ドゥンガ
DUNGA
![]() |
|
ポジション | 監督 |
国籍 |
![]() |
生年月日 | 1963年10月31日(61歳) |
利き足 | |
身長 | 177cm |
体重 | 81kg |
ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
ドゥンガのニュース一覧
ドゥンガの人気記事ランキング
1
勝利を求め続けた“鬼軍曹”ドゥンガ、チームに変革をもたらせたキャプテンシー
今からおよそ30年前に開幕したJリーグ。その創世記、世界的に著名な外国人選手たちが、日本サッカーを盛り上げた。 “神様”と呼ばれる元ブラジル代表のジーコが鹿島アントラーズを牽引すれば、元アルゼンチン代表のラモン・ディアスは横浜マリノスを牽引し初代得点王になるなどしていた。 数多くの代表選手が集まった中、異彩を放っていた選手がいる。それがドゥンガだ。 ブラジル国内クラブでプレーした後はイタリアへと渡り、フィオレンティーナでは中心選手として活躍。後に殿堂入りも果たしているほどだ。ちなみにサントス時代にはFW三浦知良(鈴鹿ポイントゲッターズ)ともチームメイトとしてプレーした。 その後、ブンデスリーガのシュツットガルトでプレーしていた中、1995年7月にジュビロ磐田へと加入した。 <span class="paragraph-title">◆“鬼軍曹”と呼ばれたキャプテンシー</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/dunga20220427_tw1.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Images<hr></div> 現役のブラジル代表選手としてJリーグに参戦したドゥンガ。日本が一度もワールドカップ(W杯)に出場していない時代に、2度もW杯に出場し、移籍の前年に行われた1994年のアメリカW杯では優勝メンバーでもあったことから、大きな注目を集めた。 ブラジル人選手と言えば、華麗なテクニックを武器としたプレーが特徴として思い浮かぶだろう。サイドバックであっても攻撃力に秀でている選手、センターバックでも得点力がある選手、GKでもFKを蹴り続けた選手など、その才能に限りはない。 しかし、ドゥンガはそういったプレーヤーとは一線を画す存在。テクニックがないわけではないが、プレーの選択は常に堅実。リスクを冒すことはなく、ボランチの位置でボールを持ってもドリブルは不用意にはせず、正確な長短のパスを供給して局面を動かすプレーを見せる。 コーチング能力も高く、少しでも守備をサボる選手がいれば強烈な檄が飛ぶ。良い意味でブラジル人“らしくない”選手だった。 そのスタイルから“鬼軍曹”とも呼ばれたが、プロリーグがスタートしたばかりのJリーグでも大きな影響を与えた。所属の磐田は、1997年から2004年まで、毎年何らかのタイトルを獲得していた。 いわゆる“黄金期”を迎えたわけだが、そのチームの根幹にはドゥンガの教えがあった。ドゥンガによって鍛えられた選手たちが、ドゥンガ退団後に花を開かせたのだ。 <span class="paragraph-title">◆堅実ながらも勝利を誰よりも求める男</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/dunga20220427_tw2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Images<hr></div> 前述の通り堅実さがプレーの信条だったドゥンガ。そしてそれをチームメイトに求めることができる“キャプテンシー”が最大の特徴だった。 プロリーグとはいえ、どこか緩さがあった当時のJリーグ。サッカー王国のブラジルで生まれ育ち、代表チームでキャプテンを務め、W杯を制したばかりの男にとっては、物足りなさもあっただろう。 特に1994年のW杯では、問題児でありエースのFWロマーリオをキャプテンとしてどう扱うかを考えていた。圧倒的な得点力を持つロマーリオだが、ピッチ外の素行には大きな問題があった。練習への遅刻、規律違反…しかし、ブラジルが勝つために必要な得点を取る能力は抜群だった。 キャプテンとして、その才能を生かすために大会中はロマーリオと同じ部屋を希望。説き伏せた結果、問題を起こすことなく、さらに5ゴールを記録して、チームは見事24年ぶりにW杯で優勝した。 自身のプレースタイルから考えれば、苦渋の決断だった可能性もある。しかし、チームが勝つために必要とあれば、自らがその問題を解決するために努力をするというスタイルを持っている。 それは磐田でも同様だった。常に勝利を求めるということを忘れず、攻撃陣に特徴があった磐田を牽引しながら、守備には口うるさく味方を怒鳴りつけた。