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イ・ヨンジュンの2戦連発弾で韓国が中国を退け2連勝【AFC U-23アジアカップ】
AFC U23アジアカップのグループB第2節、U-23中国代表vsU-23韓国代表が19日に行われ、0-2で韓国が勝利した。 初戦のU-23日本代表戦を0-1で落とした中国と、U-23UAE代表に1-0で勝利した韓国の一戦。 時間の経過とともに韓国がボールを保持する展開となった中、最初に決定機を迎えたのは中国。 15分、敵陣でのボールカットからアブドゥウェリがボックス左へ。しかしシュートはコースが甘くなってGKにセーブされてしまう。 さらに21分、左クロスを受けたアブドゥウェリが反転からシュートも枠外へ。良い流れの中国は2分後、シェ・ウェンネンがボックス右からカットインシュートを放つと枠を捉えたが、GKキム・ジョンフンの好守に阻まれた。 すると34分、ワンチャンスで韓国が先制する。スローインの流れからカン・サンユンのパスを受けたイ・ヨンジュンがボックス右からシュートを決めきった。 決定力の差で韓国が1点をリードして迎えた後半、開始6分に追加点の好機。ボックス右でパスを受けたカン・ソンジンが右ポスト直撃のシュートを放った。 その後、69分のバックパスミスから招いたピンチを凌いだ韓国は直後に追加点。左サイドからのイ・テソクのパスを受けたボックス中央のイ・ヨンジュンが切り返しから左足でシュートを蹴り込んだ。 終盤、パワープレーで控えGKをセンターフォワードに投入してきた中国に対し、韓国が9分の追加タイムを凌いでシャットアウト。イ・ヨンジュンの2戦連発で連勝とし、この後UAEと戦う日本が引き分け以上で突破が決まる状況となった。 U-23中国代表 0-2 U-23韓国代表 【U-23韓国代表】 イ・ヨンジュン(前34) イ・ヨンジュン(後24) 2024.04.20 00:05 Sat2
一瞬の隙を突いたシリアがアウェイで中国を下し最終予選初白星!《ロシアW杯アジア最終予選》
▽6日、ロシア・ワールドカップ(W杯)アジア最終予選グループA第3節の中国代表vsシリア代表が行われ、0-1でシリアが勝利を収めた。 ▽ここまで予選2試合を終えて1分け1敗と勝利がない中国と、同じく1分け1敗で勝利がないシリアの一戦。試合は前半から互いに慎重な姿勢を見せる。 ▽互いに出足をうかがう中、ホームの中国が時間の経過とともに攻勢を強めていく。それでも、オフサイドにかかるなど攻撃の精度を欠き、結局ゴールレスで前半を折り返す。 ▽迎えた後半も中国ペースで試合が進んでいったが、シリアが一瞬の隙を逃さなかった。54分、シリアは自陣からカウンター。ハーフウェイライン付近からのロングボールにアル・マワスが反応すると、ボックス手前で飛び出したGKよりも先にボールに触れる。すると、そのまま抜け出したアル・マワスが無人のゴールに流し込み、シリアが値千金の先制点を奪う。 ▽ここまで勝利がなく、ホームで負けられない中国は猛攻に出る。交代カードもそうそうに使い反撃に出るが、最後までシリアの守備を崩せずに試合終了。シリアがアウェイで中国を0-1で下し、最終予選初勝利を飾った。 中国代表 0-<span style="color:#cc3300;font-weight:700;">1</span> シリア代表 【シリア】 アル・マワス(後9) 2016.10.06 22:40 Thu3
誕生日翌日に突然死…中国サッカー界のレジェンドで元代表主将の張恩華氏が48歳で他界
かつては中国代表のキャプテンも務めたDF張恩華(チャン・エンファ)氏が他界した。48歳だった。 中国『新浪網』によると、4月29日に他界したとのこと。奇しくも前日の4月28日が張恩華の誕生日であり、その翌日に命を落としたとのことだ。 張恩華氏は、かつて中国の強豪として知られた大連実徳で1994年にキャリアをスタート。2000年には当時イングランド2部のグリムズビー・タウンに移籍し、海外でのキャリアを積む。 1年で中国へ戻ると、大連実徳で再びプレー。その後、天津泰達(現在の天津津門虎)でプレーし、さらには香港の中国南部でプレー。2006年に現役を引退した。 中国代表としては67試合に出場し6ゴールを記録。2002年の日韓ワールドカップのメンバーにも選ばれていたが、試合には出場しなかった。 報道によると、張恩華氏は前日の誕生日パーティーで友人と祝った後、自宅に帰り倒れているのを友人が発見したとのこと。様子がおかしかったために緊急搬送されたが、そのまま他界したとのことだ。 法医学者によると、急性心不全で亡くなったとのことだ。 中国ではアルコール摂取によって亡くなったとの噂が広まっているものの、パーティー参加者によるとほとんど飲酒はしていなかったとのこと。名誉を傷つけることになるのでやめてほしいと訴えているようだ。 また、アジアサッカー連盟(AFC)のシェイク・サルマン会長は今回の死についてコメント。「彼はあらゆる意味でアジアサッカーの真の伝説であり、ヨーロッパでの彼の任務は、次世代の中国人選手にインスピレーションを与えた。彼の訃報を知って本当に悲しく、彼の貴重な貢献を常に大切にしていく」と語ったとのことだ。 2021.05.01 11:30 Sat4
オミクロン株の影響で日本代表のウズベキスタン戦が中止、入国認められず…W杯最終予選の中国戦、サウジ戦は開催
日本サッカー協会(JFA)は7日、1月21日(金)に予定されていたキリンチャレンジカップ2022のウズベキスタン代表戦の中止を発表した。 1月、2月のカタール・ワールドカップ(W杯)アジア最終予選に向けた強化試合として実施予定だったウズベキスタン戦。JFAによると、世界的な新型コロナウイルスのオミクロン株の感染拡大の影響により、日本への外国人の新規入国停止が続くなか、本試合に参加するウズベキスタン代表の入国が日本政府より認められなかったため中止の判断となったとされている。 JFAは「試合を楽しみにお待ちいただいていたファン・サポーターの皆さま、特別協賛をいただいているキリングループ各社、ご支援をいただいているスポンサー各社、試合を中継する予定となっていたフジテレビをはじめ、関係各所に多大なるご迷惑をおかけすることになりましたことをお詫び申し上げます」としている。 また、1月27日(木)の中国代表戦、2月1日(火)のサウジアラビア代表選に関しては予定通り開催されるとのことだ。 2022.01.07 22:04 Fri5
興味深い中国サッカーへの黒崎久志の指摘/六川亨の日本サッカー見聞録
6月5日から15日までイングランド・バーミンガムで、11日からはオーストリア・ウィーンで国際親善試合に臨むU-22日本代表のメンバー23名が発表された。すでに当サイトでもメンバーは紹介されているので割愛する。日本は10日にU-22イングランド代表と、14日にU-22オランダ代表と対戦する。 今夏のUー21欧州選手権に出場する強豪チームとの対戦だが、U-22イングランド戦は主催のイングランドサッカー協会(The FA)の意向で試合も練習も完全非公開のため、せっかくの好ゲームなのにテレビ中継がないのは何とも残念だ。せめてもの救いはオランダ戦が、日本時間の14日21時30分よりCSテレ朝チャンネル2にて生中継されること。Jリーグで主力のFW細谷真大(柏)らは参加しないが、選手個人の成長とチームの現在地を知る絶好の機会だろう。 さて今回のコラムは、そのU-22日本代表とはまったく関係ない。じつは日刊ゲンダイで元日本代表の黒崎久志氏が興味深い指摘をしていたので紹介したいと思った。5月24日号の連載12回目のコラムだった。黒崎氏は栃木県の宇都宮学園高を卒業後、JFLの本田技研で大型FWとして活躍。パワフルなインステップキックが武器で、ゴール裏のファンはネットがあるとわかっていてものけ反るほどだった。92年に鹿島へ移籍し、その後は京都、神戸、新潟などでプレー。新潟で監督、大宮や鹿島でコーチを歴任し、21年に中国1部・山東泰山のヘッドコーチに就任。2年で3つのタイトルを獲得に貢献した。 78年アルゼンチン大会から日本企業はW杯のスポンサーになったが(当時は博報堂。その後は電通が仕切った)、2002年を最後に日本企業はW杯のスポンサーから撤退し、その後は中国企業の進出が大会を重ねるごとに目立つばかりだ。しかし、中国企業の躍進と反比例するように、中国サッカーの実力は衰退していると感じられてならない。その点を2年間の中国生活で黒崎氏は次のように指摘する。 「中国のような広大な国では、北部と南部では志向するするサッカーが違います。大柄な選手の多い北部はロングボール中心の戦術ですが、南部では技術を重視するサッカーです。方向性の違う北と南が、ひとつのチームとして機能するのは大変な作業だと思います」 「それ以上に厄介な問題だと思ったのは、代表選手の出身地域によって国民の関心度が、まったく違うということです」 「北部に住んでいる人たちは、同じ北部出身の選手は熱烈に応援するのですが、南部の選手たちには冷淡なところがあるのは否めません」と、「地域ごとに身びいきの過ぎるサッカー熱」を懸念している。 