ウエスカ

Sociedad Deportiva Huesca
国名 スペイン
創立 1960年
ホームタウン ウエスカ
スタジアム エスタディオ・エル・アルコラス
ニュース 人気記事 選手一覧

ウエスカのニュース一覧

ラ・リーガ第36節が12日に行われ、岡崎慎司の所属するウエスカはビルバオと対戦し1-0で勝利した。岡崎はベンチ入りも出場機会はなかった。 ラ・リーガ残留へ望みの繋ぎたい18位ウエスカ(勝ち点30)が、9位ビルバオ(勝ち点46)をホームに迎えた一戦。ウエスカの岡崎は5試合連続のベンチスタートとなった。 立ち上 2021.05.13 05:03 Thu
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岡崎慎司の所属するウエスカは8日、ラ・リーガ第35節でカディスと対戦し1-2で敗戦した。岡崎は85分から出場している。 前節のソシエダ戦で4試合ぶりの白星を飾った18位ウエスカ(勝ち点30)が、12位カディス(勝ち点40)のホームに乗り込んだ一戦。ウエスカの岡崎は4試合連続のベンチスタートとなった。 立ち上 2021.05.09 03:33 Sun
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ウエスカは4日、スペイン人MFミケル・リコ(36)との契約延長を発表した。新契約は2022年夏までとなる。 ミケル・リコは、過去2度に渡ってウエスカに所属。その後、グラナダ、アスレティック・ビルバオと渡り歩き、2019年7月に3度目のウエスカ加入を果たしていた。 昨シーズンはセグンダ・ディビシオン(スペイン 2021.05.04 22:15 Tue
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岡崎慎司の所属するウエスカは1日、ラ・リーガ第34節でレアル・ソシエダと対戦し1-0で勝利した。岡崎はベンチ入りも出場機会はなかった。 3連敗中の19位ウエスカ(勝ち点27)が、来季のヨーロッパリーグ出場権の獲得を狙う5位ソシエダ(勝ち点53)をホームに迎えた一戦。岡崎は2試合連続のベンチスタートとなった。 2021.05.02 03:29 Sun
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ラ・リーガ第32節、ウエスカvsヘタフェが25日にエスタディオ・エル・アルコラスで行われ、アウェイのヘタフェが0-2で勝利した。なお、ウエスカのFW岡崎慎司は77分から途中出場。一方、ヘタフェのMF久保建英はベンチ入りも出場機会なしに終わった。   18位のウエスカ(勝ち点27)と、15位のヘタフェ(勝ち点31)に 2021.04.25 22:51 Sun
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引退した岡崎慎司が選んだ印象に残るゴールは? 植えついたイメージを払拭したい悔しさで決めたゴール「ニューカッスル戦のオーバーヘッド」

