シーズン移行の会見を取材「かなり慎重になっている」印象だった/六川亨の日本サッカーの歩み

2023.09.26 22:10 Tue
©超ワールドサッカー
Jリーグは9月26日に理事会を開催し、終了後に『シーズン移行』と『2024シーズンのクラブライセンス交付』についての記者会見を実施した。

『シーズン移行』に関しては、特に進展したことはなかった。これまで報道されてきた通り、ACLが“春秋制”から“秋春制”に移行したことと、クラブW杯が32チームと参加チーム増で4年に1回の大会に拡大されたことが『シーズン移行』を検討するきっかけとなったことが報告された。
Jリーグとしては、ACLに4年に2回は優勝することで、クラブW杯には2クラブが参加できるようにして、さらにクラブW杯ではベスト8以上を目標に置いている。こうした好成績を収めることで、現在は浦和の年間経営規模80億円を、J1クラブならアヤックスやベンフィカ(ヨーロッパの中位クラブ)の年間200億円まで引き上げたい考えがある。

しかしながら、ヨーロッパの5大リーグの成功はCLとELがもたらす収益にあり、現状クラブW杯は“おまけ”のようなものだ。これを日本に当てはめるならACLでの成功ということになるが(24-25シーズンから優勝賞金は3倍の約17億円になる)、10月3日のACL、川崎F対蔚山戦や4日の浦和対ハノイ戦、甲府対ブリーラム戦がどれほどの注目を集め、ファンが詰めかけるのか。正直、心許ないところだ。

海外移籍による移籍金の増加は見込めるものの、まだまだJのクラブは「商売上手」とは言えず、よく言えば「選手の希望を叶えてあげている」ものの、海外クラブからは「足元を見られている」印象は拭えない。カタールW杯での日本代表の健闘と、9月のヨーロッパ遠征での好結果から日本代表の試合はコンテンツとしてアジアで認知されつつあるかもしれないが、代表クラスが次々と海外へ移籍している現状で、Jクラブの試合の放映権がグローバルコンテンツに成長するとは思えない。ここらあたりがサウジアラビアの4クラブとの決定的な差と言えよう。
それでも夏場の試合を避けることによってメリットもある。走行距離やインテンシティなどの選手個人データはいずれも“秋春制”のヨーロッパのクラブの方が数値も高い。

ただし、懸案事項――『ステークホルダーとの年度の異なり』、『降雪地域への対応』、『移行期の対応』、『寒い中での試合数の増加』といった重要課題については手つかずのままで、「シーズン移行で発生する費用、降雪地域への対応などは項目の整理がまだ終わっていない」(樋口順也フットボール本部長)のが現状である。

野々村芳和チェアマンも「移行は難しい問題」と認めつつ、「(移行するかどうかで)感情的になることはなくなってきている。いい対話はできている。シーズンを変えるのが主目的ではなく、日本にとって何がいいのか。日本のサッカーを成長させるための土壌はできてきているので、みんなで目指す方向を見つけたい」とシーズン移行に含みを持たせた。

今後は「クラブの話を聞きながらシミュレーションしたい。実行委員にはクラブの考えを聞きたい」とも樋口フットボール本部長は話していた。シーズン移行に関して、「かなり慎重に精査しようとしているな」という印象を受けた記者会見でもあった。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた

