シモン・ケアー
Simon KJAER
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ポジション | DF |
国籍 |
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生年月日 | 1989年03月26日(36歳) |
利き足 | 右 |
身長 | 191cm |
体重 | 84kg |
ニュース | 人気記事 | クラブ |
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「全てのヒーローがマントを着ているわけではない」バロンドール授賞式でドログバが感動のスピーチ、エリクセンの命救ったケアーに敬意
元コートジボワール代表FWディディエ・ドログバ氏が、ステージ上で改めて敬意を示した。 29日、『フランス・フットボール』が主催するバロンドールの授賞式が開催。パリ・サンジェルマン(PSG)のアルゼンチン代表FWリオネル・メッシが2年ぶり7度目の受賞を果たした。 授賞式では他の表彰もされた中、プレゼンターを務めていたドログバ氏が壇上でスピーチ。1人の選手への敬意を表した。 「この場を借りて、私にとって大切なことをお話ししたいと思います。今年、本当に功績のあった人物に敬意を表したいと思います」 「この男はヒーローです。これはフットボールや我々よりも大きいことです」 「ケアーは友人でもある、クリスティアン・エリクセンの命を助けました。賢い人々は、全てのヒーローがマントを着ているわけではないと言いました。シモン・ケアー、ありがとう」 これは、今夏行われたユーロ2020のデンマーク代表vsフィンランド代表の一戦で、デンマーク代表MFクリスティアン・エリクセンが卒倒し、ピッチ上で心肺停止になった事件に関するものだ。 エリクセンがピッチ上で倒れた際、DFシモン・ケアーが最初に異変に気がつき駆け寄ると、救助を呼び、その後はエリクセンの妻のケア、チームメイトとともにエリクセンを囲う壁を作るなど、素晴らしい対応を見せていた。ドログバ氏は改めて賛辞の言葉を送り、会場は拍手に包まれることとなった。 <span class="paragraph-title">【動画】ドログバ氏がケアーを称えるスピーチ、会場も拍手に包まれる</span> <span data-other-div="movie"></span> <blockquote class="twitter-tweet"><p lang="en" dir="ltr">This is more than football. <br><br>Thanks <a href="https://twitter.com/simonkjaer1989?ref_src=twsrc%5Etfw">@simonkjaer1989</a> for being you! <a href="https://twitter.com/hashtag/ballondor?src=hash&ref_src=twsrc%5Etfw">#ballondor</a> <a href="https://t.co/Z84TCbiafE">pic.twitter.com/Z84TCbiafE</a></p>— Ballon d'Or #ballondor (@francefootball) <a href="https://twitter.com/francefootball/status/1465418482607177730?ref_src=twsrc%5Etfw">November 29, 2021</a></blockquote> <script async src="https://platform.twitter.com/widgets.js" charset="utf-8"></script> 2021.11.30 15:50 Tue2
スクデット獲得に貢献のカルル、ミラン加入当初の苦労について「フランスとはまったく違った」
ミランのU-21フランス代表DFピエール・カルルが加入当初の苦労を振り返った。 カルルは2020年夏にリヨンのアカデミーから加入。右サイドバックとセンターバックを兼任して加入初年度から出場機会を確保すると、2年目の今季はステファノ・ピオリ監督からの信頼を得て主軸に定着し、公式戦37試合に出場した。 序盤は右サイドバックでの出場が多かったが、DFシモン・ケアーの負傷もあり、センターバックに定着すると、DFフィカヨ・トモリとのコンビでチームの守備を支え、11年ぶりのスクデット獲得に貢献した。 ポリバレント性もあり、すでにチームに欠かせない選手のカルルだが、フランス『Vista』で加入当初の苦労を告白。イタリアのサッカーへの適応は難しかったと振り返りつつ、自身を信頼してくれるピオリ監督への感謝も語った。 「僕のミランでのデビューは遅かったね。あれは12月のヨーロッパリーグ、敵地でのスパルタ・プラハ戦だった。それまで4カ月間もプレーしていなかったから、身体的にも戦術的にも落ち着くのに時間がかかったよ」 「ここはフランスとはまったく違うんだ。僕はそれを理解する必要があり、監督はその間に僕より優れた選手がいると考えていた。僕は歯を食いしばっていたよ」 「練習中、監督から『右ウイングでプレーしたことはあるか』と聞かれ、『もちろん、問題ない』と答えたよ。もし『中盤でプレーしたことはあるか」と聞かれても、同じように答えただろうね」 「リヨンでは、中盤を含むすべてのポジションでベストを尽くすため、トレーニングを積んできた。だから、試合に出られない状況だとハッピーではいられないんだ」 「デビュー戦はハードワークができて良かったと思う。そして監督は、改善すべき点があったとしても、僕の強さやどれだけ走ったかについて気づいてくれた」 2022.05.27 13:15 Fri3
再建期支えた重鎮シモン・ケアーが去るミラン…センターバック補強に力を入れる
