EAFF E-1サッカー選手権の楽しみ方/六川亨の日本サッカー見聞録

2022.07.16 11:55 Sat
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©︎JFA
来週19日 から始まるEAFF E-1サッカー選手権2022決勝大会のメンバー26人が13日に発表された。ベテランのFW水沼宏太ら10人が初の代表選出で、GK谷晃生(湘南)とDF荒木隼人(広島)も以前に代表へ呼ばれたものの出場機会に恵まれなかったため、初招集と言っていいだろう。

現在J1リーグの首位・横浜F・マリノスから最多の7人、3位の川崎Fから3人が呼ばれたが、4位に急浮上した広島からも6人が選出された。森保一監督だからDF佐々木翔やMF野津田岳人ら広島勢を招集したという見方があるかもしれない。しかし11日のコラムでも書いたように、いまの広島は攻守にアグレッシブで、攻撃的なサッカーを演じている。このため森保監督でなくても広島から多くの選手を選出したに違いない。

その一方で2位の鹿島からは誰も選ばれなかった。森保監督はその理由を問われると、選手名こそ出さなかったがFW上田綺世を海外移籍により招集を断念したことを言外に明らかにした。上田以外の選手についてはまったく触れなかった。それはたぶん、選手個人よりも鹿島のサッカースタイルが森保監督の目ざす方向とマッチしていないことも招集ゼロとなった原因ではないだろうか。

そのメンバーだが、横浜F・マリノスの選手が多いのは、J1リーグ第22節終了後の17日に集合し、翌々日の19日には大会がスタートするため、単独チームをベースにしたチーム作りの方が手っ取り早いからだろう。森保監督も「選手層を厚くしたい」と言いつつ、「優勝することを目標に戦いたい」と自国開催でのノルマを口にした。

正直、今回のメンバーで6月の4試合に招集された28人(ケガでDF菅原由勢とMF守田英正は辞退したため26人)の牙城を崩すのは至難の業と言わざるを得ない。カタールW杯に向けて、もう「選手層を厚く」する必要はなくなったからだ。

となると、前回19年に韓国・釜山で開催された大会でホストカントリーに敗れて準優勝に終わったリベンジが森保監督の目標となる。そこで短期決戦では前述のように横浜F・マリノスの選手をベースに、すでに代表でも実績のあるCB谷口彰俉と右SB山根視来に加え、MF脇坂泰斗の川崎F勢で守備陣を構築するのは当然の策と言える。

初選出のGK鈴木彩艶(浦和)、FW細谷真大(柏)、ボランチの藤田譲瑠チマ(横浜FM)はパリ五輪を視野に入れた招集であり、「選手層を厚くする」(森保監督)狙いであることは明らかだ。ケガさえなければ清水のFW鈴木唯人も招集されていたに違いない。そして広島のMF満田誠と湘南のMF町野修斗はJ1リーグでの活躍を評価されての招集だろう。

海外へ移籍しなくても、Jで活躍すれば代表への道は開けていることを証明する意味で、彼らの招集には意義がある。とはいえ、彼らがカタール行きのメンバーに入ることはほとんどないに等しいだろう。

こうしたことを踏まえてEAFF E-1サッカー選手権の見どころを探すとしたら、次の2点になる。前述したように6月の4試合に招集されたメンバー26人に、負傷の大迫勇也とリハビリ中の酒井宏樹は呼ばれていない。彼らが復帰し、守田と菅原が戻れば30人になり、カタール行きのメンバーから2人は脱落せざるを得ない。それほど“狭き門”になっている。

そうした“狭き門”ではあるが、EAFF E-1サッカー選手権では出場29試合を誇るFW武藤嘉紀(神戸)が久々の代表復帰を果たした。現在の日本代表で喫緊の課題は“ポスト大迫”であることは間違いない。彼の代役として古橋亨梧や前田大然(ともにセルティック)が起用されたものの結果を残したとは言い難い。このため武藤にはポスト大迫としてアピールできれば、「有事の際」の“保険”として代表復帰の可能性があるかもしれない。そのためにもゴールという結果が求められる。

もう一つ注目したいポジションがボランチだ。今回は橋本拳人(神戸)が復帰し、脇坂、野津田、岩田智輝(横浜F・マリノス)に加え藤田の5人が呼ばれている。6月の4連戦では、4試合目に遠藤航のパフォーマンスが落ちた。守田の不在も響いたが、今回招集された実績のある橋本や、レギュラー候補の守田&田中碧とチームメイトだった脇坂にとってはW杯行きのチケットをつかむラストチャンスと言えるだろう。