関連ニュース

J1参入プレーオフ決勝で思い出す31年前の激闘/六川亨の日本サッカーの歩み

Jリーグは大詰めを迎え、先週末は各地でドラマが生まれた。まずはホームのノエスタで神戸が名古屋を2-1と下して悲願の初優勝を達成した。FW大迫勇也はこの日も2アシストで勝利に貢献。間違いなく今シーズンのMVPだろう。 そして残留争いでは湘南が横浜FCを1-0で退けG大阪とともに残留を確定。柏は鳥栖と2-2で引分けたため17位に降格したことで、最終戦に●で横浜FCが○だと勝点で並ばれるものの、得失点差では12点のアドバンテージがあるためかなり有利な状況と言える。 J2に目を向けると、J3の2位チームはいずれもライセンスを交付されている可能性が高くなったため、昇格に支障はない。そこでJ2を21位で終えた大宮のJ3降格が正式に決定した。 これとは逆のパターンで救われたのがJ3最下位の北九州だった。本来ならJFL2位のチームと入替戦だったが、最終戦の結果首位はHonda FCが「アマチュアの門番」として復活し、2位には6年ぶりに復帰した浦安が食い込んだ。しかし浦安は、練習グラウンドこそあるものの、観客席はメインとバックに申し訳程度にあるだけ。屋根や照明設備もないため、ライセンス取得のためには試合会場の確保が喫緊の課題となるだろう。ライセンスを持たない浦安が2位に浮上したことで、北九州は降格を免れたというわけだ。 さてJ2の残る昇格争いは東京Vと清水の「オリジナル10」対決となった。日時は12月2日14時より、“聖地"国立競技場で開催される。千葉との準決勝でも味の素スタジアムには2万5千を超えるファン・サポーターが集結しただけに、果たして何万人が入るのかも楽しみである。 そして国立競技場でのヴェルディ対エスパルスと言えば、92年のナビスコカップ決勝を思い出す。Jリーグの開幕を翌年に控えたプレ大会として創設された、今日まで続く伝統のあるリーグカップ戦である。 参加チームは「オリジナル10」で、総当たりリーグ戦の結果、上位4チームが決勝トーナメントに進出する。リーグ戦でも90分で決着がつかない場合は延長Vゴール方式、さらにはPK戦(1人目からサドンデス)まで導入された。予選リーグをヴェルディ川崎が首位で突破したのは予想通りとして、意外だったのは鹿島が4位に食い込んだことだった。 ジーコ・イズムが浸透してきたようで、長崎県立総合運動公園で行われた横浜フリューゲルス戦では怒りを爆発させていた。というのも当時のレギュレーションは、勝者に勝点4が与えられた他に、勝者にも敗者にも90分間で2ゴールを決めるたびに勝点1が付与された。より攻撃的なサッカーでファンを取り込もうというJリーグ側の姿勢の表れだった。 それなのに前半で鹿島がリードすると、攻撃の手を緩めてしまった。ジーコにすればレギュレーションを「知っているのか」とハーフタイムにチームメイトを鼓舞したらしい。結果は4-2の勝利で、鹿島はグループリーグで最多得点をマークした。 国立での準決勝はヴェルディが1-0で鹿島を下して決勝に進出。もう1つのカードは草薙陸上競技場で清水が名古屋を1-0で倒して決勝戦に勝ち進んだ。両者の激突は11月23日の国立競技場だった。三浦泰年と三浦知良の兄弟対決としても話題を呼んだ一戦に、国立競技場には5万6千人の大観衆が集まった。 清水には、ヴェルディから移籍した三浦泰と堀池巧の他にも、横浜Mから移籍した長谷川健太に加え、澤登正朗、向島健といった地元出身の選手がチームの主軸となって人気を集めていた。対するヴェルディもラモス瑠偉、ペレイラ、加藤久、柱谷哲二、都並敏史、武田修宏ら代表クラスをずらりと揃えた豪華な布陣だった。 試合は拮抗した展開が続いたものの、後半12分にキング・カズのゴールでヴェルディが先制する。結局この1点が決勝点となり、ヴェルディが初代王者に君臨し、カズは通算10ゴールで得点王とMVPの称号も手に入れた。 ちなみに翌年のナビスコカップ決勝も同じ顔合わせで、清水が大榎克己のゴールで先制するも、ビスマルクと北澤豪の連続ゴールで1-2と逆転負けを喫し、2年連続してランナーズアップに甘んじた。 あれから30年が過ぎ、大会こそ違うものの両雄が再び国立競技場で激突する。優勝争いと同じくらい、もしかしたらそれ以上の緊迫感が国立競技場に漂うかもしれない。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.11.27 21:00 Mon

