元チェルシー指揮官のアヴラム・グラント氏がザンビア代表の新監督に就任
2022.12.22 22:44 Thu
かつてチェルシーやガーナ代表を率いたアヴラム・グラント氏(67)がザンビア代表の新監督に就任した。
ザンビアサッカー協会(FAZ)は22日、グラント氏の招へいを公式に発表。契約期間は2年となるが、延長オプションが付帯。ひとまずの目標は、アフリカ・ネーションズカップ2023の本戦出場となる。
イスラエル人指揮官のグラント氏は以前から親交があったロマン・アブラモビッチ氏の誘いを受け、2007年にチェルシーのフットボールディレクターに就任。その後、当時の指揮官だったジョゼ・モウリーニョ監督の解任を受け、暫定指揮官に就任した。
途中就任となった2007-08シーズンはクラブ史上初のチャンピオンズリーグ(CL)決勝に導くも、マンチェスター・ユナイテッドに敗れて無念の準優勝。リーグ戦でもユナイテッドの後塵を拝す2位フィニッシュで、シーズン終了後に解任されていた。
チェルシー退団後はポーツマス、ウェストハム、パルチザン、ガーナ代表の指揮官を歴任し、直近では2018年にノースイースト・ユナイテッド(インド)を指揮していた。
ザンビアサッカー協会(FAZ)は22日、グラント氏の招へいを公式に発表。契約期間は2年となるが、延長オプションが付帯。ひとまずの目標は、アフリカ・ネーションズカップ2023の本戦出場となる。
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