バルセロナ
Futbol Club Barcelona| 国名 |
スペイン
|
| 創立 | 1899年 |
| ホームタウン | バルセロナ |
| スタジアム | カンプ・ノウ 、エスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニス |
| 愛称 | バルサ、ブラウグラーナ(青とエンジ)、アスルグラーナ(青とエンジ) |
今季の成績
| ラ・リーガ | 勝点 | 勝数 | 引分数 | 負数 | 得点 | 失点 | 得失差 | 試合数 | ||
| 1 |
|
バルセロナ | 85 | 27 | 4 | 5 | 97 | 36 | 61 | 36 |
| 2 |
|
レアル・マドリー | 78 | 24 | 6 | 6 | 74 | 38 | 36 | 36 |
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| UEFAチャンピオンズリーグ | 勝点 | 勝数 | 引分数 | 負数 | 得点 | 失点 | 得失差 | 試合数 | ||
| 1 |
|
リバプール | 21 | 7 | 0 | 1 | 17 | 5 | 12 | 8 |
| 2 |
|
バルセロナ | 19 | 6 | 1 | 1 | 28 | 13 | 15 | 8 |
| 3 |
|
アーセナル | 19 | 6 | 1 | 1 | 16 | 3 | 13 | 8 |
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1
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1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.47</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">2014-2015シーズン/バルセロナ ~“MSN”ここにあり&3冠~</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/2014-15barca.jpg" style="max-width:100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:ルイス・エンリケ 獲得タイトル:リーガエスパニョーラ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズリーグ 攻撃力10:★★★★★★★★★★ 守備力9:★★★★★★★★★☆ タレント10:★★★★★★★★★ 連係9:★★★★★★★★★☆ 選手層9:★★★★★★★★★☆ </p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">バルサ復活を遂げる3冠</div> 2013-14シーズンに指揮を執ったヘラルド・マルティーノ監督の下では、リーガエスパニョーラ2位、コパ・デル・レイ準優勝、チャンピオンズリーグベスト8と無冠に終わっていた。これはフランク・ライカールト監督が率いていた2007-08シーズン以来の出来事であり、タイトル獲得に慣れてきたチームとしては、屈辱のシーズンでもあった。 このシーズンは、前年の王者であるアトレティコ・マドリーがつまづく中、レアル・マドリーとの一騎打ちのシーズンとなった。両者の差を分けたのはアウェイゲームの戦績。シーズン終了時の勝ち点差は「2」であり、優勝争いは第37節まで続いていた。 シーズン序盤はバルセロナ、バレンシア、セビージャがリーグを牽引。一方でマドリーは開幕5試合で2敗を喫するなど、躓いたスタートとなる。そのままバルセロナが首位をキープしていく中、迎えた第9節のクラシコでマドリーが3-1と快勝。バルセロナにとってリーグ初黒星となり、ここから調子を落とす。続くセルタ戦でも敗れ連敗を喫すると、マドリーが首位に浮上。ここからはマドリーが常にリードしたまま終盤に入る。 迎えた第26節でバルセロナが首位に返り咲くと、そのまま首位を守りきり2シーズンぶりのリーグ優勝。コパ・デル・レイでもアスレティック・ビルバオを決勝で下し、国内2冠を達成する。 チャンピオンズリーグでは、史上初の快挙が。グループステージではアヤックス、パリ・サンジェルマン、APOELと各国リーグの王者と同居。決勝トーナメントでは、マンチェスター・シティ、パリ・サンジェルマン、バイエルンとこれまた各国王者と対戦。