パルマ

Parma Calcio 1913
国名 イタリア
創立 1913年
ホームタウン パルマ
スタジアム エンニオ・タルディーニ
愛称 ジャッロブルー(黄と青)、クロチャーティ(十字軍兵士)

今季の成績

セリエA 勝点 勝数 引分数 負数 得点 失点 得失差 試合数
15 エラス・ヴェローナ 33 9 6 21 31 64 -33 36
16 パルマ 32 6 14 16 41 56 -15 36
17 レッチェ 30 7 9 20 25 57 -32 36
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パルマのニュース一覧

【セリエA】パルマ 2-1 トリノ(日本時間9月30日/エンニオ・タルディーニ・スタジオ) Benissimo!!安定したフィードとセービング#鈴木彩艶 パルマの今季リーグ戦初勝利に貢献セリエA第5節パルマ×トリノ#DAZN 見逃し配信中#セリエA #だったらDAZN pic.twitter.com/96JtMD 2025.09.30 12:45 Tue
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パルマは10日、セリエA第36節でエンポリとのアウェイ戦に臨み、1-2で競り負けた。パルマのGK鈴木彩艶はフル出場している。 前節コモに敗れた16位パルマ(勝ち点32)は勝利すれば残留をほぼ決定付けられる中、彩艶が引き続きスタメンとなった。 19位エンポリ(勝ち点25)との残留争い。序盤の主導権争いを経て1 2025.05.11 05:50 Sun
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パルマは3日、セリエA第35節でコモをホームに迎え、0-1で敗れた。パルマのGK鈴木彩艶はフル出場している。 前節ラツィオ戦を2点差を追いつかれてのドローに終わった16位パルマ(勝ち点32)は彩艶が引き続き先発となった。 4連勝中の好調11位コモ(勝ち点42)に対し、ポゼッションを譲る入りとしたパルマはハー 2025.05.04 04:23 Sun
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鈴木彩艶の所属するパルマは28日、セリエA第34節でラツィオと対戦し2-2の引き分けに終わった。鈴木彩艶はフル出場している。 前節のユベントス戦で7試合ぶりの白星を飾った15位パルマ(勝ち点31)が、リーグ戦4試合無敗の8位ラツィオ(勝ち点59)をホームに迎えた一戦。 今季初の連勝を目指すパルマは開始早々に 2025.04.29 07:00 Tue
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パルマの日本代表GK鈴木彩艶がまずまずの評価を受けている。 23日、パルマはセリエA第33節でユベントスと対戦。鈴木は先発フル出場を果たした。 ローマ教皇フランシスの逝去により、2日間延期された試合。鈴木はこの試合でもゴールマウスを守り、ユベントスにゴールを許さず。チームは前半アディショナルタイムのマテオ・ 2025.04.24 15:05 Thu
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中田英寿氏が波乱万丈のサッカーキャリア回想…『The Atletic』のロングインタビューに答える

