遠藤保仁
Yasuhito ENDO
|
|
| ポジション | MF |
| 国籍 |
日本
|
| 生年月日 | 1980年01月28日(45歳) |
| 利き足 | 右 |
| 身長 | 178cm |
| 体重 | 75kg |
| ニュース | 人気記事 | クラブ |
遠藤保仁のニュース一覧
遠藤保仁の人気記事ランキング
1
「まさに死闘ってカンジ」歴史に残るバーレーンとの4-3の激闘!2004年大会プレイバックに反響「このゴールで中澤佑二に惚れた」
31日、日本代表はアジアカップ2023のラウンド16でバーレーン代表と対戦する。 過去の対戦成績は日本の8勝2敗となっているが、アジアカップの舞台で最後に対戦したのは2004年の中国大会での準決勝。記憶に残る激闘だった。 MF小野伸二、FW高原直泰ら当時の主力選手が欠場していた当時の日本は、開催国の中国サポーターにブーイングを浴びせられながらも決勝トーナメントに進出すると、準々決勝ではPK戦途中でのサイド変更とGK川口能活の神がかり的なセーブが印象深いヨルダン代表戦に勝利し、準決勝でバーレーンと対戦した。 しかし、バーレーン戦では開始6分に先制ゴールを許すと、40分にはMF遠藤保仁が不可解な判定で一発退場。日本はビハインドの状況で数的不利を負ってしまった。 数的不利の状況でもMF中田浩二とFW玉田圭司のゴールで逆転した日本だったが、その後2失点。2-3と1点ビハインドで試合終盤を迎えた。 それでも日本は最後まで諦めず。DFも攻めあがって同点ゴールを狙うと、90分にDF中澤佑二が値千金の同点ゴール。不屈の精神で同点に追いつくと、延長前半には玉田の独走ゴールが決まり、4-3で激闘を制していた。 なんとか決勝に進出した日本は、決勝で中国代表を撃破。見事に大会連覇を成し遂げていた。 久しぶりの対戦を前に『DAZN』は当時の試合映像をプレイバック。SNS上のファンも「このゴールで中澤佑二に惚れた」、「バーレーン戦といえばこの試合よな」、「痺れたね、玉田」、「まさに「死闘」ってカンジだった!」、「2004の大会は激熱だった」と当時を思い返している。 ベスト8を懸けた一戦は、31日の20時30分にキックオフ。『DAZN』で視聴が可能だ。 <span class="paragraph-title">【動画】当時の記憶が蘇る!2004年大会でのバーレーンとの激闘ハイライト</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet" data-media-max-width="560"><p lang="ja" dir="ltr">/<br>「バーレーンvs日本」<br>過去対戦をプレイバック<br>\<br><br>アジアカップ2004年大会で起きた<br>奇跡の大逆転劇<br><br><a href="https://twitter.com/hashtag/AFC%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%83%E3%83%97?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#AFCアジアカップ</a> ラウンド16<br>バーレーン×日本<br>1/31(水)20:30(19:45配信開始)<br><a href="https://twitter.com/hashtag/DAZN?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#DAZN</a> 独占配信<br>出演:水沼貴史/小野伸二/佐藤寿人/下田恒幸/桑原学 <a href="https://t.co/x7Sals8iKu">pic.twitter.com/x7Sals8iKu</a></p>— DAZN Japan (@DAZN_JPN) <a href="https://twitter.com/DAZN_JPN/status/1752609401201189348?ref_src=twsrc%5Etfw">January 31, 2024</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2024.01.31 18:45 Wed2
21世紀の出場試合数ランキング発表! 首位は1145試合のC・ロナウド、トップ10に日本人選手がランクイン
