EAFF E-1選手権の歴史をおさらい/六川亨の日本サッカーの歩み

2022.07.19 09:30 Tue
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いよいよ19日からEAFF-E1選手権がスタートする。日本は初戦で香港とカシマスタジアムで対戦するが、18日には谷口彰俉や宮市亮ら4選手がズームによる会見に応じ、キャプテンに指名された谷口は「寄せ集めのチームなので普段通りにはできないでしょう。ピッチ内はもちろんのこと、ピッチ外でもいろんな話をしようと選手には伝えています」と難しいチーム状況であることを認識していた。

そして森保一監督は「できるだけ多くの選手を起用しながら大会に臨むつもりです」と話したが、そうなると「寄せ集めのチーム」だけに一抹の不安を感じてしまう。それでも今大会はW杯や五輪の予選と違い、特別な大会ではないだけに、“Jリーグ選抜”が東アジアの3カ国を相手にどれだけできるのか、それはそれで楽しみでもある。

このEAFF-E1選手権だが、02年の日韓W杯後の03年に東アジア選手権として第1回大会がスタートした。日本と韓国、それに中国を加えた3カ国の持ち回りで、残り1チームは香港、北朝鮮、オーストラリアら7チームがセントラルの予選を戦い、上位1チームが本大会に出場できるシステムとして今日まで続いてきた。
基本的に2年に1回の大会だったが、アジアカップや五輪の関係で必ずしも「2年に1回」のサイクルが守られてきたわけではない。今年の大会も、本来は中国で昨年開催予定が新型コロナウイルスの影響で延期され、さらに日本開催へと変更された(日本→韓国→中国という開催サイクルで、前回19年は12月に韓国の釜山で開催された)。

大会の趣旨としては、東アジアのレベルアップにあった。歴史的に日本と韓国は「日韓定期戦」でレベルアップを図ってきたが、“永遠のライバル”のため、時として親善試合の結果が監督の進退に影響することもあり、1991年を最期に自然消滅した。

その代わりということではないが、90年に東アジア4カ国によるダイナスティカップが始まり、スポンサー(マールボロ)が撤退したことと、日韓W杯を契機に東アジアサッカー連盟(EAFF)が02年に設立されたことで(初代会長は岡野俊一郎JFA会長)、今大会はスタートした。

第1回大会がスタートした90年当時はサッカー専門誌の記者として、イタリアでW杯を取材中だったが、帰国したらすぐに中国で開催される大会を取材するように命じられて苦労した覚えがある。

アジアは東西に長く、生活習慣はもちろんのこと、宗教など様々な違いがある。サッカーにおいても中東の8カ国(サウジアラビア、クウェート、イラク、UAE、カタール、バーレーン、オマーン、イエメン)は1970年に中東の大会であるガルフカップをスタートさせて切磋琢磨してきた。

最多優勝は70年代に強さを誇ったクウェートで10回だ。これに続くのがサウジアラビアと近年は成長著しいカタール、古豪のイラクの3回。そして逆に石油と天然ガスといった自然資源を保たない“中東の最貧国”と言われるイエメンはベスト4にすら入ったことがない。

ちなみにイランは文化圏が違うので(話す言語も中東はアラビア語に対しイランはペルシャ語)、アラビア半島の国々とは一線を画している。

このガルフカップから遅れること四半世紀、96年にはタイガービールの協賛から東南アジア選手権とも言うべき「タイガーカップ」がスタートしている。大会は08年に日本企業のスズキがスポンサーになり、AFF(ASEANサッカー連盟)スズキカップと名称が変更されたが、フィリピン、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイ、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、ブルネイ、インドネシア、東ティモールの11カ国が参加。

東南アジアの盟主とも言うべきタイが最多6回の優勝を果たしているが、近年は監督に韓国人のパク・ハンソ氏を迎え、もう引退したがJリーグでもプレーしたストライカーであるレ・コン・ビン氏を擁したベトナムが急成長を見せている。

