【日本サッカー見聞録】収穫は柴崎の輝き
2015.01.24 11:02 Sat
▽UAEとの準々決勝がPK戦に突入し、ファーストキッカーである本田のシュートが大きくバーを越え、サドンデスに突入した6人目の香川のシュートが左ポストを叩いて右サイドに転がったシーンに、既視感を覚えた読者もいるのではないだろうか。
▽2011年南アフリカ・ワールドカップのパラグアイ戦の駒野と、2000年シドニー五輪のアメリカ戦の中田英の姿が重なったはずだ。たぶん本田はグループリーグで2本のPKを右下に決めていたから、GKの裏をかいてど真ん中に決めるつもりだったのだろう。香川は慎重に左下を狙ったものの、無情にもポストを叩いたシュートはゴールに吸い込まれることはなかった。
▽そして日本は5大会連続のベスト4進出を逃し、2017年に開催されるコンフェデ杯の出場権も逃した。
▽日本は過去UAEとの対戦で、アジアカップやワールドカップ予選など国際Aマッチでは一度も負けていない。今大会のUAEは技巧的な司令塔のオマール・アブドゥルラフマンとアリ・マブフート、アーメド・ハリルの俊足2トップを擁する好チームだった。これまで対戦したUAEで、最強と言っていいかもしれない。
▽開始7分にはアメル・アブドゥルラフマンの縦パスに抜け出たマブフートが巧トラップから先制点を決める。日本が苦手とし、中東勢の武器でもある1本のパスからのカウンターであり、やっと中東勢と対戦している実感が沸いたものだ。ただ、正直この時点ではまだ余裕を持って観戦していた。これまでの3試合があまりにも緊張感に欠けたため、ほどよい刺激程度に思っていた。
▽前半35分にはスタンド内に散らばっていたサポーターがゴール裏に集結するようになり、日本を応援するコールが徐々にヒートアップする。そして後半は日本の一方的な展開になるが、柴崎が同点ゴールを決めるのが精いっぱいだった。GKマジェド・ナサルの好セーブやDFの身体を張ったブロック、そして日本のシュートミスも重なり粘るUAEに引導を渡すことはできず、PK戦からUAEに国際Aマッチ初黒星を喫したのだった。
▽連戦による疲労の蓄積や、ケガによる今野の離脱、森重のダメージや長友の予期しない太もも裏の故障などアクシデントはあった。しかし、これらの条件は対戦相手も同じである。では何が勝敗を分けたのかというと、決定力不足に加えて新戦力がゴールという結果を残せなかったことに尽きる。いわゆる“スーパーサブ”というか“救世主”の不在だ。
▽選手個々の論評は避けるが、日本の得点者は本田が3点で、香川、岡崎、遠藤、吉田ら実績のある選手ばかり。UAE戦でやっと柴崎が名前を連ねたものの、武藤や豊田、乾らが決定機に確実にゴールを決めていれば楽勝だったし、そのまま優勝まで突っ走った可能性は高い。
▽その中であえて収穫をあげるなら柴崎の存在感だろう。同点弾は鮮やかだったが、その前のアプローチが圧巻だった。ドリブルを意図的にスローダウンして、右サイドの酒井の攻め上がりを引き出すふりをして前線の本田に速いパス。そしてスプリントして本田のリターンをワンタッチシュートで決めた。彼の緩急の変化にUAEの守備陣はついて行けず、GKもシュートに反応できなかった。
▽長友の負傷後は、窮余の策として右サイドバックに入って攻撃を活性化した。UAEが守備固めをしているからこそできたコンバートだろう。アギーレ監督が酒井を左サイドバックに回して柴崎を右DFしたという発想は新鮮だった。
【六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
▽2011年南アフリカ・ワールドカップのパラグアイ戦の駒野と、2000年シドニー五輪のアメリカ戦の中田英の姿が重なったはずだ。たぶん本田はグループリーグで2本のPKを右下に決めていたから、GKの裏をかいてど真ん中に決めるつもりだったのだろう。香川は慎重に左下を狙ったものの、無情にもポストを叩いたシュートはゴールに吸い込まれることはなかった。
▽日本は過去UAEとの対戦で、アジアカップやワールドカップ予選など国際Aマッチでは一度も負けていない。今大会のUAEは技巧的な司令塔のオマール・アブドゥルラフマンとアリ・マブフート、アーメド・ハリルの俊足2トップを擁する好チームだった。これまで対戦したUAEで、最強と言っていいかもしれない。
▽開始7分にはアメル・アブドゥルラフマンの縦パスに抜け出たマブフートが巧トラップから先制点を決める。日本が苦手とし、中東勢の武器でもある1本のパスからのカウンターであり、やっと中東勢と対戦している実感が沸いたものだ。ただ、正直この時点ではまだ余裕を持って観戦していた。これまでの3試合があまりにも緊張感に欠けたため、ほどよい刺激程度に思っていた。
▽なぜなら過去には2004年のジーコ・ジャパンでヨルダン、バーレーン戦と綱渡りの2試合を経験していたし、前回大会でも準決勝で韓国とPK戦にもつれこむ死闘を制していたからだ。リードされても慌てず、じっくり反撃に移るだけの経験値を選手は持っているだろうし、主導権は握れているので同点ゴールは時間の問題と思っていた。
▽前半35分にはスタンド内に散らばっていたサポーターがゴール裏に集結するようになり、日本を応援するコールが徐々にヒートアップする。そして後半は日本の一方的な展開になるが、柴崎が同点ゴールを決めるのが精いっぱいだった。GKマジェド・ナサルの好セーブやDFの身体を張ったブロック、そして日本のシュートミスも重なり粘るUAEに引導を渡すことはできず、PK戦からUAEに国際Aマッチ初黒星を喫したのだった。
▽連戦による疲労の蓄積や、ケガによる今野の離脱、森重のダメージや長友の予期しない太もも裏の故障などアクシデントはあった。しかし、これらの条件は対戦相手も同じである。では何が勝敗を分けたのかというと、決定力不足に加えて新戦力がゴールという結果を残せなかったことに尽きる。いわゆる“スーパーサブ”というか“救世主”の不在だ。
▽選手個々の論評は避けるが、日本の得点者は本田が3点で、香川、岡崎、遠藤、吉田ら実績のある選手ばかり。UAE戦でやっと柴崎が名前を連ねたものの、武藤や豊田、乾らが決定機に確実にゴールを決めていれば楽勝だったし、そのまま優勝まで突っ走った可能性は高い。
▽その中であえて収穫をあげるなら柴崎の存在感だろう。同点弾は鮮やかだったが、その前のアプローチが圧巻だった。ドリブルを意図的にスローダウンして、右サイドの酒井の攻め上がりを引き出すふりをして前線の本田に速いパス。そしてスプリントして本田のリターンをワンタッチシュートで決めた。彼の緩急の変化にUAEの守備陣はついて行けず、GKもシュートに反応できなかった。
▽長友の負傷後は、窮余の策として右サイドバックに入って攻撃を活性化した。UAEが守備固めをしているからこそできたコンバートだろう。アギーレ監督が酒井を左サイドバックに回して柴崎を右DFしたという発想は新鮮だった。
【六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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