元日本代表MFの中田英寿氏が、『The Atletic』のロングインタビューで自身のサッカーキャリアを振り返った。 中田氏はベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)でプロキャリアをスタートし、以降は2006年の現役引退までペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、フィオレンティーナのイタリア5クラブ、イングランドのボルトンでプレー。 また、日本代表としては1998年フランス大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会と3度のワールドカップに出場し、通算77キャップを刻んだ。 そのアジアを代表するレジェンドは『The Atletic』で29歳での現役引退を始め、キャリアにおけるトピックについて語った。 2006年ドイツW杯のグループステージ最終節のブラジル代表戦での1-4の敗戦後、スパイクを脱ぐ決断を下したMFは、その突然の引退から19年を経たなかで改めて決断の理由に言及。 「プロのサッカー選手になる夢は一度もなかったが、どういうわけかそれが実現し、ワールドカップでプレーし、イタリアとイングランドに行った。情熱のためにいつもプレーしていた。私はサッカーのファンではなく、サッカーをプレーするのが好きだった。それが私が引退した理由だ。情熱を失っていたし、情熱がなければ、自分に嘘をついているようなものだった」 「私が好きなのはプレーすることであり、コーチやコメントをすることではない。それが引退後に『別の情熱を見つけなければならない』と言った理由だった」 インタビュー冒頭で、サッカーキャリアの終わりについて語った元日本代表はここからキャリアの最初期に立ち戻り、「当時は、プロサッカー選手になることを夢見る人は誰もいなかった。日本で一番人気のスポーツは野球だった。だけど、結局、私は漫画『キャプテン翼』が大好きだったから、サッカーをやろうと決めた」と、サッカーを始めた理由を明かした。 続けて日本代表が初めてW杯に出場した1998年フランスW杯での奇抜な髪色については「(W杯前でさえ)毎日髪の色を変えていたが、海外でプレーしたかったので世界に知られることが重要だった。だから注目されたいと思っていた」と、振り返る。 その目論見通り、W杯直後にはセリエAのペルージャへ完全移籍。イタリアでのキャリアをスタート。その新天地では加入1年目から鮮烈な輝きを放ったが、プレーすること以外でサッカーに関心がなかったことが良い意味でプラスに働いたという。 「私はサッカーの大ファンではなかったし、サッカーを見たり新聞で読んだりもしなかった。そういう人間ではないんだ。ただサッカーをするのが好きで、毎日もっといい選手になりたいと思っていた」 「イタリアに来たときは、セリエAが世界最高のリーグで、ジネディーヌ・ジダンやアレッサンドロ・デル・ピエロのような選手がいたが、私は選手をあまり知らなかった。リーグのチームの半分も知らなかった」 「でも、そのおかげで自分のプレーに集中できたし、それが私の強みだった。とにかく恐れがなかった」 そのペルージャでの活躍によって2000年にはローマへステップアップ。当時、頭角を現わしていたフランチェスコ・トッティとのポジション争いで苦戦を強いられた一方、2005年1月のユベントス戦ではクラブ史に刻まれた圧巻のロングシュートを突き刺し、ジャッロロッシのスクデット獲得に大きく貢献した。 中田氏はそのローマ時代について「ローマに戻るたびに、ファンのみんなが私のところに来て『ありがとう、ナカタ』と言ってくれる」と、自身の重要な働きに満足感を示した。 その後、1年でイタリアの首都を離れてパルマに活躍の場を移すと、コッパ・イタリア優勝に貢献。2年連続のタイトル獲得を経験。そして、日韓W杯では大会の目玉選手の一人として日本代表史上初の決勝トーナメント進出に貢献した。 「もっといい結果を出せたはず」トルコ代表に敗れてのベスト16に不満を示しながらも、「雰囲気は素晴らしかった」と、自国開催のW杯をポジティブに振り返った。 「日本では誰もが、私たちがグループリーグを突破して決勝トーナメントに進出するだろうと期待していたが、それはとても大変だった」 「私たちはとても若いチームで、ほとんどのメンバーがワールドカップでプレーしたことがなかった。当時、海外でプレーしていたのは数人だけで、プレッシャーは大きかった。しかし同時に、国全体が私たちを応援してくれたので、雰囲気は素晴らしかった」 その後、チェーザレ・プランデッリ監督との衝突を機に、ボローニャ、フィオレンティーナとイタリア国内での移籍を繰り返した後、2005年に7年間過ごしたイタリアを離れ、プレミアリーグのボルトンへレンタル移籍。 自身最後のクラブとなったマンチェスターのクラブではキック&ラッシュでお馴染みのサム・アラダイス監督が率いたチームということもあり、イタリアと大きく異なる環境面を含めて難しい日々を過ごした。 「イタリアから来たので、サッカーはまったく違っていた。多くのチームがロングボールをプレーしていた。それは少しショックだった。そしてイタリアからマンチェスターに来て、食べ物の面でも違ったし、雨も多かった。そういった意味で少し大変だった」 その後、前述のドイツW杯での現役引退で中田氏の波乱万丈のサッカーキャリアは締めくくられた。 そして、自身のサッカーキャリアを通じて「どのように記憶されたいか?」との問いに対して、中田氏は「私は美しいプレー、優雅さが好きだ。ジネディーヌ・ジダンのようなプレーが美しい。スピードやパワーではなく、美しいパス、美しいプレー。ゴールである必要はない。私は優雅さが好きで、サッカーだけでなく人生でもそうだ。優雅で美しいものが好きだ。つまり美しい服、美しい建築物、デザイン、景色…」と返答している。 現役引退後は3年間に渡っておよそ100カ国以上を巡る放浪の旅に出て、以降は魅了された日本酒造りや日本茶のブランド立ち上げなど、日本の文化や食文化の発信者として活躍する48歳。 今回のロングインタビューの最後には改めて自身の生き方について語り、これからも自身の情熱の赴くがままに様々なことにチャレンジしたいと結んだ。 「29歳で引退したとき、たくさんの人から『まだプレーできるよ』とか『サッカー業界で働いてコーチでもしたらどうだ』と言われた」 「でも、できるからやることを選んでいるわけではない。やりたいからやっている」 「私は好きなことをやっている。だからファッションが好きならファッションをやるし、他の文化が好きなら他の文化。日本酒が好きなら日本酒をやる」 「他の人は時々その理由が理解できないことがある。それは私が情熱を持ってやっているからだ」 2025.03.19 00:14 Wed
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ローマ所属のウズベキスタン代表エースが再びレンタル移籍へ…セリエA3クラブが参戦、昨季も所属したカリアリが有力か