ピッチ上でその光景を見たことは何度もあるのではないだろうか。ただ、全てはチームの勝利のため。ハードワークだけでなく、選手の成長を助け、日本サッカーの発展にも貢献した貴重な助っ人だった。 <div id="cws_ad"><hr>ブラジル代表で活躍し、“鬼軍曹”としても知られているドゥンガが大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br/><br/>現役時代に魅せたプレーが『サカつくRTW』でも再現。是非一度チェックしてみよう。<a href="https://ryan.onelink.me/C7cD/79aae7be" target="_blank"><div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/900/img/2022/sega20220427.jpg" style="max-width:100%;"></div></a></div> 2022.04.27 19:30 Wed2
元磐田の“闘将”、ドゥンガ氏が壮絶交通事故…車横転、妻と共に病院へ搬送も軽傷か
かつてジュビロ磐田でもプレーし、闘将として名を馳せた元ブラジル代表MFドゥンガ氏が壮絶な交通事故に遭ったようだ。 ブラジル『グローボ』によると、ドゥンガ氏は13日の日中に交通事故。カンピナ・グランデ・ド・スルで事故を起こしたという。なお、連邦道路警察(PRF)によると妻も同乗しており病院に搬送されたものの、軽傷で済んだという。 なお、PRFは飲酒検査を行ったとのことだが、結果は陰性。アルコールは検出されなかったという。 PRFの公開した映像によると、ドゥンガ氏の車は横転して大破。逆さまの状態で見つかっていた。 ドゥンガ氏は、1994年のアメリカ・ワールドカップでキャプテンとしてブラジルに4度目の優勝をもたらすと、1995年に磐田に完全移籍で加入。闘将としてチームを支え、チームの黄金期を作り上げた。 引退後はブラジル代表の監督を2度経験するなどしているが、現在はフリーとなっていた。 <span class="paragraph-title">【動画】大クラッシュ…ドゥンガ氏の車が横転し大破</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet" data-media-max-width="560"><p lang="pt" dir="ltr">Dunga, ex-técnico da seleção brasileira, e a esposa ficaram feridos em um acidente, neste sábado (13), na BR-116, em Campina Grande do Sul, na região metropolitana de Curitiba. O carro em que o casal estava capotou e ficou completamente destruído. O capotamento, segundo a Polícia… <a href="https://t.co/YGvmlkmy08">pic.twitter.com/YGvmlkmy08</a></p>— O Tempo (@otempo) <a href="https://twitter.com/otempo/status/1812215545556832257?ref_src=twsrc%5Etfw">July 13, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.07.14 09:53 Sun3
元鹿島のジョルジーニョが母国アトレチコ・ゴイアニエンセの監督就任
選手や監督として鹿島アントラーズに所属したジョルジーニョ氏(56)が、アトレチコ・ゴイアニエンセの監督に就任することが決定した。クラブ公式サイトが発表した。 契約期間は2021シーズン終了までとなる。 ジョルジーニョ監督は、現役時代はフラメンゴやレバークーゼン、バイエルンと渡り歩き、1995年1月から1999年12月まで鹿島でプレー。その後、サンパウロ、バスコ・ダ・ガマ、フルミネンセと渡り歩き、ボカ・ジュニアーズで2003年1月に現役を引退した。 引退後はドゥンガ監督の下でブラジル代表のアシスタントコーチとして指導者のキャリアをスタート。ゴイアスで監督としてのキャリアをスタートさせると、2011シーズンは古巣の鹿島で1シーズン監督を務めることに。その後はブラジル国内やUAEで監督を務めていた。 昨シーズンはコリチーバで指揮を執っていたが、昨年10月に退任し、その後はフリーとなっていた。 