U-22アルゼンチンに大勝も寂しかったアイスタ/六川亨の日本サッカーの歩み

北中米W杯のアジア2次予選で日本がミャンマーに5-0で圧勝したのは当然として、翌17日にはU-17日本代表がW杯のグループリーグ第3戦でアフリカ王者のセネガル代表に2-0と快勝してベスト16進出を決めた。さらに18日はU-22日本代表が、親善試合とはいえU-22アルゼンチン代表に5-2の勝利を収めた。 日本もアルゼンチンも、まだパリ五輪の出場権を獲得していない。しかしアルゼンチンは2004年のアテネ五輪でFWカルロス・テベスやMFハビエル・マスチェラーノを擁して金メダルを獲得すると、4年後の北京五輪でもFWリオネル・メッシらが五輪連覇を達成。今回、監督として来日したマスチェラーノは北京五輪もOA枠で出場し、連覇に貢献した。 そんなアルゼンチンや、セネガルに完勝した日本のアンダー世代の強みは前線からの労を惜しまない守備にある。 セネガルに対し、個々の身体能力では劣勢を強いられた日本だが、前線から中盤にかけて、しつこいくらいにボール保持者に食らいついた。アタック&カバーを繰り返し、セネガルのドリブル突破を阻止した。その象徴が、後半27分のFW高岡怜颯の2点目である。GKへのバックパスが弱いと見るや猛ダッシュ。GKは足の裏でボールを引いてかわそうとしたものの、高岡は簡単に奪って無人のゴールへ値千金の追加点を流し込んだ。 アルゼンチンに対しても、日本は2~3人がかりのマークでボール保持者から自由を奪った。前半17分にはMF鈴木唯人がMFカルロス・アルカラスのボールを奪おうとしてかわされたが、2度3度とアタックを繰り返した。結果的に鈴木の反則となったが、“10番”を任された鈴木でも守備のタスクを実践し続けた。こうした姿勢は他の選手も同様で、日本のあまりに激しく執拗な守備に、親善試合と割り切ったせいかアルゼンチンの選手は戸惑っていた前半だった。 ところが後半になると日本の守備に慣れたのか、アルゼンチンは1人1人のボールを持つ時間が短くなり、日本のアタックをかわしては日本陣内へ攻め込んだ。その中心選手が10番を背負ったディエゴ・アルマンド(マラドーナ)ならぬ、ティアゴ・アルマダである。昨年のカタールW杯のグループリーグ第3戦、ポーランド戦の後半39分から交代出場し、世界王者の一員となった逸材だ。そんな彼の名前は覚えておいた方がいいだろう。 試合はそのアルマダが後半5分に右足でFKを直接決めて逆転に成功する。その後もアルゼンチンの攻勢が続いたが、こうした嫌な流れを断ち切ったのが後半21分の鈴木のミドルシュートだった。さらに大岩剛監督は「疲労を踏まえた上で、フレッシュな選手を入れることで、どこでボールを奪うか明確にしたかった」と24分に2人の選手を交代。これで流れを取り戻した日本は3連続ゴールでアルゼンチンを突き放した。 後半40分には「皆さんが期待していることも考慮して、もちろん唯人(鈴木)も(地元)ファンにセレブレーションを受けることも必要と思った」という大岩監督の配慮から、鈴木に代えてFW福田師王をピッチに送り出す。すると福田は2分後にゴールで応えてパリ行きをアピールした。 そんな試合で唯一残念だったのは、バックスタンドに空席が目立ったことだ。この日の観衆は1万1千225人。22年3月の立ち上げから大岩ジャパンは海外遠征を重ねてきて、日本国内の試合はこのアルゼンチン戦が初めてだった。お披露目試合でもあったが、そのぶん選手の知名度は、今夏まで清水でプレーした鈴木をのぞけば低かったかもしれない。 ゴール裏の横断幕も最多4名を送り出したFC東京が目立ったくらいで寂しさを感じざるを得なかった。スタメン中4名が海外組で、普段のプレーを見る機会が少なかったのもその一因かもしれない。活動期間が限られ、選手の招集も何かと制約があるだけに、注目度という点においては難しい五輪世代と言えるだろう。それでも、こうして結果を残して五輪出場を決めれば注目度も高まるだけに、今後のさらなる成長を期待したい。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.11.20 22:15 Mon