ローマのウズベキスタン代表FWエルドル・ショムロドフ(29)が再びレンタル移籍か。 W杯初出場へ奮闘するウズベキスタンのエース、主将、大黒柱であるショムロドフ。2020年にジェノアへ移籍し、そこからイタリア・セリエAでのクラブキャリアを続けている。 21年夏にはジェノアからローマへステップアップし、恵まれた体躯のセンターフォワードとあって貴重なオプションとなることも。ただ、先発機会は少なく、数字も残せていない。 昨季のカリアリを含め、ローマから2度のレンタル放出を経験。現在、『カルチョメルカート』によると、“古巣”カリアリ、パルマ、ヴェネツィアがレンタル獲得に乗り出しているといい、ポールポジションにはカリアリだという。 ローマもショムロドフを放出した上で、スタッド・レンヌのU-21フランス代表FWアルノー・カリムエンド(22)を獲得する思惑。ショムロドフを出さないことには話が進まないとされる。 2025.01.14 19:10 Tue
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カンナバーロがパルマ時代の逸話を暴露「アスプリージャが罰金を食べた」

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「引退すべき」の厳しい声も…44歳ブッフォンが大失態!バックパスから目を切って失点直結のミスキック

パルマの元イタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォンのプレーについて、厳しい声が向けられている。 17歳の1995年にパルマでセリエAデビューを果たしたブッフォンは、2001年夏に当時のGK史上最高額となる移籍金でユベントスに移籍。2018-19シーズンのパリ・サンジェルマン(PSG)時代を除けば、実に19年間にわたってプレーした。 2021年夏にユベントスとの契約が満了となり、セリエBのパルマに復帰したブッフォンは、キャプテンを務めながらリーグ戦25試合に出場している。 負傷でおよそ1カ月半にわたってベンチ外が続いていたブッフォンだったが、25日に行われたセリエB第36節のペルージャ戦で8試合ぶりに先発出場。しかし、復帰初戦は厳しいものとなった。 開始早々の5分にいきなりPKを決められ先制を許すと、直後の8分だった。MFヤイデン・オーステルヴォルデがブッフォンにバックパス。相手からのプレッシャーはなく、余裕がある状況だったが、パスの瞬間にボールから目を切ったブッフォンの左足はボールにミートせず、ゴール前へと転がる。これを相手FWマルコ・オリヴィエリに奪われ、そのまま無人のゴールに沈められてしまった。 結局、序盤に2点のリードを許したパルマは、1点を返すものの1-2で敗戦。黒星の要因にもなったブッフォンには、「信じられないミスだ」、「引退すべきだ」、「これはいただけない」といった声が。久々の先発ということで、試合勘の欠如もあったとは思われるが、失点に直結するミスなだけに多くの批判が集まっている。 なお、ブッフォンは2月にパルマとの契約を2024年まで延長。契約通りとなれば、46歳までプレーすることになる。 <span class="paragraph-title">【動画】ブッフォンの痛恨ミス</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="es" dir="ltr">Noooo, ¡Buffon, tú no puedes hacer esto! <a href="https://t.co/nsQEUa5bzK">pic.twitter.com/nsQEUa5bzK</a></p>&mdash; Manu Heredia (@ManuHeredia21) <a href="https://twitter.com/ManuHeredia21/status/1518689109514067968?ref_src=twsrc%5Etfw">April 25, 2022</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2022.04.26 11:55 Tue
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パルマも来週から練習再開へ、エミリア・ロマーニャ州の3クラブが先陣を切る

