長谷川健太
Kenta HASEGAWAポジション | 監督 |
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1965年09月25日(59歳) |
利き足 | |
身長 | |
体重 |
ニュース | 人気記事 | クラブ | 監督データ |
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J1昇格を目指す清水の新キャプテンはFW北川航也、副キャプテンは4人に…北川「自分なりにやっていきたい」
清水エルパルスは8日、2024シーズンのキャプテンと副キャプテンを発表した。 2023シーズンは1年でのJ1復帰を目指した中、J2の最終節で敗れ4位に転落。昇格プレーオフでは決勝で東京ヴェルディと引き分けて、J2残留が決定した。 改めてJ1昇格を目指す中で、新たなキャプテンにはFW北川航也、副キャプテンにはFWカルリーニョス・ジュニオ、MF原輝綺、DF山原怜音、GK沖悠哉が就任した。 4選手はクラブを通じてコメントしている。 ◆FW北川航也 「キャプテンに任命されたことは光栄なことですし、それと同時に責任が付いてくると思っています。同い年の選手や先輩、頼りになる選手もいるので、スタッフやクラブの人達みんなの力を借りながら、チームの目標が達成できるように、自分なりにやっていきたいと思います」 ◆FWカルリーニョス・ジュニオ 「副キャプテンに選んでもらったことは嬉しいですし、誇りに思います。残念ながら昨シーズン勝ち取れなかったJ1への昇格は、今シーズンみんなが必死になってやってくれると思いますし、その力になるために私も一生懸命やります。まずはチームの結束力で戦っていきたいと思います」 ◆MF原輝綺 「監督から声を掛けられていたので心の準備はしていましたが、僕一人では何もできないと思っています。副キャプテンは4人いますので、みんなで助け合いながら、北川選手が背負い込み過ぎないようにサポートしていきたいと思います」 ◆DF山原怜音 「個人的にも3年目、特別指定からは4年目となり、チームの先頭に立っていかなくてはいけないという気持ちでもいましたし、実際にこの役割を与えていただいたことにより覚悟を持ってやりたいと思います。副キャプテンの形になってというよりも、今、自分がやっていることがチームに良い影響として還元できればいいと思っていますので、自分を見失わずにチームを引っ張っていきたいと思います」 ◆GK沖悠哉 「まずはしっかりキャプテンを支えながら、チーム全体を見ていきたいと思っています。エスパルスには経験のある選手もいるので、意見を聞きながら、チームにとってこの1年がこれからの土台になるように、自分ができることをやっていきたいと思います」 ◆清水エスパルス 歴代キャプテンおよび副キャプテン [1992年]三浦泰年 [1993年]三浦泰年 [1994年]三浦泰年 [1995年]長谷川健太 [1996年]澤登正朗 [1997年]澤登正朗 [1998年]澤登正朗 [1999年]澤登正朗 [2000年]澤登正朗 [2001年]伊東輝悦 [2002年]伊東輝悦(副キャプテン=森岡隆三) [2003年]三都主アレサンドロ(副キャプテン=森岡隆三・市川大祐) [2004年]森岡隆三 [2005年]森岡隆三 [2006年]山西尊裕(副キャプテン=高木和道) [2007年]山西尊裕(副キャプテン=高木和道・兵働昭弘) [2008年]高木和道(副キャプテン=西部洋平・兵働昭弘) [2009年]兵働昭弘(副キャプテン=児玉新・岡崎慎司) [2010年]兵働昭弘(副キャプテン=児玉新・岩下敬輔) [2011年]小野伸二(副キャプテン=高原直泰・ボスナー) [2012年]小野伸二 [2013年]杉山浩太 [2014年]杉山浩太(10月〜副キャプテン=本田拓也) [2015年]本田拓也(副キャプテン=長沢駿・大前元紀) [2016年]大前元紀(副キャプテン=西部洋平・犬飼智也) [2017年]鄭大世(副キャプテン=西部洋平・河井陽介・犬飼智也) [2018年]竹内涼(副キャプテン=鄭大世・六反勇治・河井陽介) [2019年]竹内涼(副キャプテン=河井陽介・立田悠悟) [2020年]竹内涼・金子翔太・立田悠悟 [2021年]権田修一・竹内涼・鈴木義宜 [2022年]権田修一 [2023年]鈴木義宜 [2024年]北川航也(副キャプテン=カルリーニョス ジュニオ・原輝綺・山原怜音・沖悠哉) 2024.02.08 17:55 Thu2
