【六川亨の日本サッカーの歩み】天皇杯こぼれ話

2017.12.25 16:30 Mon
©超ワールドサッカー
▽天皇杯の準決勝2試合が12月23日に行われ、延長戦の末にC大阪と横浜FMが元旦の決勝に駒を進めた。ベスト8が出揃った時点で作成された公式プログラムによると、C大阪は出場49回で3回の優勝、横浜FMは出場40回で7回の優勝とあるが、これには違和感を覚えるファンもいるだろう。
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▽今シーズンはルヴァン杯でC大阪が、J1リーグは川崎Fが初めて優勝を飾った。ところが天皇杯は、Jリーグ誕生以前の企業チーム時代の優勝回数がカウントされているため、C大阪は優勝3回となる。実際のところ、C大阪になってからは2001年と2003年に決勝へ進んだものの、いずれも清水と磐田の静岡勢に優勝を阻まれている。前身のヤンマーが天皇杯に優勝したのは1964年、1970年、1974年と遠い昔の出来事なので、優勝3回と紹介されてもピンとこない。▽同じことは横浜FMにも当てはまり、2013年に優勝しているが、1983年から1991年までの優勝5回は日産自動車、そして1992年は日産FC横浜マリノスというチーム名での優勝だった。来年の元旦決勝で優勝すれば、優勝回数は8となり、戦前、戦中、戦後に最多記録を作った慶應BRBと並ぶことになる。長い歴史を誇る天皇杯ならではのレコードだが、やはり違和感を覚えずにはいられない。
▽そんな天皇杯で印象に残っているのが、5回目の優勝を果たした1991年の決勝だ。日産は1983年に初優勝を果たすと、1991年まで、9年間で戦後最多となる5回の優勝を達成しているが、残り3回は読売クラブが優勝し、あとの1回は松下電器といった具合に、当時は日産と読売クラブの2強が図抜けた強さを誇っていた。

▽9年間で決勝進出は日産が6回、読売クラブが4回と独占していたことからもわかるように、2強の黄金時代でもあった。そして決勝進出回数が9年間で10回となっているのは、1991年は両チームが初めて決勝で激突したからだった。2強にとって、まさに「絶対に負けられない戦い」だったが、思わぬ発言が日産の闘争心に火をつけた。

▽テレビのスポーツニュースに武田修宏(現スポーツコメンテーター)とともに出演した藤吉信次(現東京Vトップチームのコーチ)は、ひょうきんなキャラクターが持ち味で、決勝の相手である日産を「おっさん自動車」と揶揄した。これが日産の選手を怒らせ、特に33歳のベテラン木村和司の激怒を買った。
▽試合は日産がエバートンのゴールで先制したが、読売クラブも後半に武田のゴールで追いつき延長戦にもつれこんだ。そして延長前半14分、水沼貴史(現サッカー解説者。C大阪の水沼宏太は同氏の長男)の左クロスをレナトが競ってゴール前にこぼれるところ、木村が豪快な右足ボレーで決勝点を叩き込んだ。日産はその後もカウンターからルーキー山田隆裕とレナトが追加点を奪い、初の頂上決戦を4-1で制したのだった。

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