名良橋晃
Akira NARAHASHI
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| ポジション | DF |
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日本
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| 利き足 | |
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| ニュース | 人気記事 |
名良橋晃のニュース一覧
名良橋晃の人気記事ランキング
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父は元日本代表DF、GK名良橋拓真が世代を超えた2ショット「昔からの鹿島サポーターの方には胸アツ2ショットなはず。笑」
テゲバジャーロ宮崎のGK名良橋拓真が世代を超えた2ショットを披露して話題となっている。 元日本代表DF名良橋晃氏の息子として知られる名良橋は、川崎フロンターレU-18、阪南大学を経て、2021年に藤枝MYFCに加入。2023シーズンはJFLの沖縄SVでプレーし、2024シーズンは宮崎でのプレーが決まっている。 宮崎県でキャンプを行っているクラブは、鹿島アントラーズとの練習試合を開催。そこで、名良橋は幼き頃から知る鹿島のレジェンドとも再会していたようだ。 名良橋は30日に自身のX(旧ツイッター)を更新すると、鹿島のクラブ・リレーションズ・オフィサー(C.R.O)を務めているクラブOBで元日本代表DFの中田浩二氏との2ショットを披露した。 「先日のTRMで浩二さんと久々に 昔からの鹿島サポーターの方には胸アツ2ショットなはず。笑」 中田氏は1998年に鹿島に入団。1997年に鹿島に加入した名良橋晃氏とともに鹿島の黄金期の主力選手として活躍していた。 世代を超えた2ショットには、ファンからも「最高」、「胸アツ」、「素敵な写真」、「良きツーショット」とコメントが寄せられていた。 <span class="paragraph-title">【写真】名良橋拓真が世代を超えた2ショット!</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet" data-media-max-width="560"><p lang="ja" dir="ltr">先日のTRMで浩二さんと久々に<br><br>昔からの鹿島サポーターの方には胸アツ2ショットなはず。笑 <a href="https://t.co/V8ybakETFR">pic.twitter.com/V8ybakETFR</a></p>— 名良橋 拓真 (@takumanarahashi) <a href="https://twitter.com/takumanarahashi/status/1752285618653262075?ref_src=twsrc%5Etfw">January 30, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.01.31 15:30 Wed2
父は元日本代表、藤枝退団のGK名良橋拓真がJFLの沖縄SVに加入「現役を辞める事も考えていたのですが…」
藤枝MYFCは24日、GK名良橋拓真(25)がJFLの沖縄SVへ移籍することを発表した。 名良橋は元日本代表DF名良橋晃氏の息子として知られる。 名良橋は、川崎フロンターレU-18、阪南大学を経て、2021年に藤枝入り。加入初年度こそ明治安田生命J3リーグで3試合に出場したが、チームが2位でJ2昇格を決めた2022シーズンは出番がなかった。 名良橋は沖縄SVを通じてコメントしている。 「沖縄SVに関わる全ての皆様、はじめまして。藤枝MYFCから加入する事になった名良橋拓真です。藤枝を契約満了になってから、様々な事もあり現役を辞める事も考えていたのですが、そんな状況の自分を沖縄SVに拾って頂きました」 「その時点で僕は沖縄SVの為に全てを捧げて戦うという覚悟を決め、この日差しの強い暖かな沖縄の地を踏み締めた瞬間、その覚悟はより一層強いものとなりました」 「チームの目標であるJ3昇格。沖縄SVは地域リーグから上がってきたばかりですが、どのチームも開幕戦を迎える時は勝点0の横一線からのスタートです。そこから一番最後にJ3昇格という最高の景色を沖縄SVに関わる全ての皆様と共に見るために、そして暑い沖縄の地で戦う僕らを応援して下さる皆様の心を熱くしたい。その思いを胸に自分の持っているものを全て出し切り精一杯頑張ります。 是非とも応援よろしくお願い致します」 2023.02.24 14:27 Fri3
内田篤人の引退で思い出した選手/六川亨の日本サッカーの歩み
記録というのは、更新されるときも、ストップされるときも、あっけないものだと痛感させられた。 23日のJ1リーグ、ここまで10連勝の川崎Fは名古屋の倍の12本のシュートを放ちながら、金崎夢生の今シーズン初ゴールの一発に沈んだ。C大阪戦の勝利で最多連勝記録を更新したことで、名古屋のモチベーションがアップしていたことは想像に難くない。鬼木監督も「名古屋は集中していました」と対戦相手を称えた。 そしてオルンガである。チーム記録より個人記録の方が更新しやすいのではないかと思ったが、前半から大分の徹底マークに苦しみ、連続得点は7試合でストップ。先週のコラムでも紹介したように、J1リーグとJSL(日本サッカーリーグ)の連続得点試合の記録は奇しくも「8」試合。この数字は、そう簡単にはクリアできない“壁"として今後も立ちはだかるのかもしれない。 そして23日の試合で最も注目を集めたのは、言うまでもなく内田篤人のラストゲームだった。新型コロナの影響がなければ、カシマスタジアムでは盛大な引退セレモニーが行われたことが予想されるだけに、残念でもある。