対戦相手に物足りなさがあるため、3試合とも勝負より選手個人のパフォーマンスをじっくり見るのがEAFF E-1サッカー選手権の楽しみと言えるかもしれない。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた

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ACLのシーズン移行に疑問、Jのシーズンはどうすべきか/六川亨の日本サッカー見聞録

AFC(アジアサッカー連盟)は8月1日、来シーズンのACL(AFCチャンピオンズリーグ)を現行の春秋制から秋春制へ移行する日程を発表した。来シーズンのACL1次リーグは9月に開幕し、決勝は2024年5月11日と18日に行われる予定だ。 これまでも「シーズン移行」については幾度となく議論が重ねられ、そのたびに結論は先送りされてきた。ご存じのように日本をはじめ韓国や中国といった極東の国々は“春秋制"を、中東勢は“秋春制"を採用している。このため“春秋制"によるACLは、中東勢にとって1次リーグと決勝トーナメントではメンバーが入れ替わる可能性の高い大会でもあった。 それでも結論が先送りされてきたのは、「どちらがアジアにとって適しているか、公平性を保てるか」という点で、“正解"を見つけられなかったからでもある。 日本に関して言えば、16年1月に「最初で最後」になるであろうJFA(日本サッカー協会)会長選挙で、JFA副会長だった田嶋幸三氏は“秋春制"を、JFA専務理事だった原博実氏は現行の“春秋制"を訴えた。それが選挙の行方を左右したかと言えば、田嶋会長が4期目(任期は1期2年で最長4期まで再選が可能)を迎える現在もシーズン制に変化はないため「ノー」と言える。 もちろん過去にはJSL(日本サッカーリーグ)時代も“秋春制"を採用したこともあった。1985年のことだ。2月から5月にかけて開催されたメキシコW杯アジア1次予選で、日本は本命と目された北朝鮮をFW原博実のゴールで1-0と破る大金星をあげた。アウェーではきっちり0-0で引き分けて2次予選に進出した。 すると2次予選は中国が勝ち上がると思われたが、香港に足元をすくわれ1次予選で敗退。2次予選は8月と9月にホーム&アウェーで行われ、日本は3-0、2-1で香港を退け、W杯予選で初の決勝へと進出した。 そこでJSLも9月6日に開幕し、翌年の3月26日に閉幕するロングランとなった(チーム数も10から12に増えた)。W杯予選を勝ち上がったためにJSLは“秋春制"にならざるを得なくなり、翌86年からは正式に“秋春制"(翌年制)へと移行。シーズンも86/87年と表記され、それは91年まで7シーズン続いた。 当時のJSLが“秋春制"を導入できた大きな理由の1つに地域性があげられる。読売クラブや日産自動車、三菱重工、古河電工とほとんどのチームが東京と神奈川に集中し、それ以外ではヤマハと本田技研の静岡勢、ヤンマーの大阪、マツダの広島と関東以西に集中していた。 北にあるチームとしては当時JSL2部の住友金属の茨城県が“北限"のため、降雪による試合中止の心配はほとんどなかった。 関東にも雪は降る。87年のトヨタカップではFCポルトとペニャロールが降雪のなか熱戦を繰り広げたし、98年には全国高校選手権の決勝で東福岡と帝京が名勝負を演じた。しかし、それは年に1~2回あるかないかである。このため“秋春制"もスムーズに導入することができた。 しかし、それらはチーム数が少なく特定の地域に集中していたJSL時代の話。全国に58チームもある現在のJリーグでは、青森県を筆頭に日本海側の北部には豪雪地帯が多い。そうした環境下で“秋春制"を導入したら、札幌、山形、秋田、新潟、富山、鳥取などは、スタジアムはもちろん練習グラウンドを確保するのにも苦労するだろう。 そうした地域では、快適な観戦環境を提供するためスタジアムにヒーターなどの暖房設備も必要になるが、それには半端ない投資が必要になる。 ウインターブレイクを採用すれば、1~2月の厳寒期での試合開催を避けることはできる。しかし、ただでさえ過密日程のJ1リーグは、さらなる日程的な負担を強いられることになり、代表選手はオフシーズンがなくなる危険すらある。 そして問題はスタジアムや練習環境といったハード面だけではない。年度をまたぐ問題――学校は年度替わり、企業は決算時期――というハードルもある。ただ、こちらはJSL時代もクリアできただけに、企業努力によって乗り越えることができるはずだ。 高校生や大学生は、例えばFC東京の松木玖生のように、卒業式を待たずにJリーグでプレーしていた。こちらは登録ウインドーの設定変更で対応することが可能だ。企業の決算時期に関しては、JSL時代に主流だった「重厚長大」な日本の基幹産業と比べ、親会社の企業形態がかなり劇的に変化しているだけに、一概に比較することはできない。しかしながら検討の余地はあるのではないだろうか。 むしろ難問は、やはりスタジアム問題となる。柏やG大阪のように“自前"のスタジアムがあるクラブはいい。問題は地方自治体が所有しているスタジアムだ。企業と同様に4月から新年度が始まり、3月末で決算となる。 もしもJリーグが“秋春制"を採用したら、クラブは建前上シーズン開幕から3月までしかスタジアムの使用許可を取れない。4月以降は、改めて使用許可を取ることになる。これだけJリーグが浸透しているのだから、スタジアムの使用に関しても行政サイドは理解を示してくれると思うが、手続きが煩雑になることは避けられないだろう。 そして結論である。 “秋春制"への移行に関する問題点を長々と書いてきたが、メリットよりもデメリットの方が多いと言わざるを得ない。 そしてACLである。大会に出場できるのはJ1リーグの上位3~4チームだけ。そして、例えACLで優勝しても、4年に1度開催の拡大版クラブW杯(24チーム参加)は新型コロナウイルスの影響で開催のメドが立っていない。 現状では、4年に1度あるかないかの大会のために、多大な犠牲(になるだろう)を払ってまでシーズンを移行するメリットはほとんどないと言っていいだろう。それなら現行の“春秋制"を維持しつつ、ACLに出場する3~4チームにはJリーグとして日程的、経済的な配慮をすることで十分ではないだろうか。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.08.12 23:00 Fri
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Jリーグの「13人」で試合成立は見直しが必要か?/六川亨の日本サッカー見聞録