この記事を読んで、今でもそうなのかとひとり納得してしまった。初めて中国へ取材に行ったのはいまから35年前の1987年10月4日、88年ソウル五輪アジア最終予選の日本戦だった。試合は水沼貴史の素早いFKから原博実がヘッドで決勝点を奪い、アウェーで1-0の勝利を収めた。そして勝利もさることながら、強烈な印象を受けたのは中国サポーターの応援スタイルだった。 試合会場は香港の近くにある南部の広州だった。しかし当時の主力選手の大半は北朝鮮と隣接する北部の強豪・遼寧省だった。遼寧の選手は長身で屈強なフィジカルを武器にする。そんな彼らがボールを持つと、広州のサポーターは一斉にブーイングだ。そして小柄ながらテクニックのある広州の選手がドリブルを仕掛けると盛大な拍手が沸き起こる。日本では考えられない光景だった。 80年代当時、スペイン代表はW杯やEUROなど大事な試合はマドリッドとバルセロナでは開催しないと言われていた。両地域の歴史的な対立から、サポーターが自国選手であってもプーイングするからだ。このため大事な試合はセビリアなど地方都市で開催することが多かった。そんなサッカーの先進国ヨーロッパでしか起こりえないような現象が、まさか中国で起こっているとはこの目で見るまで信じられなかった。そして、それはいまも変わっていないのも驚きだった。 たぶん当時、最強のチームを作るなら遼寧省の選手で固めればよかっただろう。しかし多民族国家ゆえにバランスに配慮し、試合会場もあえて広州にしたのではないか。黒崎氏もコラムで「中国代表の選手を決めるのは監督ではなく、サッカー協会が出身者のバランスを取りながら選出しているのではと思う部分もありました」と指摘している。中国国籍を取得した外国人選手を擁しながらも、基本的な体質は変わらないということだろうか。 それでも35年前、東京・国立競技場での第2戦、雨中の中国戦は長身FWにゴールを奪われ0-2で敗れ、20年ぶりの五輪出場は夢と消えた。日本は、2年前のメキシコW杯アジア最終予選で韓国に負けたことと、この中国戦の敗戦を教訓にプロ化への道を歩み始めた。どちらかでも出場していたら、サッカー協会幹部に「アマチュアでも出られたのだから、プロ化する必要はない」と反対され、Jリーグは誕生しなかっただろうと当時の監督の石井義信さん(故人)や仕掛け人の木之本興三さん(故人)は言っていた。「禍福はあざなえる縄のごとし」だった80年代の日本サッカーだった。 2023.06.02 19:00 Fri中国の選手一覧
| 1 | GK |
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ヤン・チュンリン | |||||||
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1991年01月28日(34歳) | 189cm | 77kg |
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| 12 | GK |
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ヤン・ルー | |||||||
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1987年09月06日(38歳) | 192cm |
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0 |
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0 | ||||
| 23 | GK |
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ワン・ダーレイ | |||||||
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1989年01月10日(36歳) |
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0 |
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0 | |||||
| 2 | DF |
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リュウ・イーミン | |||||||
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1995年02月28日(30歳) | 190cm | 81kg |
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0 |
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0 | |||
| 3 | DF |
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ユ・ヤン | |||||||
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1989年08月06日(36歳) | 183cm | 72kg |
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0 |
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0 | |||
| 4 | DF |
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シ・ケ | |||||||
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1993年01月08日(33歳) |
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0 |
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0 | |||||
| 5 | DF |
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チャン・リンペン | |||||||
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1989年05月09日(36歳) | 185cm |
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0 |
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0 | ||||
| 6 | DF |
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フォン・シャオティン | |||||||
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1985年10月22日(40歳) | 186cm |
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0 |
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0 | ||||
| 19 | DF |
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リュウ・ヤン | |||||||
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1995年06月17日(30歳) |
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0 |
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0 | |||||
| 22 | DF |
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ユー・ターパオ | |||||||
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1988年04月18日(37歳) | 185cm |
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0 |
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0 | ||||