アジソン・バチスタ会長はジョルジーニョ監督の招へいについて「アトレチコはジョルジーニョ監督を雇うことに合意した。我々は監督の姿勢が本当に好きで、良い会話ができた」と好印象を明かし、「今年は多くの課題があり、ジョルジーニョは2021シーズンにチームを率いるために必要なものを持っている」とコメントした。 <span class="paragraph-title">【動画】新監督に就任したジョルジーニョ監督</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="pt" dir="ltr">O professor chegou! <a href="https://twitter.com/hashtag/Drag%C3%A3oTV?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#DragãoTV</a> <a href="https://t.co/QUX1jn2xhc">pic.twitter.com/QUX1jn2xhc</a></p>— Atlético Goianiense (@ACGOficial) <a href="https://twitter.com/ACGOficial/status/1379207990767681540?ref_src=twsrc%5Etfw">April 5, 2021</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2021.04.06 10:30 Tue4
ロナウド氏、W杯における有望株登用を力説「優勝した94年は17歳の私、02年はカカ…」
元ブラジル代表FWのロナウド氏がカタール・ワールドカップ(W杯)に臨むセレソンのメンバー選考に疑問を呈している。 W杯通算15得点を誇るロナウド氏は出場機会こそ訪れなかったものの、17歳の若さで1994年のアメリカW杯に選出された経験があり、続く98年のフランス大会で絶対的エースとして準優勝、2002年の日韓大会では得点王に輝き、優勝に貢献している。 10代の頃にのちの栄光へと繋がる貴重な経験をしたとあってか、カタールW杯に臨むセレソンに若手有望株が選出されていないことに不満の様子。スペイン『ムンド・デポルティボ』のインタビューで、パウメイラスのU-16ブラジル代表FWエンドリッキ(16)を抜擢すべきだったと力説した。 「多くの国民はガビゴルらの選出漏れについて話題にするが、私が監督ならエンドリッキをチョイスした。将来豊かで、すでに活躍している。彼のみならずセレソンの将来にとってセンセーショナルな経験となるはずだ」 「それ(有望株の登用)は今大会のセレソンに欠けている要素だ。ドゥンガも2010年にネイマールを選ばなかったが、優勝した94年にはパレイラが17歳の私を選び、02年にはスコラーリがカカを連れて行った」 ロナウド氏が推すエンドリッキは欧州のメガクラブがこぞって興味を示す一方、プロキャリアはまだ5試合のみ。それでも、直近4大会のセレソンは最高でもベスト4止まり。たとえ戦力として未知数だとしても、16歳エンドリッキのような大胆な人材登用は、優勝を目指す上では大事なのかもしれない。 2022.11.08 20:00 Tueドゥンガの移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2000年11月1日 |
![]() |
![]() |
- |
1999年1月1日 |
![]() |
![]() |
完全移籍 |
1995年7月1日 |
![]() |
![]() |
完全移籍 |
1993年7月1日 |
![]() |
![]() |
完全移籍 |
1992年7月1日 |
![]() |
![]() |
完全移籍 |
1988年7月1日 |
![]() |
![]() |
完全移籍 |
1987年8月1日 |
![]() |
![]() |
完全移籍 |
1987年2月3日 |
![]() |
![]() |
完全移籍 |
1986年1月1日 |
![]() |
![]() |
完全移籍 |
1984年10月1日 |
![]() |
![]() |
完全移籍 |
1981年1月1日 |
![]() |
![]() |
完全移籍 |
ドゥンガの監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2015年5月9日 | 2016年6月14日 |
![]() |
監督 |
2014年7月21日 | 2016年6月14日 |
![]() |
監督 |
2012年12月12日 | 2013年10月4日 |
![]() |
監督 |
2006年7月24日 | 2010年7月2日 |
![]() |
監督 |