ここ1、2週間のこと。朝、パソコンを立ち上げてメールをチェックすると、必ずと言っていいほどJリーグの各クラブから「新型コロナウイルス感染症 陽性判定のお知らせ」というメールが届いている。ほぼ毎日の出来事だ。最近ではJリーグのクラブだけでなく、WEリーグのクラブからも届くようになった。 ところが4日は珍しくメールが届かないと安心していたら、14時過ぎにJFA(日本サッカー協会)から「FIFA U-20女子W杯コスタリカ2022に参加するU-20日本女子代表の選手1名およびスタッフ1名から新型コロナウイルス陽性反応が認められました」というメールが届いた。 さらに18時にはJ2のFC琉球からも「トップチーム選手2名 新型コロナウイルス感染症 陽性判定のお知らせ」とのメールだ。19時過ぎには京都サンガやJリーグからも陽性判定された選手や審判員がいたとの連絡があった。日本全国で感染が拡大しているのだから、Jリーガーを始めとする男女のサッカー選手・審判も例外ではないということだ。 そうした状況で、7月30日のJ1リーグ、浦和レッズ対川崎フロンターレ戦で、川崎Fは9人の陽性者がいたためスタメン11名+リザーブメンバー7人の計18人を揃えることはできなかった。何とかリザーブメンバーにGK3人を含む5人を揃え、試合開催にこぎ着けたものの1-3で敗れたのは周知の通り。 昨日3日のルヴァン杯の準々決勝第1戦のヴィッセル神戸対アビスパ福岡戦では、福岡が前日に選手、スタッフら9人が陽性判定を受け、リザーブメンバーはGK2人を含む4人で試合に臨んだ。それでも福岡は2点を先制する奮闘を見せ、敵地での第1戦を2-1でモノにした。 いずれもJリーグの規約で、GK1名を含む13人を揃えれば試合の開催は可能だったため、複数人のGKをリザーブメンバーに登録して試合を決行した。 ここで難しいのが、例えばサガン鳥栖対川崎F戦、川崎F対名古屋グランパス戦は中止(延期)になった。その理由は管轄の保健所が「3日間の活動停止」を命じたからだ(後に名古屋は保健所からの指示を誤認して中止を申し入れたため、Jリーグが経緯を調査中)。ところが川崎市の保健所は「活動停止」を命じなかったため、川崎Fは人数を揃えて浦和戦に臨むことになった。 JリーグとNPBによる「新型コロナウイルス対策連絡会議」では、試合開催の可否やスタジアムの収容人数の何パーセントまで観客を入れられるかなど、コロナに関する最終判断は各自治体や保健所と相談して決めるように推奨している。専門家の判断を仰ぐのは当然だろう。 しかし現状ではバラつきがあるのも事実である。だからといって、首都圏のチーム――例えば川崎と、鳥栖のような地方のチーム――では医療体制の規模にも違いがあるため一律に判断することは難しい。このため「活動停止」の判断は、Jリーグではなく保健所に委ねざるを得ない。 そこでJリーグに提案したいのが、「13人で試合成立」というハードルの見直しである。新型コロナウイルスの影響で、「交代枠」が5人、交代回数はハーフタイムを除き3回まで増え、「飲水タイム」が設けられた。それは現在、世界的なルールになっている。 今年の日本は例年にない夏日の続く真夏を迎えている。そこで「13人」で試合を開催して、選手の安全面で問題はないのかどうか。 そしてもう1点、見直して欲しいのが、「各試合のエントリー基準は13名以上(エントリーの下限を13人としており、必ずGK1名を含むもの)。エントリーできない場合は中止となります。中止した場合はまず代替日を最優先で探す。しかし、それも取れない場合はみなし開催として、責のあるチームの0-3の敗戦」(黒田卓志フットボール本部長)というルールだ。 もしも新型コロナウイルスの影響で試合開催が不可能になり、中止試合が増えたとしよう。代替開催で消化できればいいが、それができないと0-3の敗戦になってしまう。それを避けるため、何が何でも13人を揃えて試合を開催しようとするチームが出てくるとも限らない。 昨シーズンに比べて今シーズンは新型コロナを取り巻く状況も変わってきた。第7波が訪れても、ワクチンが浸透したことなどで重症化するケースが減り、さらに経済活動を回すため、簡単に緊急事態宣言は発令されなくなった。そうした現状を踏まえて、柔軟にルールを運用して欲しい。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.08.04 21:10 Thu
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日韓戦で改めて感じたこと/六川亨の日本サッカー見聞録

