霜田正浩
Masahiro SHIMODA
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| ポジション | 監督 |
| 国籍 |
日本
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| 生年月日 | 1967年02月10日(58歳) |
| 利き足 | |
| 身長 | |
| 体重 |
| ニュース | 人気記事 | 監督データ |
霜田正浩のニュース一覧
松本山雅FCのニュース一覧
14日、明治安田J3リーグ第5節延期分の松本山雅FCvsAC長野パルセイロがサンプロ アルウィンで行われ、2-2のドローに終わった。
降雪・積雪の影響で延期された、11位の松本と17位の長野による信州ダービー。11日に天皇杯の長野県予選決勝で相まみえた両者が今度はリーグ戦に舞台を移して激突した。
試合序盤は
2025.05.14 21:14 Wed
明治安田J3リーグ第12節の10試合が6日、7日にかけて各地で行われた。
【八戸vs栃木C】上位対決は痛み分け
首位の栃木シティ(勝ち点24)と3位のヴァンラーレ八戸(勝ち点20)の上位対決。試合は立ち上がりから攻め合う形となり2分に八戸は澤上竜二がクロスを頭で合わせるが、GK相澤ピーターコアミが好セーブ。
2025.05.07 21:02 Wed
霜田正浩の人気記事ランキング
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2024シーズンのJリーグ、最後の月間最優秀監督賞発表! J1は最下位で降格も3勝の鳥栖・木谷公亮監督が受賞
9日、Jリーグは11月・12月度の月間優秀監督賞を発表した。 明治安田J1リーグは最下位のサガン鳥栖の木谷公亮監督が初受賞。明治安田J2リーグは清水エスパルスの秋葉忠宏監督が通算2度目、今季初受賞。そして、明治安田J3リーグは松本山雅FCの霜田正浩監督が初受賞となった。 鳥栖はJ1リーグ最下位でシーズンを終えることとなったが、11月・12月の4試合で3勝1敗。降格が決まった中でも結果を残した。 ◆Jリーグ選考委員会による総評 足立修委員長 「降格が決まった中で試合に臨む難しさがある中で、いろいろな想いがあったと思うが、最後まで選手たちの心身をケアして勝ちにこだわった」 JFA技術委員 「クラブが地域の宝となって、いい時も悪い時もみんなで支えるということを見せた」 北條聡委員 「降格確定後の難しい状況下で意欲を吹き込み、戦い方を見事に整理して勝ち点ラッシュへ。人選と組み合わせの妙も際立った」 清水はJ2リーグを見事制覇。11月の2試合で連勝を収め、王者としてふさわしい戦いを見せてシーズンを締め括った。 ◆Jリーグ選考委員会による総評 足立修委員長 「J1昇格がかかった試合では、選手が退場してもなんとか試合を勝たせた。勝っても浮かれることなく、選手に対して指導・コメントがあった点も好感を持てた。来シーズンも期待したい」 JFA技術委員 「横浜FCと千葉との試合では、勝つことの難しさを終盤で見せられた。そんな中でも僅差(1-0)で2連勝をやり切った手腕は月間表彰でも評価されるべきだと感じる」 佐藤寿人委員 「J1昇格を決めた後、若手選手を起用してしっかり勝ち切った。目標達成をすると気持ちが緩みがちだが、しっかりと最後までやり遂げた。年間を通してプレッシャーのある中優勝でJ1昇格を決めたことは受賞に相応しい」 寺嶋朋也委員 「昨季J1昇格を土壇場で逃した悔しさを晴らすべく、力強い戦いでシーズンを戦い切った。今季圧倒的な勝率を誇ったホームで見事にJ2優勝を決め、『This is エスパルス』の雄叫びをアイスタに轟かせた。最後2連勝で攻守にわたって『ゴール前』を重視する情熱的でアグレッシブな戦いを来季のJ1でも期待したい」 丸山桂里奈特任委員 「しっかりと2連勝で締めくくった。優勝おめでとうございます」 植松隼人特任委員 「J1昇格を早く決め、11月の2試合もしっかり勝ち切るチームの強さを感じた。優勝おめでとうございます!2連勝しており、来季に向けた準備を意識していることも感じる。インスタ映えする監督も珍しい。来年、清水が盛り上がることも期待している」 松本は11月のリーグ戦ラスト4試合で4連勝。J2昇格プレーオフに進出する結果を残した中、昇格プレーオフでは決勝まで進むも、あとわずかのところで昇格を逃していた。 ◆Jリーグ選考委員会による総評 足立修委員長 「監督の性格として、フォーメーションは変えるがコンセプトはずっと変わっていない。先制されようが何をされようが、自分たちのサッカーをやり切る姿が見られる」 平畠啓史委員 「今月4連勝。3バックにしてチームに安定感をもたらし、プレーオフへと導いた。終盤戦に良い流れを作りプレーオフへ。攻守に統一感も感じられた」 橋本英郎委員 「爆発的な得点力と失点数の改善が見られた。プレーオフに向けいいチーム状態でのぞめるように導いた」 丸山桂里奈特任委員 「11月全勝で締めくくり4位でプレーオフへ。今月だけで10ゴール。選手をガラッと入れ替えたり、フォーメーションを変えたりして選手に緊張感を与えていた印象」 2024.12.09 23:05 Mon2