ガルフカップやスズキカップに遅れて始まったEAFF E-1選手権。過去の政治的な状況を踏まえれば、東アジアの4カ国(日本、韓国、中国、北朝鮮)がいくら政治とは関係のないサッカーとはいえ足並みを揃えるのは難しいことであることは容易に想像できる。その突破口となったのが、アジアで初めて開催された日韓W杯でもあることは間違いないだろう。

改めて言うまでもないが、今大会はAFC(アジアサッカー連盟)のAマッチと認定されていないため、参加国は海外組を招集できない。AFCが認定するAマッチはW杯予選とアジアカップだけだからだ。しかし、それはそれで今大会は面白いのではないだろうか。

6月の4試合に出場した日本代表の海外組、いわゆるレギュラー組が海外から帰国して試合に出場したとしても、正直代わり映えしないメンバーに食傷気味なのは僕だけではないだろう。固定メンバーの森保ジャパンに風穴を開ける意味でも、今大会の“国内組”の活躍に期待しているJチームのファン・サポーターは多いと思うがいかだだろうか。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた

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カタールW杯開幕で気になったカタール・サポ/六川亨の日本サッカーの歩み

「やはり」と言うべきなのだろうか。ある程度は予想されたことだった。 そう、昨日開幕したカタールW杯のオープニングゲーム、ホスト国カタールが南米4位のエクアドルに0-2で敗れた。 W杯の開催国が開幕戦(初戦)で敗れたのは過去21大会(日韓大会は2か国共催のため試合数は22)で初めてのことである。今大会に参加している32か国で初出場はカタールの1か国のみ。過去に出場経験が一度もなく、開催国枠として出場できただけに、選手としてもチームとしても“経験不足"は明らかだった。 それを象徴しているのが2点目のシーンで、左サイドからのクロスに対してゴール前には5人のDFが揃っていたものの、GKも含めて全員が全員「ボールウォッチャー」になっていた。ゴール前にいるエクアドルの選手には“目もくれて"いなかった。 フリーで走り込まれては、33歳のベテランFWエネル・バレンシアが外すはずもなかった。 カタールの国土は秋田県ほどだ。このためブラジルW杯やロシアW杯のように事前キャンプ地を入念に調べる必要はない。キャンプ地はドーハ市に集中しているからだ。さらにスタジアム建設の遅れとコロナ禍でプレ大会を開催できず、『強化試合』の足かせになったのだろう。 過去2年間、地元でヨーロッパや南米の中堅・強豪国とのマッチメイクはゼロ。アメリカでのゴールドカップ(ベスト4)や自国開催のアラブカップ(3位)で格下相手と対戦するしかなかった。 加えて育成年代の指導を評価されて代表監督に就任したフェリックス・サンチェス監督の経験不足も感じた。ポゼッションスタイルのサッカーを目指しているものの、所詮はアジアレベル。付け焼き刃がW杯で通じるわけがない。 となると“伝統"のカウンターということになるが、ブラジル以外の南米勢はどこもカウンターを武器にしている。“王国"に対抗するにはそれしか手段がないからだ。