W杯と戦争の歴史/六川亨の日本サッカーの歩み

2022.02.28 21:30 Mon
Getty Images
ロシア軍がウクライナに侵攻してから5日、現地では依然として各地で激しい戦闘が繰り広げられている。日本を含めた国際社会はロシアへの非難を強めているが、サッカー界ではFIFA(国際サッカー連盟)がロシアへの制裁措置を発表。国際試合の開催を禁止するだけでなく、各種国際大会でロシアの国名と国旗、国歌を使用できないようにした。
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ジャンニ・インファンティーノFIFA会長は「ロシアで開催される予定だった国際試合の無期限開催禁止を決定した。今後、中立地域で無観客試合として行う」とし、「国際大会でロシアという国名も使用できない。ロシアサッカー協会(RFU)所属でプレーしなければならない」と発表した。北京冬期五輪でドーピング疑惑を指摘された女子フィギュアスケートのワリエワ選手と同じような裁定に、ロシアへの“忖度"や“弱腰"を指摘する意見もある。3月にはカタールW杯の欧州予選プレーオフが予定されていて、ポーランド、スウェーデン、チェコがロシアと同じBグループにいる。3月24日にロシアと対戦するポーランドはFIFAの決定に対し「(ロシアをW杯予選から排除しなかった)FIFAの決定は受け入れがたい」という立場を表明し、もっと強力な制裁が必要だと主張した。
他にもイングランドはどの大会のどの年代でもロシアとの対戦を拒否することを発表するなど、サッカー界からもロシアを非難する声は日増しに増えている。

W杯欧州予選のプレーオフが開催されるのかどうか。ポーランドが主張するようにロシアに制裁を科せば、カタールW杯への出場が閉ざされることになる。選手に責任はないものの、侵攻を指示したプーチン大統領に厳罰を望む声は多いだけに、今後のFIFAの対応に注目したい。
そして「W杯と戦争」と聞いても、若い読者はピンとこないだろうが、過去には不幸な歴史もあった。1982年スペインW杯のときだ。前回優勝国のアルゼンチンはマラドーナを擁して優勝候補の一角だった。ところがW杯開幕の3ヶ月前、アルゼンチンの沖合にあるフォークランド諸島(スペイン語ではマルビーナス諸島)の領有権を巡ってイングランドとアルゼンチンは戦争状態になった。

詳細な歴史的経緯は割愛するが、日本に例えるなら島根県の沖合にある竹島をヨーロッパのある国が自国の領土にしているようなもの。そこでアルゼンチンは取り戻そうと上陸したため戦争になった。イギリスに加えてアメリカも参戦した戦争は3ヶ月ほど続き、W杯の開幕戦でアルゼンチンがベルギーに0-1で敗れた翌日の14日、アルゼンチンは戦争にも敗れ、ガルチェリ大統領は失脚した。

アルゼンチンは649人の死者を出したが、その中にはMFオズワルド・アルディレス(清水の監督などを歴任)の従兄弟も含まれていて、アルディレスは当時イングランド・リーグのトッテナム・ホットスパーでプレーしていたが、戦争中は混乱を避けるためパリSGへレンタル移籍を余儀なくされた。

4年後のメキシコW杯で、マラドーナが“5人抜き"と“神の手ゴール"でイングランドを下した時にアルゼンチンのサポーターが狂喜乱舞したのは「マルビーナス戦争」で負けた鬱憤を少しでも晴らせたからだった。

そしてこのスペインW杯ではポーランドのグダニスク造船所の労働者によるストライキに端を発し、ワレサ氏に率いられた労働組合「連帯」が後にポーランドを民主化に導く。ポーランドの試合では、「連帯」を支持する数少ないサポーターがプラカードを掲げて母国を応援。その甲斐あってか、ラトーやボニエク、ジムダらに率いられたポーランドは74年西ドイツ大会に続く3位と健闘した。

90年イタリアW杯は西ドイツが3度目の制覇を達成したが、前年には東西ドイツを隔てていた「ベルリンの壁」が崩壊し、東ドイツは自壊していく。そしてW杯後の10月3日、東西ドイツは統一された。

ソ連では3月にリトアニアが、5月にはラトビアが独立を宣言し、6月にはウズベキスタン、7月にはウクライナが主権宣言をするなどソビエト連邦の崩壊が始まり、翌年CISという国家同盟に生まれ変わった。

W杯にはソ連時代に7回の出場を誇ったが、91年の崩壊後は94年のアメリカW杯こそ出場したものの、98年フランス大会は予選で敗退。その後02年日韓W杯には2大会ぶりの出場を果たしたが、06年ドイツ大会と10年南ア大会は予選で敗退するなど、ヨーロッパでも2流国に甘んじている。

かつてはクライフやベッケンバウアーを抑えて75年にバロンドールを獲得した俊足FWオレグ・ブロヒンはディナモ・キエフでプレーしていたころからもわかるように、ソ連時代のウクライナ出身だ。近年ではシェフチェンコもウクライナを06年ドイツW杯に導いた。崩壊前のソ連は、こうした共和国の選手が代表チームを支えていたと言っても過言ではないだろう。

こうして振り返ると、W杯は戦争や紛争と無関係ではなかった歴史を持っている。それでも当事者は限定されていた。しかし今回はロシアという大国が一方的に開始した侵略戦争だけに、世界の国々から厳しい視線が向けられている。今後の展望を見通すのは難しいが、一日も早く日常が戻り、W杯が無事に開催されることを願わずにはいられない。


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