J3降格危機の大宮が霜田正浩氏を新監督に招へい「全ての試合でチャレンジャーとして向き合う」
大宮アルディージャは7日、新監督に霜田正浩氏(54)が就任することを発表した。 なお、霜田新監督は13日の明治安田生命J2リーグ第18節の栃木SC戦から指揮を執る。 霜田監督は、JFL時代の徳島ヴォルティス(大塚製薬徳島ヴォルティス)のコーチとして指導者のキャリアをスタート。京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)ではユースやジュニアユースの監督を務めたほか、強化部長補佐も務め、FC東京でも強化部長補佐やヘッドコーチを務めた。 その後、関東リーグ時代のY.S.C.C.横浜で監督を務め、ジェフユナイテッド市原・千葉ではトップチームのコーチとヘッドコーチを歴任。2009年に日本サッカー協会(JFA)に入ると、技術委員長や日本代表のナショナルチームダイレクター、アンダー世代の監督などを務めた。 2017年にはシント=トロイデンでコーチを務めると、2018年1月にはレノファ山口FCの監督に就任。2021年1月からはベトナムのサイゴンFCのアドバイザーを務めると、2月に監督に就任したが、3月には解任されていた。 霜田氏は、J2通算126試合で指揮し38勝27分け61敗の成績。2018年はJ2で8位となっていたが、主力選手の引き抜きなどもあり2019年は15位、2020年は22位となっていた。 大宮は今シーズンから岩瀬健監督が就任。J1昇格を目指した戦いの中、チームは結果を残せずに降格圏に沈む状態に。さらに、なかなか改善が見られないことから解任されると、なでしこジャパンでW杯を制し、トータルアドバイザーを務めていた佐々木則夫氏が暫定的に指揮を執っていた。しかし、佐々木氏が指揮した2試合も連敗と厳しい状態が続いている。 霜田監督はクラブを通じてコメントしている。 ◆霜田正浩監督 「大宮アルディージャを愛する全ての皆さまへ。このたび、監督に就任しました霜田正浩です。苦しいシーズンを送っている選手たちの躍動感を取り戻し、このクラブが培ってきた誇りを胸に、残り試合を大宮のために全力で闘うつもりです。ここからのリスタートですが、どの相手に対しても、全ての試合でチャレンジャーとして向き合い、日々のトレーニングから魂を込めた準備をしていきます」 「一つのボールを奪い合う執念、味方のために走ること、諦めずにボールを追うこと、チーム全員で同じ絵を描くこと。そして何より勝つことにこだわります。チームを取り巻く人たちが一丸になるためには、まず僕らがピッチから皆さんに伝えるものがなければいけない。それを皆さんに感じていただけるように、選手を信じて闘いますので、ぜひ応援をよろしくお願い申し上げます」 また、佐野秀彦社長もコメント。期待を寄せた。 ◆佐野秀彦 代表取締役社長 「現在のチーム状況を打開するために、選手個々の特長を引き出し、『勝負強さ』『目標に向かっていく力』『コミュニケーション力』など、強い気持ちで戦う意識をうえつける力に優れた霜田監督が就任します。霜田監督の豊富な経験と情熱によりチームに『戦う気持ち』を呼び起こし、まずは降格圏から抜け出すことを直近の目標として取り組みます」 「常に危機感を持って、残り25節をクラブに関わる皆さんと一丸となって戦い、全ての試合で最後の最後まで勝利を目指して戦ってまいりますので、引き続きの温かいご支援、そして熱い応援をよろしくお願い申し上げます」 2021.06.07 11:12 Mon3
現役引退の大宮DF河本裕之「最高の形で終わることができました」、カズや元相棒の菊地光将からもビデオメッセージ
今シーズン限りで現役を引退する大宮アルディージャのDF河本裕之が、最終節後に引退セレモニーを行い挨拶した。 河本は兵庫県出身で、滝川第二高校からヴィッセル神戸へと2004年に入団。プロ1年目から結果を残していく。センターバックだけでなくサイドバックでもプレーした河本は、空中戦の強さを武器に攻守に貢献。2012年夏に大宮へと期限付き移籍し、残留争い中のチームを救う活躍を見せた。 2013年は所属先の神戸がJ2へと降格したためにチームに復帰。1年でのJ1復帰に貢献し、2014年も神戸でプレーしたが、2015年にJ2へと降格した大宮へ完全移籍。以後、大宮でプレーを続けた。 大宮ではDF菊地光将(現レノファ山口FC)とともに強力なCBコンビを形成。また得点力を生かし、セットプレーからチームを救うゴールを決めるなど活躍。近年は突発性難聴に苦しんだ他、ケガで離脱する機会が増えたものの、J2を戦う大宮で年間20試合以上に出場していた。 今シーズンは岩瀬健監督体制時は出場機会を得ることができなかったものの、霜田正浩監督就任後はコンスタントに出場。17試合に出場し1得点を記録。