ご多分に漏れずエクアドルもシンプルなタテパスや、サイドに展開したら手数を掛けずにアーリークロスで勝負を仕掛けてきた。 この試合開始早々からのアーリークロスにカタールはリズムをつかめず失点した。マイボールになり攻撃に転じようとしても、エクアドルは前線からのチェックと素早いリトリートでFWアリモエズ・アリらにスペースを与えない。せっかく192センチの長身FWムハンマド・ムンタリがいるのだから、もっと早く投入してパワープレーに切り替えるべきだったのではないだろうか。 初戦のエクアドル戦を落としたことで、残す相手はオランダとセネガル。10年南ア大会に続き、開催国のグループリーグ敗退という不名誉な記録もチラついてきた。 中東初のW杯ということで、何かと話題の多いカタールだが、開幕戦のゴール裏には違和感を覚えたものだ。 これまで中東での取材は、イランのアザディ・スタジアムを除けばまず満員になることはなかった。試合開始直前になって、イスラム教の民族衣装である純白の「トーブ」(オバQのような衣装。大会マスコットのライーブをイメージしてほしい。こちらは一反木綿にも似ている)を着た大人や子供(いずれも男性)がサンダル履きでのんびりとスタジアムにやってきた。 試合中は中東独特の音楽が流れ、観客はヒマワリの種を食べながらノンビリと観戦する。そして試合に勝てないとみるや、後半途中から帰途につくためバックスタンドやゴール裏の人の流れは一目でわかった。 ところがW杯では、カタール・ホームのゴール裏はお揃いのエンジ色のTシャツを着たマッチョな男性であふれていた。カタールでは同性愛は禁じられていて、最高刑は死刑だからゲイのはずはない。しかし中には両腕にびっしりとタトゥーをしている男性もいる。イスラム教ではタトゥーも禁止されているはずだ。 彼らは、「トーブ」を身にまとうような裕福なカタール人ではないようだ。かといって中東では重要な労働力であるインド亜大陸のパキスタンやバングラデシュからの出稼ぎ労働者にしては屈強な体つきをしている。だいいち出稼ぎ労働者は仕事優先のため、ゴール裏で応援している余裕などないはずだ。 そんな疑問について、ブラジル人ジャーナリストのリカルド・セティヨン記者が日刊ゲンダイ紙に書いた記事がある。 「チケット代も航空券も2週間の滞在費もタダ。さらに毎日8000円のお小遣いまでもらえる。それはW杯の公式ファンリーダーになること。参加国からそれぞれ30~50人が選ばれ『開会式で自国のチャント(応援歌)を歌う』『SNSで公式の投稿をリツイートする』『いいね!を押す』『カタールW杯の素晴らしさを発信する』のが条件」というものだ。 ただ、それでも人は集まらなかったらしく、開幕戦限定でさらに応募をかけて、お揃いのTシャツを着せて体裁を整えたそうだ。いったい彼らはどこから来たのか。そして25日のセネガル戦でもゴール裏を埋めて、タテノリ応援をするのだろうか。こちらはこちらで気になるところだ。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.11.21 22:45 Mon
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阿部引退試合で俊輔の凄さを再認識/六川亨の日本サッカーの歩み

