シシーニョ

SISINIO
ポジション MF
国籍 スペイン
生年月日 1986年04月22日(38歳)
利き足
身長 168cm
体重 60kg
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シシーニョのニュース一覧

▽Jリーグは6日、明治安田生命J1リーグ第32節、明治安田生命J2リーグ第41節、第42節、明治安田生命J3リーグ第31節の出場停止選手を発表した。 ▽今週末、鹿島アントラーズvs浦和レッズ以外に試合が行われなかったJ1は、前節セレッソ大阪戦で一発退場となった大宮アルディージャのMFマテウスのみが出場停止。マテウ 2017.11.06 18:14 Mon
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▽Jリーグは31日、明治安田生命J1リーグ第32節、明治安田生命J2リーグ第40節、第41節、明治安田生命J3リーグ第30節の出場停止選手を発表した。 ▽J1はセレッソ大阪戦で一発退場となった大宮アルディージャのMFマテウスのみが出場停止。マテウスがマテイ・ヨニッチに対してヒジを打ちつけたとして「乱暴な行為」に該 2017.10.31 19:56 Tue
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ジョバニ・ドス・サントスがクラブ・アメリカを退団

クラブ・アメリカは16日、元メキシコ代表FWジョバニ・ドス・サントス(32)が退団したことを発表した。 バルセロナのカンテラ出身であるドス・サントスは、2007-08シーズンにトップチーム昇格を果たすも、トッテナムやマジョルカ、ビジャレアルといったクラブを渡り歩き、2015年夏にLAギャラクシーへ移籍。同クラブでは在籍4シーズンで公式戦88試合に出場し28ゴール19アシストを記録。だが、契約最終年となった2018シーズンはリーグ戦14試合で3ゴールと思うような活躍を見せることはできず。そのままLAギャラクシーを退団。 LAギャラクシー退団以降、フリーの状況が続いていたドス・サントスだが、2019年の夏にドス・サントスの父親であるシシーニョ氏が2度に渡って在籍していたクラブ・アメリカへと加入。クラブ・アメリカでは在籍2シーズンで公式戦42試合に出場し4ゴール2アシストを記録したが、今季は公式戦18試合の出場にとどまっていた。 なお、クラブ・アメリカはレアル・マドリーのカスティージャからレンタル移籍していたFWセルヒオ・ディアス(23)の退団も併せて発表している。 2021.06.17 07:30 Thu
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愛媛が3選手の契約満了を発表 MF清川流石は下部組織合わせて8年間在籍

愛媛FCは12日、MF清川流石(24)、MF竹嶋裕二(21)、MFシシーニョ(34)の契約満了を発表した。 愛媛の下部組織で育った清川は、びわこ成蹊スポーツ大学を経て2019年に復帰。初年度は天皇杯1試合の出場にとどまったが、今シーズンはここまで明治安田生命J2リーグ16試合に出場している。 竹嶋はジェフユナイテッド千葉の下部組織から2018年に加入した。ここまでクラブ公式戦通算6試合に出場しており、今シーズンはJ2リーグ1試合でプレーしている。 バレンシアの下部組織出身のシシーニョは、2015年夏までスペイン国内でプレーしたのち海外へ進出。2017年にFC岐阜へ加入してJリーグ参戦を果たした。その後、徳島ヴォルティスを経て今シーズンから愛媛に入団。しかし、ここまでは未だJ2リーグ1試合のみの出番となっている。 退団が決まった各選手はクラブ公式サイトを通じて以下のように別れのコメントを残している。 ◆清川流石 「今シーズン限りで愛媛FCを離れることが決まりました。愛媛FCに関わるファン、サポーター、スポンサーの皆様。この状況下の中でも愛媛FCのためにご支援、ご声援いただきありがとうございました!」 「そして、ジュニアユース時代から携わっていただいたスタッフの方々、愛媛でプレーする機会を与えてくださいました児玉強化部長。川井監督、そしてコーチ陣の方々には心から感謝をしています。一つ一つの言葉に愛があったことをとても実感しています。今、素直に湧き出てくる感情はこれまで共にした人達と、愛媛FCに関わる全ての人への感謝の気持ちです」 「約8年間、愛媛FCと共に歩んできた時間を、この大好きなオレンジのユニフォームに袖を通し、共に戦えた日々を誇らしく、嬉しく思います! 本当にありがとうございました。これからの愛媛FCの飛躍を祈念しています」 ◆竹嶋裕二 「3年間ありがとうございました。チームの力になれず申し訳ありません。正直、3年間めちゃくちゃキツい時の方が多かったです。ただ、僕をこの世界に入れてくれた児玉強化部長には感謝しています」 「そして、特にグッピーさん、裕人くん、ぐれくん、流石くん、拓夢には色々とお世話になりました。ありがとう! 若手の皆、頑張って! 愛媛が大好きです! またどこかでお会いしましょう!」 ◆シシーニョ 「僕にまたサッカーするチャンスをあげてくれた愛媛FCに感謝の気持ちしかありません。ずっと怪我で試合出れなくてサポーターの皆さんに謝りたくくてサポーターから優しい言葉をいただいことはありがたいことです」 2020.12.12 20:20 Sat
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LAギャラクシー退団のFWジョバニ・ドス・サントスが母国帰還へ

