三都主アレサンドロ

Alessandro SANTOS
ポジション MF
国籍 日本
生年月日 1977年07月20日(48歳)
利き足
身長 178cm
体重 69kg
ニュース 人気記事

三都主アレサンドロのニュース一覧

「レッドブル・グループ」のCEO(最高経営責任者)でもあり、RBライプツィヒでは会長を務めるオリバー・ミンツラフ氏が、RBライプツィヒやレッドブルグループの未来について言及。新たにグループに加わった大宮アルディージャについても語った。ドイツ『キッカー』が伝えた。 10月1日、大宮アルディージャを保有するRB大宮株 2024.10.01 23:45 Tue
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オーストリア・ブンデスリーガのレッズブル・ザルツブルクは24日、サンフレッチェ広島の日本代表MF川村拓夢(24)を完全移籍で獲得したことを発表した。 契約期間は2028年夏までの4年間。背番号は「16」をつけることとなる。 川村は広島県広島市出身で、幼少期から広島のサポーター。2012年に広島のジュニアユー 2024.06.24 16:43 Mon
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清水エルパルスは8日、2024シーズンのキャプテンと副キャプテンを発表した。 2023シーズンは1年でのJ1復帰を目指した中、J2の最終節で敗れ4位に転落。昇格プレーオフでは決勝で東京ヴェルディと引き分けて、J2残留が決定した。 改めてJ1昇格を目指す中で、新たなキャプテンにはFW北川航也、副キャプテンには 2024.02.08 17:55 Thu
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17日に行われる中村俊輔氏の引退試合「SHUNSUKE NAKAMURA FAREWELL MATCH」に追加の参加選手が決定した。 2022シーズン限りで現役を引退した中村氏。今シーズンから横浜FCのコーチを務めていた。 引退試合の開催が決定し、横浜FCで共に戦ったメンバーと、日本代表で共に戦ったメンバー 2023.12.12 18:30 Tue
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元日本代表MF中村俊輔の引退試合、「SHUNSUKE NAKAMURA FAREWELL MATCH」の出場全選手が決定した。 2022シーズン限りで現役を引退した中村。今シーズンは最後のクラブとなった横浜FCでコーチに就任していたが、チームはJ1最下位となり、J2へ1年で降格していた。 その中村は、横浜F 2023.12.06 22:05 Wed
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パトリック、帰化ならず 「残念ながら…」

▽サンフレッチェ広島に所属するブラジル人FWパトリック(30)の日本国籍取得が叶わなかったことが判明した。 ▽2013年の川崎フロンターレ加入を経て、Jリーグを主戦場に活躍するパトリック。一旦の帰国後、2014年途中に加入したガンバ大阪で3冠達成に貢献すると、天皇杯連覇も経験した。 ▽G大阪在籍当時の2016年に帰化、そしてロシア・ワールドカップ出場希望を明らかにしたパトリックは、2017年途中から広島へ。在籍2年目の今シーズンは、明治安田生命J1リーグ首位に立つ原動力として、際立った活躍を続けている。 ▽そのパトリックは、4日に自身のツイッター(@patricaguiar)を更新。ポルトガル語で「帰化できなかった」と綴り、「僕はすごく望んでたけど、残念ながら変えることははうまくいきませんでした。日本の為にプレーできる何かチャンスはあるかなあ?I love japan」と、日本語で残念な思いを吐露している。 ▽日本国籍の条件は、主に日本居住5年や小学2、3年生程度の日本語習得など、いくつかの決して低くないハードルがある。過去、元日本代表FWの呂比須ワグナー氏やDF三都主アレサンドロ、DF田中マルクス闘莉王らが日本国籍を取得している。 2018.05.05 18:50 Sat