IFFHS(国際サッカー歴史統計連盟)が、21世紀で最もプレーした選手のランキングを発表。トップ10には日本人選手もランクインした。 様々な統計を行うIFFHS。2022年までのデータを集計し、21世紀に入ってからのプレーした試合数をもとにランキングを作成した。 対象となるのは、各国のリーグ戦やカップ戦、国際カップ戦、代表チームの試合も含まれ、全ての公式戦が対象になっている。 今回の統計では1000試合以上プレーした選手が3人に増加。首位は昨年と変わらず、サウジアラビアへ活躍の場を移したポルトガル代表FWクリスティアーノ・ロナウド(アル・ナスル)となり、1145試合を記録した。 2022年に1000試合を突破したのは、ブラジル代表DFダニエウ・アウベス(UNAMプーマス)とアルゼンチン代表FWリオネル・メッシ(パリ・サンジェルマン)。アウベスは1033試合、メッシは1003試合となった。メッシはカタール・ワールドカップ(W杯)での試合で1000試合を超えたことになる。 そんな中、8位には日本人がランクイン。941試合に出場したMF遠藤保仁(ジュビロ磐田)だ。遠藤はガンバ大阪と磐田、そして日本代表での試合が21世紀に含まれている。なお、アジア人でも唯一となり、900試合以上を達成しているのも12名となっている。 ◆21世紀の出場試合数ランキング 合計(国内リーグ/国内カップ/国際カップ/代表) 1位:クリスティアーノ・ロナウド(ポルトガル) 1145試合(651/93/205/196) 2位:ダニエウ・アウベス(ブラジル) 1033試合(620/115/172/126) 3位:リオネル・メッシ(アルゼンチン) 1003試合(559/102/170/172) 4位:イケル・カシージャス(スペイン) 974試合(585/57/171/161) 5位:ジョアン・モウティーニョ(ポルトガル) 958試合(563/107/142/146) 6位:ズラタン・イブラヒモビッチ(スウェーデン) 948試合(603/72/152/121) 7位:ルカ・モドリッチ(クロアチア) 947試合(569/69/146/162) 8位:遠藤保仁(日本) 941試合(606/117/66/152) 9位:チャビ・エルナンデス(スペイン) 937試合(536/95/174/132) 10位:セルヒオ・ラモス(スペイン) 935試合(534/70/151/180) 11位:アンドレス・イニエスタ(スペイン) 933試合(552/98/152/131) 12位:ロジェリオ・セニ(ブラジル) 904試合(675/71/149/9) 2023.01.12 12:45 Thu3
長友佑都が目指すべき存在、衰え見せなかった“鉄人”ハビエル・サネッティ
長年トップレベルで変わりないパフォーマンスを披露し続けることが困難なサッカー界。しかし、中には次々と出てくる若き才能に負けず、そのポジションを守り続ける男もいる。 Jリーグでは、先日53歳でJ1出場を果たした三浦知良(横浜FC)という偉大なレジェンドがいる一方で、出場機会を求めてJ1の舞台からJ2へと40歳で移った遠藤保仁(ジュビロ磐田)もいる。 日本代表に目を向ければ、2010年の南アフリカ・ワールドカップから2014年のブラジル大会、2018年のロシア大会と3大会連続でレギュラーとしてプレーし、今なお日本代表に呼ばれているDF長友佑都(マルセイユ)が居る。後輩たちの突き上げにも負けない意欲を見せており、34歳にして新たなリーグに挑戦する。 その長友が尊敬してやまない男も、また長年ポジションを守り続けてきた。元アルゼンチン代表DFハビエル・サネッティだ。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ネッラズーリの永遠の背番号「4」 </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Zanetti5.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> 1995年に母国アルゼンチンのバンフィエルドからインテルに加入したサネッティは、2014年に現役を引退するまでの約20年間を「ネラッズーリ(青と黒)」に捧げ、クラブ歴代最多の公式戦出場858試合の記録を保持している。 1999年からはキャプテンを務めると、強烈なキャプテンシーでチームをまとめ上げ、インテルでは5回のセリエA制覇、4度のコッパ・イタリア優勝を経験。2009-10シーズンにはチャンピンズリーグ優勝も成し遂げ3冠を達成するなど、多くの功績を残してきた。 その功績はサポーターからも認められ、本拠地サン・シーロでのラストゲームでは、背番号「4」の下に「EVER」の文字をあしらった「サネッティは4ever(フォーエバー、永遠)」という意味の特製のユニフォームが用意。背番号「4」はインテルの永久欠番に指定された。 <div id="cws_ad">◆入団、三冠、引退試合…サネッティとインテルが歩んだ道<br/><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJZMjJvcWNhTSIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div><div style="text-align:center;" id="cws_ad"><hr><a href="https://web.ultra-soccer.jp/link.php?url=https://ryan.onelink.me/C7cD/1fb76a70&c=sega_20201031_1">バティストゥータ、サネッティ、ベロンが<br />「サカつくRTW」に登場!</a><hr></div><div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆長友とサイドバックコンビを形成 </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Zanetti4.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> サネッティは、2014年に現役を引退するまでの3年間、長友ともチームメイトとしてプレーしている。右サイドのサネッティ、左サイドの長友と、インテルの両サイドバックをこの2人が担う時期もあった。 長友がセリエA初ゴールを決めた際には、サネッティとともに披露した「お辞儀」パフォーマンスがイタリアでも大きな話題となり、その後のインテル内で流行するほど。サネッティには長友の誠実さが伝わり、良い関係を築いていた。 長友自身もサネッティについて最も尊敬している選手だと明かしており、「サネッティのように30代後半まで活躍できる選手になりたい」と語っている。 実際、サネッティは現役最後のシーズンとなった2013-14シーズンも39歳ながら、公式戦48試合に出場するフル稼働。さらにそのほとんどすべてが先発での出場であり、衰えをみせることなくスパイクを脱いでいた。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆重宝されるスキルとユーティリティ性 </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Zanetti3.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> サネッティがキャリアを長く続けられた理由の一つに、そのユーティリティ性が挙げられる。左右のサイドバックはもちろん、センターバックやボランチに加えサイドのアタッカーも務めることができた。上下動を繰り返す豊富な運動量に加え、馬力と闘志に溢れるディフェンス、アタッカー顔負けのドリブルで攻守問わずに活躍ができる選手だった。 その一流の能力に加え、チームをまとめる強烈なキャプテンシー、長年のキャリアにおいて大きなケガをしていないタフさ、さらにはプロキャリアを通して退場はわずか1回というフェアプレー精神までも併せ持っており、監督としては是が非でもチームに置いておきたい存在だったと言える。 <div style="padding: 0.25em 0.5em;font-weight:800;font-size:1.2em;color: #494949;background: #dbeeff;border-left: solid 5px #7db4e6;">◆ベテランとして生きる道 </div> <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/800/img/2020/Zanetti2.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:x-small;">Getty Images<hr></div> サネッティ然り、経験豊富なベテランというだけでは重宝はされない。当然ながら戦力として結果を残せることが、現役選手として生き残る道だ。 ケガなくプレーすることはもちろん、フィジカルレベルを保つこと、そしてチームに経験と安定感をもたらせることは何よりも必要なこと。ミランに復帰してから再びその才能を遺憾なく発揮しているFWズラタン・イブラヒモビッチも良い例だろう。 常に結果を残し続けてきた男は、そのキャラクターもさることながら、ピッチ上でのパフォーマンスで観るものをガッカリさせたことはない。 きっと、我々がガッカリすることなく、イブラヒモビッチはピッチから去っていくはずだ。そして、結果を残すだけでなく、チームメイトへ与える影響が大きいからこそ、ベテランでありながらも重宝される。 長友の後継者探しは日本代表にとっては解決しなければいけない問題であることは間違いない。