今年3月にメジャーリーグ・サッカー(MLS)のロサンゼルス・ギャラクシーを退団したメキシコ代表FWジョバニ・ドス・サントス(30)が、母国メキシコのクラブ・アメリカに加入することが決定的となった。フランス『レキップ』が伝えている。 LAギャラクシー退団以降、フリーの状況が続いていたドス・サントスだったが、今回母国のクラブ・アメリカと年俸260万ユーロ(約3億1000万円)の2年契約で合意に至ったという。また、背番号10を付けることになるようだ。 なお、クラブ・アメリカはドス・サントスの父親であるシシーニョ氏が2度に渡って在籍していたクラブでもある。 バルセロナのカンテラ出身であるドス・サントスは、2007-08シーズンにトップチーム昇格を果たすも、トッテナムやマジョルカといったクラブを渡り歩き、2013年夏にビジャレアルへ移籍。同クラブでの在籍2シーズンで主力として活躍し、2015年夏に元イングランド代表MFスティーブン・ジェラードやアイルランド代表FWロビー・キーンが在籍していたLAギャラクシーに加入していた。 LAギャラクシーでは公式戦88試合に出場し28ゴール19アシストを記録。だが、2018シーズンはリーグ戦14試合で3ゴールと思うような活躍を見せることはできず。 そして、ドス・サントスは、4シーズンを過ごし実弟のジョナタンも在籍するLAギャラクシー退団を決断していた。 2019.07.06 17:11 Sat
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Jリーグに選手・コーチとして計5年間…元U-21スペイン代表MF“シシ”が日本時代を回想「それまで知らなかったよ」