決勝まで勝ち上がると、待ち受けていたのはイタリア王者のユベントスだった。決勝でも王者を倒したバルセロナが、史上初となる各国王者を全て下しての優勝。また、史上初の2度目の3冠達成を果たし、無冠から見事に返り咲いた。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">“MSN”が誕生</div> クラブOBであるルイス・エンリケを監督に迎え、ジョゼップ・マリア・バルトメウ会長としても正式に会長職についた1年目。夏の移籍市場では、落ち目であったセスク・ファブレガス、アレクシス・サンチェスを放出し、当時のクラブ市場最高額でウルグアイ代表FWルイス・スアレスを獲得。これが後に大当たりの補強となる。また、マルク=アンドレ・テア・シュテーゲンやイバン・ラキティッチなど補強に動いた。 リオネル・メッシ、ネイマールに加え、リバプールから加入したスアレスの影響で攻撃力が増大。3人はそれぞれ、58ゴール(メッシ)、39ゴール(ネイマール)、25ゴール(スアレス)を記録し、公式戦合計122ゴールを記録。スペインサッカー史上最多ゴールの3トップとなり、3人の頭文字をとって“MSN"と名付けられた。 攻撃陣の破壊力に目がいってしまいがちだが、守備陣もかなり強固だったことを忘れてはいけない。リーガエスパニョーラでは、シーズンで21失点とリーグ最少。チャンピオンズリーグでも決勝までの13試合を戦い11失点と堅い守備をみせ、見事にタイトルを獲得している。 また、このシーズンから加入したテア・シュテーゲンとクラウディオ・ブラーボの両守護神をルイス・エンリケ監督は完全分業制に。テア・シュテーゲンはカップ戦で、ブラーボはリーグ戦で起用し、それぞれの活躍で全タイトルを獲得したことも注目すべきポイントとなった。 なお、チームの生え抜き選手であり、このシーズンもチームを支え続けたチャビ・エルナンデスがシーズン終了後に対談。カタールのアル・サッドへと活躍の場を移している。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">FW:リオネル・メッシ(27)</span> このシーズンのバルセロナを語る上では、この3人を外すことはできない。どの1人が欠けていても、3冠は達成できなかったと言えるだろう。しかし、その中でも“MSN”を機能させたのはメッシ以外にはあり得ない。 このシーズンから加わった「S」ことスアレスは、ブラジル・ワールドカップでの噛みつき事件の影響でシーズン序盤が出場停止に。出場機会を得ても、メッシとネイマールのコンビネーションにどことなく遠慮気味であった。一方の「N」ことネイマールは、バルセロナで2シーズン目のシーズンを過ごしていた。チームのスタイルに慣れ、ゴール数も増加。その多くを助けたのはメッシだった。 そもそも、メッシはスアレスの加入にも影響を与えている。ワールドクラスのFWを獲得してほしいという要望に対し、クラブが獲得したのがスアレス。アルゼンチン代表のチームメイトであるセルヒオ・アグエロが第一希望だったとのことだが、スアレスという相棒は今となっては欠かせない存在だ。 シーズン中にはルイス・エンリケ監督との確執も明るみに出たものの、シーズン後半戦で21試合28ゴールという驚異的なペースでゴールを記録。また、3トップの並びもスアレスに中央を譲ること、そしてスアレスへのアシストを増やすことで、チームに3つのタイトルをもたらせた。 2019.04.28 12:10 Sun4
【平成史に残るレジェンドチーム50選】vol.39“ペップの6冠バルサ”フットボールの歴史に金字塔/バルセロナ[2008-09]
1989年1月8日に日本で始まった「平成」。日本では31年にわたって使用されてきたが、2019年4月30日をもってその時代が終わりを告げる。 日本サッカーにおいても激動の時代であった「平成」だが、目をヨーロッパに向け、同じ時代で印象に残ったレジェンドチームを超ワールドサッカー編集部が選出。記憶や記録に残る50チームを紹介していく。 <div style="position: relative;margin: 2em 0;padding: 25px 10px 7px;border: solid 2px #FFC107;"><span style="position: absolute;display: inline-block;top: -2px;left: -2px;padding: 0 9px;height: 25px;line-height: 25px;vertical-align: middle;font-size: 17px;background: #FFC107;color: #ffffff;font-weight: bold;">vol.39</span><p style="margin: 0; padding: 0;font-weight:800">2008-2009シーズン/バルセロナ 〜ペップの6冠バルサ〜</p></div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/2008-09barca.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">(C)CWS Brians,LTD.<hr></div><div style="padding: 0.5em 1em;margin: 2em 0;border: double 5px #4ec4d3;"><p style="margin: 0; padding: 0;">監督:ジョゼップ・グアルディオラ(37) 獲得タイトル:CL、リーガエスパニョーラ、コパ・デル・レイ 攻撃力10:★★★★★★★★★★ 守備力9:★★★★★★★★★☆ タレント10:★★★★★★★★★★ 連係9:★★★★★★★★★☆ 選手層9:★★★★★★★★★☆ </p></div> <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">無冠から6冠へ</div> フランク・ライカールトに率いられた2007-08シーズンを4シーズンぶりの無冠で終えたバルセロナは、下部組織を率いていた同クラブのレジェンド、ジョゼップ・グアルディオラにトップチームの命運を託す。規律を重んじるグアルディオラは、夏の移籍市場でロナウジーニョ、デコら個性の強い選手を放出し、ダニエウ・アウベスやピケ、セイドゥ・ケイタらを獲得し、チームを刷新する。 サポーターの大きな期待を背にスタートしたペップ・バルサだったが、リーグ開幕戦では昇格組のヌマンシアを相手に無得点に終わり、0-1とまさかの敗戦を喫する。さらに、ホーム開幕戦となった次節のラシン戦でも1-1で引き分け、早くも不協和音が響いた。しかし、第3節のヒホン戦を6-1で圧勝すると、チームは一気に軌道に乗る。そこから9連勝を記録したチームは、第22節までに19勝を挙げて首位を快走。第34節では、宿敵のレアル・マドリーを相手にサンチャゴ・ベルナベウで2-6の歴史的大勝を収めると、そのまま逃げ切りに成功。2位レアル・マドリーに勝ち点9差をつけて、3シーズンぶりにスペイン王者に輝いた。 ペップ・バルサの快進撃はリーガだけにはとどまらなかった。CLではリヨン、バイエルンを撃破して4強入り。準決勝のチェルシー戦では、カンプ・ノウでの試合をゴールレスで終えて迎えた2ndレグ、試合終盤のイニエスタのゴールで1-1と引き分けて決勝に進出。決勝では、前回王者のマンチェスター・ユナイテッドを寄せ付けず、2-0で完勝した。さらに、1991-92シーズン以来となる欧州王者の座についたチームは、コパ・デル・レイでも決勝でビルバオを撃破。スペイン史上初となる3冠を達成する偉業を成し遂げた。そして、同年にはスーペル・コパとUEFAスーパーカップ、クラブ・ワールドカップをも制覇し、前人未到の6冠を達成。フットボールの歴史に金字塔を打ち立てた。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">隙のないタレント集団</div> システムは、ライカールト時代の4-3-3を踏襲したが、プレッシングやパス回しの流動性など、パフォーマンスは前シーズンよりも大きく向上した。 バルデスは元々、足下が拙いタイプのGKだったが、着実に技術を磨いてビルドアップに貢献できるようになった。センターバックは、ガブリエル・ミリートが長期離脱を強いられたが、ユナイテッドから復帰したピケ、そしてマルケスの復調もあって大きな穴とはならなかった。また、右サイドバックでは、ダニエウ・アウベスを獲得したのが大きかった。セビージャから加入したブラジル人サイドバックは、メッシと好連係を築き、シーズン通して活躍。1年目から、チーム最多の公式戦52試合に出場した。 中盤ではチャビとイニエスタという世界屈指のプレーメーカーに加え、グアルディオラは自身が率いていたバルセロナBからブスケッツをトップチームに引き上げた。また、ヤヤ・トゥーレはアンカーポジションをブスケッツとシェアするとともに、最終ラインもこなすなど、チームとしての安定感を押し上げる存在となった。 