パルチザン
Fudbalski Klub Partizan| 国名 |
セルビア
|
| 創立 | 1945年 |
| ホームタウン | ベオグラード |
| スタジアム | スタディオン・FKパルチザン |
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今回も荒れまくったベオグラードダービー…パルチザンが宿敵レッドスターに0-4惨敗でサポ大暴れ、指揮官はガラス破片で顔面負傷
ベオグラードダービーが今回も荒れに荒れた。スペイン『Relevo』が伝える。 ヨーロッパの火薬庫、バルカン半島。セルビアの首都を二分、「ベオグラードダービー」。 かつて欧州の頂点にも立った絶対王者ツルヴェナ・ズヴェズダ(レッドスター・ベオグラード)、パルチザン・ベオグラードが互いを削る、“世界一危険”とも言われるダービーだ。 この対戦で過去に起きた“事件”など、もう数えきれず、とにかく両軍サポーターが殺気に満ちた雰囲気・表情に。 23日、セルビア1部第9節で今季最初のベオグラードダービーが行われ、ホームのパルチザンが宿敵レッドスターに0-4と大惨敗。 試合は20分すぎ、主審がレッドスターの先制点となるPKを与え、この判定に激怒したパルチザンファン1名がピッチへ乱入。男はその場で治安当局に取り押さえられ、逮捕となった。 その他パルチザンファンは敗色濃厚となった試合終盤ごろから暴れ出し、自軍選手らに対して何らかを“発砲”する様子もあったとのこと。 何よりモノの投げつけが酷く、ロッカーへ急いで引き上げるパルチザンの選手らを警察官が警護していたなか、付近のガラスが割れてアレクサンデル・スタノイェビッチ監督が負傷。指揮官は顔中に絆創膏を貼っての会見となった。 「これ(絆創膏)か?ファンがガラスを割ったからだ。つらい敗戦となってファンへ謝罪の気持ちもあるが、不愉快だ。次戦で何が起こるか見てみよう。結果次第で、喜んで辞任してやる」 今回も荒れに荒れたベオグラードダービー。 昨年12月に対レッドスター3年ぶりの勝利を掴んだパルチザンだが、今回で対レッドスター3連敗に。4点差での敗戦は、少なくとも21世紀に入ってからは初という大惨敗だ。 <span class="paragraph-title">【写真】ロシア軍戦車が配置されたレッドスター本拠地</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">Outside Red Star stadium in Belgrade, there is a T-54 with Z markings. Red Star plays the last playoff match to Champions League on Wednesday.<a href="https://twitter.com/UEFA?ref_src=twsrc%5Etfw">@UEFA</a>, is this acceptable? <a href="https://t.co/etiGA3OMHj">pic.twitter.com/etiGA3OMHj</a></p>— Viking Fella (@VikingCoffie) <a href="https://twitter.com/VikingCoffie/status/1828506270170480665?ref_src=twsrc%5Etfw">August 27, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.09.24 16:10 Tue2
浅野拓磨がセルビアの名門パルチザン移籍! 3年契約締結
パルチザン・ベオグラード(セルビア)が1日、日本代表FW浅野拓磨(24)の加入を発表した。 浅野は2016年夏にサンフレッチェ広島からアーセナルに加入後、シュツットガルトやハノーファーにそれぞれレンタル移籍。ハノーファーとのレンタル契約が満了したことで、さらなる移籍が有力的な今夏、セルビアの名門パルチザン・ベオグラードが興味を示しているとの報道が浮上している状況だった。 パルチザンの発表によると、浅野は現地入り。パルチザンは移籍金100万ユーロ(約1億1000万円)を支払っての獲得となり、浅野は3年契約を結ぶ見通しだという。 パルチザンはセルビア国内リーグ8度の優勝歴を誇る名門。今シーズンのヨーロッパリーグ(EL)本戦出場を目指して、予選を戦っている。 2019.08.02 12:35 Fri3
大宮加入のGKクリャイッチ、日本行きの理由は「施設、スタジアム、条件、もちろん○○」
パルチザン・ベオグラードから大宮アルディージャに加入した元セルビア代表GKフィリップ・クリャイッチが、古巣のパルチザンでラストインタビューに答えた。クラブ公式サイトが伝えた。 クリャイッチは、セルビアの複数クラブを渡り歩き、2014年夏にパルチザンへフリートランスファーで加入。そのままレンタル移籍でテレオプティクへ移籍。2016-17シーズンはパルチザンのセルビア・スーペル・リーガ優勝に正守護神として貢献。2018-19シーズンは第2GKとなると、今シーズンは第3GKとなり、リーグ戦2試合に出場している。 パルチザンで最後のインタビューに応えたクリャイッチは、大宮への移籍や日本でのプレーを決めた理由などを赤裸々に告白。J1昇格を目指すチームの力になることを誓った。 ──新年のスタートが激動となった。休暇の前は移籍の予兆はあった? 「突然だったので驚いたよ。僕は休暇中で、妻と一緒にいた。このような状況と移籍を期待していなかったんだ。今年は順調に始まったね」 ──GKにとっては新しいクラブを見つけるのは大変だと思うけど日本やギリシャからオファーがあった 「確かにそうだね。GKがクラブを見つけることは難しい。この移籍の期間に僕に興味を持ってくれたことは幸運だった。家族と相談した後、自分に最もあったオファーを選んだんだ」 ──日本行きを決めた理由は? 「素晴らしいトレーニング施設と、スタジアム、仕事の条件、もちろん金銭面もだよ」 ──メディカルチェックを受けて契約書にサインした。最初の印象は? 「メディカルチェックは細部に至るまで、細心の注意を払って行われたよ。今まで見たことがなかったね。体や関節の可能な限りあらゆる骨をチェックし、過去のケガがないことを確認していたよ」 「僕の心臓の状態や、他のスポーツテストも合格し、2年契約を結んだんだ。本当に嬉しいよ」 ──GKコーチには会ったか? 「会ったよ。僕が来たことを喜んでいるようだった。でも、僕たちはトレーニングを通して正しい状態を作るだけだよ。(ネルミン・)ハスキッチ(今季から大宮に加入)と僕は、ここまでの唯一の補強(外国人)だと思うけど、移籍の期間は始まったばかりだよ」 ──大宮でのビジョンは? 「チームは昨年、J1に昇格するためのポジションを逃している。それが今の優先事項だし、一緒に達成できることを願っている」 ──浅野拓磨が日本行きを喜んでいた。彼に電話して日本語で挨拶してくれない? 「台無しにしないぐらいには学んだよ(笑)」 ──妻のマリーナは一緒に日本に行きますか? 「妻は落ち着いたらすぐに来てくれる。その準備を進めている。彼女を待ちきれないね」 2020.01.10 13:13 Fri4