日本代表の海外組が各国リーグの終了と同時に続々とカタール入りし、話題はW杯へと切り替わっている。そんななか、先週末の12日は埼玉スタジアムでの「阿部勇樹 引退試合」を取材した。 対戦カードは浦和レッズOBで07年と17年のACL優勝メンバーを中心とした『URAWA ASIAN KINGS』と、阿部とはジェフ市原/千葉、04年アテネ五輪と日本代表時代のチームメイトによる『JEF・JAPAN FRIENDS』の両チームだ。 浦和OBチームには最年長の岡野雅行(50歳)からいまも現役のGK西川周作まで、幅広い年齢層が集結。対する混成軍にはジェフ時代のチームメイトであるDF中西永輔やFW巻誠一郎、アテネ五輪世代のDF今野泰幸、MF松井大輔に加えてMF中村俊輔やCB中澤佑二ら南アW杯のメンバーも参加するなど豪華な顔ぶれ。監督は浦和OBチームがホルガー・オジェック氏、混成軍はアテネ五輪代表監督の山本昌邦氏が務めた。 試合は田中マルクス闘莉王が岡野にロングパスを出そうして息が合わずにやめて会場を沸かせたり、岡野が得意の俊足を披露したりするなどして“お祭りムード“を盛り上げた(岡野のダッシュは50歳にしては超速! やはり持って生まれた才能だろう。しかし1回スプリントした後は休憩が必要だった)。 対する混成軍ではボランチの稲本潤一が、スローペースな試合展開になるとDF陣からパスを引き出す巧みなポジショニングと、視野の広さによる展開力は相変わらず上手いところを見せた。 そして中村俊輔である。先週木曜のコラムでは「パスよりもシュートの方が印象的」と書いたが、それを撤回したい。それほど右サイドでボールを持つと、正確なミドル、ロングのパスとシュートで浦和サポーターのため息と拍手を誘った。敵チームの選手に浦和のサポーターがこれほど拍手をしたり、ため息をついたりするのは、阿部の“引退試合“とはいえそうあることではない。 今シーズンでの現役引退を表明したものの、まだ横浜FCの練習には参加しているだけにプレーは現役だ。そんな彼のプレーを見ていると、「まだ来シーズンもやれる」と思ったファン・サポーターも多いのではないだろうか。かえすがえすも右足首の負傷が残念でならない。 さすがに主役である阿部は、現役を引退してから1年しか経っていないのと、今年からユースチームのコーチとして毎日早朝から汗を流しているそうで、プレーは現役時代と遜色ない。そして引退試合だからからか、現役時代以上にゴール前に飛び込みハットトリックを達成するなど得点嗅覚の鋭さも見せた。 終わってみれば阿部の先制点(混成軍)で試合は始まり、闘莉王の連続得点、阿部のPKによる追加点(混成軍)、武藤雄樹と梅崎司、興梠慎三のゴールに加えて阿部の2人の息子による得点、そして最後は父親の3点目(浦和OB)でゴールラッシュを締めくくった。 この試合で一番のサプライズはすでに書いたように中村俊輔のプレーだったが、他にも新鮮な発見があった。それは阿部の2人の子息のプレーである。2人とも、視野の広さと意外性のあるプレーは父親譲りというか、父親を超える予感をいまから漂わせていることに驚かされた。 父親がJリーグにデビューした当時は『ジェフの選手らしい』パサー・タイプだった。しかし息子たちは相手に囲まれても苦にしない落ち着きと自信があり、さらにドリブルで局面を打開できるアイデアもある。長男は来年には浦和のユースチームに昇格すると聞いた。もしも「浦和の阿部」という選手の名を聞いたら、是非ともそのプレーを見ることをお薦めしたい。それほど2人の息子は埼玉スタジアムで異彩を放っていた。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.11.15 22:10 Tue
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中山雄太の代わりに町野修斗?一足遅れてきた「サプライズ選出」/六川亨の日本サッカーの歩み

