平山相太

Sota HIRAYAMA
ポジション FW
国籍 日本
生年月日 1985年06月06日(40歳)
利き足
身長 190cm
体重 85kg
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平山相太のニュース一覧

14日に行われたEAFF E-1サッカー選手権の香港代表戦で、日本代表FW小川航基(水戸ホーリーホック)が偉大な記録を達成した。 日本代表に初招集された小川は、この香港戦でA代表デビュー。すると、2-0で迎えた26分にボックス手前で反転シュートを決めて代表初ゴールを記録。さらに前半アディショナルタイム1分には、右 2019.12.14 20:47 Sat
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◆平山相太 【Profile】 国籍:日本 誕生日:1985/6/6 現役時代ポジション:FW クラブ:ヘラクレス、FC東京、ベガルタ仙台 身長:190㎝ 体重:85kg ▽『今日の誕生日は誰だ!』6月6日は、元日本代表FW平山相太氏だ。 ▽“怪物ストライカー”と称され、恵まれた身長と優れた得 2018.06.06 07:00 Wed
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▽FC東京は2月28日、3月3日に味の素スタジアムで行われる明治安田生命J1リーグ第2節のベガルタ仙台戦で2017シーズン限りで現役を引退した元日本代表FW平山相太氏の引退セレモニーを実施することを発表した。 ▽平山は国見高校時代に“怪物"と呼ばれ、全国高校サッカー選手権では2年次、3年次と史上初の2大会連続で得 2018.03.01 08:54 Thu
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▽先週末のことだ。“怪物“と呼ばれたストライカーが現役生活に別れを告げた。仙台のFW平山相太である。彼のプレーを初めて見たときは衝撃的だった。第82回高校選手権で、平山や1年生ながら国見高校のエースとして活躍し、得点王となってチームを優勝に導いた。 ▽190センチの長身を利したヘディングの強さはもちろんのこと、リ 2018.01.29 17:30 Mon
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▽26日に現役引退を発表したベガルタ仙台の元日本代表FW平山相太(32)。これを受けてかつての同僚たちが労いのメッセージを送っている。 ▽国見高校時代に、全国高校サッカー選手権では2年次、3年次と史上初の2大会連続で得点王に輝き“怪物”と呼ばれた平山。Jリーグや欧州クラブからのオファーもある中、筑波大学へと進学し 2018.01.27 13:24 Sat
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【六川亨の日本サッカーの歩み】かつて“怪物“と呼ばれたストライカーが現役を引退

▽先週末のことだ。“怪物“と呼ばれたストライカーが現役生活に別れを告げた。仙台のFW平山相太である。彼のプレーを初めて見たときは衝撃的だった。第82回高校選手権で、平山や1年生ながら国見高校のエースとして活躍し、得点王となってチームを優勝に導いた。 ▽190センチの長身を利したヘディングの強さはもちろんのこと、リーチの長さを生かした突破からのシュートも正確だった。爆発的なスピードがあるわけではないが、ワンフェイク入れて外やタテに持ち出してのシュートは、リーチが長いためDFが足を出しても届かない。その長身を活用したプレーで、高校選手権で優勝2回と史上初となる2年連続(2002、2003年)の得点王、さらにインターハイや高円宮杯優勝と、高校時代はタイトルを総なめした。 ▽高校卒業後の2004年は筑波大学に進学。国見高校の小嶺監督は「相太は成績優秀だから、学力でも国公立大に進学できる」と話していたが、真偽のほどは分からない。筑波大学では、デビュー戦となった駒沢陸上競技場には数多くのメディアが詰めかけた。そうしたプレッシャーにも負けず、平山は決定力の高さを発揮して筑波大のリーグ優勝に貢献。その間には病気で離脱した高原直泰に代わりU-23日本代表の一員としてアテネ五輪も経験した。 ▽その後は筑波大学を中退してオランダに渡り、ヘラクレスで2シーズンほどプレーした後、FC東京への復帰を果たした。ヘディングが武器の平山だったが、当時の監督である原博実氏は、全体練習終了後に自ら手でボールを投げて、平山にヘディングの特訓を施していた。それは彼に対する期待の表れだったと言える。 ▽2010年は岡田ジャパンに招集され、デビュー戦となったイエメン戦ではハットトリックを達成。これは80年ぶりのタイ記録である。こうして順風満帆なサッカー人生を送ってきた平山だったが、2011年の4月10日の練習試合中に頸骨と腓骨を骨折する。ここから彼のケガとの戦いが始まった。 ▽2012年に復帰したものの、5月に腓骨と短腓骨筋を挫傷し再び離脱。この2シーズン初めて無得点に終わった。その後も指揮官が代わるなか、2人の外国人監督は平山の長身を高く評価するも、2014年に右足首を骨折すると、2015年は固定していた髄内釘を除去する手術に踏み切ったため、ケリハビリに明け暮れる毎日が続いた。 ▽すでに体調をベストに戻すことは難しかったが、2016年は可能な限り練習に参加してコンディションを維持し、交代出場が多かったものの15試合に出場して5ゴールを決めた。6月25日の第19節、横浜FM戦では試合終了間際の小川のFKから得意のヘッドで決勝弾を決め、5試合ぶりの勝利(1-0)をもたらした。 ▽試合後の平山は、「セットプレーはチームとしてDFもFWも練習しているので、それが結果につながった。(シュートは)一瞬、止められるかなと思ったけど、クロスのスピードがあったので相手GKの手を叩くことができた。勝利に近づけてうれしかった」と、気負うことなく話していた。 ▽2017年は心機一転、仙台への完全移籍を決断したものの、開幕直後に左足首を負傷して、再び長期離脱を余儀なくされる。そしてプロ入り後は初めてとなる公式戦に出場がないまま2017年を終了。クラブは契約を更新する予定でいたが、平山自身が引退を決意した。 ▽高校時代の強烈なイメージが強すぎるせいか、平山は、記録はもちろん記憶にも残りにくいプロサッカー選手としての人生だった。彼の引退の報を新聞で知ったとき、かつてのチームメイトだった石川直宏を思い出した。まだまだ現役を続けたいものの、自分の体が思うように動いてくれないもどかしさは、本人が一番感じていることだろう。 ▽できれば、もう1シーズン、J1に初昇格となる長崎で平山のプレーを見たかったというファンも多いのではないだろうか。ともあれ、平山は引退を決意した。彼のセカンドキャリアを暖かく見守りたいと思う。 2018.01.29 17:30 Mon