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サッカー留学は来年度からNG/六川亨の日本サッカー見聞録

12月18日、E-1選手権で日本は韓国に0-1で敗れて2度目の優勝はするりと手のひらからこぼれ落ちた。韓国は母国開催で初優勝を飾り、合わせて大会3連覇も達成した。 試合は勝利が必要な韓国が立ち上がりから日本を攻め立て、ミドルシュートで先制すると後はカウンターとセットプレーで日本ゴールを脅かした。スペクタクルなサッカーではなかったが、リアリティーを追求。彼らの試合運びを見ていて「大人と子供のサッカー」と感じたのは僕だけではないだろう。 さて、年末を迎えてサッカー界は佳境に入る。19日はインカレの準決勝、明治大対関西学院大、中央大対桐蔭横浜大が行われ、21日は天皇杯準決勝、神戸対清水、鹿島対長崎が行われる。22日にはインカレの決勝戦が浦和駒場で行われ、28日はU-22日本代表対U-22ジャマイカ戦が長崎で開催される。E-1に出場した日本代表から4名が追加される予定だが、誰になるのかこちらも気になるところだ。 そして30日からは年末の風物詩でもある全国高校選手権が開幕する。その高校選手権だが、来年度からJFA(日本サッカー協会)のレギュレーションが変更されるのをご存じだろうか。 2020年2月から、18歳未満の国際移籍選手等のJFA登録手続きについて、高体連チーム、中体連チーム、4種チーム(小学生)の選手の国籍入力を義務付け、FIFA規則に沿った登録手続きに変更することが10月のJFA理事会で承認された。 具体的にどういうことかというと、小中高校の部活動で、海外からのサッカー留学生は1年間なら活動できるが、それ以上長くは登録できないというもの。FIFAの狙いとしては、ヨーロッパのクラブが南米やアフリカ(最近ではアジア)から選手を「青田買い」することを禁止することにある。 唯一の例外として、両親が仕事のために日本に赴任した際は、子供も中高校生なら3年間は部活動ができるといった具合に、家族との同居を条件に認められていることだ。 このため今年で現役を引退した元日本代表DFの田中マルクス闘莉王(千葉・渋谷幕張高校にサッカー留学し、広島、水戸、浦和などでプレー)や、同じく元日本代表の三都主アレサンドロ(高知・明徳義塾高校にサッカー留学し、清水、浦和などで活躍)のような、ブラジル出身で日本国籍を取得して、日本代表としてW杯に出場するような選手は、今後は生まれない可能性が高い。 ちなみにJFAがこのルールを知ったのは、規則違反として今年FIFAから罰金を課されたからでもある。たぶん一番被害を受けるのは高校サッカーだと思うが、あまり周知されていないので今回取り上げてみた。 これを日本国内にも当てはめ、県内出身の選手しか登録できないとしたら高校サッカーの勢力図もかなり変わるだろう。ただし「学問の自由」を奪うとして憲法違反になるのは間違いないだけに、実現の可能性はほとんどないのも確かである。 2019.12.20 22:48 Fri
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あの伝説の2004年アジアカップPK戦に出場していたヨルダン代表GKが現役引退

ヨルダン代表で長らく正守護神を務めたGKアメル・シャフィ(38)が現役引退を発表した。 シャフィは、母国のアル・ファイサリやアル・ヤルムークでプレー。2006年7月からエジプトのイスマイリーでプレー。1年でヨルダンに戻り、アル・ワフダート、シャバーブ・アル・オルドゥンでプレー。2019年1月からはサウジアラビアのアル・フェイハへとレンタル移籍。2020年6月に復帰していた。 ヨルダン代表としては2000年にデビュー。176試合に出場した名守護神として知られ、アジアカップでも4大会に出場。初出場の2004年大会では、伝説の試合に出場していた。 ヨルダン代表が準々決勝に進んだ2004年大会。その相手は日本代表。あのPK戦にまでもつれ込んだ死闘で守護神として出場していた。 1-1で迎えたPK戦では、日本が中村俊輔、三都主アレサンドロが連続で失敗。ここでキャプテンの宮本恒靖が主審に直談判し、PKのエンドを変更。すると福西崇史、中田浩二が成功。ヨルダンの3人目、4人目が失敗すると日本の5人目の中澤佑二が失敗するも、ヨルダンの5人目の失敗。鈴木隆行が成功するとヨルダンは再び失敗し、最後は宮本が決めて勝利した。 シャフィの引退に関しては、ヨルダンサッカー協会が発表。シャフィは「長い検討とアドバイスを経て、人生で最も困難な決断をした。25年のキャリアを終えることを正式に発表する」と語った。 また、「私がヨルダン代表で戦うのと同じレベルで準備をするのは難しいだろうと感じ、トップレベルにいる間に去ることを決意しました」と引退の理由を語った。 2021.02.09 20:20 Tue