インドネシアと日本サッカーの関係/六川亨の日本サッカーの歩み
北中米W杯のアジア最終予選、15日のインドネシア戦(ジャカルタ)と19日の中国戦(廈門)に臨む日本代表は10日朝の便でインドネシアへ移動したものの、飛行機の機材トラブルのため一度は羽田空港に引き返した。しかし同日20時過ぎの便で羽田空港を飛び立ち、午前2時頃に無事ジャカルタへ到着したようだ。といっても今回のトラブルは国内組に限られ、海外組の選手はこれから続々とジャカルタ入りする予定になっている。 そんな日本代表にとって、谷口彰悟の負傷離脱は大きな痛手。代わりに関根大輝が招集されたものの、谷口の代役はこれまでの実績から瀬古歩夢が濃厚だろう。板倉滉をセンターに回し、町田浩樹と瀬古での3BKが予想される。 海外組にとって気になるのは、中東での試合ではなく今回は東南アジアと極東でのアウェー2連戦ということで、移動と時差の負担が増えることである。ただ、以前のコラムでも紹介したように、無理に時差調整はしない代わりに、今回も現地での練習時間を3日間ほど確保している。あとはこれ以上のトラブルが起きることなく、無事に15日の試合を迎えて欲しいところだ。 さて日本がW杯予選でインドネシアと対戦するのは1990年イタリアWアジア1次予選以来で、実に35年ぶりとなる。 その理由は簡単。これまでインドネシアはアジア1〜2次予選で敗退していたため、最終予選まで勝ち上がることがなかったからだ。ちなみにこれまでの対戦成績も日本が11勝2分け6敗(オランダ領東インド時代を含む)とリードしているが、W杯出場は彼らの方が先だった(1938年フランス大会にオランダ領東インドとして出場)。 90年イタリアW杯予選では、89年6月11日に西が丘サッカー場で対戦し、長谷川健太らのゴールで5-0と圧勝した。試合後のインドネシアの監督は、西が丘サッカー場での公式戦に怒りを隠さなかった。インドネシアを格下と見下して、狭い更衣室と暗い照明の西が丘サッカー場でもいいだろうと日本サッカー協会が手配したと思ったようだ(実際、観衆はまばらで寂しい限りだった)。 しかし実際は、国立競技場が91年に開催される世界陸上(当時カール・ルイスは100メートル9・86の世界記録を樹立)のため大幅な改修工事をしていたことで、都内でのナイター試合は西が丘サッカー場しか用意できなかったというのが真相である。 前述したように日本はホームの試合ではインドネシアを圧倒したものの、アウェーはドローで1勝1分け、北朝鮮には1勝1敗、そして香港と2引き分けで横山ジャパンはインドネシアと同様1次予選での敗退を余儀なくされた。日本代表の「どん底時代」と言えたが、せめてもの救いはプロリーグ構想が少しずつ形を表し始めていたことだった。 98年以来、日本がアジア最終予選に進出してW杯のチケットを獲得するのは当り前の時代になった。一方のインドネシアも今年1月のアジアカップではグループリーグで日本に1-3と敗れたものの、トルシエ監督率いるベトナムに1-0で勝ったことで初のラウンド16進出を果たした。 そんな彼らの躍進を支えているのが、歴史的にも関係の深いオランダからの「輸入選手」だ。1月のアジアカップで対戦した時に1トップを務めたラファエル・ウィリアム・ストライク(デンハーグ)はオランダ育ちのストライカーで、10月15日の中国戦(1-2)でも1トップを任されていた。日本戦でゴールを決めたサンディー・ウォルシュ(メヘレン)は中国戦こそ控えだったが、そのきっかけを作ったロングスローの左SBアルハン(元東京V)は、中国戦でも交代出場からロングスローでゴールをお膳立てしている。 日本戦に出場した選手で中国戦にも出場したのはCBシェイン・パティナマ、ボランチのイヴァル・ジェナー(ユトレヒト)、ストライクの3人だけだが、サブにはCBリッキー・カンブアヤ、リスキ・リド、ウォルシュ、アルハンの4人が残っている。さらに新たにインドネシア国籍を取得した選手もいるだけに、侮ることはできないだろう。 中国戦も1月の日本戦と同様に[5-4-1]の超守備的な布陣だった。ただ、中国戦では簡単に浅いDFラインの背後を取られるなどチームとしての完成度は低い印象を受けた。それでもアウェーでサウジアラビアとバーレーンに引き分け(1-1、2-2)、ホームでもオーストラリアと引き分ける(0-0)粘りを見せているだけに、やはり侮ることは禁物だ。日本としては、できれば早い時間帯にゴールを奪い、優位に試合を進めたいところである。 文・六川亨 2024.11.11 16:30 Mon3
