カタールW杯ラウンド16PK戦での課題/六川亨の日本サッカーの歩み

2022.12.08 21:00 Thu
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カタールW杯は大会17日目を終えてベスト8が出揃った。日本に敗れてグループステージで敗退したドイツに続き、ラウンド16では日本に続いてスペインもPK戦で3人連続して止められてモロッコに敗れた。

これでグループEを勝ち抜いた2チームはラウンド16で敗退。ベスト8に進めなかったのは唯一グループEの勝者だけで、さらにグループステージで2勝しながら敗退したのも日本だけだった。

ドイツとスペインに逆転勝ちを収めたことは評価できる。しかし「世紀の大番狂わせ」と自画自賛する前に、JFA(日本サッカー協会)の技術委員会は改めてドイツとスペインの実力を過大評価することなく冷静に分析するべきだろう。
さて日本とスペインは、いずれもPK戦で敗退した。PKは「キッカーが有利」だと言われる。さらにPK戦になると「ロシアンルーレットのようなもの。運次第だ」といった意見もある。いずれも一面を言い当てているに違いない。

しかしスペインのルイス・エンリケ監督はPK戦への備えをしていたにもかかわらず、敗軍の将となった。延長後半13分、エンリケ監督はPKキッカーのパブロ・サラビアを6人目の交代選手としてピッチに送り出した。終了間際にはフリーとなったサラビアのボレーシュートが左ポストをかすめた。決まっていれば、指揮官の采配がズバリ的中したことになる。

ところがである。PK戦に突入すると、スペインの選手からは“闘志"がまったく感じられなかった。延長戦ではモロッコの鋭い攻撃に遭い、決定的な場面を作られたからなのか“怯えている"ようにすら感じられた。そして3人目のキャプテンであるセルヒオ・ブスケッツまで止められ敗退が決まった。

正直に「ワン、ツー、スリー」のタイミングで蹴りに行ったため、GKもセービングのタイミングが合わせやすかったのではないか。そしてそれは、まるで日本対クロアチア戦の再現を見ているかのようだった。

日本はPK戦を迎えて、誰が蹴るのかは選手の自主性に任せたと後から知った。用意周到な森保監督にしては意外だった。なぜならPK戦は想定できただろうから、キッカーの人選と順番、さらには相手GKがどちらに飛ぶのかもリサーチして備えていたと思ったからだ。GK権田修一に対しても、相手キッカーの癖を伝えていると思っていた。

なぜなら過去の代表コーチやGKコーチは、そうした細かな分析とタブレットを使ったレクチャーで事前に選手に伝えることを「日本のストロングポイント」と話していたからだ。ところが残念ながら、今回はそこまでの準備をしていなかったようだ。

過去のW杯やアジアカップで積み上げた経験値は、技術委員長の交代により技術委員会のメンバーも代わるとリセットされて次世代には受け継がれない。紙媒体やデジタル化した資料も残されていないようで、これもまたJFAの悪しき伝統と言える。

そして森保監督には、ウソでもいいからPK戦の人選は「私が決めました」と言って欲しかった。

今回のラウンド16における日本とスペインのPK戦を見て、改めて正確でパワフルなシュートを打つことの重要性が指摘されることだろう。技術の向上はいつの時代も必要だからだ。しかし、PK戦は技術だけの問題ではない。メンタルの強さや相手を欺く狡猾さも必要になる。

10年南アW杯のパラグアイとのPK戦では、3人目のキッカー駒野友一がシュートをバーに当てたシーンが今回も紹介された。覚えているファン・サポーターもいるだろう。しかし、4人目のキッカーのシュートを覚えているだろうか。

当時24歳の本田圭佑は、GKのタイミングをずらした“ころころシュート"を中央に決めた。

こうした駆け引きも含め、重圧のかかる状況でのPKは練習環境がないのが現実でもある。シュート練習を繰り返せば技術の向上と同時に自信にもつながるだろうが、それとプレッシャーとの戦いは別だ。

かつて全国高校選手権で、広島県代表の常連高校がPK戦で何年か連続して敗退した。その高校の監督はPK戦の特別練習をするかと聞かれて、「いっさい練習はしません」とムキになって答えた。それもまた“真実"だろう。練習はしょせん練習に過ぎず、“修羅場"を経験するしかない。ただ、W杯は4年に1回しかなく経験を積めないのが恨めしい。

