ガブリエル・ミリート
GABRIEL Alejandro MILITO
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| ポジション | DF |
| 国籍 |
アルゼンチン
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| 生年月日 | 1980年09月07日(45歳) |
| 利き足 | |
| 身長 | 179cm |
| 体重 | 78kg |
| ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
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インテル栄光のエース…ディエゴ・ミリート氏がCL制覇を懐かしむ 表彰式でR・マドリー会長から「キミはウチに来るべき」
元アルゼンチン代表FWのディエゴ・ミリート氏が、インテル時代のチャンピオンズリーグ(CL)制覇を懐かしんだ。 2009-10シーズン、インテルに45年ぶりの欧州制覇、2024年現在イタリア勢最後の欧州制覇をもたらしたストライカー、D・ミリート。 チャンピオンズリーグ(CL)決勝戦、バイエルン戦で2得点を叩き込み、2-0勝利のインテルは欧州王者に。D・ミリート氏はUEFA年間最優秀選手、セリエA年間最優秀選手に輝いた。 地球上の全インテリスタが崇めるアルゼンチン人FWは現在45歳。母国のTV番組『TyC』に出演し、伝説のCL準決勝、決勝を懐かしんだ。 「サッカー少年の夢が凝縮されたファイナルだったね。だが、準決勝も思い出深い。あの準決勝で当時のペップ・バルサ、弟(※)の所属するバルセロナを撃破した時点で、我々インテルの優勝を確信していたと記憶する」 (※)ガブリエル・ミリート 「準決勝の前夜、両親もアルゼンチンから欧州へ来ていてね。インテルが滞在するホテルにも来て、私が会いに行ったら、そこへ監督のジョゼ・モウリーニョだ(笑)」 「モウは両親に『バルサとインテル、どちらを応援してくれますかね?』なんてニヤニヤしながら聞いていた(笑) まったく面白い男だよ。外ではいつも、選手の重圧を取り除くために悪者を演じるんだが(笑) それがモウリーニョだ」 そして、栄冠を掴んだサンティアゴ・ベルナベウでの決勝戦。表彰式ではメダル授与を担ったレアル・マドリーのフロレンティーノ・ペレス会長から、わずか数秒間の短い会話で、2010年夏の加入を促されたという。 「かの有名なペレス会長は私に『おめでとう』と語りかけ、続け様に『やはりキミはレアル・マドリーの一員になるべきだ』と言ったんだ」 「本気で私の獲得を目指していることは、あの日に前後して知っていた。レアル・サラゴサ時代のにもアプローチされ、ベルント・シュスター(当時監督)からも電話が来ていたよ。結局はインテルが譲らなかったということだ」 D・ミリート氏は最後に、古巣で自身の系譜を受け継ぐアルゼンチン人エース、ラウタロ・マルティネスにエールを送った。 「いまの私は、ラウタロに想いを馳せる。すでに私なんかと比べ物にならないほどの存在だよ。いつの日か、彼はインテルでバロンドールを受賞するかもしれないね。私にできないこと全てが、ラウタロにはできてしまう」 2024.11.13 17:15 Wedガブリエル・ミリートの移籍履歴
| 移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
| 2012年7月1日 |
インデペンディエンテ |
引退 |
- |
| 2011年8月4日 |
バルセロナ |
インデペンディエンテ |
完全移籍 |
| 2007年7月12日 |
サラゴサ |
バルセロナ |
完全移籍 |
| 2003年7月8日 |
インデペンディエンテ |
サラゴサ |
完全移籍 |
| 1997年7月1日 |
|
インデペンディエンテ |
完全移籍 |
ガブリエル・ミリートの監督履歴
| 就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
| 2021年1月19日 | 2023年8月30日 |
アルヘンティノス・ジュニアーズ |
監督 |
| 2019年3月11日 | 2020年3月4日 |
エストゥディアンテス |
監督 |
| 2017年8月14日 | 2018年6月30日 |
オヒギンス |
監督 |
| 2016年5月23日 | 2016年12月31日 |
インデペンディエンテ |
監督 |
| 2015年4月15日 | 2015年12月31日 |
エストゥディアンテス |
監督 |

アルゼンチン
インデペンディエンテ
バルセロナ
サラゴサ
エストゥディアンテス
オヒギンス