U-21リーグ創設の不安点/六川亨の日本サッカー見聞録
今シーズンのJリーグも、残すはJ1とJ3の2試合と、J2はJ1参入プレーオフを残すのみとなった。J3はすでに北九州がJ2昇格を決めているが、現在2位の藤枝MYFCはJ2昇格の資格を満たしていない(編集部注:藤枝はJ2ライセンスを保有していない)ため、J2降格チームが1チームか2チームか、どうなるのか最終節まで予断を許されない。 そんなJ3にあって気になるのが、2021年シーズンから導入が予定されているU-21リーグだ。これまでJ3リーグでは、G大阪、C大阪、FC東京の3チームがU-23チームを編成してJ3リーグに参入してきた。 U-23チームを編成してJ3リーグ戦に参入するには、当然のことながらマンパワーと経費が必要になる。例えばFC東京なら、北は青森から南は熊本まで、移動と宿泊の経費はJ1と変わらない。指導陣は分担で担当できてもJ3チームのための専用の広報が必要になるし、ホペイロの仕事も週末に2試合が重なるため重労働になる。 そうした事情からか、強化のためJリーグは2021年からU-21リーグを新たに創設し、全国を4ブロックに分けてJ1~J3の全クラブから参加を募った。いま現在のところ、どのチームが手を上げたのかは明らかではないが、J3リーグからU-21リーグへの変更にはさまざまな意見がある。 もっともと思えるのがレベルの低下だ。J3リーグは下位リーグとはいえプロの3部。そこでは上に這い上がるための熾烈な競争がある。J1リーグはレベルの差に違いはあるものの、上位も下位も基本点にはボールをポゼッションしてDF陣でパスを回しながら攻める。しかしJ3リーグはマイボールになったらパスを回すのではなく、タテに速い攻めを繰り出す。このため選手は休んでいる暇はない。 昨シーズン、FC東京のレギュラーだった若手選手がケガをして、リハビリのためJ1からJ3に戻った時に「体力的にキツい」と言っていたのもJ3リーグの現状を表している。 この、攻守に休みのない激しいプレースタイルは大学勢の上位陣にも当てはまる。昨シーズンのインカレ覇者の法政大学は今年の天皇杯1回戦でブリオベッカ浦安、2回戦で東京V、3回戦でG大阪を撃破した。1回戦で敗れた浦安の都並敏史監督は法政大学を「J2リーグの中位クラスの実力がある」と評価した。 話をJ3リーグに戻そう。攻守に行き来の激しくフィジカルでもガチンコで勝負する年上との対戦の場であるJ3リーグ。そこにチームを送り出しているFC東京の長谷川健太監督は今シーズンを振り返り、U-22日本代表のCBでもある渡辺剛を例に出しながら「剛は大学(中央大)に在学中からJ3 リーグで何試合か使えた。トップチームしかないとなかなか選手を使えない。U-23(J3リーグ)でやったのでキャンプからスムーズに入れた」とJ3リーグの効果を話しつつ、「G大阪なら堂安になる。どれくらいになれば(トップで)使えるか目安になる。久保(建英)にしても、このレベルにくればと秤を持つことができた」と代表選手の成長を見守ってきた。 ただし弊害もあった。週末は2チームに分かれるため、公式戦の前に練習試合ができないこと。そして「ベテランにU-23の試合に行けと言うのは心苦しい。選手にとっては島流しになるような感覚があるだろう。なかなか行けと言いづらい」という心理的な葛藤だ。 それでもベテランの丹羽大輝などは嫌な顔をせずJ3リーグでしっかりとコンディションを維持している。指揮官も「G大阪と同じくFC東京でも協力してくれた」と感謝している。 そして実際に現場で指揮を執るFC東京U-23の長澤徹監督に話を聞いたところ「現場に立っている人間としては、デメリットに目を向けるよりメリットに目を向けるしか関心はありません」という明快な返事だった。 長澤監督はJ3リーグのメリットとして「練習試合と公式戦の違い。アドレナリンの出力が全然違う」と話しながらも、これまでのFC東京はJ3リーグの出場メンバーが足りない時はユースから引き上げて来た。 「16歳から17歳でもJ3リーグに出ていた。やり合いの中での状況判断がゲーム勘につながる。