
ハンブルガーSV
Hamburger Sport Verein国名 |
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創立 | 1887年 |
ホームタウン | ハンブルク |
スタジアム | フォルクスパルク・シュタディオン |
愛称 | HSV(ハー・エス・ファウ)、ロートホーゼン(赤ズボン) |
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「寿司ボンバー」20年前の高原直泰のブンデス初ゴールは守護神カーンの無失点記録を止める一撃「衝撃的だった」
ブンデスリーガの日本語版公式ツイッターが懐かしいゴールを投稿している。 アップされたのは、今からちょうど20年前の2003年2月9日に行われたバイエルンvsハンブルガーSVの一戦で生まれたゴール。決めたのは沖縄SVの選手兼監督である元日本代表FW高原直泰だ。 2003年1月にジュビロ磐田からHSVへと完全移籍した高原。ハノーファー戦で先発出場の機会を掴むと、デビュー3戦目にはバイエルンとアウェイで対戦した。 当時のバイエルンは守護神だった元ドイツ代表GKオリバー・カーンが連続無失点を記録中。自身が保持していた736分の記録を更新できるかに注目が集まっていた。 試合は、バイエルンが11分に先制。24分にはカーンが無失点記録の更新を達成し、バイエルンのペースで進んだ。しかし、そのままタイムアップかと思われた後半アディショナルタイムにドラマがあった。 メフディ・マハダヴィキアが右サイドからクロスを上げると、ゴール前に飛び込んだのは高原。打点の高いヘディングには守護神カーンも全く反応できず、ゴールネットを揺らすのを見送ることしかできなかった。 高原のブンデスリーガ初ゴールは、カーンの連続無失点記録を802分で止めるゴールに。試合は1-1のドローに終わっていた。 ブンデスリーガの投稿には、ファンも「このゴールは衝撃的だったな」、「寿司ボンバー」、「この映像、懐かしい」とコメントを寄せている。 高原は2008年に移籍するまで、HSVとフランクフルトでプレー。ブンデスリーガでは通算135試合に出場し25ゴール7アシストという数字を残している。 <span class="paragraph-title">【動画】守護神カーンを破った高原直泰のブンデス初ゴール!</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="ja" dir="ltr"> 20年前の今日、<a href="https://twitter.com/hashtag/%E9%AB%98%E5%8E%9F%E7%9B%B4%E6%B3%B0?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#高原直泰</a> がバイエルン相手に <a href="https://twitter.com/hashtag/%E3%83%96%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%AC?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#ブンデスリーガ</a> 初ゴール! <a href="https://t.co/K78ENwZ4gJ">pic.twitter.com/K78ENwZ4gJ</a></p>— ブンデスリーガ 日本語版 (@Bundesliga_JP) <a href="https://twitter.com/Bundesliga_JP/status/1623674082683232256?ref_src=twsrc%5Etfw">February 9, 2023</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2023.02.10 21:15 Fri2
名門ハンブルガーSVがクラブ史上初の降格を経て7季ぶりに1部昇格
ハンブルガーSVが10日、ブンデスリーガ昇格を決めた。 首位HSVは同日、2.ブンデスリーガ第33節ウルム戦を6-1で圧勝。3位エルフェアスベルクとの4ポイント差を維持し、最終節を残して2位以上を確定させた。 ブンデスリーガ6度の優勝を誇る名門は2017-18シーズン、元日本代表DF酒井高徳が主将を務めていた中、無念のクラブ史上初となる降格を経験。 そこから苦節7年を経てついに1部復帰を果たした。 2025.05.11 08:00 Sun3
残留争うブレーメンとのノルト・ダービーを終盤被弾で敗戦のHSV、クラブ史上初の降格が現実味《ブンデスリーガ》
▽ハンブルガーSVは24日、ブンデスリーガ第24節でブレーメンとのノルト・ダービーに臨み、0-1で敗れた。HSVのDF酒井高徳はフル出場し、FW伊藤達哉はベンチ入りしなかった。 ▽前節レバークーゼン戦を1-2と力負けし、10戦勝利のない17位HSV (勝ち点17)は、酒井高が右ウイングバックではなく[4-2-3-1]の右サイドバックで先発となった。 ▽積極的な入りを見せた15位ブレーメン(勝ち点23)に対し、HSVは自陣に守備ブロックを作って応戦。慎重に試合を進めると、17分にチャンス。フントのヘディングでの落としをボックス内のジャッタがダイレクトでシュートに持ち込むも、GKの守備範囲に飛んだ。 ▽前半半ば以降もブレーメンにボールを持たせたHSVは、ピンチを作られることなく時間を消化。酒井高も守備に徹し、思惑通りゴールレスで前半を終えた。 ▽迎えた後半も自陣に引きながらカウンターを狙うHSVは51分にフントがボックス内から際どいシュートを浴びせて牽制。 ▽その後も重心を下げてブレーメンの攻撃を受けるHSVは72分にピンチ。エッゲシュタインにミドルシュートでゴールを脅かされた。さらに82分、再びエッゲシュタインにヘディングシュートでゴールに迫られるもGKマゼニアが守備範囲で防いだ。 ▽しかし87分、バルグフレーデのインターセプトからボックス左のヨハンソンにシュートを打たれると、ボールはGKの股間を抜けてゴール方向へ。ファン・ドロンゲレンがゴールライン際でクリアにかかったが、詰めたベルフォディルにブロックされてボールはそのままゴールラインを割った。リプレーで見ると、ベルフォディルのポジションがオフサイドで微妙な判定だったが、ゴールは認められた。 ▽これが決勝点となってHSVは惜敗。ダービーを落として11戦未勝利となり、ブレーメンとは9ポイント差を付けられ、クラブ史上初の降格が現実味を帯びてきている。 2018.02.25 04:33 Sun4
元西ドイツ代表エースでハンブルガーSVのレジェンドであるゼーラー氏が85歳で他界