さて日韓戦である。日本は“国内組"にもかかわらず3-0と快勝し、2度目の優勝を果たした。そして、これほど覇気のない韓国を見るのも初めてだった。 1980年代の半ばまで、日本も韓国も中東勢の壁を突破できずに国際舞台から遠ざかっていた。そんな中で「日韓定期戦」は両国の実力を推し量る、絶好の機会でもあった。そして当時の「日韓戦」で、韓国の選手はゴールを決めても喜んだりはしなかった。 どちらかというと“怒り"に近い表情で、「ざまぁ見ろ」とか「この野郎」という感情に近かった印象がある。それだけ日本に対する悪感情が残っていたのだろう。 それが変わったのが、85年のメキシコW杯アジア最終予選の日韓戦あたりだった。2度目のW杯出場を果たすと、88年には自国で五輪も開催した。日本より一足早くW杯の常連になったことで、自信を深めたのかもしれない。 ところがEAFF E-1選手権での日本戦では、決定機を1度も作れず完敗した。韓国メディアは、日本のU-23代表とU-16代表が同じく3-0で快勝し、大学選抜の対戦でも日本が5-0で大勝したことを引き合いに出し、警鐘を鳴らす記事もあった。 とはいえ、韓国にはこれまで散々煮え湯を飲まされてきただけに、そう簡単に日本がレベルアップしたとは思えない。日本が“国内組"だったことで、W杯へ対するモチベーションが高かったのに比べ、韓国はロシアW杯の登録メンバーがいたし、最終予選を戦った選手が14人も含まれている。 日本戦での勝敗がカタール行きを決めるわけでもなければ、今大会は5回も優勝している。優勝したからといって、高額なボーナスが出るわけではない。兵役が免除されることもない。選手からすれば、「まずはケガをしないこと」が最優先されてもおかしくはなかっただろう。 一方の日本にとってはどんなメリットがあったのか。宮市亮が右膝前十字じん帯を断裂したのは残念でならないが、一日も早い復帰を期待したい。 今大会は1戦目と3戦目に横浜F・マリノス、2戦目はサンフレッチェ広島の選手を中心に起用し、香港戦と韓国戦は勝利を収めた。かつてJSL(日本サッカーリーグ)時代の終盤は読売クラブと日産が日本代表の主力を務めたこともあった。しかし昨今は“海外組"が主力を務めるようになり、さらに代表選手を招集できる日数も限られたため、どの国も代表チームの強化に苦慮している。 森保一監督は今大会を総括して、「今回は国内組だけでした。ドイツがブラジルW杯で優勝したときは、バイエルンの選手が中心になりました。いつか日本もそうなるかもしれません」と話した。 果たしてそんな日が来るのかどうか。そこで一つ試したいことがある。“海外組"を中心とした日本代表と、“国内組"の横浜F・マリノスと川崎フロンターレを中心とした日本代表との対戦である。チームとしてどちらが機能するか。この試合なら、観客動員も少しは見込めるのではないだろうか。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.07.30 14:30 Sat
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釜本美佐子さん表彰〜日本ブラインドサッカー協会初代理事長/六川亨の日本サッカー見聞録