パルマは2日、来週から練習を再開することを発表した。セリエAでは同日、エミリア・ロマーニャ州に位置するサッスオーロが4日から、ボローニャが5日からそれぞれ練習を再開することを発表していた。 新型コロナウイルスがイタリアで最も蔓延したベルガモ市やミラノ市が位置するロンバルディア州の南部に隣接するエミリア・ロマーニャ州だが、4日からプロスポーツの活動再開が政府によって許可されていた。 現状、セリエAの全クラブがシーズン全うを支持している状況だが、先日にはイタリア政府のスポーツ相がシーズンを再開させるのが難しいと厳しい意見を突き付けており、先行き不透明な中での再出発となる。 2020.05.03 06:30 Sun

パルマの選手一覧

31 GK 鈴木彩艶
2002年08月21日(23歳) 190cm 91kg 35 0
33 GK リチャード・マルコーネ
1993年01月21日(32歳) 184cm 0 0
40 GK エドアルド・コルヴィ
2001年03月23日(24歳) 0 0
60 GK マヌエル・モレッタ
2006年01月15日(19歳) 0 0
3 DF ヨルダン・オソリオ
1994年05月10日(31歳) 3 0
4 DF ボトンド・バログ
2002年06月06日(23歳) 27 0
5 DF ラウタロ・バレンティ
1999年01月14日(26歳) 188cm 17 1
14 DF エマヌエーレ・ヴァレリ
1998年12月07日(26歳) 180cm 33 2
15 DF エンリコ・デル・プラート
1999年11月10日(26歳) 183cm 32 4
18 DF マティアス・フィヨルトフト・ロヴィク
2003年12月06日(21歳) 183cm 6 0
21 DF アレッサンドロ・ヴォリアッコ
1998年09月14日(27歳) 186cm 22 2
39 DF アレッサンドロ・チルカーティ
2003年10月10日(22歳) 190cm 4 0
46 DF ジオヴァンニ・レオーニ
2006年12月21日(18歳) 193cm 16 1
63 DF ニコラス・トラブッキ
2007年08月17日(18歳) 0 0
8 MF ナウエル・エステベス
1995年11月14日(30歳) 181cm 13 0
10 MF アドリアン・ベルナベ
2001年05月26日(24歳) 170cm 19 1
16 MF マンデラ・ケイタ
2002年05月10日(23歳) 180cm 28 0
19 MF シモン・ゾーム
2001年04月11日(24歳) 188cm 35 4
20 MF アントワン・エノー
2002年02月18日(23歳) 23 1
23 MF ドリサ・カマラ
2002年02月18日(23歳) 21 0
27 MF エルナニ
1994年03月27日(31歳) 188cm 22 3
28 MF ヴァレンティン・ミハイラ
2000年02月02日(25歳) 180cm 21 0
65 MF エリア・プリッコ
2007年02月01日(18歳) 0 0
98 MF デニス・マン
1998年08月26日(27歳) 183cm 33 4
7 FW アドリアン・ベネディザック
2000年11月24日(25歳) 190cm 9 0
9 FW ガブリエル・シャルパンティエ
1999年05月17日(26歳) 188cm 10 1
11 FW ポントゥス・アルムクヴィスト
1999年07月10日(26歳) 183cm 29 1
13 FW アンジュ=ヨアン・ボニー
2003年10月25日(22歳) 188cm 35 6
17 FW ヤコブ・オンドレイカ
2002年09月02日(23歳) 180cm 9 3
22 FW マッテオ・カンチェッリエーリ
2002年02月12日(23歳) 180cm 26 3
30 FW ミラン・ジュリッチ
1990年05月22日(35歳) 199cm 26 5
32 FW マテオ・ペッレグリーノ
2001年10月22日(24歳) 192cm 11 3
61 FW アナス・ハジ・モハメド
2005年03月26日(20歳) 174cm 14 1
62 FW マテウシュ・コワルスキ
2005年07月21日(20歳) 197cm 1 0
監督 クリスティアン・キヴ
1980年10月26日(45歳)

