史さんの「千の風になって」が大ヒットし、一世を風靡しました。また、アップル社から「iPhone」が発売。その後のスマートフォンブームの火付け役となります。独特のコメント表示機能で人気を博した、動画共有サイト「ニコニコ動画」のサービスが開始されたのもこの年でした。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei041901.jpg" alt="" width="100%"></div> オシム氏が掲げた“自分で考えるサッカー”は大きな期待を集めたが、思わぬ形で幕を閉じた。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■オシムが掲げた哲学</span> ドイツW杯での惨敗から1年。日本代表は新たな方向へと動き出しました。徹底的な組織サッカーを掲げたトルシエ、自分で考えるサッカーを掲げたジーコを経て、新たに日本代表監督となったイヴィチャ・オシム監督が掲げたのは「考えて走るサッカー」でした。この「考えて走るサッカー」とは、日本人の特徴である豊富な運動量を活かし、チーム全体で戦術的な目的を持って動き回るというサッカーのことです。日本人に足りないものを無理に伸ばすのではなく、日本人が得意としているものを伸ばすという考え方は、多くの人にとって斬新であり、期待の持てる考え方でした。 7月に行われたアジアカップでは、準決勝でサウジアラビアに2-3で敗れ、大会3連覇とはなりませんでしたが、それでもオシム新監督の下で、日本人の強みを生かしたサッカーがようやく形になりつつあるとの手応えを感じさせる大会でした。そんな矢先、日本中に衝撃が走ります。11月、オシム監督が急性脳梗塞で倒れたとの一報が入ったのです。その後大事には至らなかったものの、オシム監督の現場復帰は非常に難しく、翌12月、日本サッカー協会は、98年のフランスW杯で日本代表を率いた岡田武史氏の日本代表監督復帰を発表しました。オシム監督が掲げた、日本人の強みを活かした「考えて走るサッカー」は思わぬ出来事によって幻となってしまったのでした。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei041902.jpg" alt="" width="100%"></div> 力を付ける代表とともにJクラブのレベルもアップしていた。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■アジアで躍動するJクラブ</span> 日本代表が世界との差を縮める為の試行錯誤を重ねていた頃、Jリーグでもまた、クラブたちが着実に実力を伸ばしていました。2007年、その結果が目に見えるものとなって現れます。前年である2006年シーズンのJリーグ王者としてAFC チャンピオンズリーグに出場していた浦和レッズが、日本勢として初の優勝に輝いたのです。また、グループステージから一度も負ける事無く優勝した、大会史上初のチームになったのです。アジアを制した浦和レッズはJクラブとしては初めてFIFAクラブW杯に出場。そして堂々の3位に輝きました。ちなみにこの3位という成績もアジア勢として初の好成績でした。 2019.04.19 20:15 Fri
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成18年/2006年 黄金世代を襲ったドイツの悪夢

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0418.jpg" alt="" width="100%"></div> 2006年、王監督率いる侍ジャパンが第一回WBCで世界一に輝いた。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■スポーツとスキャンダルに沸いた1年</span> 平成18年(2006年)は冬季オリンピック、FIFAW杯、そして野球の世界一を決める大会、ワールドベースボールクラシック(WBC)の第一回大会が開催された年であり、スポーツ界が大いに盛り上がりました。 まず2月にトリノオリンピックが開幕。日本人選手のメダル獲得が中々かなわない中で、最後の最後に女子フィギュアスケートで荒川静香選手が見事金メダルを獲得。優勝を決めた演技で見せた「イナバウアー」は日本中を魅了し、大ブームになりました。 3月には 第一回ワールドベースポールクラシック(WBC)が開催。王監督率いる侍JAPANが初代王者となるべく世界に挑みました。大会途中では日韓戦での屈辱的連敗やアメリカ戦でのタッチアップをめぐっての誤審騒動等、様々な壁にぶつかりながらもチーム一丸となって前進を続けます。準決勝では2度敗れていた韓国を撃破して、決勝に進出。決勝でもキューバを破り、初代WBC王者となりました。 同じ野球界では、甲子園で早稲田実業の斎藤佑樹と駒大苫小牧の田中将大が白熱する投手戦を演じます。延長戦再試合の上、早稲田実業が夏の甲子園初優勝を果たし、「ハンカチ王子」フィーバーに日本中が沸きました。 