そういえば、クロアチア戦でPK戦に登場した4人のうち、シュートを決めた浅野拓磨は四中高出身で一発勝負の高校サッカー経験者だ。当然PK戦も経験したかもしれない。そして残りの3人は、小・中学生年代からいずれもJリーグの下部組織出身でリーグ戦での経験が多いのではないだろうか。ここで「負ければ終わり」の高校サッカーの“功罪"を問うつもりはない。今年もまた高校サッカー選手権の季節がやって来た。彼らがカタールW杯をどのように見たのか聞くのも楽しみでならない。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた

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序盤戦のJリーグ総括/六川亨の日本サッカーの歩み

今シーズンのJ1リーグは第4節を終えた段階で、無敗チームはたったの1チーム。それもJ2リーグから昇格してきた新潟だから驚きだ。 開幕前は昨シーズンの覇者・横浜FMの評価が高かった。FW仲川輝人とレオ・セアラ、DF岩田智輝、GK高丘陽平が抜けたとはいえ、各ポジションに実力者を揃え、穴はないかに見えた。しかし第4節で札幌に初勝利を献上して6位に後退。ただ、まだ序盤戦のため1勝すれば首位に返り咲ける可能性もあるだけに、そう悲観する必要はないだろう。 深刻なのは川崎Fだ。ここ数年は主力選手の流出が続いただけでなく、レアンドロ・ダミアンと小林悠はケガで長期離脱中。さらに第4節の新潟戦では開始19分にMF大島僚太が負傷交代すると、前半でDF山村和也もピッチを去った。これで最終ラインの負傷者は登里享平、車屋紳太郎、ジェジエウと4人に増えた。こうもケガ人が続出しては、鬼木達監督も手の打ちようがないだろう。1勝1分け2敗の14位は不本意な結果と言わざるを得ない。 その川崎Fを倒して3位に浮上したのが新潟(2勝2分け)で、昨シーズンからの主力が26人も残ったのが彼らのアドバンテージだ。とはいえ、新潟と同じく昨シーズンの主力が残留した3位の広島(ルヴァンカップ優勝、天皇杯準優勝)が12位に沈んでいるところを見ると、新潟の躍進には別の理由があるようだ。 同じ昇格組の横浜FCは1分け3敗で最下位に沈んでいる。主力選手の大量流出は防いだものの、第4節のFC東京戦(3-1)ではスタメン11人中6人が今シーズン獲得した選手。攻守にチームの骨格ができあがるまで、いましばらく時間がかかるだろう。 同じく未勝利で17位のG大阪も、ダニエル・ポヤトス新監督を迎え、攻撃的なサッカーに舵を切っているものの勝ちきれない試合が続いている。得点源として期待されているチュニジア代表FWイッサム・ジェバリも、この時期の他チームの外国籍選手の多くが同じように、まだ身体が重く3月4日の第3節・神戸戦で80分間プレーしたもののシュートは1本だけ。彼の復調を待つまでG大阪の試練は続きそうだ。 J2リーグに目を転じると、22チーム中J3リーグからの昇格2チームを含めて8チームが新監督を迎えた。その中で注目は、青森山田高校の監督から町田の監督に就任した黒田剛氏だ。ヘッドコーチに鳥栖を好チームに仕上げた金明輝氏がいるとはいえ、多くの選手を入れ替えながら3勝1分けの首位に立っているのは驚異的。磐田、徳島、千葉、水戸、甲府ら新監督を迎えたチームがいずれも二桁順位に甘んじているだけに、町田の躍進はかえって目を引く。昨シーズン15位のチームがJ2リーグ優勝を達成するか。いましばらくは町田から目が離せない。 最後にJ3リーグだが、今シーズンは20チーム中13チームが監督を交代した。その中で、J2リーグから降格したFC琉球が首位の鳥取と同勝点の2位というのは頷ける。そして田坂和昭監督率いる北九州が3位、霜田正浩監督の松本が4位と健闘している。彼ら以外にも、戸田和幸監督の相模原が9位、中山雅史監督の沼津が初勝利をあげて11位に浮上するなど今年のJ3リーグは話題も多い。今シーズンはJFLへの降格もあるだけに、残留争いも激しさを増すことだろう。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.03.14 13:30 Tue
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U-20W杯のエピソード/六川亨の日本サッカーの歩み