パルマの試合日程

セリエA
第1節 2024年8月17日 1 - 1 vs フィオレンティーナ
第2節 2024年8月24日 2 - 1 vs ミラン
第3節 2024年8月31日 2 - 1 vs ナポリ
第4節 2024年9月16日 2 - 3 vs ウディネーゼ
第5節 2024年9月21日 2 - 2 vs レッチェ
第6節 2024年9月30日 2 - 3 vs カリアリ
第7節 2024年10月6日 0 - 0 vs ボローニャ
第8節 2024年10月19日 1 - 1 vs コモ
第9節 2024年10月27日 1 - 1 vs エンポリ
第10節 2024年10月30日 2 - 2 vs ユベントス
第11節 2024年11月4日 0 - 1 vs ジェノア
第12節 2024年11月9日 1 - 2 vs ヴェネツィア
第13節 2024年11月23日 1 - 3 vs アタランタ
第14節 2024年12月1日 3 - 1 vs ラツィオ
第15節 2024年12月6日 3 - 1 vs インテル
第16節 2024年12月15日 2 - 3 vs エラス・ヴェローナ
第17節 2024年12月22日 5 - 0 vs ローマ
第18節 2024年12月28日 2 - 1 vs モンツァ
第19節 2025年1月5日 0 - 0 vs トリノ
第20節 2025年1月12日 1 - 0 vs ジェノア
第21節 2025年1月19日 1 - 1 vs ヴェネツィア
第22節 2025年1月26日 3 - 2 vs ミラン
第23節 2025年1月31日 1 - 3 vs レッチェ
第24節 2025年2月9日 2 - 1 vs カリアリ
第25節 2025年2月16日 0 - 1 vs ローマ
第26節 2025年2月22日 2 - 0 vs ボローニャ
第27節 2025年3月1日 1 - 0 vs ウディネーゼ
第28節 2025年3月8日 2 - 2 vs トリノ
第29節 2025年3月15日 1 - 1 vs モンツァ
第30節 2025年3月31日 0 - 0 vs エラス・ヴェローナ
第31節 2025年4月5日 2 - 2 vs インテル
第32節 2025年4月13日 0 - 0 vs フィオレンティーナ
第33節 2025年4月23日 1 - 0 vs ユベントス
第34節 2025年4月28日 2 - 2 vs ラツィオ
第35節 2025年5月3日 0 - 1 vs コモ
第36節 2025年5月10日 2 - 1 vs エンポリ
第37節 2025年5月18日 vs ナポリ
第38節 2025年5月25日 vs アタランタ