かつて西ドイツ代表として活躍し、ハンブルガーSVでキャリアの大半を過ごしたウーヴェ・ゼーラー氏が他界した。85歳だった。 ハンブルク出身のゼーラー氏は、地元クラブのハンブルガーSVのユース育ち。そのままファーストチームに昇格した。 1953年から1972年まで、20シーズンにわたってハンブルガーSVでプレー。580試合で490ゴールを記録し、偉大なストライカーとして名を残している。 西ドイツ代表としても72試合で43ゴールを記録。4度のワールドカップに出場し、1966年のイングランド大会では決勝でイングランドと対戦し敗れていた。W杯4大会では全て複数得点を記録しており、これは史上2人しか達成していない記録。もう1人は、同じドイツ人のFWミロスラフ・クローゼとなっている。 西ドイツ代表としてはキャプテンを務めた時期もあり、フランツ・ベッケンバウアー氏らともプレー。引退後には名誉キャプテンにも就任した。さらに1995年には古巣であるハンブルガーSVの会長に就任したが、1998年にスキャンダルの影響で関与はしていなかったものの辞任していた。 クラブ幹部のヨナス・ボルド氏は、公式サイトを通じて追悼のメッセージを送っている。 「ウーヴェ・ゼーラーは、善良な人間を特徴付ける全ての要素を兼ね備えていました」 「実直さ、忠誠心、生きる喜び、そしていつも親しみやすい人でした。彼はハンブルーがSVの典型的な例です」 「個人的には、彼の最後の誕生日を一緒に過ごしたことが特別な思い出になっています。彼は店で話をし、彼にとってのハンブルガーSVについて聞けば、私にヒントといくつかの格言をくれました」 「我々は彼のことを決して忘れることなく、ずっと大切にしていきます。今、我々は彼の家族に思いを寄せ、心から哀悼の意を表します」 2022.07.22 10:45 Fri5
HSV所属のU-21クロアチア代表DFがドーピング違反で2年間の出場停止に
ドイツサッカー連盟(DFB)スポーツ裁判所は30日、アンチ・ドーピング規則違反により、ハンブルガーSV(HSV)に所属するU-21クロアチア代表DFマリオ・ヴスコビッチ(21)に2年間の出場停止処分を科したことを発表した。 DFBスポーツ裁判所によれば、2022年9月16日のトレーニング後に採取されたサンプルを検査した結果、ヴスコビッチの尿からわずかながらエリスロペチン(ECO)の痕跡が検出されたという。 DFBスポーツ裁判所のステファン・オーバーホルツ議長は、連盟の公式サイトで以下のように声明を発表している。 「DFBスポーツ審判所は、クライシャの研究所でヴスコビッチの尿のAおよびBサンプルを分析した結果、身体にとって異物であるエリスロペチン(EPO)が、わずかではあるがはっきりと目に見えるレベルで存在したことが判明した。これは禁止されているいわゆる“非特定物質"であり、DFBのアンチ・ドーピング規則の処罰対象違反に該当する」 今回の処分では、予備的な出場停止措置が考慮されるため、2022年11月15日から遡り、2024年11月14日に終了する予定だという。 なお、今回の決定を不服とした場合選手やクラブは、1週間以内にDFBスポーツ裁判所、ドイツアンチ・ドーピング機構(Nada)、世界アンチ・ドーピング機構(WADA)に上訴することができる。 2023.03.31 01:10 FriハンブルガーSVの選手一覧
1 | GK |
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ダニエル・エウエル・フェルナンデス | |||||||
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1992年11月13日(32歳) | 188cm |
12 | GK |
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トム・ミッケル | |||||||
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1989年04月19日(36歳) | 184cm | 77kg |
19 | GK |
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マテオ・ラープ | |||||||
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1998年12月18日(26歳) | 187cm |
40 | GK |
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ハネス・ヘルマン | |||||||
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2005年03月23日(20歳) |
2 | DF |
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ウィリアム・ミケルブレンシス | |||||||
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2004年02月25日(21歳) |
4 | DF |
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セバスティアン・ションラウ | |||||||
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1994年08月05日(31歳) |
5 | DF |
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デニス・ハジカドゥニッチ | |||||||
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1998年07月09日(27歳) | 190cm | 75kg |
24 | DF |
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リュカ・ペラン | |||||||
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1998年11月19日(26歳) | 187cm |
28 | DF |
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ミロ・ムハイム | |||||||
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1998年03月24日(27歳) |
30 | DF |
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シルヴァン・ヘフティ | |||||||
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1997年10月25日(27歳) | 186cm |
33 | DF |
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ノア・カッターバッハ | |||||||
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2001年04月13日(24歳) | 178cm |
37 | DF |
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バロン・ズンベリ | |||||||
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2002年11月24日(22歳) | 187cm |
47 | DF |
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ニコラス・オリベイラ | |||||||
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2004年06月02日(21歳) | 187cm |
3 | MF |