現在、ウズベキスタンで開催中のU-20アジアカップで、日本は第2戦のキルギスに3-0と快勝。2連勝でグループDの首位に立ち、決勝トーナメント進出をほぼ手中に収めた。日本は9日にサウジアラビアとの対戦を控えていて、引き分け以上で首位通過が決まる。11日から始まる決勝トーナメント初戦の準々決勝ではC組との対戦が決まっていて、現在は日本と同様に韓国が連勝して首位に立っている。このため2位はヨルダンになる可能性が高く、この試合に勝ってベスト4に進出すれば、5月20日からインドネシアで開催されるU-20W杯の出場権を獲得できる。 初戦でサウジアラビアに0-1で敗れたキルギスだったが、日本はなかなかゴールをこじ開けられずに苦しんだ。後半28分、やっと佐野航大(岡山)のPKで先制すると、2分後に熊田直紀(FC東京)が左足で追加点を決めて勝利を確実なものにした。 熊田はOGから先制を許した初戦の中国戦で交代出場すると、いきなり2ゴールの活躍で逆転勝利に貢献。2試合連続ゴールで存在感をアピールした。181センチの大型ストライカーは今シーズン、FC東京U-18からの昇格組で、潜在能力の高さは「アカデミー史上最高」と評価されている。Jリーグのデビューこそ同期の高速ドリブラー俵積田晃太に先を越されたが、2人ともパリ五輪世代の有力候補でもある。 チームにはディエゴ・オリヴェイラという絶対的なエースがいるものの、彼とのポジション争いに勝てば将来は日本代表も夢ではない。上田綺世、町野修斗、小川航基らライバルは多いが、まずはU-20W杯の出場権を獲得し、世界の舞台で活躍することを期待したい。 そのU-20W杯だが、前回の19年ポーランド大会は決勝トーナメント1回戦で韓国に0-1と敗退。17年の韓国大会も決勝トーナメント1回戦でベネズエラに負けて2大会連続してベスト16の壁に阻まれている。その前の09年から15年までは4大会連続してアジア予選で敗退。05年オランダ大会と07年カナダ大会も決勝トーナメント1回戦で敗退しているだけに、サムライブルー同様、本大会では「ベスト8」が目標になる。 そんな日本が初めてU-20W杯(当時はワールドユースと言われていた)に出たのは、いまから44年前の1979年に日本で開催された第2回大会だった。2分け1敗でグループリーグで敗退したものの、水沼貴史(横浜FMの水沼宏太の父)が日本の初ゴールを決めてメキシコと1-1で引き分けた。 この第2回大会は、優勝したアルゼンチンのディエゴ・マラドーナの大会とも言えた。得点王は後に横浜FMでプレーするラモン・ディアスが獲得し、三菱でプレーしたオズワルド・エスクデロも優勝メンバーだった(弟のセルヒオは浦和でプレーしたがJリーグ開幕前に引退)。 この第2回大会は、別の意味でも興味深い大会だった。チュニジアで開催された第1回大会は、成功したと言えるような大会ではなかった。サッカーの発展途上国での開催という条件のため、それも仕方なかっただろう。1974年にFIFAの会長に就任したジョアン・アベランジェにとって、この大会は何としても成功させたかった。その思いはゼップ・ブラッターも同様で、ワールドユースの責任者として来日したブラッターが会ったのが、2年前に「ペレ・サヨナラ・ゲーム」を成功させた電通の高橋治之(東京五輪・パラリンピック組織委員元理事。受託収賄罪で逮捕)だった。 高橋はペレ・サヨナラ・ゲームではサントリーをスポンサーにつけ、ピッチサイドには広告の看板を置き、キーホルダーやプログラムの販売を導入して利益をあげた。 ワールドユースでは話題作りのために抽選会をショーとして見せた。出場国の女性に着物を着せて、高輪プリンスホテルで公開抽選会を実施。それをテレビ局に依頼して取り上げてもらった。後にブラッターが透明なボールの中に手を入れて、丸いカプセルをピックアップして開き、国名の入った紙を広げるというW杯の抽選会のアイデアは79年のワールドユースにあったのだった。 2年後の81年、ブラッターは事務局長に昇格している。これはワールドユースの成功が評価されたとも言われた。決勝には5万を超える観衆が集まり、試合後はファンがピッチに乱入した。マラドーナに優勝トロフィーを渡すアベランジェ会長にすれば、大会の成功を確信したことだろう。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.03.07 22:45 Tue
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都心のサッカー専用スタジアムは風が強い?/六川亨の日本サッカーの歩み