前線では、右サイドが主戦場だったメッシが中央でプレーする機会を増やしていったシーズンだった。また、デコ&ロナウジーニョのストロングポイントを失っていた左サイドでは、アンリとエトーが好調を維持。新たなラインを確立し、対面する相手を恐怖に陥らせた。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">ピックアップ・プレイヤー</div> <span style="font-weight:700;font-size:1.1em;">MFアンドレス・イニエスタ(24)</span> この男がいなければ、バルセロナの3冠はなかったはずだ。2009年5月6日に行われたCL準決勝2ndレグ、スタンフォード・ブリッジでのチェルシー戦ではチームを救った。1stレグを0-0で終えていたバルセロナは、90分が過ぎた時点で1点ビハインドという苦しい状況。しかし、アディショナルタイム3分、メッシからボールを受けた小柄なMFは、ボックス外から右足を一閃。鋭いシュートがチェルシーゴールに突きささり、枠内シュート1本のバルセロナがアウェイゴール差で決勝に進出した。あのイニエスタの一撃は、当時のシーズンだけでなく、その後のバルサの栄光にも影響を与えるほどのものだった。まさに、バルセロナの歴史上で最も重要なゴールのうちのひとつと言えるだろう。 2019.04.22 22:00 Monバルセロナの選手一覧
| 1 | GK |
|
マルク=アンドレ・テア・シュテーゲン | |||||||
|
1992年04月30日(33歳) | 187cm | 85kg |
|
8 |
|
0 | |||
| 13 | GK |
|
イニャキ・ペーニャ | |||||||
|
1999年03月02日(26歳) | 184cm | 78kg |
|
21 |
|
0 | |||
| 25 | GK |
|
ヴォイチェフ・シュチェスニー | |||||||
|
1990年04月18日(35歳) | 195cm | 84kg |
|
25 |
|
0 | |||
| 26 | GK |
|
アンデル・アストララガ | |||||||
|
2004年03月03日(21歳) | 190cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 31 | GK |
|
ディエゴ・コッヘン | |||||||
|
2006年03月19日(19歳) |
|
0 |
|
0 | |||||
| 40 | GK |
|
アーロン・ヤコビシュヴィリ | |||||||
|
2006年03月06日(19歳) | 185cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 2 | DF |
|
パウ・クバルシ | |||||||
|
2007年01月22日(18歳) | 184cm |
|
49 |
|
1 | ||||
| 3 | DF |
|
アレハンドロ・バルデ | |||||||
|
2003年10月18日(22歳) | 175cm | 69kg |
|
43 |
|
0 | |||
| 4 | DF |
|
ロナルド・アラウホ | |||||||
|
1999年03月07日(26歳) | 191cm | 91kg |
|
20 |
|
2 | |||
| 5 | DF |
|
イニゴ・マルティネス | |||||||
|
1991年05月17日(34歳) | 182cm |
|
40 |
|
3 | ||||
| 15 | DF |
|
アンドレアス・クリステンセン | |||||||
|
1996年04月10日(29歳) | 192cm | 85kg |
|
5 |
|
0 | |||
| 23 | DF |
|
ジュール・クンデ | |||||||
|
1998年11月12日(27歳) | 178cm |
|
49 |
|
3 | ||||
| 24 | DF |
|
エリック・ガルシア | |||||||
|
2001年01月09日(24歳) | 182cm | 76kg |
|
39 |
|
3 | |||
| 32 | DF |
|
エクトル・フォルト | |||||||
|
2006年08月02日(19歳) | 174cm |
|
18 |
|
0 | ||||
| 35 | DF |
|
ジェラール・マルティン | |||||||
|
2002年02月26日(23歳) | 186cm |
|
36 |
|
1 | ||||