一方で、長友が尊敬してやまないサネッティになることも、日本がワンランク上に上がるためには必要だろう。ベテランとはそういった存在にならなければならないのだ。 <div style="text-align:left;" id="cws_ad"><hr>長友佑都も尊敬してやまないアルゼンチンの英雄サネッティが、大人気スポーツ育成シミュレーションゲーム『プロサッカークラブをつくろう!ロード・トゥ・ワールド』(サカつくRTW)に登場!<br /><br />サネッティとともにアルゼンチン代表として1998年のフランスW杯で日本代表と戦った、FWガブリエル・バティストゥータとMFファン・セバスティアン・ベロンも同時に登場している。『サカつくRTW』で“鉄人”の姿を観たい方は是非一度チェックしよう。</div><hr> 2020.11.02 13:30 Mon4
ピッチ幅を狭める前代未聞の椿事/六川亨の日本サッカー見聞録
長らくサッカーの取材を続けてきたが、正規のピッチ幅を取れない試合会場こそあったものの、意図的にピッチ幅を狭めて試合を開催したのは中国戦が初めてだろう。11月19日にアモイで開催されたW杯アジア3次予選の中国戦である。 例えば98年フランスW杯アジア最終予選のアウェーUAE戦では、日本の練習グラウンドに古びた釘が転がっていたことがあった。ゴール枠が通常のサイズより小さいとの噂もあった。しかし試合は何事もなく無事に終わり、加茂ジャパンは0-0で引き分けた。 オシムジャパンで臨んだ2007アジアカップの予選で訪れたイエメンのサヌア・スタジアムは、メインスタンドから見て左サイドの右コーナーフラッグ付近はかなり狭く、少し傾いているようだった。ピッチコンディションも最悪で、デコボコのグラウンドにオシム監督は大熊コーチを通じて「ボールを持つな。蹴れ」と指示したものの、遠藤保仁や阿部勇樹らはいつものようにパスをつないで攻撃を組み立てようとして苦戦した。 公式記録の観衆は7000人だったが、イエメンにしたら他にスタジアムの選択肢はなかったのだろう。彼らを責めることはできない。 しかし中国である。ブランコ・イバンコビッチ監督の発案なのか、よく考えたものである。正規のタッチラインの線を消すことはできず、片側1.5メートルほど、両サイドを合わせると3メートルほど狭めた痕跡が残っていた。 それがどれほど試合結果に影響したのかわからないものの、久保建英は「とにかく狭かったです。テレビで見ているより相当狭く、相手もスライドを意識して、広いピッチでもスライドの力でここ何試合かはカウンターで点を取っている。狭くなると余計に、並大抵のヨーロッパでやっているチームよりも(寄せが)速いイメージもありましたし、ちょっとびっくりしました」とやりにくかったことを吐露している。 ピッチ幅が狭ければ、両サイドをワイドに使い、ウイングバックの攻撃参加から攻めることを得意とする日本にとって不利だったことは想像に難くない。中国サイドにしてみれば、4BKのまま連動してスライドすることで日本の攻撃に対処できる利点がある。 とはいえ日本もCKから2ゴールを奪ったように、ピッチ幅が狭いことが苦戦の一因になったかもしれないが、狭くなったことによるアドバンテージもあったかもしれない。 気をつけなければいけないのは、今回の中国を参考に他チームもホームゲームでは同じような戦法をとってくるかもしれないということだ。幸いにも日本はアウェーでの試合はオーストラリアとの1試合を残すのみで、その前のホームでのバーレーン戦かサウジアラビア戦に勝利すればW杯出場が決まる。そして中国戦も3-1で勝ったことで、ピッチ幅を狭めたから勝てるというわけではないことを証明した。 ただ、今回中国が仕掛けてきた姑息な手段はルールの範囲内だけに、今後のアジアにおける各年代の試合で他の国々も参考にしないとも限らない。スカウティングの重要性は今後ますます高まるだろうが、何を仕掛けてこられても動じない強さを身につけることが勝利への一番の近道であることに変わりはない。 果たして中国は今後のホームゲームで同じことを仕掛けて来るのか。それに対してアウェーでの対戦を残しているオーストラリアとバーレーンはどのように対応するのか、こちらも見物である。 文・六川亨 <span class="paragraph-title">【動画】日本代表、対策練ってきた中国代表相手にも3発勝利!</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="MiKt5pphYqw";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.11.21 18:00 Thu5