クラブとしてはユースから借りたりしたら、ユースはジュニアユースから借りなければならず、そこでタテズレが起きる。指導者の仕事は個を育てること。そこでは指導者の育成もできます」と、J3リーグからU-21リーグに変わっても、クラブの基本方針に代わりはないことを強調する。 トップチームとセカンドチームで「行き来がスムーズにできればいい」とも話し、懸念材料があるとすれば「指導者にとって、選手を取った、取られただったら不満が出てくる」と言うものの、「いまは長谷川健太監督と同じ思想でやっている」と全幅の信頼を寄せる。 そして「U-21になっても何も変わらないと思うし、U-21に下がるだけ。ストレスなくできるし、上のカテゴリーで戦いたかったらトップチームに行けばいい。U-21はユースの18歳年代と違って完成された選手なので成長できると思う。ヨーロッパでもアンダー21のチームを編成している」と現状を分析する。 最後に長澤コーチは、「トップチームだけの強化ではダメです。育成が大事なのはJ1からJ3のどのチームも分かっている。そのためJ3リーグからU-21リーグに変わっても悲観する必要はありません。問題は、U-21リーグに入れないクラブが出てきた時に、そのクラブをどうするか。これはJリーグだけでなくサッカー界全体で考えないといけません」と、新たなリーグ創設に伴う問題点に警鐘を鳴らしていた。 2019.11.29 22:00 Fri4
20歳の誕生日を迎えた久保建英がFC東京・長谷川健太監督に感謝、20歳の意気込みは「大人のサッカー」
U-24日本代表は、5日に控えるU-24ガーナ代表戦に向けた前日練習に臨んだ。 3日、ジャマイカ代表の来日が遅れたことで、日本代表と急遽試合を行うこととなったU-24日本代表。中1日で福岡に移動し、ガーナ戦に備える中、北海道・東北地方での暴風雨により福岡への移動に支障が起きた。 U-24日本代表は急遽、札幌ドームのウォーミングアップ場でトレニングを実施。時間を遅らせてのフライトとなり、明日のガーナ戦の地である福岡へと向かった。 メディアのオンライン取材に応対したMF久保建英(ヘタフェ)は4日が20歳の誕生日。代表合宿ではチームメイトから手荒い祝福をされることが多いが「今のところ大丈夫です」とまだ被害を受けていないとコメントした。 今回は急な試合に始まり、この日は移動が予定通りにいかないこととなった。この状況については「ポジティブに捉えていると思います」と語り、「こういう状況に本番じゃなく、本番前に想定できることは自分たちにはポジティブに働くかなと。明日が大事なので、明日に向けて逆算していかに戦えるかが試されていると思います」と語り、不測の事態にどう対応できるかが測れる良い機会だとした。 改めて昨日のA代表との試合については「チームとしては急遽試合が決まって、明日も試合があるので、思ったようなスケジュールではないというか、過密日程のなかで1つ組み込まれてしまったという感じです」とコメント。それでも「自分たちもできる限りのコンディションで臨もうとしましたが、その中でやっぱり急遽決まった試合で、メンバーもあまり決められずにというか、5日をイメージした中でコンディションが良かったメンバーが試合に出たと思います」と語り、コンディションが優先されたと語った。 ただ、良い機会だったために悔しさも露わにし「その中では折角の対決だったので、しっかり準備して100%で臨みたかったという思いはあります」とコメント。自身のパフォーマンスについては「個人的には手応えもありましたし、全然やれていないということもなく、なんならいつも練習している人たちが相手だったので、自分が壁を感じることなくやれたと思いますけど、結果で3-0で負けたことは個人的には悔しかったです」と、個人のパフォーマンスには満足感を示すも、結果として負けたことを悔しがった。 明日はU-24ガーナ代表との試合。アフリカ勢との試合となるが「初戦の相手が南アフリカで、仮想ということで組んでもらっているので、しっかり自分たちがアフリカ勢にどう対応するかを含めて、本番が近づいているのでそれを想定しているのではないかなと思います」とコメント。アフリカ勢に対してのポイントは「最近はアフリカの選手も万能で、僕たちの上位互換のような選手が何人もいますが、全体的には飛び込んでくる選手が多いなと経験から感じています」と語り、「敢えてボールを晒したり、ワンフェイント多めに入れようかなと意識しています」と、攻略法も明かした。 