また、この年に「ホリエモン」の愛称で知られ、プロ野球チームやフジテレビの買収騒動等で一時は「時代の寵児」と呼ばれた堀江貴文元ライブドア社長が粉飾決算の疑いで逮捕。また「村上ファンド」代表の村上世彰氏がインサイダー取引の疑いで逮捕される等、金融業界でのスキャンダルが目立った1年でもありました。 現在に繋がる話題で言うと、日本の現職の総理大臣である、安倍晋三氏の第一次内閣が小泉首相の後に誕生したのもこの年であり、戦後生まれ初の首相として話題になりました。 また、現代を象徴するものの一つである「SNS」こと、ソーシャルネットワークサービスのTwitterとFacebookがサービスを開始したのもこの年です。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei041801.jpg" alt="" width="100%"></div> 黄金世代への期待はたった8分間で重圧へと変貌した。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■全ての歯車が狂った“悪夢の8分間”</span> 平成18年の夏、中田英寿や中村俊輔等、黄金世代が成熟期を迎えたジーコJAPANの3度目のW杯挑戦がドイツで始まりました。前回大会にベスト16に進出した日本は、国民の大きな期待を背負い、初戦の相手は、オーストラリアに挑みます。 前半に中村俊輔のクロスがそのままゴールに入り、あっさりと先制します。ラッキーな形で試合の主導権を握った日本でしたが、40度を超える猛暑の中、オーストラリアの攻撃に耐えきれず、後半39分に同点に追いつかれます。集中が切れてしまったのか、そこからさらに2失点を許し、まさかの逆転負け。初戦での勝利を目前で逃してしまったことはチームの雰囲気を大きく変えてしまう結果となります。 初戦で負けてしまった日本は、絶対に勝ちが欲しい第2戦でクロアチアと対戦します。前半に川口が見せたPKストップは日本に勢いを与えますが、柳沢が決定機を逸してしまうなど、結局点を取ることが出来ず、0-0の引き分けに終わってしまいました。 <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei041802.jpg" alt="" width="100%"></div> 黄金世代と言われたタレント集団はブラジルの前に散った。ここから日本は“自分たちのサッカー”を探し始める。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■再び世界との差を知ったドイツ、そして…</span> 1戦目、2戦目と勝ちない日本にとって、グループステージ突破の条件は最低でも2点差以上での勝利が必要となります。しかし第3戦の相手は全大会王者のブラジルでした。 前半、玉田のゴールで日本が先制。日本国内を含め世界を驚かせました。しかし、これが王国ブラジルにスイッチを入れてしまったのか、前半ロスタイムに追いつかれると、後半にはさらに3失点。結局1-4で”本気”のブラジルに惨敗し、日本の敗退が決まってしまします。ブラジル戦後、ピッチの真ん中に倒れ込む中田英寿の姿は多くのサッカーファンの記憶に残っているのではないでしょうか。 黄金世代として国民から大きな期待を受けて望んだW杯でしたが、終わってみれば1度も勝てず、再び世界との力の差を見せつけられる結果となってしまいました。4年前の結果から上手くステップアップ出来なかった日本サッカー。次なる一手として代表監督に白羽の矢が立ったのは、ジェフ市原を率いてチームを躍進させた、イビチャ・オシム氏でした。そしてオシムによる“考えて走るサッカー”を目指すべく、新たなチーム作りが始まったのでした。 2019.04.18 22:30 Thu
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【平成サッカー30年の軌跡】 平成17年/2005年 黄金世代に高まる期待

新元号が「令和(れいわ)」に決定し、2019年4月30日をもって幕を閉じる「平成」。日本サッカーにとって、「平成」という時代は大きな変革を遂げた30年間となりました。Jリーグ設立、ドーハの悲劇、日韓W杯招致…。激動の30年を平成の出来事と共に振り返ってみましょう。 <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">世の中の流れ</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei0417.jpg" alt="" width="100%"></div> 2005年、小泉政権が行政改革の一環として郵政民営を行った。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■イベントに富んだ1年</span> 平成17年(2006年)は日本にとって様々な分野で多くの出来事が起こった年となりました。まず4月には、JR福知山線脱線事故が起こります。兵庫県の尼崎市内を走っていた列車が、カーブを曲がり切れずに脱線し、線路沿いにあったマンションに突っ込みという脱線事故が起こりました。