先週末のJリーグの取材は、強風・寒風との戦いでもあった。 25日の土曜はNACK5スタジアム大宮でのJ2リーグ大宮対金沢戦を取材した。14時2分キックオフ時の気温は11.1度。しかし後半に入ると10度に下がり、試合終了間際には9.3度まで下がった。気温自体はそれほどでもないが、吹き付ける寒風のため体感温度はかなり低い。 記者を始めメインスタンドのファンもマフラーを首に巻いたり、フード付きのコートを着ている人はフードをかぶったりして防寒対策をしていた。それでも試合後のワーキングルームでは、指先がかじかんでパソコンをうまく打てない記者が多かった。 試合は大宮が、新加入選手のCB浦上仁騎やサイドアタッカー高柳郁弥、柏からレンタル移籍のアンジェロッティらの活躍で2-0と今シーズン初勝利をあげ、昨シーズンの開幕9試合未勝利という悪夢を払拭した。 翌日はJ1リーグの柏対FC東京戦を取材。こちらは15時3分キックオフ時の気温は17.3度と高く、メインスタンドは陽も当たるため、風さえなければ暖かかった。ご存じのように三協フロンテア柏スタジアムは、日本では珍しくメインスタンドに直射日光が当たる(日本はもちろん世界のスタジアムもメインスタンドは日光を背にするように造られている)。このためデーゲームではサングラスなどの用意も必要だ。 ところが後半は16.6度と気温が下がると同時に、15時過ぎのキックオフのため日も陰り、強風も吹き付けてきた。前日同様、取材ノートはスマホで抑えながらの観戦だ。それでも前日の試合を教訓に、アンダータイツ着用で膝掛けを持参するなど防寒対策をしたため凍えることはなかったが、やはり寒風は身体に厳しい。 そして本題である。試合後のFC東京のアルベル監督のコメントが印象的だった。開口一番に語ったのが次のコメントだ。 「今日の試合において、風が大事な要素になると思った。風の影響が大きかった。このスタジアムはサッカー専用で好きだが、屋根が少ないので風が影響します。向かい風の前半はなかなかスペースを見いだすことができず、柏は追い風を生かしてプレスをかけてきたので、我々は長いボールを使いました」 サッカー専門誌の記者の頃は柏を担当したので何度もこのスタジアムに足を運んだが、「風の影響が大きい」と聞いたのは初めてだった。ニカノール監督や西野朗監督に確かめたこともなかったし、カレッカやストイチコフに聞いたこともなかった。取材不足を痛感した次第でもある。 そして思ったのは、三協フロンテア柏スタジアムと同様にNACK5スタジアム大宮もメインスタンドの上方に短い屋根があるものの、それ以外に風を遮るもののない。似たようなスタジアムであるということだ。都心ではニッパツ三ツ沢球技場も屋根がないため同じスタジアムと言うことができる。 NACK5スタジアム大宮(旧大宮サッカー場)とニッパツ三ツ沢球技場(旧三ツ沢球技場)は64年の東京五輪の際に造られたスタジアムのため、現在の基準からすれば見劣りするのは仕方がない。それでも雨天の際に屋根があるかないかは観戦者にとって重要だろう。 そして先週末の取材で痛感したのは、屋根はもちろんのこと、屋根を支える障壁が両ゴール裏とバックスタンドにあれば、吹き付ける寒風をいくらかでも防げたのではないかということだ。これは改修された等々力陸上競技場に当てはまるかもしれない。 Jリーグの野々村芳和チェアマンは、春秋制から秋春制への変更を検討すると明言している。そのためには豪雪地にドームスタジアムと、ドーム型の練習グラウンドが必要になるだろう。しかし豪雪地でなくとも、チーム数がJ1からJ3まで20チームに増え、シーズンが厳冬期をまたぐのであれば、スタジアムの寒風対策も必要になると感じた週末のJリーグ取材だった。もちろん、そのためにはスタジアム改築費など各自治体との密な協力体制が欠かせないのは言うまでもない。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2023.02.27 21:30 Mon
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開幕戦完敗で「どうする浦和」/六川亨の日本サッカーの歩み