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20年目の最終日に白星も日本代表はピンチ!? 使用不可の可能性ある埼スタのW杯予選勝率は驚異の84%

7大会連続のW杯出場に向けて窮地に立たされていた日本代表。しかし、12日に行われたカタール・ワールドカップ(W杯)アジア最終予選のオーストラリア代表戦では2-1と勝利。予選11連勝中と敵なしだったオーストラリアに土をつけた。 その舞台となったのは、埼玉スタジアム2002。今大会の最終予選で初めて日本のサポーターが集まり、1万4437人の後押しを受けて見事に勝利を収めた。 2002年の日韓ワールドカップに向けて建設された埼スタは、これまでも日本代表の試合で数々の名試合が行われた場所でもある。改めて、その歴史をまとめて見た。 <span class="paragraph-title">◆20年目最後の日</span> 埼スタのこけら落としは、2001年10月13日。J1リーグの浦和レッズvs横浜F・マリノスの一戦でスタートする。日本最大のサッカー専用スタジアムとして、浦和の本拠地としてだけでなく、日本サッカーを支える場所となって20年が経過。冒頭の日本vsオーストラリアの一戦は、奇しくも20年目最後の日に開催された。 日本代表の試合が初めて行われたのは、こけら落としからおよそ1年後の2002年11月20日。キリン・チャレンジカップのアルゼンチン代表戦だった。 エルナン・クレスポやファン・セバスティアン・ヴェロン、ハビエル・サネッティなど、当時の主軸が揃った一戦。日本は日韓W杯を戦ったメンバーが中心だったが、0-2で敗れた。 <span class="paragraph-title">◆初勝利は2003年、その後“聖地”へ</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/japan20211015_tw1.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Images<hr></div> 黒星スタートとなった埼スタだが、その後はしばらく使われない。そして記念すべき初勝利は2003年12月7日。東アジアサッカー選手権2003の第2戦の香港代表戦だった。 大久保嘉人(セレッソ大阪)や遠藤保仁(ジュビロ磐田)らが出場した試合は、格下相手に1-0と薄氷の勝利。勝利へと導いたゴールは三都主アレサンドロが決めていた。 当時はかつての国立競技場が健在で、そちらをメインに日本代表の試合が開催。埼スタはメインとしてはあまり使われていなかった。 そんな中、埼スタが日本代表にとって重要な位置付けになっていったのがドイツW杯の予選。当時日本代表を率いていたジーコ監督は1次予選で6連勝を達成。そのうちの3試合が埼スタで行われたが、埼スタでの最初の予選勝利は、今大会で同組となっているオマーン代表。久保竜彦のゴールで1-0と勝利した。 そこから埼スタでのW杯予選連勝街道が始まると、ドイツW杯予選で合計5試合、南アフリカW杯予選で4試合、ブラジルW杯予選で5試合、ロシアW杯予選では9試合と毎年のようにW杯予選が埼スタで行われ、大会を追うごとに開催試合数が増えているのがわかる。 無敗を継続した日本は、引き分けも2008年のウズベキスタン代表戦と2015年のシンガポール戦の2 試合のみ。埼スタでの試合は勝利するという空気感も連勝街道を後押ししたはず。負けられないW杯予選での使用回数が増えたのも納得だろう。 そんな埼スタで初めて黒星を喫したW杯予選は、2016年9月1日に行われたロシアW杯アジア最終予選初戦のUAE代表戦。