午前9時の通勤ラッシュの満員電車に起きた事故だった為、運転手を含む死者107名、負傷者562名を出すという史上最悪の脱線事故となりました。これを機に緊急列車防護装置の導入が全国的に進みました。 一方、3月から9月まで「愛・地球博」と呼ばれた2005年日本国際万国博覧会が愛知で開催され、日本中、そして世界中から最新鋭の科学技術の祭典を見に人々が集まりました。特に、保存状態が極めて良い冷凍マンモスが目玉の展示物として話題を呼びました。 政界では、小泉純一郎首相が郵政民営化を争点とした「郵政解散」を決行。解散・総選挙が行われ、自民党が圧勝しました。その結果、国営企業だった郵政公社が日本郵政グループとなり、郵便、簡易保険、郵便貯金がそれぞれ、日本郵政と郵便局、かんぽ生命、そしてゆうちょ銀行という民営会社に分割されました。 また、スポーツ界では、ニュースターが誕生します。アイススケート女子のGPファイルで浅田真央が15歳で優勝し、史上最年少優勝を記録します。浅田真央は国民的な人気を誇りアイススケート女子の国内での人気を大きく引き上げました。 国外に目を向けると、アメリカで大きな自然災害が起きています。ハリケーン「カトリーナ」がフロリダとニューオリンズに上陸し、死者1,200人以上を出す大惨事になりました。一部の被災地では、物資を断たれた住民たちが略奪を行うなど、アメリカ社会の闇が垣間見える出来事になっています。 <div class="web-only" style="display:none;text-align:center;font-weight:800;font-size:1.0em;"> <a href="/index/index/c/FREE/id/heisei_lookback" target="_blank">【特集】“平成”で起きた出来事覚えてる?『平成サッカー30年の軌跡』を辿ろう!</a> </div> <span style="font-weight:800;font-size:1.1em;">サッカー界</span> <div style="text-align:center;" class="yui-wk-div"><img class="yui-img" src="http://ultra-soccer.jp/division_image/TOP/heisei041701.jpg" alt="" width="100%"></div> コンフェデ杯2005でブラジルに挑んだ日本代表のイレブン。王国ブラジルと2-2で引き分けたことは大きな自信に繋がった。 <span style="font-weight:700;font-size:1.0em;">■日本がブラジルに“並んだ”日</span> ジーコ体制3年目を迎えた2005年、日本代表は再びコンフェデレーョンズカップ2005に参加します。アジア王者として活躍が期待された日本でしたが、結果は1勝1分1敗でまたも予選リーグ敗退に終わってしまいました。しかし、グループリーグで同組になったブラジル戦では、2度リードされる展開になりながらも、中村俊輔のスーパーミドルなどで2度同点に追いつき、世界王者ブラジル相手に、2-2で引き分けるという熱戦を演じます。ロナウジーニョやカカといったスーパースターを擁するチーム相手に引き分けたというのは、大きな自信に繋がり、「日本があのブラジルに日本が追いついた」と言われました。 この大会は、必ずしも結果は伴いませんでしたが、内容の面で確実に日本サッカーが強くなっているという印象を国民に与えます。また、中田英寿、中村俊輔、小野伸二、稲本潤一からなる「黄金のカルテット」と呼ばれる4選手を中心に、史上稀にみるタレント集団が集まる日本代表チームが完成しつつあり、翌年のドイツW杯に向け国民の期待が高まっていました。 2019.04.17 19:00 Wed
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【2022年カタールへ期待の選手⑲】横浜で「チームを勝たせる存在」へ。大激戦の2列目の一角を窺う東京世代のアタッカー/三好康児(横浜F・マリノス/FW)

1-1で迎えた後半アディショナルタイム。トリコロールの背番号41をつける小柄なアタッカー・三好康児は自身の力で勝利をもぎ取るべく、右サイドから強引な突破を見せ、思い切り左足を振り抜いた。が、「ちょっと相手が気になって少しミートしなかった」と本人は悔やんだが、GK武田洋平との1対1を決め切れずにタイムアップの笛。13日の名古屋グランパスとの上位対決を制することはできなかった。 昨季の北海道コンサドーレ札幌に続き、今季は横浜F・マリノスに2度目のレンタル移籍に踏み切った三好。札幌ではミハイロ・ペトロヴィッチ監督の信頼を勝ち取り、J1・26試合出場3ゴールという数字を残した。その実績を引っ提げてジュニア時代から在籍する川崎フロンターレへ復帰する道もあったが、本人は「もう一度、外でチャレンジしたい」と横浜FM行きを決断。勝負の2019年を迎えた。そして新天地デビュー戦となった2月23日のガンバ大阪戦でいきなりゴールをゲット。