しかし試合後のスピーチでは飾らない彼らしいメッセージを発したし、24日にはwebでメディアの質問にも答えたので、それをご覧になったファン・サポーターも多いことだろう。 彼については、すでに多くのメディアがプレーと人柄について語り、会見の様子も報道されているので、今回は簡単に触れておこう。 ラストゲームとなったG大阪戦のプレーを見る限り、まだまだ現役でやれるという印象を持った。しかし内田は24日の会見で、引退を決意したルヴァン杯の清水戦を振り返り、「危ないと思っているところに行けなかったり、自分が行かなきゃいけないところにスピードが間に合わなかったり」と、本人にしかわからない“衰え"を感じたことを明かした。 まだ32歳。内田自身も「32歳はまだ若い方」と認めながら、「膝を手術して、1〜2年の空白が効いたな。技術ではなく運動能力、蹴る、走る、止まるなどがガクンときたかな」と、ケガが思いのほか選手生命に影響を及ぼしたことも告白した。 内田はシャルケ時代の15年に右膝の膝蓋腱(しつがいけん)を傷め、出術したものの完治することなく2年間のブランクの後に17年、2部のウニオン・ベルリンへ移籍。しかし同クラブでは2試合の出場にとどまり18年に鹿島へ復帰した。 内田に限らず、これまでにも多くの選手が膝の負傷に苦しめられ、引退を余儀なくされてきた。例えば柏や清水で活躍した北嶋秀朗を晩年に取材したときは、撮影用にバックスタンドに座ってもらったものの、階段を昇ることはできても下りるときは手すりにつかまり、自宅の階段には手すりをつけていると教えてくれた。それでも試合になればケガを感じさせない鬼気迫るプレーをしていた。 まだ現役のゴン(中山雅史)は、数年前は足を引きずるようにしないと歩けなかった。見ていて痛々しかったが、懸命なリハビリのおかげか最近は普通に歩けるまで回復した。それだけ膝は選手生命を左右する、代えのきかない重要なパーツでもある。 そして内田の引退試合を見ていて思い出した選手がいた。選手というよりは、ある選手が膝を負傷した瞬間と言った方が正しいだろう。それは2000年12月の第80回天皇杯準決勝、今回と同じ鹿島対G大阪戦でのことだった。 当時は初の3冠を達成するなど全盛期を迎えていた。そんな鹿島の右SBは名良橋晃、そして左サイドは日本代表でもコンビを組み、フランスW杯に出場した相馬直樹だった。当時の鹿島はジョルジーニョやビスマルクがゲームを作っていたが、名良橋いわく「ジョルジーニョやビスマルクは右利きのため、右足でのパスが多い。そこでピッチ中央でボールを持つと左サイドの方が見やすいため、攻撃は左サイドに展開することが多かった」そうだ。 そしてG大阪戦で相馬が左サイド深く、スピードに乗ってゴールラインまで侵入して左足クロスを上げて着地した瞬間、記者席からも変な形に左膝をヒネったことが推測できた。タテへのスピードを殺すため、キックした後にジャンプして力を逃がしたまではよかったが、着地の際に全体重が左足の膝にかかってしまったようだ。そのまま倒れ込む相馬。診断は左膝外側半月板損傷の重傷だった。 1年近いリハビリを経て02年に東京Vに期限付き移籍し、03年に鹿島へ復帰後、04年に川崎Fへ完全移籍してJ1昇格に貢献したが、翌05年に引退を表明した(その後は町田や川崎Fの監督を歴任)。 内田と同じ静岡の名門・清水東高出身で、早稲田大を経て鹿島に入団し、不動の左SBとして鹿島の黄金時代に貢献した。 内田もケガに悩まされたが、シャルケではCLで29試合の出場記録を誇る。これは日本人で第1位の記録である。そのシャルケでは、公式戦通算153試合に出場し2ゴール18アシストという数字を残した。 24日のメディアとのweb会見では、様々な“名言"を残した。機会があったら是非とも読んでいただきたいが、個人的に印象に残った言葉を紹介しよう。 まずは高校時代にSBにコンバートされた経緯だ。 「(ホワイトボードの自分の)磁石がSBの上に置かれていた。点を取れないのでSBかな。誰でもできるポジションだけど、ボクには合っていた。理不尽な練習も多かった。『ザ高校サッカー』みたいな練習が僕に合っていた」 一見、優しそうな外見からクラブ育ちの印象を受けるが、根はスパルタ式の高校サッカー育ちである。そして選手としてプロになれるかどうかについては次のように持論を述べた。 「プロになれない子どもたちがほとんどで、その中でなれる選手、なれない選手は何が違うか考えたとき、半分くらいは運もあると思う。自分で努力しているなと思っているのは違う。サッカーが好きで、『続けていたらプロになった』方がボクにはしっくりくる」 努力を努力と感じない。それも一種の才能であり、天才の証と言えるのではないだろうか。 2020.08.25 15:00 Tue
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父は元日本代表の晃氏!藤枝が阪南大学卒のGK名良橋拓真を獲得!
藤枝MYFCは16日、阪南大学卒のGK名良橋拓真(23)の加入内定を発表した。 元日本代表DFの名良橋晃氏を父に持つ名良橋は、川崎フロンターレの下部組織で育ち、阪南大学に進学。2020年3月に阪南大学を卒業して無所属になっていたものの、プロ入りが決まった同選手はクラブ公式を通じてコメントしている。 「この度 藤枝MYFCに加入することになりました、名良橋拓真です。まずはこの場を借りて、両親はもちろん、これまでの自分の人生に関わって頂いた全ての方、無所属の期間に支えて下さった方々に感謝の気持ちを伝えると共に、それをプレーでも表していきます」 「幼い頃からの夢でもあるサッカー選手としてのキャリアを、この藤枝の地でスタートできることをとても嬉しく思います。少しでも早く試合に出場し、藤枝MYFCのJ3優勝に貢献して、サポーターの皆様と喜びを分かち合いたいと思います。応援よろしくお願いします」 2021.01.16 11:34 Sat5

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