本田圭佑のゴールで先制した日本だったが、その後の2失点で1-2で敗れた。W杯予選においては、この試合が唯一の埼スタでの黒星となっている。 <span class="paragraph-title">◆勝率8割超の“劇場型スタジアム”</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/japan20211015_tw2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Images<hr></div> 12日に行われたオーストラリア代表戦も、最終予選初出場の田中碧が代表初ゴールで早々に先制し、PKを与えたシーンもVARチェックでFKに変更。運も味方したかと思った瞬間にFKを叩き込まれ、追いつかれる展開に。攻めあぐね、引き分けもチラついた中で、相手のオウンゴールで劇的勝利を収めた。 埼スタではこれまで数多くのドラマが生まれており、2016年10月6日のイラク代表戦では、UAEに敗れた次のホームゲームで、追いつかれて1-1のドローに終わると思われた後半アディショナルタイムに、こぼれ球をMF山口蛍がダイレクトで蹴り込み劇的勝利を収めたことは記憶にあるだろう。 2011年9月2日に行われたブラジルW杯アジア3次予選では、現キャプテンのDF吉田麻也が後半アディショナルタイムにヘディングシュートを叩き込み、1-0で勝利を収めていた。 2008年6月22日に行われた南アフリカW杯アジア3次予選のバーレーン戦も、90分に内田篤人のゴールが決まり1-0の勝利。土壇場での勝利が多いのも“聖地”ならではかもしれない。勝ってはいないが、2013年6月4日、ブラジルW杯最終予選のオーストラリア戦も、終盤に先制を許して敗色濃厚の中、90分に本田がPKをど真ん中に蹴り込み、引き分けに持ち込んでW杯出場を決めた。 ファンの熱気も高まる埼スタは日本代表にとっての“聖地”となり、これまでのW杯予選での戦績は25試合を戦い、21勝3分け1敗で勝率は驚異の84%を誇る。日本に敗れたオーストラリアのグラハム・アーノルド監督は敗因について「何が違ったかというと、大勢のファンがいたことだと思う。日本はこの3試合それがなく、今回の試合に関して日本はエネルギーを必要としていた。それを味方にできたと思う」と語っていた。相手にとっても、嫌なイメージがあるスタジアムとなっている。 <span class="paragraph-title">◆“聖地”が使用できないピンチが?</span> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2021/japan20211015_tw3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Images<hr></div> カタールW杯アジア最終予選の残りのホームゲームは3試合。中国、ベトナム、サウジアラビアとの試合が残っている。いずれも試合は2022年に入ってから。日本としてはこの3試合も、勝率8割超えの埼スタで行いたいところだろう。 しかし、埼スタは来年3月までに大規模な芝の張替えを計画。最終予選の日程と重なっており、日本代表だけでなく、本拠地とする浦和も使用が難しくなっている。 データだけを見れば勝率8割超え。5試合を戦えば4勝できると考えれば、残りの3試合も勝利する可能性が高く、そうなればW杯出場へ大きな後押しになるのだが、ピンチが訪れることとなった。JFAの田嶋幸三会長も「何とかできないかお願いしていきたい」と語っており、使用できるかは不透明。これからも埼スタが日本代表の心強い味方になれるのか注目だ。 <span class="paragraph-title">★埼玉スタジアム2002でのW杯予選結果</span> <span data-other-div="data"></span> ◆ドイツW杯(2006) ・1次予選 【2004年】 2月18日 日本 1-0 オマーン 久保竜彦(93分) 6月9日 日本 7-0 インド 鈴木隆行(17分、54分) 福西崇史 (25分、60分) 中村俊輔 (29分) 中澤佑二 (65分、76分) 小笠原満男 (68分) 11月7日 日本 1-0 シンガポール 玉田圭司(13分) ・最終予選 【2005年】 2月9日 日本 2-1 北朝鮮 小笠原満男(4分) 大黒将志(90+1分) 3月30日 日本 1-0 バーレーン オウンゴール(71分) ◆南アフリカW杯(2010) ・3次予選 【2008年】 2月6日 日本 4-1 タイ 遠藤保仁(21分) 大久保嘉人(54分) 中澤佑二(66分) 巻誠一郎(90+1分) 6月22日 日本 1-0 バーレーン 内田篤人(90分) ・最終予選 【2008年】 10月15日 日本 1-1 ウズベキスタン 玉田圭司(40分) 【2009年】 3月28日 日本 1-0 バーレーン 中村俊輔(47分) ◆ブラジルW杯(2014) ・3次予選 【2011年】 9月2日 日本 1-0 北朝鮮 吉田麻也(90+4分) ・最終予選 【2012年】 6月3日 日本 3-0 オマーン 本田圭佑(11分) 前田遼一(51分) 岡崎慎司(54分) 6月8日 日本 6-0 ヨルダン 前田遼一(18分) 本田圭佑(21分、30分、53分) 香川真司(35分) 栗原勇蔵(89分) 9月11日 日本 1-0 イラク 前田遼一(25分) 【2013年】 6月4日 日本 1-1 オーストラリア 本田圭佑(90+1分) ◆ロシアW杯(2018) ・2次予選 【2015年】 6月16日 日本 0-0 シンガポール 9月3日 日本 3-0 カンボジア 本田圭佑(28分) 吉田麻也(50分) 香川真司(61分) 【2016年】 3月24日 日本 5-0 アフガニスタン 岡崎慎司(43分) 清武弘嗣(58分) オウンゴール(63分) 吉田麻也(74分) 金崎夢生(78分) 3月29日 日本 5-0 シリア オウンゴール(17分) 香川真司(66分、90分) 本田圭佑(86分) 原口元気(90+3分) ・最終予選 【2016年】 9月1日 日本 1-2 UAE 本田圭佑(11分) 10月6日 日本 2-1 イラク 原口元気(25分) 山口螢(90+5分) 11月15日 日本 2-1 サウジアラビア 清武弘嗣(45分) 原口元気(70分) 【2017年】 3月28日 日本 4-0 タイ 香川真司(8分) 岡崎慎司(19分) 久保裕也(62分) 吉田麻也(83分) ◆カタールW杯(2022) ・2次予選 【2019年】 10月10日 日本 6-0 モンゴル 南野 拓実(22分) 吉田 麻也(29分) 長友 佑都(33分) 永井 謙佑(40分) 遠藤 航(56分) 鎌田 大地(82分) ・最終予選 【2021年】 10月12日 日本 2-1 オーストラリア 田中碧(8分) オウンゴール(86分) <span class="paragraph-title">【動画】2年前は埼スタでどこと戦った?日本代表がゴールショー</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="zCMNw8VBJw0";</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2021.10.15 06:35 Fri
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日本代表、W杯メンバー選出の難しさ…監督の方針に見る歴史/六川亨の日本サッカーの歩み

前回のコラムの続編をお届けしよう。 4年に一度、W杯最終メンバー発表時における「サプライズ選出」と「サプライズ選外」だが、日本が初出場した98年フランスW杯での"キング"カズこと三浦知良の「メンバー外」は衝撃的であり驚きでもあった。 25名の選手をキャンプに帯同して、最終的に22人にメンバーを絞る――それ自体は悪いことではないと思われたものの、「落選」した3選手の心情に対する配慮が欠けていたことは否めない。 テレビ的にはたぶんに"ショー的要素"があり、ましてや落ちたのがカズだけに多くの反響を呼んだ。しかしJFA(日本サッカー協会)はこの反省を生かし、それ以降のメンバー発表は必ずホテルで、選出された選手のみの発表にとどめてきた。選外となった選手への質問には監督、技術委員長とも一切答えなかった。そしてそれは現在も続いている。 話を20年ほど前に戻すと、カズに続き4年後の2002年日韓W杯でも「サプライズ選出」が続いた。