非常に幸先のいいスタートを切ったと思われた。 アンジェ・ポステコグルー監督からも信頼を勝ち得て、そこからコンスタントに先発出場しているが、得点は1のままストップしている。今回の名古屋戦でもインサイドハーフの位置から切れ味鋭いスルーパスをたびたび前線のマルコス・ジュニオールや仲川輝人に送るなど、お膳立ての部分では異彩を放ったものの、自身のシュートは冒頭の1本のみ。 「もう少しゴールに近いところでシュートを打つなり、工夫をしてもいい。開幕戦のゴールはペナ外でしたけど、このチームでゴールまで近づいて行けるチャンスはある。味方としっかり連携を合わせることで決定機を作り出せるだろうし、そこは自分の中でも改善していかないといけない部分だと思います」と本人もゴールに迫る回数や迫力不足を痛感している様子だった。 <div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://prf.hn/click/camref:1100l3Pqd/adref:innews_j" terget="_blank">横浜FMの三好康児に注目!<br />Jリーグを観るならDAZN!<br />1カ月のお試し無料視聴はコチラから!</a><hr></div> それでも、数々の得点チャンスを演出してくれる「三好加入効果」を実感する選手は多い。U-22日本代表で一緒に戦う遠藤渓太も「康児君は前を向くのがすごくうまいし、自分にないものを沢山持ってるからすごい参考になる。今はセンターFWをマルコスがやってますけど、彼や自分、康児君が流動的にプレーして連動することが大事だと思います」とコメントしていた。東京五輪世代の盟友が指摘する通り、前線のコンビネーションが研ぎ澄まされていけば、横浜FMの攻撃力が増し、三好の課題である得点の部分も改善していくはず。現状から一歩前進し、壁を超えられればできれば、来年に迫った自国開催の東京五輪出場はもちろんのこと、日本代表入りも見えてくるはずだ。 2017年U-20ワールドカップ(韓国)をともに戦った1つ下の堂安律(フローニンヘン)がすでに森保一監督率いる日本代表に定着している通り、同世代には優れたアタッカーが少なくない。17歳の久保建英(FC東京)も近未来のA代表入りが噂されているほどだ。同じレフティの小柄なアタッカーで、U-22代表では10番を背負う三好も「彼らに負けていられない」という危機感は非常に強いはずだ。 「国内国外問わず、仲間たちとの競争で自分は高め合っていけると思っています。律が力のある選手だというのは分かっていますし、タケもU-20から一緒にやっていて(その凄さは)今に始まったことではない。ただ、自分には自分の特長があるので、そこを出していくしかない。やっぱり一番大事なのは最後に点を決めるか決めないか。結果に結び付けなければ先はないと思っています」 三好は語気を強めたが、大激戦の2列目アタッカー競争に勝とうと思うなら、本当にゴールという数字を残すことにこだわるしかない。すでに森保ジャパンの主軸にとなっているリオ・デ・ジャネイロ五輪世代の中島翔哉(アル・ドゥハイル)や南野拓実(ザルツブルク)、さらに年長の2018年ロシア・ワールドカップ組の香川真司(ベシクタシュ)、乾貴士(アラベス)、原口元気(ハノーファー)らもいるだけに、先輩たちを押しのけて台頭するためには傑出した実績がどうしてもほしい。22歳という年齢を考えると決して若いとは言えないだけに、三好はここから一気に勝負をかけるべきだ。 「五輪に出ることが自分の目標じゃないですし、小さい頃からA代表として大会に出ることが目標だった。それは今も変わっていないし、先も変わることはないです。マリノスでしっかり結果を残さなければ、五輪もA代表も見えてこない。『自分がチームを勝たせなければいけない』という思いはもちろん強く持っています」 名門・マリノスで勝利請負人としての役割を果たし、10年以上遠ざかっているJリーグタイトルを引き寄せる原動力になれれば、彼を取り巻く環境も劇的に変化する。そういった勢いを見せられるか否か。札幌に続く2度目のレンタル先で着実に進化する三好康児には大きな期待が寄せられる。<hr>【元川悦子】長野県松本市生まれ。千葉大学卒業後、夕刊紙記者などを経て、94年からフリーのサッカーライターとなる。Jリーグ、日本代表、海外まで幅広くフォローし、日本代表は特に精力的な取材を行い、アウェイでもほぼ毎試合足を運んでいる。積極的な選手とのコミュニケーションを活かして、選手の生の声を伝える。<div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://prf.hn/click/camref:1100l3Pqd/adref:innews_j" terget="_blank">横浜FMの三好康児に注目!<br />Jリーグを観るならDAZN!<br />1カ月のお試し無料視聴はコチラから!</a><hr></div> 2019.04.17 11:50 Wed
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