今季21ゴールの日本代表FW浅野拓磨にトルコ、サウジ、中国からオファー、移籍金は5億円超
パルチザン・ベオグラードの日本代表FW浅野拓磨(26)が、引く手数多のようだ。セルビア『Telegraf』が報じた。 2016年7月にサンフレッチェ広島からアーセナルへと移籍し海外挑戦。しかし、シュツットガルトやハノーファーへのレンタル移籍を経験。アーセナルでは出場機会がないまま、2019年8月にパルチザンへと完全移籍した。 加入1年目は37試合に出場し9ゴール5アシストを記録。今シーズンはセルビア・スーパーリーグで32試合に出場し18ゴール8アシストを記録。公式戦では39試合で21ゴール10アシストを記録していた。 パルチザンへの移籍で大きな飛躍を遂げている浅野。この活躍は大きく評価され、海外クラブからのオファーが届いているとのこと。『Telegraf』によると、サウジアラビアと中国のアジアの2クラブと、トルコの1クラブからオファーがあるようだ。 浅野とパルチザンは2022年6月30日までの契約となっており、今夏が売り時ではある状況。パルチザンは、400万ユーロ(約5億2300万円)とボーナスを要求することになるという。 もちろん、このオファーは浅野本人と代理人との合意も必要となるが、キャリアで最高のシーズンを過ごした浅野にとっては悩ましいところだ。 現時点でのオファーは前述の通りサウジアラビアと中国、そしてトルコとなっており、浅野は西ヨーロッパでのプレーを望み、5大リーグでのプレーを望んでいるとのことだ。 また、『Telegraf』によれば、パルチザンが売却を望んでいれば、サウジアラビアのクラブがクラブに直接コンタクトを取ってきたため、すぐに売却できたと指摘。パルチザンも浅野も移籍を急いでることはないだけに、可能性という段階のままのようだ。 なお、浅野は60万ユーロ(約7800万円)の年俸をもらうことになるといい、契約を延長する場合はパルチザンの財政面に影響を与えるとも指摘。売り時ではあるが、状況を見ての判断となるようだ。 2021.04.27 12:22 Tue5
パルチザンと横山ジャパン/六川亨の日本サッカーの歩み
日本代表の俊足FW浅野拓磨が5月2日、自身のブログでパルチザン・ベオグラード(セルビアリーグ1部)との契約を解除したことを発表した。その理由として、たび重なる給料の未払いと、それに対する不誠実な対応を挙げた。 浅野は16年に広島からアーセナルへ完全移籍し、16-18年はシュツットガルト、18-19年はハノーファーに期限付き移籍。そして19年8月にパルチザンに完全移籍した。 今シーズンはここまで33試合に出場して18ゴールと、ヨーロッパ1部リーグで日本人最多となる得点を決めていて、記録更新が期待されていただけに残念でもある。それでも今シーズンの活躍で注目度が上がったのは確かだろう。このため契約解除がスムーズに進めば5大リーグへの移籍も可能かもしれない。 そのパルチザンだが、旧ユーゴではレッドスター・ベオグラードと並ぶ名門チームである。国内のタイトルではユーゴスラビアリーグ優勝11回、ユーゴスラビア/セルビア・モンテネグロリーグ優勝8回、セルビアリーグ優勝8回を誇っている(リーグ名の変遷からも複雑な国家であることが分かる)。 そんなパルチザンが91年7月に来日して、大宮サッカー場(現NACK5スタジアム大宮)では1-1、三ツ沢球技場(現ニッパツ三ツ沢)では1-0で日本を下している。 当時のパンフレットによると、オーディオ・ビジュアル機器メーカーのアイワ(aiwa)がパルチザンの胸スポンサーだったことから「日本 ユーゴスラビア親善サッカー」として開催されたことが紹介されている。 前年に開催されたイタリアW杯で、ユーゴは準々決勝でマラドーナ率いるアルゼンチンにPK戦で負けたものの、“ピクシー(妖精)”ストイコビッチが注目を集めただけに、タイミングとしてはマッチしていたのかもしれない(残念ながらストイコビッチはレッドスター所属)。 イタリアW杯でユーゴを率い、パルチザンでも監督として来日したのがイビチャ・オシム氏だったことを知ったのは、彼が日本代表の監督に就任してからだった。それよりも驚いたのは、ユーゴ大使館で開催されたパーティーだった。 ホールでの駐日ユーゴスラビア大使の挨拶が終わると、選手は急いで別室に用意されていたバイキング形式の食堂に駆け込み、タバコを吸いながらビールやワインを飲んでいる。紫煙で食堂がかすむほど、選手は一斉にタバコを吸っていた。 「プロなのに(厳密に言うと社会主義連邦共和国である旧ユーゴにプロは存在しないが、似たようなものだと思っていた)昼間からアルコールを飲んでタバコを吸っていいのか」と訝しんだものだ。 当時の記録によると、大宮での観衆は9500人、三ツ沢が1万人となっているが、正式にカウントしたのではなく、目分量で「だいたい、こんなところだろう」と記録係が決めた可能性が高い。それだけ注目度も低かったということだ。 当時の日本代表は横山ジャパンの時代で、日本国籍を取得したラモス瑠偉とブラジルから帰国した三浦知良が加わり、さらに大学生だった森山泰行(順天堂大)、礒貝洋光(東海大)らを抜擢するなど若返りを図っていた。 しかしこの2試合後、7月27日に長崎県諫早市で開催された日韓定期戦で0-1と敗退。その後のバルセロナ五輪アジア最終予選でもU-23日本代表は6チーム中5位に終わり、横山監督は更迭された。 93年に始まるJリーグを控え、続々と選手がプロ契約を結んでいくなかで、監督だけがアマチュアのボランティアでは限界があると、当時の川淵三郎技術委員長は考えていたのも当然である。 そして翌年の3月にハンス・オフト監督と契約するまで、9カ月近くも日本代表の活動は一切ないという異常事態(92年5月のキリンカップがオフト監督の初陣)だったが、当時はそれを誰もおかしいとは思わなかったこと自体、異常だったと言える。 2021.05.03 21:30 Monパルチザンの選手一覧