2023シーズンの徳島ヴォルティスでアシスタントコーチを務めた元U-21スペイン代表MFシシーニョ氏(37)。計5年間過ごした日本時代を振り返った。 20代前半の頃、2007-08シーズンにラ・リーガのバジャドリーで脚光を浴びたのち、チームメイトの影響で以前から興味があったという日本への渡航を30代にして決意した“シシ”ことシシーニョ氏。アビスパ福岡MF城後寿の“ファン”としても知られる。 2017年にFC岐阜入りすると、18〜19年は徳島、20年は愛媛FCと計3クラブでプレー…世代別スペイン代表の経験も持つ小柄なアタッカーは、四国・愛媛で現役再活にピリオドを打った。 引退後は古巣バジャドリーの育成年代で指導者キャリアをスタートし、2023シーズンから徳島のコーチに。ただ、チームはJ2リーグで10勝19分け13敗の15位フィニッシュと、2005年のJリーグ参入以降で最低タイの順位に。シシーニョ氏は徳島に2度目の別れを告げることとなった。 一番の親友は14歳から付き合いがあるダビド・シルバ氏という37歳は、現在スペインに帰国し、自宅のあるアルバセテで指導者キャリア再開に向けて英気を養っている最中。そんななか、スペイン『Relevo』のインタビューで日本時代を振り返った。 「日本の人たちというのは非常に思慮深く、隣人のことを気にかける。自らの立ち振る舞いを意識し、他人に迷惑をかけていないか常に考える。スリッパを履いたままトイレへ入ることは決してない」 「岐阜、徳島、愛媛…3年ちょっとで3クラブに所属した。私はその経験が欲しく、何より言語を学びたかった。日本へ行く外国人選手には通訳が付くことが多く、言語を学ばなくても通訳が問題を解決してくれる」 「だが、私は英語も話せないまま日本へ行き、通訳もいない。恥ずかしがることなく日本語を勉強できただろうか。日本では自らの発する言葉や行動を自分自身がよく理解しておくべき…キミ(インタビュアー)に説明してもどうゆうことかピンとこないだろう(笑) 私も実際に体感して理解した」 母国スペインを飛び出したのち、韓国、ポーランド、ギリシャを経て、最後は日本でプレーしたシシーニョ氏。以前から興味があった日本という“国”だが、“サッカー”の面でも選手キャリアの最後に前向きな驚きがあったという。 「日本にあれほどハイレベルなサッカー、各クラブのカラー、あんなに素晴らしいスタジアムがあるなんて…僕はそれまで知らなかったよ」 2024.01.11 20:00 Thu
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レアル・マドリーやローマでプレーした元ブラジル代表DFシシーニョが現役引退

▽レアル・マドリーやローマでプレーした元ブラジル代表DFシシーニョ(37)が6日に現役引退を発表した。『ESPN』など複数メディアが伝えている。 ▽先日にブラジル4部のブラジリエンセとの契約を解消したシシーニョは6日、ヒザのケガを理由に現役を引退することを古巣サンパウロの首脳陣と共に出席した公式会見の場で明かした。 「今回の声明は僕の将来についてのものであり、自分のフットボールキャリアにおいて重要なことを成し遂げたこの場所(サンパウロ)でヒザの問題からキャリアを終えることを言うためにここに来た。まずはこの機会を与えてくれたことに感謝したい」 「僕は今回の決断に関して満足している。同時に穏やかな気持ちでいるよ。ヒザの軟骨や水が溜まるという問題に1年ほど悩まされてきた。さらに、今後キャリアを継続するためには新たに手術を受けて、6カ月以上のリハビリを行う必要があるんだ」 ▽また、シシーニョは引退後のプランに関して、しばらくの休暇を経た後にゴイアスにあるスポーツセンターでサッカーに関わる仕事に就く予定であることを明かした。 「数カ月は家族と一緒に多くの時間を過ごすつもりだ。アスリートの生活は家族にも負担を強いるものだし、この休暇期間を妻や娘のために捧げるつもりだ」 「その後はゴイアスにあるスポーツセンターでのプロジェクトのことを考えている。僕はそこのサッカースクールで働くつもりだ。これまでにも幾度か講演に招かれたことがあるんだ」 ▽ブラジルのボタフォゴでプロキャリアをスタートしたシシーニョは、アトレチコ・ミネイロを経て2004年にサンパウロに加入。同クラブで卓越したスピードと攻撃性能を武器に攻撃的な右サイドバックとしてブレイクを果たすと、2005年のコパ・リベルタドーレス、FIFAクラブ・ワールドカップ制覇に貢献した。 ▽その後、ブラジル代表として臨んだFIFAコンフェデレーションズカップでの活躍を経て2005年冬にレアル・マドリー移籍を果たすも、思うような出場機会を得られず、2007年にはローマへ完全移籍。同クラブでは加入2シーズンでレギュラーを務めるも徐々に出場機会を失い、古巣サンパウロやビジャレアルへの武者修行を経験した。 ▽キャリア晩年は母国のスポルチ・レシフェ、トルコのスィヴァスシュポルを渡り歩き、2017年からは前述のブラジリエンセでプレーしていた。 ▽また、ブラジル代表では通算17試合に出場し1ゴールを記録していた。 2018.03.07 03:13 Wed