さて中山雄太(ハダースフィールド)である。彼が11月2日のイングランド2部リーグ、対サンダーランド戦でアキレス腱を断裂。今シーズンの復帰は絶望的となり、彼に代わる選手を森保一監督は招集せざるを得なくなった。 負傷者は中山だけではない。「代えの効かない選手」の1人であるCB冨安健洋(アーセナル)も11月3日のEL、対チューリヒ戦で右足ハムストリングス辺りを負傷して途中交代を余儀なくされた。冨安に関しては以前から負傷が多く、『治って復帰したと思ったら欠場』を繰り返してきた。日本でもアーセナルでも“必要な選手“からくるジレンマだろう。 しかしそのせいでケガをしっかり治すことができず、今回はハムストリングスという重傷に結びついてしまったのではないだろうか。森保監督は現地への出発前の7日に取材に応じ、冨安については「開幕までに回復して、良いコンディションで臨めると聞いている」と話していたそうだが、あくまでドクターなどの関係者から「聞いている」に過ぎない。だとすれば、どこまで回復しているかどうかは合流後の“ぶっつけ本番“になる可能性も高い。 さらに9月に膝を傷めた板倉滉(ボルシアMG)も、チームの全体練習に復帰したとはいえリハビリ中だし、谷口彰悟(川崎F)はJリーグの最終戦で鼻骨を骨折した。 こうした状況では、ただでさえ守備陣に不安材料が多いのだからDF陣の選手を追加招集するのが『常道』だろう。実際、左SBとCBをそれなりのレベルでプレーできる佐々木翔(広島)や、両サイドで攻守にアグレッシブなプレーのできる原口元気(ウニオン・ベルリン)、SBとボランチ、サイドMFとポジションを選ばずにプレーできる旗手怜央(セルティック)らの名前が候補としてあがった。 ところがである。中山の代わりに追加招集されたのは、1トップ候補の町野修斗(湘南)というのだから驚きである。日本代表のW杯メンバー発表の「サプライズ選出」が一足遅れてきたかとビックリした。 彼を選出した理由を森保監督は明らかにしていないが、4人目のFWとしてどう起用するのかイメージがなかなか描けないというのが正直なところである。9月のドイツ遠征時の米国戦でも、サイドからのクロスに対してどうアプローチしていいのかわからず、ゴールマウスで棒立ちになっていた印象が強いからだ。 例えばの話として、百歩譲って原口や旗手ら海外組は今後もケガのリスクがあるため招集を見送り、リーグ戦の終わっている国内組からチョイスしたとしよう。攻撃陣で唯一国内組である相馬勇紀(名古屋)と同じ理由ではないかと推測する。 しかしそれなら広島時代の教え子でもある、佐々木翔でいいのではないか(個人的には前回のアジアカップに参加し、UAEのアル・アインで4シーズンをプレーした塩谷司を推したい)。 過去のW杯では巻誠一郎や矢野貴章ら『逃げ切りのための前線からの守備要員』としてFWを招集したこともあった。だがそれは、DF陣が万全の状態にプラスしての選択だった。何をどう考えても、中山の代わりに町野を追加招集した理由がわからない。 いくら考えてもわからないため、大会中に「サプライズ」として何が起こるのか、代表戦を静観することにした。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.11.08 21:40 Tue
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日本代表、W杯メンバー選出の難しさ…監督の方針に見る歴史/六川亨の日本サッカーの歩み