2023-24シーズン限りでの現役引退を発表していたFW岡崎慎司(38)が、東京都内で引退会見を実施した。 清水エスパルスでプロキャリアをスタートさせた岡崎。ダイビングヘッドや気持ちのこもったプレー、泥臭さもあるゴールゲッターとして飛躍すると、2011年1月にシュツットガルトへと完全移籍しヨーロッパでのキャリアをスタートさせる。 その後、マインツでのプレーを経て、2015年7月にレスター・シティへと完全移籍。クラウディオ・ラニエリ監督の下で奇跡のプレミアリーグ優勝を経験。ハードワークを武器にチームの優勝に貢献していた。 その後、マラガへの移籍が成立するもプレーできないことが決まるとウエスカにそのまま移籍。カルタヘナとスペインでのプレーを経て、2022年8月にシント=トロイデンに完全移籍で加入した。 ヨーロッパで7クラブ目となったシント=トロイデンでは、2シーズンを過ごして41試合で2ゴールを記録。今シーズンはヒザのケガに苦しむこともあり引退を決断。5月17日のOHルーヴェン戦がラストマッチとなり、現役を引退した。 日本代表としても119試合で歴代3位の50ゴールを記録するなど、多くの記憶にも残る岡崎。改めて引退の理由について語り、妻の後押しがあったとした。 「引退を決めた理由は、まずはヒザのケガが一番です。昨シーズンスタートしてからずっとヒザの痛みを抱えながらプレーしていて、プレーできなくなるまで半年ぐらい痛みながらプレーしていたんですけど、その時に色々なことを考えてプレーしていました」 「試合に出たり出なかったり、『岡崎は必要だけど、こういう場面では使えない』という話などをフィンク監督と話して、そうだよなと思いながら、そういうシチュエーションが増えて、練習では若い日本人やベルギー人選手がいて、これから上を目指す彼らと話をして、リスペクトをしてもらっていた中で、自分は凄く悔しい思いをしながら練習や試合をしていました」 「彼らが気を遣うというより、自分がもっと要求できる、あの頃ならもっとこういうプレーができたよなと、毎練習、毎試合思いながら、俺だったらもっとあそこ行けると。でも試合では、そういう動きがだんだんできなくて、その繰り返しを昨シーズンずっと続けていましたが、12月前半にプレーできないぐらいのケガになり、サッカー人生で初めて辞めたいと思いました。そこで、これが引退なのかなと自分が燃え尽きてしまった。今まで諦めたことは一度もなかったんですが、諦めると決断した時に、引退するという気持ちと、このまま終わりたくないという気持ちが芽生えていて、サッカー選手の続きをヨーロッパで作っていきたいと考えた時に、サッカー選手じゃないなと自分の中で決めてしまいました」 「自分は決めてしまうと一直線になってしまう人間だとその時に改めて感じて、引退しました。初めて奥さんに話した時、『絶対に早くみんなに言って』と言われて。自分はシーズン最後までやっていきなり辞めても良いかなと相談したら、『応援してくれた人に伝えるべきだ』と言われて、2月ぐらいに発表しました」 「みなさんが自分のイメージをどう思っているか分からないですが、僕はあまりみんなのため、ファンのためというのではなく、自分がこうしたいという思いでやってきて、サッカー選手としてわがままにやって家族にも迷惑をかけました。それでも、それを貫いて最後までやり切ろうと決めました。挑戦の続きが自分で作れると思ったからこそ辞められたというのもあって、自分の中ではポジティブな形で結論に至った感じです」 ヨーロッパで13年半プレーした岡崎。最後は体が悲鳴を上げてしまうという結果に終わったが、キャリアを振り返り、有言実行にならなかったと語った。 「後悔だらけと言いますか、自分が目標として口にしたことはほとんど達成できていないです。ワールドカップ優勝、北京オリンピック、プレミアリーグ2桁、ビッグクラブでもプレーしていません。セリエAでプレーしたい、4大リーグでプレーしたいということも達成できませんでした」 「40歳まで現役を続けるというのが最後の目標を決めていたんですけど、ワールドカップもワンチャンあると思っていて。でも、今回決断したということで、やってきたことには後悔はないですけど、ほとんど記憶に残っているのは悔しさだけです。でも、ここまで来れることを想像していたかというと、そうではないので、ということはやってきたことは間違いではなかったかなと。次の人生で先を見れたらなと思っています」 それでも、記憶に残り、そしてプレーヤーとしてだけでなく人間性も多くの人に愛された岡崎。現役ラストマッチでは、相手チームも加わり、花道で送り出された。 「想像していなくて、当日もフィンク監督が『最後前半20分で良いだろう』と話していて、僕は『20糞じゃダメだろ』と会話しました。練習もほとんど参加していなくて、最後の1週間だけ参加していました。監督も自分のコンディションを考えてそう言ってくれたんだと思うんですけど、自分はそこをターゲットにしてラスト5カ月やっていたので、監督と話して45分出て。監督は後半に代えることを決めていて、ラスト5分出ました」 「これで終わりかと思っていたんですが、ああいう風に両チームにやってもらえる、胴上げもそうですけど、やってきて良かったなと思えたというのが良い終わり方だったなと。シント=トロイデンの選手たち、ルーヴェンの選手たちにも感謝したいです。あれは1人のシント=トロイデンの2ndGKが言ってくれたみたいなんですが、そういう人がいなければあれもなかったと。リスペクトされて終わったのかなと思います」 その岡崎だが、周りのことを考えてプレーしてはこなかったと明かした。 「愛されているかどうかも分からないですが、自分自身は結構一直線に自分がやりたいことをやっていて、正直に自分が酷い人間だなと思うこともありますし、失敗ばかりしたり、近い人であればあるほど迷惑をかけているんだろうなと」 「ただ、自分がやることに対して責任を持つということは、間違いなくやっていますし、関わってくれた人に対して損はさせたくない、応援してくれた人に対しては自分の最後を見せたい、姿を見せたいという責任や覚悟は誰よりも持っているかと思います」 岡崎のキャリアを振り返る上では欠かせないのレスター時代。プレミアリーグでの奇跡的な優勝を成し遂げた一員となり、岡崎のクラブキャリアでは1部リーグでのタイトルはこの1つとなる。 「嬉しかったというのは本音の部分で、優勝決まる直前までは、点を取りたい、でもチームのためにやらなきゃいけないということばかりを考えて、試合に出ることに必死になっていたシーズンでした」 「優勝が決まる前にトッテナムとチェルシーの試合を(ジェイミー・)ヴァーディーの家に観に行ったときまではあまり考えていなかったんですが、あるかもしれないとなってきた時に、『優勝するんか』というのが自分の中にあって、優勝するのはこういう気持ちなんだということを感じました」 「ウエスカでのスペイン2部での優勝も凄く嬉しかったんですが、レスターでの優勝は他の人の記憶にこれまでも残ると思うんですけど、そこに関われたことは本当に嬉しいです」 ハードワークの印象が強い岡崎だったが、そこは生粋のストライカー。チームに求められることをやる一方で、自身に対しての期待が前線からの守備ということに葛藤があったという。クラブレベルで一番記憶に残っているのもレスターでの試合だった。 「ほぼ全部印象に残っています。クラブでいうと、優勝したレスターでのシーズンのニューカッスル戦のオーバーヘッドですかね。プレミアリーグでフィットするというために、ハードワーク、チームの潤滑油が一番に認められてしまったがために、45分や60分で交代させられるという数がめちゃくちゃ多かったシーズンです」 「ある意味、その悔しさは自分しか知らず、周りはあまりそういうことはわかっていなくて、どう証明するかというとゴールしかなかったです。ストライカーであるということだけではなく、監督や選手に岡崎はこういう選手だというのを超えたい。自分の人生は海外では特にそうやってきました。印象的なゴールとしては、あのゴールが残っています」 <span class="paragraph-title">【動画】岡崎慎司が選んだ印象残るオーバーヘッド!</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="i4_F3NsIgNs";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.06.17 21:25 Mon