| 25 | GK |
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ミラン・ルカッチ | |||||||
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1985年10月04日(40歳) | 197cm |
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0 |
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0 | ||||
| 41 | GK |
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アレクサンダル・ポポビッチ | |||||||
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1999年09月29日(26歳) | 190cm |
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0 |
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0 | ||||
| 85 | GK |
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ネマニャ・ステファノビッチ | |||||||
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1992年05月08日(33歳) | 182cm |
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0 |
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0 | ||||
| 4 | DF |
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シニシャ・サニチャニン | |||||||
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1995年04月24日(30歳) | 190cm |
|
0 |
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0 | ||||
| 5 | DF |
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イゴール・ブヤチッチ | |||||||
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1994年08月08日(31歳) |
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0 |
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0 | |||||
| 6 | DF |
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スヴェトザル・マルコビッチ | |||||||
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2000年03月23日(25歳) | 184cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 12 | DF |
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ズラタン・シェホビッチ | |||||||
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2000年08月08日(25歳) | 180cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 17 | DF |
|
マルコ・ジブコビッチ | |||||||
|
1994年05月17日(31歳) | 173cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 26 | DF |
|
アレクサンダル・フィリポビッチ | |||||||
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1994年12月20日(31歳) | 186cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 72 | DF |
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スロボダン・ウロシェビッチ | |||||||
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1994年04月15日(31歳) | 183cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| DF |
|
マルコ・シムノビッチ | ||||||||
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2000年04月10日(25歳) | 177cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 7 | MF |
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パトリック・アンドラーデ | |||||||
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1993年02月09日(32歳) | 176cm |
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0 |
|
0 | ||||
| 8 | MF |
|
ハミドゥ・トラオレ | |||||||
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1996年10月07日(29歳) | 175cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 10 | MF |