また、メンバーにはヘタフェで共にプレーしたMFサビト・アブドゥライが招集されている。アブドゥライについては「さっきも連絡を取りました」と語り、「個人的に仲が良くて、彼が免許なくて僕が車で迎えに行ったりする仲です。来るなら連絡くれよと言っていて、連絡をもらいました」と、互いに意識する仲のようだ。 スタイルについては「謙遜していましたが、何試合か一緒にやって、メッシ選手を潰したり臆することなく、球際もすごく強いです、練習からもバチバチやっていました」と強度の高いプレーをする選手だとし、「ヘタフェを象徴するような選手です。臆することなく自分たちも正面からぶつかることが大事だと思います」と、しっかりと向き合わないと痛い目に遭う可能性が高い相手のようだ。 この日20歳になった久保。改めて20歳になったことについては「まだあまり実感ないですけど、明日の試合から20歳で1つギアを上げて。19歳ではないので、20歳なので大人な自分をピッチ内で見せられればと思います」と、20歳になってすぐの試合に意気込みを語った。 久保の言う大人のサッカーとは「簡単にいうと、経験だったりとか、昨日の試合を途中から見ていて遠藤選手が入って落ち着いたとか、自分ならここに1人入って欲しいなというところにスッと入って前を向いてくれて、つけてくれたり、しっかり試合でどういうプレーするのかを頭に入っていると思います」とオーバーエイジとしてプレーしたMF遠藤航のプレーを挙げ、「時間帯を考えたりチーム全体を俯瞰してゲームを見るとか、余裕を持ってプレーすると言っていますが、個人だけでなく、チームの流れや時間帯を考えた余裕が大人だと思いました」と、より俯瞰で試合に絡めるようになりたいと語った。 また、FC東京の長谷川健太監督が20歳を迎えた久保にエールを送っていたが、久保にとっての長谷川監督は「自分は健太さんに選手として大きくしてもらいました。辛いことも意見が食い違うことも、健太さんの要求に自分が応えられないこともありました」と、想いを語った。 さらに「自分は18歳の誕生日でヨーロッパに行きたいという考えがあって、そのためには18歳の年に出られなかった諦めようと考えていた中で、監督がプレシーズンでチャンスをくれて、プレシーズンで結果を出せば今シーズンは使ってやると言われて、それに自分が応える事ができて、そこから東京で成長できました」とFC東京時代を回想。「結果として東京のチームを離れることになりましたけど、感謝しかないですし、健太監督に自分は大きくしてもらったと思っています」と感謝の気持ちを述べ、「監督が喜んでくれるような選手になることが恩返しだと思います」と世界で活躍する事が恩返しになるとし、改めて意気込みを語った。 2021.06.04 21:35 Fri5
低迷続くG大阪が改革!「フットボール本部」を新設し、本部長には2022シーズンに指揮した松田浩氏が就任
ガンバ大阪は20日、「フットボール本部」の新たな設置を発表。スタッフの入れ替えも併せて発表した。 2005年に初のJ1優勝を果たすと、その後は、リーグかっぷや天皇杯、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)を制するなど、国内の強豪クラブに成長。2014年には長谷川健太監督(現:名古屋グランパス監督)の下、3冠も達成していた。 しかし、2016年以降はタイトルとは無縁。加えて、残留争いに巻き込まれるシーズンが続くなど、苦しい時期が続いていた。 そんな中「ガンバ大阪のサッカースタイルを構築し、強く、魅力あるチーム作りを目指すため」に「フットボール本部」の設置を発表。声明を発表するとともに、本部長にはかつて監督も務めた松田浩氏を招へいすることも発表した。 