| 36 | DF |
|
セルジ・ドミンゲス | |||||||
|
2005年04月01日(20歳) | 191cm |
|
5 |
|
0 | ||||
| 38 | DF |
|
アレクシス・オルメド | |||||||
|
2006年01月02日(19歳) |
|
0 |
|
0 | |||||
| 39 | DF |
|
アンドレス・クエンカ | |||||||
|
2007年06月11日(18歳) | 181cm |
|
1 |
|
0 | ||||
| 43 | DF |
|
アルバロ・コルテス | |||||||
|
2005年03月17日(20歳) | 190cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 44 | DF |
|
ランドリー・ファレ | |||||||
|
2007年01月01日(18歳) | 178cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 6 | MF |
|
ガビ | |||||||
|
2004年08月05日(21歳) | 173cm | 70kg |
|
35 |
|
2 | |||
| 8 | MF |
|
ペドリ | |||||||
|
2002年11月25日(23歳) | 174cm | 60kg |
|
52 |
|
5 | |||
| 14 | MF |
|
パブロ・トーレ | |||||||
|
2003年04月03日(22歳) | 173cm |
|
12 |
|
3 | ||||
| 16 | MF |
|
フェルミン・ロペス | |||||||
|
2003年03月11日(22歳) | 176cm |
|
39 |
|
7 | ||||
| 17 | MF |
|
マルク・カサド | |||||||
|
2003年09月14日(22歳) | 172cm |
|
34 |
|
1 | ||||
| 20 | MF |
|
ダニ・オルモ | |||||||
|
1998年05月07日(27歳) | 176cm | 68kg |
|
34 |
|
10 | |||
| 21 | MF |
|
フレンキー・デ・ヨング | |||||||
|
1997年05月12日(28歳) | 180cm | 74kg |
|
38 |
|
2 | |||
| 28 | MF |
|
マルク・ベルナル | |||||||
|
2007年05月26日(18歳) | 191cm |
|
3 |
|
0 | ||||
| 34 | MF |
|
ノア・ダルヴィッチ | |||||||
|
2006年09月25日(19歳) | 184cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 37 | MF |
|
クイム・ジュニエント | |||||||
|
2007年03月25日(18歳) | 171cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 41 | MF |
|
ギジェ・フェルナンデス | |||||||
|
2008年06月18日(17歳) | 171cm |
|
0 |
|
0 | ||||
| 7 | FW |
|
フェラン・トーレス | |||||||
|
2000年02月29日(25歳) | 184cm |
|
41 |
|
18 | ||||
| 9 | FW |
|
ロベルト・レヴァンドフスキ | |||||||
|
1988年08月21日(37歳) | 184cm | 78kg |
|
46 |
|
37 | |||
| 10 | FW |
|
アンス・ファティ | |||||||
|
2002年10月31日(23歳) | 178cm | 66kg |
|
10 |
|
0 | |||
| 11 | FW |
|
ハフィーニャ | |||||||
|
1996年12月14日(29歳) | 176cm | 68kg |
|
51 |
|
31 | |||
| 18 | FW |
|
パウ・ビクトル | |||||||
|
2001年11月26日(24歳) | 184cm |
|
24 |
|
2 | ||||
| 19 | FW |
|
ラミン・ヤマル | |||||||
|
2007年07月13日(18歳) | 180cm |
|
49 |
|
15 | ||||
| 42 | FW |
|
トニ・フェルナンデス | |||||||
|
2008年07月15日(17歳) |