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ビブラス・ナトホ | |||||||
|
1988年02月18日(37歳) | 175cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 10 | MF |
|
ラザル・パブロビッチ | |||||||
|
2001年11月02日(24歳) | 171cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 13 | MF |
|
アンドレス・コロラド | |||||||
|
1998年12月01日(27歳) | 190cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 15 | MF |
|
リュボミール・フェイサ | |||||||
|
1988年08月14日(37歳) | 185cm | 78kg |
|
0 |
|
0 | |||
| 40 | MF |
|
クリスティアン・ベリッチ | |||||||
|
2001年03月25日(24歳) | 177cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 45 | MF |
|
マテヤ・スティエパノビッチ | |||||||
|
2004年02月20日(21歳) | 185cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 90 | MF |
|
ミハイロ・ペトコビッチ | |||||||
|
2004年03月27日(21歳) |
|
0 |
|
0 | |||||
| 9 | FW |
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クインシー・メニグ | |||||||
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1995年08月19日(30歳) | 174cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 11 | FW |
|
リカルド・ゴメス | |||||||
|
1991年12月18日(34歳) | 180cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 14 | FW |
|
サメド・バズダル | |||||||
|
2004年01月31日(21歳) | 186cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 18 | FW |
|
フセニ・ディアバテ | |||||||
|
1995年10月18日(30歳) | 175cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 20 | FW |
|
アンドリヤ・パブロビッチ | |||||||
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1993年11月16日(32歳) | 188cm | 82kg |
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0 |
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0 | |||
| 29 | FW |
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ネマニャ・イリッチ | |||||||
|
2005年04月20日(20歳) |
|
0 |
|
0 | |||||
| 38 | FW |
|
ヤンコ・イェブレモビッチ | |||||||
|
2004年07月14日(21歳) | 181cm |
|
0 |
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0 | ||||
| 50 | FW |
|
マルコ・ブルノビッチ | |||||||
|
2003年06月27日(22歳) |
|
0 |
|
0 | |||||
| 55 | FW |
|
ダニーロ・パンティッチ | |||||||
|
(歳) |
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0 |
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0 | |||||
| 77 | FW |
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ネマニャ・ヨビッチ | |||||||
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2002年08月08日(23歳) |
|
0 |
|
0 | |||||
| 87 | FW |
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ニコラ・ラクチェビッチ | |||||||
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1999年10月28日(26歳) | 173cm |
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0 |
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0 | ||||
| 監督 |
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ゴルダン・ペトリッチ | ||||||||
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1969年07月30日(56歳) |
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0 |
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0 | |||||

セルビア