横浜F・マリノスや川崎Fが敗退した天皇杯3回戦の翌日(23日)、AJPS(一般社団法人日本スポーツプレス協会=フリーランスのフォトグラファーとジャーナリストが所属する団体)がスポーツ界の「縁の下の力持ち」となった個人や団体を表彰する「AJPSアワード~Unsung Hero」を開催。2022年度は日本のブラインドサッカーを揺籃期(ようらんき/発展する初期段階)から支えた釜本美佐子氏を顕彰した。 釜本さん(1940年京都市生まれ)は堪能な語学力を生かし、JTBの初代ツアーコンダクターとして世界各地を舞台に活躍された。名前からもわかるように、不世出のストライカー釜本邦茂氏の実姉でもある。邦茂氏自身も成績優秀な姉である美佐子さんには今でも「頭があがらない」と数年前に語っていた。 そんな美佐子さんは50代で視覚を失う難病の網膜色素変性症と診断された。この病気はいまでも治療方法がなく、失明を遅らせる薬しかない。そんな美佐子さんが2001年、韓国で視覚障害者のためのサッカーを視察したことで(当時はまだかすかながら視力はあった)、日本にも02年に視覚障害者のサッカー協会(現日本ブラインドサッカー協会)を設立し、初代の理事長に就任した。 ブラインドサッカーのボールには鈴が入っていて、この鈴の音を頼りに選手はプレーするが、そのボールさえ当時の日本にはなかった。このため美佐子さんが購入して持ち帰ったことで、日本のブラインドサッカーは“産声"をあげた。 しかし04年のアテネ五輪・パラリンピックは日韓戦(当時アジアでブラインドサッカーをやっていたのは日本と韓国だけだった)で勝利したものの公式大会ではないため出場資格がないと判断され、その後の五輪予選やW杯予選を日本に招致したが、イランや中国に阻まれ本大会に出場することはできなかった。 美佐子さんは18年に理事長を退任されたが、ブラインドサッカーに追い風が吹いたのは13年のこと。東京五輪・パラリンピックの開催が決まり、これまでの外資系企業だけでなく日本企業からもスポンサーの支援を受けられるようになった。そうした援助と、関係者の地道な努力もあり、練習会場の確保や強化試合などブラインドサッカーの普及は徐々にではあるが確実に広がった。 美佐子さんに話を戻すと、いまでも2時間のウォーキングや50メートルの全力疾走にトライしているという。もちろん全盲に近いため、補助者とタオルなどで手をつないでのウォーキングでありダッシュだろう。それでも80歳を過ぎてのトライには、頭が下がる思いだ。 そんな美佐子さんを取材して最期に言われたのが、やはり「障害者への理解」だった。いまでも踏切内に閉じ込められても援助のサポートが得られなかったり、ホームドアのない駅では線路内に落ちたりするケースが後を絶たない。それは全盲者だけでなく、クルマ椅子の障害者にも当てはまる。 そうした直接的な被害だけでなく、混み合う駅のホームなどで、白杖を付いて歩いているだけで健常者から「チッ」と舌打ちされたことで、「自分は社会の邪魔者ではないか」と心が折れたという話も障害者から聞いた。 東京パラリンピックのおかげでブラインドサッカーに注目は集まったが、それは一時的なものだろうと美佐子さんも指摘した。支援に終わりはなく、どれだけ持続できるかが大切だと思う。かつてミャンマーで日本代表の試合を取材した際に、耳の聞こえない中高校生の少女チームを取材する機会に恵まれた。 選手の顔は、老若男女の区別なく輝いていた。それは、サッカーはもちろんのこと、すべのスポーツが持つエネルギーだと思う。<hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.06.25 22:00 Sat
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64年ぶりのW杯/六川亨の日本サッカー見聞録