明暗分けたJ2最終戦。J1昇格プレーオフ千葉は5度目の挑戦/六川亨の日本サッカーの歩み

12日のJ1リーグは横浜FMがC大阪に2-0で勝ち、神戸も後半アディショナルタイム90+6分に大迫勇也が劇的ロングシュートを決めて浦和を2-1と下したため、優勝争いはこの2強に絞られた。代表ウィークでJ1は中断するが、24日から再開される第33節で横浜FMが引分け以下に終わり、神戸が名古屋に勝てば初優勝が決まる。 このJ1よりも熱かったのが12日に最終節を迎えたJ2リーグだった。すでに優勝とJ1昇格は町田が手中に収めていたものの、2位から6位までは当日の結果次第という稀に見る大混戦。結果から言うと、2位の清水が水戸に1-1で引分けたため4位に後退し、栃木に逆転勝利を収めた磐田が得失点差で東京Vをかわして自動昇格の2位に滑り込んだ。3位は大宮に2-0で勝った東京Vで、5位は甲府との直接対決を2-1で制した山形が昇格プレーオフに進出。そして長崎に敗れた千葉が6位に後退したもののJ1昇格に望みをつないだ。 25日から始まる昇格プレーオフは、清水対山形、翌26日は東京V対千葉の組み合わせ(決勝は12月2日・開催場所は未定)。奇しくも“J1オリジナル10”の3チームが昇格プレーオフで残る1つの座を争うことになった。 この昇格プレーオフ、始まったのは2012年からで(17年まで開催)、それまではJ1の下位3チームとJ2の上位3チームが自動入れ替えだった。しかしJ1の残留争いはリーグ終盤まで白熱したものの、J2の優勝争い&昇格争いで上位3強が独走すると、それ以外のチーム同士の試合は盛り上がりに欠けることが多かった(J3リーグが誕生したのは2014年)。 そこでリーグ終盤までいかに盛り上げるかということで、上位2チームは自動昇格と変わらないものの、3位から6位以内に入ればJ1昇格の可能性がある「昇格プレーオフ」制度を導入したというわけだ。 この試みは初年度から成功した。甲府と湘南が自動昇格したのに加え、6位の大分が3位の京都、5位の千葉を連破してJ1復帰を果たしたのだ。そしてこの試合には少なからぬ“因縁”もあった。 1999年のこと、滝川第二高校から林丈統という小柄だがスピードのあるストライカーがジェフ市原(現ジェフ千葉)に入団した。スーパーサブとして活躍し、6年間で151試合出場22ゴールの結果を残し、06年に京都へ移籍した。そして09年のJ1リーグ第30節、林は大分戦での同点ゴールにより、大分はJ2へ降格することになった。 林はその後2010年にジェフ市原・千葉へ5年ぶりに復帰したものの、2年間ノーゴールで11年オフに戦力外通告を受けた。12年はタイのクラブに新天地を求めたが、ここでも結果を残せず退団。すると同年7月に大分が林に声をかけたのだ。リーグ戦では5試合出場のノーゴールに終わった。しかし11月23日に国立競技場で開催されたJ1昇格プレーオフ決勝、古巣との対戦となったジェフ千葉戦の後半28分に交代で出場した林は、41分に値千金のループシュートから決勝点を決め、大分を4年ぶりにJ1復帰へ導いたのだった。 ちなみに千葉は13年に5位で、14年は3位で、さらに17年は6位で昇格プレーオフに進出しているものの、いずれもチャンスを生かせずJ1昇格を逃している。特に14年の決勝は山形相手に引分ければJ1昇格というのに0-1で敗れてチャンスを生かせなかった。 6年ぶりに復活したJ1昇格プレーオフ、千葉は5度目の挑戦となる。相手は17年以来2度目の昇格プレーオフに挑む東京V。千葉は10年から、東京Vは09年から続くJ2暮らし。どちらのチームも昇格して欲しい気はするが、決勝に進出できるのは1チームのみ。26日の味の素スタジアムには、きっと両チームのサポーターが大挙して駆けつけることだろう。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.11.13 17:30 Mon