前回のコラムの続編をお届けしよう。 4年に一度、W杯最終メンバー発表時における「サプライズ選出」と「サプライズ選外」だが、日本が初出場した98年フランスW杯での"キング"カズこと三浦知良の「メンバー外」は衝撃的であり驚きでもあった。 25名の選手をキャンプに帯同して、最終的に22人にメンバーを絞る――それ自体は悪いことではないと思われたものの、「落選」した3選手の心情に対する配慮が欠けていたことは否めない。 テレビ的にはたぶんに"ショー的要素"があり、ましてや落ちたのがカズだけに多くの反響を呼んだ。しかしJFA(日本サッカー協会)はこの反省を生かし、それ以降のメンバー発表は必ずホテルで、選出された選手のみの発表にとどめてきた。選外となった選手への質問には監督、技術委員長とも一切答えなかった。そしてそれは現在も続いている。 話を20年ほど前に戻すと、カズに続き4年後の2002年日韓W杯でも「サプライズ選出」が続いた。負傷の名波浩から『背番号10』を受け継いだ中村俊輔のメンバー落ちである。代わりに入ったベテランの中山雅史と秋田豊は「サプライズ選出」だったものの、さほど世間の注目は集めなかった。 中村俊の選外については、同じポジションに小野伸二や三都主アレサンドロらがいたためポジションがないとか、彼のプレースタイルをフィリップ・トルシエ監督が嫌ったと言われたものだ。それらも外れた理由の一つかもしれないが、さらなる原因として彼のベンチでの態度を問題視する関係者もいた。 当時の中村俊は6月に24歳になったばかり。2年前には最年少でJリーグの最優秀選手賞と、日本年間最優秀選手賞を受賞するなど選手としてピークにあった。しかし代表の試合でベンチにいると、仲間とチームを応援するというよりは「自分の世界」に閉じこもっている印象を受けた。 選手には、「格」というものがあると思っている。その「格」から言うと、当時のカズも中村俊もベンチスタートの選手ではなかった。ベンチにいてチームを盛り上げるような、"裏方"の選手ではないのだ。だからこそ、「サプライズ選出」はゴンであり秋田だったのかもしれない。地元開催でベスト16進出がノルマとなる、これまで経験したことのないような強烈なプレッシャーのかかる大会では、2人のベテランの力が必要だったのだろう。 2006年のドイツW杯は中村俊を始め中田英寿、小野伸二、小笠原満男、稲本潤一ら中盤にタレントを擁し、なおかつ選手としてピークを迎えているため期待も高かった。「サプライズ選出&選外」はケガの多かったFW久保竜彦に代わり長身選手の巻誠一郎がメンバー入りしたことだろう。 しかし多くのタレントをジーコ監督は使い切れずと言ったら語弊があるかもしれないが、競争原理からメンバーを固定したことで、かえってチームの統率を欠くことになった。ここらあたりが外国人監督の難しさ、日本人のメンタリティーとの違いと言えるかもしれない。 2014年ブラジルW杯のアルベルト・ザッケローニ監督もメンバーを固定する傾向にあり、「サプライズ選出」として2年ぶりに大久保嘉人を代表に復帰させた。しかしジーコ監督と同様に初戦でコートジボワールに1-2と逆転負けすると(ドイツW杯ではオーストラリアに1-3)、固定メンバーの弊害からかチーム内に不協和音が出始める。 続く第2戦で勝っていれば良かったが、ブラジルではギリシャに、ドイツでもクロアチアに0-0と引き分けて窮地に追い込まれ、第3戦で大敗してグループリーグ敗退が決まった。本田圭佑や岡崎慎司、香川真司らがピークを迎えたブラジルW杯だっただけに、もったいない敗退だった。 その一方で、2010年の南アW杯では2度目のチャレンジとなる岡田武史監督がベスト16進出を決めた。34歳のベテランGK川口能活に、出場機会はほとんどないながらもチームのまとめ役を託した。そしてエースの中村俊が右足首からの負傷が最後の最後まで癒えないと判断すると、本田圭佑を中村俊とポジション争いをしていた右MFではなく1トップに抜擢。阿部勇樹をアンカーに、松井大輔と大久保嘉人を両サイドMFに起用する4-1-4-1の布陣を採用してグループリーグ突破に成功した。 この柔軟性は18年ロシア大会の西野朗監督にも当てはまるのではないだろうか。4年前の"絶対的なエース"だった本田と岡崎、香川はヴァイッド・ハリルホジッチ監督の下ではポジションを確約されるかどうか微妙な立場だった。「個人的なスター」を嫌うのはトルシエ監督とそっくりで、それはフランス人のメンタリティーではないかと疑ったものだ。 そんな彼らをジョーカーとしてベンチに置きつつ(香川はスタメンで起用)、要所で起用した。ケガがあったとはいえ岡田監督は中村俊を、西野監督は本田や岡崎にベンチスタートを納得させた。これは、日本人監督ならではの「和をもって貴しとなす」といった選手の起用法ではないだろうか。 そうした視点からすると、繰り返しになるが森保一監督に「サプライズ選出」も「サプライズ選外」もないだろう。注目すべきは誰をスタメンに起用し、ベンチに温存するか。これに関してはカタール入りしてから試合前日まで悩むことだろう。そこで選手の序列に変化があるのかどうか。それも森保監督の采配の見どころと言えるかもしれない。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div 2022.10.31 19:00 Mon
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広島が狙い通りの空中戦で初のカップホルダーに/六川亨の日本サッカーの歩み