ミランがセンターバックの補強に力を入れる。イタリア『カルチョメルカート』が伝えている。 21日、ミラン公式チャンネルに出演したデンマーク代表DFシモン・ケアー(35)が今季限りでの退団を公表。再建期にあったミランを支え、ロッカールームでも影響力を持ったベテランセンターバックがクラブを去る。 ケアーが「引退したら家族とミラノで暮らす」とも話した一方、クラブに新たなセンターバックを獲得する必要があるのは確か。ここ数カ月よく名前が挙がるのが、トリノのイタリア代表DFアレッサンドロ・ボンジョルノ(24)だ。 自国の実力派を確保できれば、それに越したことはないが、イタリア以外からも熱い眼差しを向けられるボンジョルノはどうやら非常に高価。カルチョの共通認識として、トリノのウルバーノ・カイロ会長は厄介な交渉相手である。 そこでヴォルフスブルクのフランス人DFマクサンス・ラクロワ(24)。こちらもミランの有力な獲得候補とされ、DFマリック・チャウと代理人が同じということもあり、ミラン本社で協議している事実も明らかになっている。 ラクロワとヴォルフスブルクの契約は残り1年。若くしてリーダーシップを備え、肉体的に頑丈かつ空中戦にも強いラクロワが、ミランが来季迎える新たなセンターバックとして、今のところ有力とのことだ。 また、センターバックの補強は1枚にとどまらない可能性も。チーフスカウトのジェフリー・モンカダ氏、そしてズラタン・イブラヒモビッチ氏は、ケアーの系譜を継ぐベテランディフェンダーを1枚確保する意向とされる。 2024.05.22 15:15 Wed4
偉大なる主将ケアーがデンマーク代表引退…歴代2位の132試合出場
DFシモン・ケアー(35)がデンマーク代表からの引退を発表した。 昨シーズン限りでミランを退団し、現在はフリーの状況が続くデンマーク代表の重鎮DFは、デンマークサッカー協会(DBU)を通じてこのタイミングでの代表引退を発表した。 「代表チームでのプレーをやめる時期が来た。もちろん、同時に悲しい気持ちもあるよ。フットボールで国を代表することほど素晴らしいことはないからね。チームメイトやファンとともにフィールドに立って『Der er et yndigt land』を歌った132回の試合は、毎回楽しかったよ。6回の本大会に出場できたことを誇りに思う。そして、8年間キャプテンを務められたこともとても光栄に思うよ」 「一番大きかったのは、チーム内、代表チーム関係者、スタッフ、コーチたちとの連帯感だ。そして、最も重要なのは、ファンとの連帯感だ。いつも一緒に勝ったり負けたりしてきたと感じているし、ここ数年は対戦相手に関係なく、毎回赤と白のパルケンが揃うのを見るのが大きな喜びだったんだ。フットボールではファンの存在がすべてであり、いつも素晴らしいサポートをしてくれてありがとうと伝えたいよ」 2009年に行われたワールドカップ(W杯)予選のスウェーデン戦でデンマーク代表デビューを飾ったケアーは、ここまで通算132試合に出場。長年の相棒であるMFクリスティアン・エリクセンに抜かれたものの、歴代2位の出場数を誇る。 また、2016年からはDFダニエル・アッガーに代わって8年間に渡ってキャプテンを務めてきた。 前述のコメント通り、2010年南アフリカW杯からW杯、ユーロと6大会連続で本大会に出場していた。 なお、デンマーク代表の暫定指揮官を務めるモーテン・ヴィークホルスト監督は、近日中にケアーに代わる新たなキャプテンを任命する予定だという。 2024.08.23 18:30 Friシモン・ケアーの移籍履歴
移籍日 | 移籍元 | 移籍先 | 種類 |
2020年9月1日 |
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完全移籍 |
2020年8月31日 |
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レンタル移籍終了 |
2020年1月13日 |
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レンタル移籍 |
2020年1月12日 |
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レンタル移籍終了 |
2019年9月2日 |
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レンタル移籍 |
2017年7月31日 |
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完全移籍 |
2015年7月1日 |
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完全移籍 |
2013年7月5日 |
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完全移籍 |
2012年6月30日 |
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レンタル移籍終了 |
2011年8月31日 |
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レンタル移籍 |
2010年7月8日 |
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完全移籍 |
2008年7月1日 |
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完全移籍 |
2007年1月1日 |
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完全移籍 |
2006年1月1日 |
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完全移籍 |
2004年7月1日 |
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完全移籍 |