リーグカップ初戴冠の福岡に歴史あり/六川亨の日本サッカーの歩み

2023YBCルヴァンカップは福岡の初優勝で幕を閉じた。立ち上がりから攻勢に出た福岡は、FW紺野和也が得意のドリブルで仕掛けて浦和DF陣にプレッシャーをかけ、前半5分に右サイドを突破してのクロスでMF前寛之の先制点をアシスト。さらに前半終了間際には左サイドからのクロスでDF宮大樹の追加点をお膳立てしてチームの勝利に貢献した。 紺野は左利きながら右サイドからの仕掛けを得意とし、カットインだけでなくタテへも突破して右足で正確なクロスを供給できる。自身が目標に掲げるリオネル・メッシのプレーを法政大学在学中から磨いてきた。そんな紺野が負傷で退いてからは、浦和の反撃もあったとはいえ福岡は攻め手を失っていた。決勝戦のMVPは先制点の前が獲得したが、個人的には紺野だと思っていた。 福岡のルヴァンカップ初優勝により、九州勢の戴冠は08年の大分以来2チーム目となった(当時はナビスコカップ)。この別名リーグカップ、意外と初タイトルとして獲得したチームも多い。古くは99年の柏に始まり、03年の浦和、04年のFC東京、05年の千葉、17年のC大阪などだ。 グループステージはリーグ戦と並行して開催されるため、ターンオーバーなどでメンバーが一定しないものの、若手選手や控えだった選手が思わぬ活躍をしたりする。代表などで不在だった主力が決勝戦で今大会初出場してタイトル獲得に貢献したこともあった。来年からはJ1だけでなく、J2とJ3も含めたトーナメント戦になるため、さらなる波乱が待っているかもしれない。 話を福岡に戻すと、創部が1982年と新聞などでは紹介されていた。これは前身である中央防犯ACM藤枝サッカークラブの創部年を指している。“サッカーどころ"静岡であり、“サッカー御三家"でもあったが、それは藤枝東や浜名、清水東といった(中学と)高校サッカーにとどまっていた。なぜなら高校卒業後は東京の大学に進学したり、JSL(日本サッカーリーグ)の企業に就職したりしていたからだ。 そこで受け皿として誕生したのが本田技研サッカー部であり、ヤマハ・サッカー部(現ジュビロ磐田)だった。ヤマハは元日本代表でメキシコ五輪銅メダリストでもあり、三菱を引退して実家の家業を継いでいた杉山隆一氏を監督に招聘して県リーグ3部からスタートした。 同じように中央防犯も、藤枝東高で全国を制覇し、三菱の黄金時代を支えたサイドバックで、杉山氏と同じように家業を継いでいた菊川凱夫氏(故人)を監督に迎え、静岡県中西部3部リーグからスタートした。チームはその後、93年にJFL(旧日本サッカーリーグ)1部まで昇格したものの、Jリーグ誕生の機運が高まった90年代初頭、すでに静岡からは清水と磐田の2チームがJリーグ入りを確実視されていたため、静岡県をホームタウンにしたプロチーム発足を断念せざるを得なかった。 ここらあたりの事情は、藤枝東高出身で本田技研の監督を務めていた桑原勝義氏が87年に浜松で創部したPMフューチャーズ(現サガン鳥栖)と酷似している。 プロ化を断念した中央防犯に救いの手を差し伸べたのが、93年に「福岡にプロサッカーチームを誕生させる会」を発足した福岡だった。50万人もの署名を集め、関係者の努力により95年に移転が正式決定した。福岡に移転後、菊川氏は総監督に退き元日本代表監督の森孝慈氏(故人。三菱)を監督に招くなどチームの強化に尽力。その後はテクニカルアドバイザーや監督などを歴任し、22年12月2日に永眠した(享年78)。 菊川氏が創設や移転・強化に携わった福岡が、ルヴァンカップ決勝で古巣の浦和(三菱)に恩返ししたのも何かの縁かもしれない。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.11.06 21:45 Mon