残留を争うチームをベテランとして支えた。 J1通算239試合13得点、J2通算162試合16得点を記録した河本。最終節は残留が懸かるという試合ながら、チームは3-1とリード。試合終盤に出番が回ってくると、最後までらしいプレーを見せ、勝利でラストマッチを締めくくった。 試合後のセレモニーでは所縁のある人たちからのビデオメッセージが届き、神戸と大宮で共にプレーした奥井諒(現:清水エスパルス)や大屋翼氏(ヴィッセル神戸スクールコーチ)の他、大宮で一緒にプレーした家長昭博(現:川崎フロンターレ)、神戸時代にディフェンスラインを支えた北本久仁衛氏(ヴィッセル神戸コーチ)、神戸時代のチームメイトである吉田孝行氏(V・ファーレン長崎コーチ)など、多くの選手からビデオメッセージが届き、河本も涙を浮かべながら見ていた。 また、同じく神戸でプレーした三浦知良(現:横浜FC)からもメッセージが届くなど豪華な陣容に。そのビデオメッセージの最後は河本のユニフォームを着た人物が登場。大宮で屈強なCBコンビとして活躍した菊地光将(現:レノファ山口)からのものであり、「ただのチームメイトではなく最高の相棒だった」とコメント。「今でもコウモと試合に出たいと思っています」と、コンビを組んだ元相棒からの熱いメッセージが送られた。 サポーターからは「この街で3俺たちと共に闘ってくれてありがとう」という横断幕が出され、多くの仲間からのビデオメッセージを受けた河本はピッチ上で挨拶した。 「18年やってきましたが、今シーズンで引退することにしました。18年間、苦しいこともたくさんありましたけど、ファン・サポーターの皆さんやパートナー企業の皆さん、ボランティアスタッフやチーム関係者の皆さん、そして素晴らしい指導者の皆さん、チームメイト、皆さんの支えのおかげでここまでやってこれました」 「今年も凄い苦しいシーズンでしたけど、若いそしてベテランの仲間が凄く頑張ってくれて、今日も素晴らしい試合をしてくれて、最高の形で終わることができました」 「本当に、出逢いに恵まれて、常に誰かがそばで支えてくれて、やってこれました」 「一番そばで支えてくれた妻や子供たち。寂しい思いや辛い思いもさせたけど、今までありがとう」 「以上です!」 また、この試合の対戦相手であるザスパクサツ群馬には大宮で共に戦った選手も多く、セレモニー後は大前元紀、畑尾大翔が登場。珍しくセルフィーを撮って別れを惜しんでいた。 <span class="paragraph-title">【動画】河本裕之、現役ラストゴールは得意のヘッド!</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="eW359OFmF1A";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2021.12.05 21:37 Sun霜田正浩の監督履歴
| 就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
| 2023年2月1日 | 2024年12月12日 |
松本 |
監督 |
| 2021年6月10日 | 2022年5月25日 |
RB大宮 |
監督 |
| 2021年2月24日 | 2021年3月30日 |
サイゴン |
監督 |
| 2021年1月1日 | 2021年2月23日 |
サイゴン |
アドバイザー |
| 2018年2月1日 | 2021年1月31日 |
山口 |
監督 |
| 2017年8月1日 | 2017年12月31日 |
STVV |
アシスタントコーチ |
| 2014年9月1日 | 2016年3月31日 |
日本 |
テクニカル・ディレクター |
| 2014年2月1日 | 2017年1月23日 |
JリーグU-22選抜 |
アシスタントコーチ |
| 2014年2月1日 | 2017年1月23日 |
U-21日本 |
アシスタントコーチ |
| 2012年11月30日 | 2013年11月30日 |
U-20日本 |
監督 |
| 2010年10月1日 | 2014年8月31日 |
日本 |
チームコーディネーター |
| 2007年2月1日 | 2008年8月31日 |
千葉 |
アシスタントコーチ |
| 2006年11月1日 | 2007年1月31日 |
YSCC |
監督 |
| 2006年2月1日 | 2006年8月15日 |
FC東京 |
アシスタントコーチ |
| 2001年2月1日 | 2005年12月31日 |
FC東京 |
監督 |
| 1999年2月1日 | 2001年1月31日 |
京都 |
監督 |
| 1997年2月1日 | 1999年1月31日 |
Kyoto Sanga U18 |
監督 |
| 1994年2月1日 | 1997年1月31日 |
大塚製薬 |
アシスタントコーチ |

日本
RB大宮
サイゴン
山口
STVV
日本
JリーグU-22選抜
U-21日本
U-20日本
千葉
YSCC
FC東京
京都
大塚製薬