「このたび、ガンバ大阪のサッカースタイルを構築し、強く、魅力あるチーム作りを目指すため、新たに「フットボール本部」を設置することを、お知らせいたします」 「ガンバ大阪として2016年以降はタイトルの獲得に至らず、特にこの数年の厳しいチーム戦績について、ご心配をお掛けしておりますことを、大変に心苦しく、悔しく思っております」 「フットボールの進化は早く、グローバル競争が激化する中で、戦術のアップデートサイクルの短期化、若手選手の早期の海外移籍等の移籍、育成スキームの変化、海外戦略の重要度の高まりなど、フットボールにおけるマネジメントの強化が必要になっています」 「クラブのフットボールマネジメントの抜本的改革に向けて、これまで、強化(トップチーム)、アカデミー(ユース、ジュニアユース)、普及(スクール)、がそれぞれの部門として活動をして参りましたが、これを束ね、トップから一貫したガンバ大阪のサッカースタイルを構築し、戦略的にフットボールをつくりあげていくことを目的として、フットボール本部を設置することと致しました」 「新設するフットボール本部の本部長には、Jリーグ監督やJFAインストラクター等の経験が豊富な松田浩氏を招聘し、来季に向け、継続してガンバ大阪としてのフットボールの構築に取り組みます」 「詳細につきましては、1月の新体制発表会において説明を予定しております。必ずや来シーズンは皆さんと喜び合えるよう、取り組んで参ります。引き続きの、ご支援・ご声援を賜りたく、お願い申し上げます」 これまで強化・アカデミー担当 取締役を務めていた和田昌裕氏が退任しツエーゲン金沢のゼネラルマネージャーに就任。アカデミーダイレクターの松波正信氏は退任した。 また、強化部長や広報部長を務めた梶居勝志氏が強化部長に、JFAで長らく育成年代に携わった星原隆昭氏がアカデミーダイレクターに就任した。 フットボール本部長に就任した松田氏のコメントは以下の通り。 「この度、ガンバ大阪 フットボール本部 本部長に就任させていただきました松田です。このような形でまたこのクラブにご縁をいただき、責任の重さを感じるとともに、たいへん身の引き締まる思いでおります」 「ガンバ大阪というクラブの重み、またこのクラブの歴史やスタイルを念頭に、クラブのフィロソフィーやこれからのビジョンを明確にし、より強くたくましいクラブにしていきたいと思っております」 「ガンバ大阪を支えてくださる皆様に喜んでいただけるよう、より多くの勝利を届けることで皆様とたくさんの喜びを分かち合えるよう頑張ります。どうぞよろしくお願いいたします」 2023.12.20 09:30 Wed長谷川健太の移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2000年1月1日 | 清水 | 引退 | - |
1992年1月1日 | 日産自動車 | 清水 | 完全移籍 |
1988年7月1日 | 日産自動車 | 完全移籍 |
長谷川健太の監督履歴
就任日 | 退任日 | チーム | 種類 |
2022年2月1日 | 名古屋 | 監督 |
2018年2月1日 | 2021年11月7日 | FC東京 | 監督 |
2013年2月1日 | 2018年1月31日 | G大阪 | 監督 |
2005年2月1日 | 2011年1月31日 | 清水 | 監督 |
2000年2月1日 | 2005年1月31日 | 常葉大浜松 | 監督 |
長谷川健太の今季成績
勝
|
分
|
負
|
明治安田J1リーグ | 36 | 14 | 5 | 17 | 0 | 0 |
YBCルヴァンカップ 2024 | 9 | 5 | 2 | 2 | 0 | 0 |
合計 | 45 | 19 | 7 | 19 | 0 | 0 |
長谷川健太の出場試合
明治安田J1リーグ |
第1節 | 2024-02-23 | vs | 鹿島アントラーズ | ||||||
H 0 - 3 |
第2節 | 2024-03-02 | vs | FC町田ゼルビア | ||||||
H 0 - 1 |
第3節 | 2024-03-09 | vs | アルビレックス新潟 | ||||||
A 1 - 0 |
第4節 | 2024-03-16 | vs | 柏レイソル | ||||||
A 0 - 2 |
第5節 | 2024-03-30 | vs | 横浜F・マリノス | ||||||
H 2 - 1 |
第6節 | 2024-04-03 | vs | 北海道コンサドーレ札幌 | ||||||
A 1 - 2 |
第7節 | 2024-04-07 | vs | アビスパ福岡 | ||||||
H 0 - 0 |
第8節 | 2024-04-13 | vs | ジュビロ磐田 | ||||||
A 0 - 1 |
第9節 | 2024-04-21 | vs | セレッソ大阪 | ||||||
H 2 - 1 |
第10節 | 2024-04-28 | vs | 浦和レッズ | ||||||
A 2 - 1 |