次期会長選に出馬した2人の弱点/六川亨の日本サッカーの歩み

JFA(日本サッカー協会)は10月29日に臨時評議員会を開催し、次期会長選挙の「会長予定者選出管理委員会」の活動スケジュール(会長選挙の流れ)を評議員に説明した。現会長の田嶋幸三氏は2016年に就任し、来年で4期8年の任期を全うする。 東浩之JFAマネジメント本部長によると、10月30日から11月25日の27日間が「推薦依頼期間」で、立候補希望者はこの間に47都道府県の代表(会長など)とJ1クラブの社長、女子プロリーグ、フットサル連盟やビーチ連盟、中高大学の各連盟など79団体で構成されている評議員から16人以上の推薦を獲得する必要がある。 そして11月26日から12月24日までがマニフェスト(公約)の公開などの選挙期間となっていて、12月24日(日)の評議員の投票によって次期会長予定者を決定。来年3月に選任された予定者は、理事の互選により新会長と承認される。 16票以上の推薦を得られた予定者が1人の場合は選挙を行わず、評議員会で承認決裁を諮る。現状、東本部長は複数の候補者がいるものの「何人かは言えない」とし、29日は候補者の事前評価を評議員に伝えた。 ただ、関係者によると、立候補しているのはJFA専務理事の宮本恒靖氏(46歳)と、Jリーグチェアマン室特命担当オフィサーの鈴木徳昭氏(61歳)の2人と判明している。宮本氏については詳しい説明は不要だろう。日本代表として02年日韓と06年ドイツの2度のW杯に出場し、G大阪の監督などを経て昨年JFAの理事、今年3月からは専務理事を務めている。 鈴木氏は、オールドファンならハンス・オフト監督の通訳をしていたことを覚えているかもしれない。慶応大学から日産自動車に入り、マネージャーやGMとしてチーム運営と強化に携わった後、1993年にJFAに入り2002年のW杯招致に尽力。2018年にJリーグに入り、経営企画本部長などを歴任し、2020年東京五輪の招致にも貢献した。AFC(アジアサッカー連盟)ではデベロップメント委員会委員や競技部長を務めるなど、実務派として手腕を振るってきた。実兄の鈴木徳彦氏はファジアーノ岡山の代表取締役社長。 かつてJFAの会長選は、会長予定者の最終的な承認方法こそ現在と同じだが、選出方法は会長や副会長、専務理事からなる“幹部会"の合議制により決まってきた。言葉は悪いが“禅譲"的な側面があり、「密室の人事」といった批判も多かった。 例えば96年に日韓W杯の開催が決まったスイス・チューリッヒのFIFA総会に出席したのは長沼健JFA会長以下、岡野俊一郎副会長、川淵三郎副会長、小倉純二専務理事、釜本邦茂参議院議員(当時)だった。そして98年に長沼氏が会長を退くと、岡野氏が第9代の、川淵氏が第10代の、そして小倉氏が第12代の(第11代は犬飼基昭氏)会長に就任した。 そんなJFAに対し、FIFAはFIFAメンバー(各国会長)による選挙と同じシステムを採用するよう迫ったのが16年の会長選だった。当時は原博実JFA専務理事が立候補したものの、選挙に勝った田嶋氏が第14代の会長に就任した。 身内による“合議制"では透明性を担保できないし、不正の温床にもつながりかねない。FIFAの指導(日本と韓国に対し)は適切だったし時宜にかなったものだろう。 しかしながら今回の会長選では一抹の不安を抱かざるを得ない。宮本専務理事は、知名度は抜群だが現職になってまだ1年も経っていない。実務経験の少なさを心配せずにはいられない。一方の鈴木チェアマン特命担当は、実務経験は豊富でも知名度が低いのが気がかりだ。 次期会長を合議制で決めるデメリットは紹介したが、メリットもあった。抱えている問題点や課題を共有することで、継続性があることだ。その点、宮本氏は専務理事だし、鈴木氏はJFAでの経験も長い。しかしJFAがコロナ禍という未曾有の危機を乗り越えた時期を共有していない(鈴木氏はJリーグで経験)。 田嶋会長が宮本氏を後継者と選んだのなら、もう少し早く専務理事としてJFAに迎え、経験を積ませるべきではなかったか。 ともあれ次期会長選はスタートした。JFAとJリーグの票の取り合いといった様相になるだろう。水面下でどのような動きがあるのかも気になるところだ。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.10.31 21:00 Tue
NEWS RANKING
Daily
Weekly
Monthly