負傷の名波浩から『背番号10』を受け継いだ中村俊輔のメンバー落ちである。代わりに入ったベテランの中山雅史と秋田豊は「サプライズ選出」だったものの、さほど世間の注目は集めなかった。 中村俊の選外については、同じポジションに小野伸二や三都主アレサンドロらがいたためポジションがないとか、彼のプレースタイルをフィリップ・トルシエ監督が嫌ったと言われたものだ。それらも外れた理由の一つかもしれないが、さらなる原因として彼のベンチでの態度を問題視する関係者もいた。 当時の中村俊は6月に24歳になったばかり。2年前には最年少でJリーグの最優秀選手賞と、日本年間最優秀選手賞を受賞するなど選手としてピークにあった。しかし代表の試合でベンチにいると、仲間とチームを応援するというよりは「自分の世界」に閉じこもっている印象を受けた。 選手には、「格」というものがあると思っている。その「格」から言うと、当時のカズも中村俊もベンチスタートの選手ではなかった。ベンチにいてチームを盛り上げるような、"裏方"の選手ではないのだ。だからこそ、「サプライズ選出」はゴンであり秋田だったのかもしれない。地元開催でベスト16進出がノルマとなる、これまで経験したことのないような強烈なプレッシャーのかかる大会では、2人のベテランの力が必要だったのだろう。 2006年のドイツW杯は中村俊を始め中田英寿、小野伸二、小笠原満男、稲本潤一ら中盤にタレントを擁し、なおかつ選手としてピークを迎えているため期待も高かった。「サプライズ選出&選外」はケガの多かったFW久保竜彦に代わり長身選手の巻誠一郎がメンバー入りしたことだろう。 しかし多くのタレントをジーコ監督は使い切れずと言ったら語弊があるかもしれないが、競争原理からメンバーを固定したことで、かえってチームの統率を欠くことになった。ここらあたりが外国人監督の難しさ、日本人のメンタリティーとの違いと言えるかもしれない。 2014年ブラジルW杯のアルベルト・ザッケローニ監督もメンバーを固定する傾向にあり、「サプライズ選出」として2年ぶりに大久保嘉人を代表に復帰させた。しかしジーコ監督と同様に初戦でコートジボワールに1-2と逆転負けすると(ドイツW杯ではオーストラリアに1-3)、固定メンバーの弊害からかチーム内に不協和音が出始める。 続く第2戦で勝っていれば良かったが、ブラジルではギリシャに、ドイツでもクロアチアに0-0と引き分けて窮地に追い込まれ、第3戦で大敗してグループリーグ敗退が決まった。本田圭佑や岡崎慎司、香川真司らがピークを迎えたブラジルW杯だっただけに、もったいない敗退だった。 その一方で、2010年の南アW杯では2度目のチャレンジとなる岡田武史監督がベスト16進出を決めた。34歳のベテランGK川口能活に、出場機会はほとんどないながらもチームのまとめ役を託した。そしてエースの中村俊が右足首からの負傷が最後の最後まで癒えないと判断すると、本田圭佑を中村俊とポジション争いをしていた右MFではなく1トップに抜擢。阿部勇樹をアンカーに、松井大輔と大久保嘉人を両サイドMFに起用する4-1-4-1の布陣を採用してグループリーグ突破に成功した。 この柔軟性は18年ロシア大会の西野朗監督にも当てはまるのではないだろうか。4年前の"絶対的なエース"だった本田と岡崎、香川はヴァイッド・ハリルホジッチ監督の下ではポジションを確約されるかどうか微妙な立場だった。「個人的なスター」を嫌うのはトルシエ監督とそっくりで、それはフランス人のメンタリティーではないかと疑ったものだ。 そんな彼らをジョーカーとしてベンチに置きつつ(香川はスタメンで起用)、要所で起用した。ケガがあったとはいえ岡田監督は中村俊を、西野監督は本田や岡崎にベンチスタートを納得させた。これは、日本人監督ならではの「和をもって貴しとなす」といった選手の起用法ではないだろうか。 そうした視点からすると、繰り返しになるが森保一監督に「サプライズ選出」も「サプライズ選外」もないだろう。注目すべきは誰をスタメンに起用し、ベンチに温存するか。これに関してはカタール入りしてから試合前日まで悩むことだろう。そこで選手の序列に変化があるのかどうか。それも森保監督の采配の見どころと言えるかもしれない。 2022.10.31 19:00 Mon