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モリティス・ヘイヤー | |||||||
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1995年04月04日(30歳) | 180cm |
6 | MF |
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ウカシュ・ポレバ | |||||||
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2000年03月13日(25歳) | 179cm |
8 | MF |
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ダニエル・エルファドリ | |||||||
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1997年04月06日(28歳) | 188cm |
10 | MF |
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イマヌエル・フェライ | |||||||
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2001年04月25日(24歳) |
14 | MF |
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ルドビド・レイス | |||||||
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2000年06月01日(25歳) | 178cm |
17 | MF |
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アダム・カラベク | |||||||
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2003年07月02日(22歳) |
21 | MF |
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レビン・エツナリ | |||||||
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1996年03月15日(29歳) | 176cm | 74kg |
23 | MF |
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ヨナス・メファート | |||||||
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1994年09月04日(30歳) | 186cm |
36 | MF |
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アンシ・スホネン | |||||||
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2001年01月14日(24歳) | 175cm |
41 | MF |
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オマール・メギード | |||||||
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2005年08月19日(19歳) | 191cm |
7 | FW |
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ジャン=ルーク・ドンプ | |||||||
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1995年04月12日(30歳) | 170cm |
9 | FW |
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ロバート・グラッツェル | |||||||
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1994年01月08日(31歳) | 193cm |
11 | FW |
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ランスフォードーイェボア・ケーニヒスドルファー | |||||||
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2001年09月13日(23歳) | 183cm |
18 | FW |
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ベーカリー・ジャッタ | |||||||
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1998年06月06日(27歳) | 184cm |
20 | FW |
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マルコ・リヒター | |||||||
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1997年11月24日(27歳) |
27 | FW |
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ダビー・ゼルケ | |||||||
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1995年01月20日(30歳) | 192cm | 82kg |
29 | FW |
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エミル・サヒティ | |||||||
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1998年11月29日(26歳) | 174cm |
45 | FW |
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ファビオ・バルデ | |||||||
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2005年07月20日(20歳) |
監督 |
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ステッフェン・バウムガルト | ||||||||
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1972年01月05日(53歳) | 178cm |
ハンブルガーSVの試合日程
DFBポカール
2回戦 | 2024年10月30日 | A |
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2 | - | 1 | vs |
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フライブルク |