ウエスカの選手一覧

13 GK アンドレス・フェルナンデス
1986年12月17日(37歳) 185cm 79kg 0 0
30 GK アントニオ・バレラ
1996年08月17日(28歳) 0 0
40 GK ジョン・ガスカ
(歳) 0 0
3 DF パブロ・マフェオ
1997年12月07日(26歳) 173cm 0 0
4 DF パブロ・インスーア・ブランコ
1993年09月09日(31歳) 186cm 0 0
11 DF ハビ・ガラン
1994年11月19日(30歳) 172cm 0 0
14 DF ホルヘ・プリード
1991年04月08日(33歳) 184cm 0 0
16 DF ルイシーニョ
1985年05月05日(39歳) 175cm 67kg 0 0
18 DF ディミトリス・シオバス
1988年09月16日(36歳) 191cm 84kg 0 0
19 DF ペドロ・ロペス
1983年11月01日(41歳) 174cm 72kg 0 0
22 DF ガストン・シルバ
1994年03月05日(30歳) 185cm 0 0
25 DF デニス・ヴァヴロ
1996年04月10日(28歳) 190cm 0 0
2 MF イドリサ・ドゥンビア
1998年04月14日(26歳) 187cm 0 0
5 MF ペドロ・モスケラ
1988年04月21日(36歳) 184cm 77kg 0 0
7 MF ダビド・フェレイロ
1980年04月01日(44歳) 170cm 0 0
8 MF エウヘニ・バルデラマ・ドメネク
1994年07月19日(30歳) 182cm 0 0
17 MF ミケル・リコ
1984年11月04日(40歳) 178cm 76kg 0 0
20 MF ハイメ・セオアネ
1997年01月22日(27歳) 175cm 0 0
21 MF フアン・カルロス
1991年03月15日(33歳) 184cm 0 0
24 MF ボルハ・ガルシア・フレイレ
1990年11月02日(34歳) 175cm 73kg 0 0
MF ダミアン・ムスト
1987年06月09日(37歳) 182cm 0 0
6 FW サンドロ・ラミレス
1995年07月09日(29歳) 175cm 0 0
23 FW ダニ・エスクリチェ
1998年03月24日(26歳) 178cm 0 0
27 FW ケビン・オモルイ
2001年01月01日(23歳) 188cm 0 0
28 FW フアン・ペニャロサ
2000年03月05日(24歳) 172cm 0 0
監督 パチェタ
1968年03月23日(56歳) 0 0