| 8 | MF |
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ヤオ・シュリ | |||||||
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1985年12月03日(40歳) | 180cm |
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0 |
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0 | ||||
| 10 | MF |
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ジェン・チー | |||||||
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1980年08月20日(45歳) | 180cm |
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0 |
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0 | ||||
| 13 | MF |
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チ・チョグオ | |||||||
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1994年03月24日(31歳) |
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0 |
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0 | |||||
| 14 | MF |
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ウェイ・シーハオ | |||||||
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1995年04月08日(30歳) | 177cm | 65kg |
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0 |
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0 | |||
| 15 | MF |
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ウー・シー | |||||||
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1989年02月19日(36歳) | 180cm |
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0 |
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0 | ||||
| 16 | MF |
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チン・チンダオ | |||||||
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1992年11月18日(33歳) | 170cm |
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0 |
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0 | ||||
| 7 | FW |
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ウー・レイ | |||||||
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1991年11月19日(34歳) | 172cm | 59kg |
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0 |
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0 | |||
| 9 | FW |
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シャオ・ジー | |||||||
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(歳) |
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0 |
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0 | |||||
| 11 | FW |
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ハオ・チュンミン | |||||||
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1987年03月24日(38歳) | 181cm | 72kg |
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0 |
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0 | |||
| 17 | FW |
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ヤン・チェンドン | |||||||
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1989年02月09日(36歳) |
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0 |
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0 | |||||
| 18 | FW |
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ガオ・リン | |||||||
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1986年02月14日(39歳) | 185cm |
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0 |
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0 | ||||
| 20 | FW |
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ユー・ハンチャオ | |||||||
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1987年02月25日(38歳) | 179cm |
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0 |
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0 | ||||
| 21 | FW |
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パオ・チェン | |||||||
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(歳) |
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0 |
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0 | |||||
| 監督 |
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マルチェロ・リッピ | ||||||||
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1948年04月11日(77歳) |
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