“ギネス記録”を樹立したクリスティアーノ・ロナウドの偉業を改めて振り返る/六川亨の日本サッカーの歩み
今月20日のこと、EURO2024の予選でポルトガルのクリスティアーノ・ロナウドが代表通算200試合出場という偉業を達成した。もちろん男子選手初となる快挙で、ギネス世界記録にも認定された。ロナウドについて、所属クラブでの栄光はいまさら紹介する必要はないだろう。代表でもW杯5大会連続ゴールというペレでもなしえなかった新記録の他に、通算123ゴールで、それまでイランのFWアリ・ダエイが保持していた代表得点世界記録(109ゴール)も現在更新中だ。 代表通算出場記録に関しては、2位がクウェートのバデル・アル・ムタワの196試合となっているが、1985年生まれの彼がW杯に出場した記録はなく、アジアカップでも予選敗退が1回、グループリーグ敗退が3回だから、通算出場記録がどこまで正しいか疑問が残る。3位がマレーシアのベテランDFソー・チー・アンの195試合で、彼とは1983年のロス五輪アジア最終予選(シンガポールでの集中開催)の第2戦で対戦し、森ジャパンは1-2で敗れた。読者にとってベスト10で聞き覚えのある選手は6位のセルヒオ・ラモス(180試合)、や10位のジャンルイジ・ブッフォン(176試合)くらいだろうか。 話をロナウドに戻すと、彼を初めて見たのは2004年に地元ポルトガルで開催されたEUROだった。まだ19歳になったばかりの“やんちゃ”なストライカーだった。ポルトガルは、フランスやイタリア、スペインほどの観光大国ではないため、リスボンやポルトのホテルは高すぎるのと、リーズナブルなホテルはどこも満室だった。仕方なく知人の伝を頼ってポルト在住の現地の人に予算の範囲で泊まれるホテルを探したもらったところ、北部のギマランエスという初めて名前を聞く都市に滞在することになった。 最近では、FC東京の小川諒也が22-23シーズンを過ごしたヴィトーリアSCのホームグラウンドでもある。交通の便はあまりよくないものの、城壁に囲まれた、中世のヨーロッパを彷彿させる歴史のある街だった。ここを拠点に、オランダ在住のライターNくんがはるばる愛車のゴルフを運転してポルトガルまで来てくれたおかげで、リスボンやポルトを始め、ブラガやコインブラなど南端のアルガルベ以外のスタジアムで試合を堪能した。 ギマランエスではイタリアの2試合を取材したが(デンマーク戦とブルガリア戦)、トッティやデル・ピエロ、ヴィエリ、カッサーノらを擁しながらも退屈なサッカーで、グループリーグ敗退を余儀なくされた。唯一面白かったのがポルトでのスウェーデン戦で、23歳のFWズラタン・イブラヒモビッチの「回転回し蹴り」での同点ゴールは圧巻だった。その彼も昨年で41歳となり、6月4日には電撃的に現役引退を表明したのは寂しい限りだ。 EURO2004での地元ポルトガルはベテランのフィーゴ、ルイ・コスタ、パウレタらがチームを牽引して、国際大会で初の決勝戦進出を果たしたものの、ロングボールを長身FWに合わせるクラシカルなサッカーのギリシャに0-1と敗れて初タイトルを獲得することはできなかった。 しかしこの大会で欧州デビューを果たしたロナウドは、その後は06年のドイツW杯でも初出場を果たすと、W杯は22年のカタール大会まで5大会連続、EUROも20年まで5大会連続出場で、16年のフランス大会では決勝で地元フランスを延長の末に1-0で破って初タイトルを獲得した。さらに18年にスタートしたUEFAネーションズリーグでもロナウドは初代王者に輝いている。現在進行中のEURO2024(ドイツ)の予選でもポルトガルは4連勝で首位に立ち、出場権獲得はほぼ間違いないだけに、ロナウドがどこまで記録を更新するのか楽しみだ。 ちなみに日本人選手の代表最多出場記録は遠藤保仁の152試合で、2位が長友佑都の142試合となっている。Jリーグでも健在ぶりを発揮しているが、日本代表で彼らの記録を更新しそうなのは現在50試合出場の遠藤航か45試合出場の伊東純也あたりだろうか。 2023.06.27 12:00 Tue遠藤保仁の移籍履歴
| 移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
| 2024年2月1日 |
磐田 |
引退 |
- |
| 2022年2月1日 |
G大阪 |
磐田 |
完全移籍 |
| 2022年1月31日 |
磐田 |
G大阪 |
レンタル移籍終了 |
| 2020年10月5日 |
G大阪 |
磐田 |
レンタル移籍 |
| 2001年2月1日 |
京都 |
G大阪 |
完全移籍 |
| 1999年2月1日 |
横浜フリューゲルス |
京都 |
完全移籍 |
| 1998年2月1日 |
|
横浜フリューゲルス |
完全移籍 |

日本
磐田
引退
G大阪
京都
横浜フリューゲルス