|
0 |
|
0 | |||||
| 46 | FW |
|
ダニ・ロドリゲス | |||||||
|
2005年08月09日(20歳) | 170cm |
|
1 |
|
0 | ||||
| 監督 |
|
ハンジ・フリック | ||||||||
|
1965年02月24日(60歳) | |||||||||
バルセロナの試合日程
ラ・リーガ
| 第1節 | 2024年8月17日 | A |
|
1 | - | 2 | vs |
|
バレンシア |
| 第2節 | 2024年8月24日 | H |
|
2 | - | 1 | vs |
|
アスレティック・ビルバオ |
| 第3節 | 2024年8月27日 | A |
|
1 | - | 2 | vs |
|
ラージョ・バジェカーノ |
| 第4節 | 2024年8月31日 | H |
|
7 | - | 0 | vs |
|
レアル・バジャドリー |
| 第5節 | 2024年9月15日 | A |
|
1 | - | 4 | vs |
|
ジローナ |
UEFAチャンピオンズリーグ
| リーグフェーズ第1節 | 2024年9月19日 | A |
|
2 | - | 1 | vs |
|
モナコ |
ラ・リーガ
| 第6節 | 2024年9月22日 | A |
|
1 | - | 5 | vs |
|
ビジャレアル |
| 第7節 | 2024年9月25日 | H |
|
1 | - | 0 | vs |
|
ヘタフェ |
| 第8節 | 2024年9月28日 | A |
|
4 | - | 2 | vs |
|
オサスナ |
UEFAチャンピオンズリーグ
| リーグフェーズ第2節 | 2024年10月1日 | H |
|
5 | - | 0 | vs |
|
ヤング・ボーイズ |
ラ・リーガ
| 第9節 | 2024年10月6日 | A |
|
0 | - | 3 | vs |
|
アラベス |
| 第10節 | 2024年10月20日 | H |
|
5 | - | 1 | vs |
|
セビージャ |
UEFAチャンピオンズリーグ
| リーグフェーズ第3節 | 2024年10月23日 | H |
|
4 | - | 1 | vs |
|
バイエルン |
ラ・リーガ
| 第11節 | 2024年10月26日 | A |
|
0 | - | 4 | vs |
|
レアル・マドリー |
| 第12節 | 2024年11月3日 | H |
|
3 | - | 1 | vs |
|
エスパニョール |
UEFAチャンピオンズリーグ
| リーグフェーズ第4節 | 2024年11月6日 | A |
|
2 | - | 5 | vs |
|
ツルヴェナ・ズヴェズダ |
ラ・リーガ
| 第13節 | 2024年11月10日 | A |
|
1 | - | 0 | vs |
|
レアル・ソシエダ |
| 第14節 | 2024年11月23日 | A |
|
2 | - | 2 | vs |
|
セルタ |
UEFAチャンピオンズリーグ
| リーグフェーズ第5節 | 2024年11月26日 | H |
|
3 | - | 0 | vs |
|
ブレスト |
ラ・リーガ
| 第15節 | 2024年11月30日 | H |
|
1 | - | 2 | vs |
|
ラス・パルマス |
| 第19節 | 2024年12月3日 | A |
|
1 | - | 5 | vs |
|
マジョルカ |
| 第16節 | 2024年12月7日 | A |
|
2 | - | 2 | vs |
|
レアル・ベティス |
UEFAチャンピオンズリーグ
| リーグフェーズ第6節 | 2024年12月11日 | A |
|
2 | - | 3 | vs |
|
ドルトムント |
ラ・リーガ
| 第17節 | 2024年12月15日 | H |
|
0 | - | 1 | vs |
|
レガネス |
| 第18節 | 2024年12月21日 | H |
|
1 | - | 2 | vs |
|
アトレティコ・マドリー |
スーペル・コパ
| 準決勝 | 2025年1月8日 | A |
|
0 | - | 2 | vs |
|
アスレティック・ビルバオ |
| 決勝 | 2025年1月12日 | A |
|
2 | - | 5 | vs |
|
レアル・マドリー |
コパ・デル・レイ
| ラウンド16 | 2025年1月15日 | H |
|
5 | - | 1 | vs |
|
レアル・ベティス |
ラ・リーガ