第11節 | 2024-05-03 | vs | ヴィッセル神戸 | ||||||
H 0 - 2 |
第12節 | 2024-05-06 | vs | サンフレッチェ広島 | ||||||
A 2 - 3 |
第13節 | 2024-05-11 | vs | ガンバ大阪 | ||||||
H 0 - 1 |
第14節 | 2024-05-15 | vs | FC東京 | ||||||
H 3 - 1 |
第15節 | 2024-05-18 | vs | サガン鳥栖 | ||||||
A 0 - 2 |
第16節 | 2024-05-26 | vs | 京都サンガF.C. | ||||||
H 1 - 1 |
第17節 | 2024-06-02 | vs | 川崎フロンターレ | ||||||
A 2 - 1 |
第18節 | 2024-06-16 | vs | 湘南ベルマーレ | ||||||
H 1 - 1 |
第19節 | 2024-06-22 | vs | 東京ヴェルディ | ||||||
A 1 - 0 |
第20節 | 2024-06-26 | vs | 浦和レッズ | ||||||
H 0 - 1 |
第21節 | 2024-06-30 | vs | セレッソ大阪 | ||||||
A 2 - 1 |
第22節 | 2024-07-06 | vs | FC町田ゼルビア | ||||||
A 1 - 0 |
第23節 | 2024-07-14 | vs | 柏レイソル | ||||||
H 2 - 1 |
第24節 | 2024-07-20 | vs | ヴィッセル神戸 | ||||||
A 3 - 3 |
第25節 | 2024-08-07 | vs | 京都サンガF.C. | ||||||
A 3 - 2 |
第26節 | 2024-08-11 | vs | 東京ヴェルディ | ||||||
H 1 - 0 |
第27節 | 2024-08-17 | vs | サンフレッチェ広島 | ||||||
H 1 - 2 |
第28節 | 2024-08-24 | vs | 湘南ベルマーレ | ||||||
A 0 - 1 |
第30節 | 2024-09-14 | vs | FC東京 | ||||||
A 4 - 1 |
第29節 | 2024-09-18 | vs | アルビレックス新潟 | ||||||
H 3 - 0 |
第31節 | 2024-09-22 | vs | 川崎フロンターレ | ||||||
H 2 - 0 |
第32節 | 2024-09-28 | vs | ジュビロ磐田 | ||||||
H 2 - 0 |
第33節 | 2024-10-04 | vs | アビスパ福岡 | ||||||
A 1 - 0 |
第34節 | 2024-10-19 | vs | 北海道コンサドーレ札幌 | ||||||
H 0 - 2 |
第35節 | 2024-10-23 | vs | ガンバ大阪 | ||||||
A 3 - 2 |
第36節 | 2024-11-09 | vs | 鹿島アントラーズ | ||||||
A 0 - 0 |
YBCルヴァンカップ 2024 |
2回戦 | 2024-04-17 | vs | 大宮アルディージャ | ||||||
A 0 - 2 |
3回戦 | 2024-05-22 | vs | 横浜FC | ||||||
A 1 - 3 |
プレーオフ第1戦 | 2024-06-05 | vs | 柏レイソル | ||||||
A 1 - 1 |
プレーオフ第2戦 | 2024-06-09 | vs | 柏レイソル | ||||||
H 1 - 0 |
プライムラウンド準々決勝 第1戦 | 2024-09-04 | vs | サンフレッチェ広島 | ||||||
H 0 - 1 |
プライムラウンド準々決勝 第2戦 | 2024-09-08 | vs | サンフレッチェ広島 | ||||||
A 1 - 2 |
プライムラウンド準決勝 第1戦 | 2024-10-09 | vs | 横浜F・マリノス | ||||||
A 1 - 3 |
プライムラウンド準決勝 第2戦 | 2024-10-13 | vs | 横浜F・マリノス | ||||||
H 1 - 2 |
決勝 | 2024-11-02 | vs | アルビレックス新潟 | ||||||
H 3 - 3 |