エスパニョールにホーム2試合の無観客処分…ダービーでのピッチ侵入事件への処分

2023.06.29 19:53 Thu
Getty Images
ホーム開催のダービーでの一部サポーターによるピッチ侵入事件を受け、エスパニョールにホーム2試合の無観客処分が科される見通しだ。

今年5月14日にRCDEスタジアムで行われたラ・リーガ第34節のバルセロナ・ダービーは、勝利で優勝が決定するバルセロナ、残留に向けて勝ち点が必要なエスパニョールにとって重要な試合となった。

しかし、試合はバルセロナのワンサイドゲームとなり、最終的に2-4のスコアで終了。これで4シーズンぶりのプリメーラ制覇が決定したバルセロナの選手たちは、ローカルライバルのホームスタジアムという事実を忘れたか、ピッチ上で盛大に喜び合った。
すると、ホームチームの不甲斐ない戦いぶりに加え、自分たちの庭で配慮なく喜びを爆発させたよそ者の振る舞いに激怒した一部ホームサポーターがピッチ内に侵入。

すぐさま危険を察知したバルセロナの選手やスタッフはドレッシングルームに避難し、幸いにも負傷者はでなかったが、一部ホームサポーターはそのままピッチに居座って警備員に対して、投擲を行うなど暴力行為や破壊行為を行っていた。
その後、今回の事件を調査していたスペインサッカー連盟(RFEF)の競技委員会は、ファンのコントロールを怠ったとしてホーム2試合の無観客処分を通知。来シーズンはセグンダ(スペイン2部)での戦いとなるエスパニョールは、序盤の重要なホームゲーム2試合をホームサポーターの後押しなしで戦うことに。

今回の処分を受け、エスパニョールはすぐさま反対声明を発表。処分不服として控訴を行うことを明言しつつ、過去の同様のケースや悪質な人種差別的なケースに比べて、あまりに重すぎる処分だと不公平な裁定だと糾弾している。

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src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_7_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">©J.LEAGUE<hr></div> そしてサッカー選手を志したのも横浜市。しかも、プロ入り後の本拠地であり、引退した本拠地でもあるニッパツ三ツ沢球技場での出来事だった。「初めて親と行った三ツ沢。今は凄く整備されていますが、スタンドの椅子もコンクリートだけで、初めて日産vs読売、木村和司さんvsラモスさん、カズさんがいて、あれで虜になって、自分もここでやりたいと」と、横浜でサッカー選手になることを決意。そして、努力の末に夢を叶えた。「今も三ツ沢でプレーできて、三ツ沢で終われたので、運が良いです。よかったなと思います」と、多くの思い出がある地に感謝を述べた。 その横浜の地を離れて最初に訪れたのがイタリア。当時はセリエAに所属していたレッジーナに移籍。すでに中田英寿がペルージャ、ローマ、パルマでプレーし、名波浩がヴェネツィアでプレーしていたが、日本人に馴染みのないレッジーナというクラブを選択。当時セリエAに復帰した1年目のシーズンだった。 <div style="text-align:center;"><img src="https://image.ultra-soccer.jp/1200/img/2022/nakamura20221111_3_tw.jpg" style="max-width: 100%;"></div><div style="text-align:right;font-size:small;" id="cws_ad" class="desc">Getty Images<hr></div> 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<script>var video_id ="a6xzzZGKikI";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 同じ日本代表で左利き、ゲームを作るプレーが求められた2人は、選手と監督という立場が変わっても、何かでつながっていたのだろう。それだけ会心のゴールであり、喜びを分かち合いたくなるものだった。 今なお、チームの練習に参加し、サッカーを続けている中村。今後は指導者になることは予てから口にしていたが、理想の監督像は作らないようにしているという。 「選手の時はありましたが、それはあまり作らない方が良いのかなと。自分の感覚とか、物差しでやると、逆に伝わらなかったり、良いことがないかもしれないんじゃないかなという感じでもいます」 「演じなければいけない時もあるかもしれないですし、B級(ライセンス)を取るときも、自分は答えをわかっているから教えすぎだと言われて、なるほどなと思いました。そこを促して、気付かせるということも大事だと思います。まだまだ色々なことを勉強しなければいけないので、今のところ作らないようにしています 型にハマった指導をせず、向き合う選手や状況に対応していきたいという考えもあるのだろう。数多くの監督の下でプレーし、様々な世界を経験したからこその決意なのかもしれない。 その中村だが、自身も称された“ファンタジスタ”について、今後期待する選手の名前を挙げた。それは「小野伸二ですね。そこは変わらないです」。北海道コンサドーレ札幌に所属する43歳は、中村も日本代表としても一緒にプレーした仲。そして、“ファンタジスタ”が再び必要になる時代が来ると考えているという。 「今の時代という言い方はあまり好きではないですが、中央はプレッシャーが360度きますが、そのポジションの選手が必要になる時が自分はあると思いますし、そういう人を逆に潰さないようにしていきたいという気持ちがあります」 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