浦和にとってFC東京は“お得意さん”のはずだった。直近の2シーズンは2勝2分けと負け知らず。過去の対戦成績でも22勝11分け9敗とホーム(13勝4分け4敗)はもちろんアウェイ(9勝7分け5敗)でも勝ち越してきた。 そんな浦和が開幕戦でFC東京に完敗したのだから“ただ事”ではない。 前半こそ前線からの献身的で連動したプレスと、アンカーの東慶悟を潰すことでFC東京のビルドアップを封じた。開始4分には東にイエローカードが出され、シュートも1本に抑え込んだ。ここまでは、これまでのパターン通りと言えた。 ところが後半、アルベル監督は警告を受けた東に代えて安部柊斗をトップ下に起用し、新加入の小泉慶と松木玖生をボランチに下げる[4-2-3-1]に変更。すると試合はFC東京のワンサイドゲームになった。 FC東京の攻撃がスムーズになったのは、松木がボールに触る回数が増えたのと、小泉が状況に応じて最善のプレーを選択してリスクヘッジしたからだ。さらに仲川輝人に代えて渡邊凌磨を昨シーズンまでの右サイドではなく、左サイドに投入したのも効果的だった。 とはいえ、FC東京の選手がそこまでスーパーなプレーをしたわけでもない。前半のオーバーワークが影響したのか、明らかにペースダウンした後半でもあった。 浦和はダヴィド・モーベルグの動きが緩慢で、シュートもスローモーで簡単にブロックされるなど調整不足は明らか。このため後半11分にはベンチに下がった。昨シーズンはケガで長期欠場を余儀なくされたブライアン・リンセンもシュートは1本も放てず後半24分に交代した。 名古屋へレンタル移籍したキャスパー・ユンカーが開幕戦で先制ゴールを決めたのとは対照的な結果である。 チームには昨シーズンからの継続性があるのは強みかもしれない。しかし左SB明本考浩、ボランチの伊藤敦樹と岩尾憲、トップ下の小泉佳穂と左FWに起用された大久保智明は、確かに“仕事人”と言っていい選手たちである。しかし、浦和というビッグクラブのリーダーとして“顔”となる選手かと問われれば首を捻らざるを得ない。 唯一存在感を発揮したのは、アダイウトンのドリブル突破を身体で弾き飛ばしてボールを奪い、そのまま持ち上がってカウンターを仕掛けた酒井宏樹くらいだ。 補強にしても、レンタルバックの興梠慎三は別にして、主力クラスはCBマリウス・ホイブラーテンの1人だけ。これでは江坂任の抜けた穴を埋められたとは到底思えない。ビッグクラブを自認するには寂しい補強である。果たしてさらなる外国人選手の獲得はあるのかどうか。「どうする」のか注目したい。 次節はディフェンディング・チャンピオンで開幕戦を白星スタートの横浜FM、さらには大型補強のC大阪と難敵が続く。マチェイ・スコルジャ監督には「待ったなし」の連続だが、無事に乗り切れるのかどうか、こちらも他人事ながら心配である。 それでも試合後、帰路を一緒にした浦和担当記者は、「こういう試合をした後にマリノスに勝つのが浦和なんですよ」と胸を張っていた。これが“レッズ愛”なんだろうと実感した次第である。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> <span class="paragraph-title">【動画】FC東京が浦和を開幕戦で粉砕</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="QC3ly0QTYBs";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2023.02.21 14:00 Tue
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ロシアがAFCへ? イスラエル転籍の歴史/六川亨の日本サッカーの歩み