「ついに」と言うか、「やっと」と言うか、サンフレッチェ広島がカップ戦決勝9度目で念願のタイトルホルダーとなった。 先週の天皇杯決勝ではヴァンフォーレ甲府にPK戦で敗れたばかり。しかしルヴァンカップ決勝ではその反省をミヒャエル・スキッベ監督はしっかり生かしたようだ。 前半11分、セレッソ大阪が自陣からパスをつないで右サイドからビルドアップしようとした。これに対し広島は川村拓夢のプレスから満田誠が高い位置でボールを奪ってショートカウンターを仕掛けようとした。これは満田が反則で止められたが、前線からのプレスによるボール奪取という広島の狙いがよく表われたプレーだった。 対するC大阪は同じく前半16分、左サイドのタテパスに加藤陸次樹が抜け出すカウンターからCB荒木隼人の股間を抜く決定的なシュートを放った。手数をかけず前線の2トップにつなぐカウンター狙いのC大阪。両チームの狙いがよく表われた前半ではあった。とはいえ延長戦も視野に入れていたのか、互いに攻撃をセーブしているような前半でもあった。 それでも広島にはもう1つの狙いがすけて見えた。甲府戦のスタメンには180センチを越える長身選手は4人だったが、C大阪戦では6人に増えていた。そして前半からアーリークロスを逆サイドへ入れ、右なら野上結貴(180センチ)が左SB山中亮輔(171センチ)と、左サイドでは川村(183センチ)や佐々木翔(177センチ)が右SB松田陸(171センチ)とエアバトルを展開しつつ、ゴール前へ折り返していた。 C大阪の先制点は佐々木のイージーミス。加藤の動きが視野に入っていなかったとしか考えようがない。さらにC大阪は後半13分にもGKキム・ジンヒョンの正確なパントキックからサイドハーフ毎熊晟矢が抜け出しGKと1対1の決定機を迎えたが、これはGK大迫敬介がブロック。対する広島も18分にはMF野津田岳人の右クロスをFWナッシム・ベン・カリファがダイビングヘッド。ニアを急襲したシュートはGKキム・ジンヒョンのファインセーブに阻まれた。 両チームの攻撃が活性化するなか、先に動いたのはスキッベ監督だった。後半18分、ボランチ松本泰志に代えてFWピエロス・ソティリウを投入。前線の枚数を増やして反撃に転じた。 この試合で直接明暗を分けたわけではないが、後半32分に長身CBマテイ・ヨニッチがオンフィールド・レビューで一発レッドになったのはC大阪にとって痛恨だった。ベン・カリファとの競り合いで、起き上がる際に軽く右拳でベン・カリファの頬にタッチした(ように見えた)。 それまで幾度となく身体を張った競り合いを演じてきたため、「演技が上手いな」とでも挨拶したつもりだったのかもしれない。しかし拳で相手の頬に触れては、その強弱に関わらず退場処分はやむを得ないだろう。 1人少なくなったことでC大阪は自陣に引いて守りを固める。対する広島はパスをつないで崩そうとするが、いくらパスを回してもC大阪の選手は食いついてこないため、攻め手を失う。甲府戦と似たような展開になりつつあった。 アディショナルタイムは9分。ここで広島はパワープレーに出た。すると90+6分、満田の右CKにベン・カリファとソティリウが空中戦で競ると、これがCB鳥海晃司の上げた手に当たってコースが変わる。空中戦で「手を上げる」こと自体、「不自然な行為」としてハンドになる。主審は念には念を入れてオンフィールド・レビューの結果PKを宣告。これをソティリウは確実にゴール右スミに決めて同点に追いついた。 その後も攻勢を続けた広島は、90+11分、またも満田の右CKからソティリウが今度は右足ボレーで逆転弾を叩き込む。8月にチームに加入した元キプロス代表は、8月27日のJ1リーグC大阪戦でも来日初ゴールを決めて勝利に貢献している(3-0)。まさにC大阪キラーにふさわしい活躍でチームに念願のタイトルをもたらした。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> <span class="paragraph-title">【動画】明暗を分けたVARチェック、広島が奇跡の逆転優勝</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="07Db652zotw";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2022.10.24 13:30 Mon
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