ヨアヒム・レーブ
Joachim Low
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| ポジション | 監督 |
| 国籍 |
ドイツ
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| 生年月日 | 1960年02月03日(65歳) |
| 利き足 | |
| 身長 | 181cm |
| 体重 |
| ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
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トニ・クロースがドイツ代表引退を発表…今後はマドリーに集中
レアル・マドリーのMFトニ・クロース(31)が2日、自身のインスタグラムを通じてドイツ代表からの引退を発表した。 ヨアヒム・レーブ政権の集大成としてユーロ2020に臨んだドイツだったが、29日に行われたラウンド16のイングランド代表戦では0-2の敗戦を喫し、ベスト16で敗退となった。 レーブ監督の退任と同時に代表引退が囁かれていたクロースだが、この度インスタグラムを更新し公式で発表。マドリーに集中し、家族としての役割を果たすために大会前から決めていたことを明かし、最後にレーブ監督への感謝を書き記した。 「ドイツ代表として106試合に出場した。もうこれ以上はない。この数字を109に伸ばして最後にユーロというタイトルを手にしたかったけど、全力を尽くしたつもりだ」 「この大会を最後に引退することはすでに決めていた。2022年のカタール・ワールドカップに出られないことは前からはっきりしていたからね」 「何よりも、今後数年間はレアル・マドリーに完全に集中したかったんだ。そのためには代表選手として11年間できなかった自分を休ませるということを意識的にしたかったんだ」 「それに、妻と3人の子供たちのために、もっと夫として親としての役割を持ちたいとも思っていた」 「これほどの長い期間、このユニフォームを着ることができたのはとても光栄なことだった。誇りと情熱を持ってやり遂げることができたよ」 「拍手や声援で僕を応援して支えてくれたファンやサポーターのみんなに感謝しているよ。そして、また別のモチベーションを与えてくれた評論家の皆さんにも感謝の言葉を送ろう」 「最後に何よりも、ヨアヒム・レーブに感謝の気持ちを伝えたいと思う。彼は僕を代表選手に、そして世界チャンピオンにしてくれた。僕を信頼してくれた。長い間、サクセスストーリを書き続けてきたんだ」 「光栄でした。お元気で。ハンジ・フリックの幸運を祈るよ」 「あなたのトニ」 2010年3月に行われたアルゼンチン代表戦でA代表デビューを飾ったクロースは、歴代7位タイの通算106試合に出場し、17ゴールを記録。3度のワールドカップ、3度のユーロ本大会に参加し、2014年のブラジル・ワールドカップでは全試合に出場し、優勝に大きく貢献していた。 <span class="paragraph-title">【動画】トニ・クロースがレアル・マドリーで魅せる輝き</span> <span data-other-div="movie"></span> <div class="dugout-video dugout-embed-eyJrZXkiOiJOajFSMDBjYyIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0="></div><script type="text/javascript" src="https://embed.dugout.com/v3.1/ultrasoccer.js"></script> 2021.07.02 21:54 Fri2
フンメルス引退にレーブ元ドイツ代表監督「マッツは2014年W杯の影のヒーロー」、ナーゲルスマン現ドイツ代表監督は現代のCB像を築いたと功績を高く評価
ローマの元ドイツ代表DFマッツ・フンメルス(36)の今季限りでの現役引退発表を受けて各方面からコメントが寄せられている。 まずは2014年ブラジル・ワールドカップで指揮を執ったヨアヒム・レーブ元ドイツ代表監督。この大会でフンメルスは6試合に出場し2ゴールをマーク。ドイツを1990年大会以来となる4度目のW杯優勝に導いていた。レーブ氏は「影のヒーロー」とフンメルスの活躍が大きかったことを明かした。 「私にとってマッツは2014年W杯の影のヒーローだった。他の選手の活躍が注目されたが、決勝(アルゼンチン戦)での彼の活躍がなければ我々が世界チャンピオンになれたかわからない。彼は長い間、自分の今後を考えていた。今、引退を決断したことに驚きはなかったよ」 また、現ドイツ代表指揮官で就任後にはフンメルスを招集していたユリアン・ナーゲルスマン監督は現代のセンターバック像を築いたと、その功績を高く評価した。 「マッツ・フンメルスは全盛期にワールドスタンダードを示し、同じ世代のDF全員にとっての模範となった。センターバックというポジションを現代的に解釈した素晴らしい選手だった。2014年W杯優勝後も多くの選手が彼の経験と戦術的理解から恩恵を受け、チームの中心だった。ドイツ代表はマッツから多大な恩恵を受けている」 そして2度のブンデスリーガ優勝、2度のチャンピオンズリーグ準優勝に貢献したフンメルスに対してドルトムントは「クラブ史上、最も偉大な選手の一人が引退します。マッツ、あなたのキャリアは唯一無二でした! 我々はあなたの功績、成功、キャリアに敬意を示します。永遠にドルトムントの選手! 永遠に黒と黄色のレジェンドです!」と声明を発表した。 2025.04.05 11:00 Satヨアヒム・レーブの移籍履歴
| 移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
| 1995年7月1日 |
FC Frauenfeld |
引退 |
- |
| 1994年7月1日 |
FCヴィンタートゥール |
FC Frauenfeld |
完全移籍 |
| 1992年7月1日 |
FCシャフハウゼン |
FCヴィンタートゥール |
完全移籍 |
| 1989年7月1日 |
フライブルク |
FCシャフハウゼン |
完全移籍 |
| 1985年7月1日 |
カールスルーエ |
フライブルク |
完全移籍 |
| 1984年7月1日 |
フライブルク |
カールスルーエ |
完全移籍 |
| 1982年7月1日 |
フランクフルト |
フライブルク |
完全移籍 |
| 1981年7月1日 |
シュツットガルト |
フランクフルト |
完全移籍 |
| 1980年7月1日 |
フライブルク |
シュツットガルト |
完全移籍 |
| 1978年7月1日 |
|
フライブルク |
完全移籍 |
ヨアヒム・レーブの監督履歴
| 就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
| 2006年7月12日 | 2021年7月31日 |
ドイツ |
監督 |
| 2004年8月1日 | 2006年7月11日 |
ドイツ |
コーチ |
| 2003年7月1日 | 2004年3月24日 |
オーストリア・ウィーン |
監督 |
| 2001年10月10日 | 2002年6月30日 |
FC Tirol |
監督 |
| 2000年12月20日 | 2001年3月1日 |
アダナスポル |
監督 |
| 1999年10月25日 | 2000年4月19日 |
カールスルーエ |
監督 |
| 1998年7月1日 | 1999年6月30日 |
フェネルバフチェ |
監督 |
| 1996年9月21日 | 1998年6月30日 |
シュツットガルト |
監督 |
| 1996年8月14日 | 1996年9月20日 |
シュツットガルト |
監督 |
| 1995年7月1日 | 1996年8月13日 |
シュツットガルト |
コーチ |
| 1994年7月1日 | 1995年6月30日 |
FC Frauenfeld |
監督 |
| 1992年7月1日 | 1994年6月30日 |
Winterthur Yth. |
監督 |

ドイツ
FC Frauenfeld
FCヴィンタートゥール
FCシャフハウゼン
フライブルク
カールスルーエ
フランクフルト
シュツットガルト
オーストリア・ウィーン
FC Tirol
アダナスポル
フェネルバフチェ
Winterthur Yth.