| 第20節 | 2025年1月18日 | A |
|
1 | - | 1 | vs |
|
ヘタフェ |
UEFAチャンピオンズリーグ
| リーグフェーズ第7節 | 2025年1月21日 | A |
|
4 | - | 5 | vs |
|
ベンフィカ |
ラ・リーガ
| 第21節 | 2025年1月26日 | H |
|
7 | - | 1 | vs |
|
バレンシア |
UEFAチャンピオンズリーグ
| リーグフェーズ第8節 | 2025年1月29日 | H |
|
2 | - | 2 | vs |
|
アタランタ |
ラ・リーガ
| 第22節 | 2025年2月2日 | H |
|
1 | - | 0 | vs |
|
アラベス |
コパ・デル・レイ
| 準々決勝 | 2025年2月6日 | A |
|
0 | - | 5 | vs |
|
バレンシア |
ラ・リーガ
| 第23節 | 2025年2月9日 | A |
|
1 | - | 4 | vs |
|
セビージャ |
| 第24節 | 2025年2月17日 | H |
|
1 | - | 0 | vs |
|
ラージョ・バジェカーノ |
| 第25節 | 2025年2月22日 | A |
|
0 | - | 2 | vs |
|
ラス・パルマス |
コパ・デル・レイ
| 準決勝1stレグ | 2025年2月25日 | H |
|
4 | - | 4 | vs |
|
アトレティコ・マドリー |
ラ・リーガ
| 第26節 | 2025年3月2日 | H |
|
4 | - | 0 | vs |
|
レアル・ソシエダ |
UEFAチャンピオンズリーグ
| ラウンド16・1stレグ | 2025年3月5日 | A |
|
0 | - | 1 | vs |
|
ベンフィカ |
| ラウンド16・2ndレグ | 2025年3月11日 | H |
|
3 | - | 1 | vs |
|
ベンフィカ |
ラ・リーガ
| 第28節 | 2025年3月16日 | A |
|
2 | - | 4 | vs |
|
アトレティコ・マドリー |
| 第27節 | 2025年3月27日 | H |
|
3 | - | 0 | vs |
|
オサスナ |
| 第29節 | 2025年3月30日 | H |
|
4 | - | 1 | vs |
|
ジローナ |
コパ・デル・レイ
| 準決勝2ndレグ | 2025年4月2日 | A |
|
0 | - | 1 | vs |
|
アトレティコ・マドリー |
ラ・リーガ
| 第30節 | 2025年4月5日 | H |
|
1 | - | 1 | vs |
|
レアル・ベティス |
UEFAチャンピオンズリーグ
| 準々決勝1stレグ | 2025年4月9日 | H |
|
4 | - | 0 | vs |
|
ドルトムント |
ラ・リーガ
| 第31節 | 2025年4月12日 | A |
|
0 | - | 1 | vs |
|
レガネス |
UEFAチャンピオンズリーグ
| 準々決勝2ndレグ | 2025年4月15日 | A |
|
3 | - | 1 | vs |
|
ドルトムント |
ラ・リーガ
| 第32節 | 2025年4月19日 | H |
|
4 | - | 3 | vs |
|
セルタ |
| 第33節 | 2025年4月22日 | H |
|
1 | - | 0 | vs |
|
マジョルカ |
コパ・デル・レイ
| 決勝 | 2025年4月26日 | H |
|
3 | - | 2 | vs |
|
レアル・マドリー |
UEFAチャンピオンズリーグ
| 準決勝1stレグ | 2025年4月30日 | H |
|
3 | - | 3 | vs |
|
インテル |
ラ・リーガ
| 第34節 | 2025年5月3日 | A |
|
1 | - | 2 | vs |
|
レアル・バジャドリー |
UEFAチャンピオンズリーグ
| 準決勝2ndレグ | 2025年5月6日 | A |
|
4 | - | 3 | vs |
|
インテル |
ラ・リーガ
| 第35節 | 2025年5月11日 | H |
|
4 | - | 3 | vs |
|
レアル・マドリー |
| 第36節 | 2025年5月15日 | A |
|
0 | - | 2 | vs |
|
エスパニョール |
| 第37節 | 2025年5月18日 | H | vs |
|
ビジャレアル |
| 第38節 | 2025年5月25日 | A | vs |
|
アスレティック・ビルバオ |

スペイン