去る2月1日、バーレーンのマナマで第33回AFC(アジアサッカー連盟)コングレス2023が開催され、JFA(日本サッカー協会)の田嶋幸三会長がアジア選出のFIFAカウンシル(理事会)メンバーに再選された。 任期は2027年までの4年間で、3選は元JFA会長の小倉純二氏の2選を抜いて最多。2016年にJFA会長に就任した田嶋氏は、来年で4期8年の任期を終え、その後は名誉会長に就任予定だが、FIFAカウンシルのメンバーとしての公式活動は今後4年間続くことになる。 アジア選出のFIFA理事選には定員5名に対し7名が立候補した。満票は45票で、過半数を取らないと理事として認められない。田嶋会長は39票を獲得して7人中2番目で当選した。他にはカタール、サウジアラビア、フィリピン、マレーシアの4人が理事に選出され、中国と韓国の2人は過半数に届かず落選した。 このAFCコングレスには、UEFA(欧州サッカー連盟)からAFCへの転籍が噂されるロシアサッカー協会の会長も出席したことを田嶋会長は明らかにした。その上で「まだ最終的な議論をするまでには至っていません。かつてイスラエルの例もあったが、同じにしていいとは思わない。スポーツと政治は分けて考えるべきだと思う」と私見を述べた。 そのイスラエル、現在はUEFAに所属しているが、かつてはAFCに属していた。 アジアのチームがW杯に出場したのは54年スイス大会の韓国が初めてだった(38年フランス大会のオランダ領東インド=現在のインドネシアは除く)。次が66年イングランド大会の北朝鮮で、グループリーグでイタリアを倒してベスト8に進出したのは長らくアジアの最高成績だった。 そして3番目にW杯に出場したのがイスラエルで、70年メキシコ大会ではイタリアと0-0、スウェーデンと1-1で引き分ける健闘を見せたがグループリーグで敗退した。 そのイスラエルと日本は73年の西ドイツW杯予選で初めて対戦。ソウルでの集中開催だったが、組分け予選で1-2と負けたものの南ベトナムに4-0で勝って準決勝に進出。しかしイスラエルとの再戦となった準決勝では延長戦の末0-1で敗れた。アジア予選を勝ち抜いたのは韓国だったが、オセアニアとの最終予選でオーストラリアに敗れてW杯出場はならなかった。 このイスラエル、本来なら中東のグループに所属するはずだった。しかし67年の第三次中東戦争でイスラエル軍がパレスチナ自治区を占領したことで起こったパレスチナ問題やその後の中東戦争などにより周辺のアラブ諸国との関係が悪化。アラブ諸国はもちろん北朝鮮や中国、イスラム教徒の多いインドネシアなどもイスラエルとの対戦を拒否したため、消去法から予選は東アジアと対戦することになった。 彼らは64年に自国開催のアジアカップで初優勝を飾ったが、72年のタイ大会から出場辞退を余儀なくされ、74年にはクウェートの主導による投票の結果、賛成17、反対13、棄権6によりAFCから除名され、地域連盟に未加盟の状態が続いた。 それでも76年3月のモントリオール五輪予選、77年3月のアルゼンチンW杯予選で日本はイスラエルと対戦。いずれも韓国との3か国によるホーム・アンド・アウェーの対戦だったが、日本はイスラエルの来日に際して安全を保証できないとの理由から、モントリオール五輪予選のホーム・ゲームはソウル(0-3、1-4)で、W杯アルゼンチン予選は2試合ともテルアビブ(0-2、0-2)で開催され、完敗を喫したのだった(通算対戦成績は7戦7敗)。 その後、“さまよえる"イスラエルは一時期UEFA(82年スペインW杯予選)やOFC(オセアニアサッカー連盟)の暫定メンバーとなり、86年メキシコW杯と90年イタリアW杯の予選はオセアニアで戦った。90年大会ではオセアニア代表としてコロンビアとのプレーオフに臨んだものの2試合合計0-1で敗れてオセアニア代表としてのW杯出場はかなわなかった。 そんなイスラエルが長年望んでいたのが、距離的にも近いUEFAに加盟することだった。ようやく92年にUEFAに受け入れられると、94年からは正式なメンバーとして昨年のカタールW杯まで8度の欧州予選に参加。EUROにも96年イングランド大会から参加しているものの、いずれも予選で敗退している。 果たしてウクライナ侵攻によりヨーロッパで孤立しているロシアのサッカーがアジアに転籍してくるのか。パリ五輪の参加資格も含めて注視したい。そして3月24日に国立競技場で開催されるキリンチャレンジカップ2023の対戦相手はウルグアイに決まったが、日本代表のレベルアップのためには日本がUEFAに転籍することも一考ではないだろうか。 2023.02.13 23:00 Mon
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