カタールW杯のプレーオフが始まり、ヨーロッパ予選プレーオフはウェールズがウクライナを1-0で下し、実に64年ぶりの本大会進出を果たした。 アジア予選プレーオフではオーストラリア(グループB3位)がUAE(グループA3位)を2-1で下し、南米5位のペルーとの大陸間プレーオフ(6月13日)に進出。オセアニアを制したニュージーランドと北中米カリブ海4位のコスタリカとの大陸間プレーオフも含め(6月14日)、残る出場枠は2チームになった。 ウェールズはエースのガレス・ベイルのFKがOGを誘い、これが決勝点となった。戦禍にあえぐウクライナを応援するファンも多かったようだが、残念ながら祖国で待つ国民に吉報を届けることはできなかった。 それにしても、64年ぶりである。昨年のEUROでの活躍が頭に残っていたせいか、W杯にも出ていたようなイメージを持っていたが、半世紀以上の時を経てのW杯出場である。 かつてはイアン・ラッシュ(リバプールで活躍してトヨタカップにも来日)やライアン・ギグス(マンチェスター・ユナイテッドで99年にトヨタカップで優勝)といった名選手を擁しながらも、ウェールズはW杯予選を突破することはできなかった。 伝説的なドリブラー、ジョージ・ベストを擁した北アイルランドもなかなかW杯に出られなかったように、英国4協会にとってもW杯に出場すること、ヨーロッパ予選を突破することがいかに難しいかわかる。 ウェールズが初めてW杯に出場したのは1958年のスウェーデン大会ということになる。奇しくも北アイルランドがW杯に初出場したのもこのスウェーデン大会だった。ウェールズは初戦でハンガリーに1-1で引き分けると(4年前に準優勝したハンガリーの主力だったプスカシュやチボールらは56年のハンガリー動乱でスペインへ亡命していた)、GKアントニオ・カルバハル(その後3大会連続してW杯に出場し、通算5大会連続出場)擁するメキシコとも1-1、さらに開催国のスウェーデンとも0-0で引き分けて、グループリーグで3位に食い込んだ。 同様に北アイルランドも初戦でチェコスロバキアに1-0で勝つと、2戦目はアルゼンチンに1-3と敗れたものの、最終戦で前回優勝国の西ドイツと2-2で引き分けてグループリーグ3位でフィニッシュした。 そしてウェールズも北アイルランドもプレーオフを勝ち抜いて、ベスト8による決勝トーナメントに進出。不運にもグループリーグ2位だったイングランドはプレーオフでソ連に敗れ、スコットランドはグループリーグ最下位でスウェーデンを後にした(英国4協会が揃って出場した初めての大会でもあった)。 決勝トーナメントでは、ウェールズは優勝するブラジルに0-1で敗れる。ブラジルの得点者は17歳と239日というW杯最年少で初ゴールを決めたペレだった。そして北アイルランドはフランスに0-4で完敗する。この試合で2ゴールを決めたジュスト・フォンテーヌは1大会で13ゴールをマークして、いまでも通算得点ランキングの4位に輝いている。 サッカー王国ブラジルが初めてW杯を制し、“キング"ペレが最年少でデビューを飾る(フランスとの準決勝ではハットトリックを達成)一方、レイモン・コパ(フランス)やフリッツ・ワルター(西ドイツ)、リードホルム(スウェーデン)ら名手が揃った大会でもあった。 私事で恐縮だが、筆者が生まれたのは1957年、つまりスウェーデン大会の前年だった。もちろん大会の様子は日本に報道はされていないだろうし、記憶にあるわけもない。しかし64年前の大会を見ているウェールズのファンもいることだろう。彼らはどんな思いで11月に開催されるW杯で母国の雄姿を見守るのか。それもまたカタールW杯の楽しみの1つである。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.06.11 16:45 Sat
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