青森山田の強さ3原則とは?/六川亨の日本サッカーの歩み

2022.01.12 22:00 Wed
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記念すべき第100回全国高校サッカー選手権は、青森山田の3大会ぶり3度目の優勝で幕を閉じた。初戦の大社(島根)を6-0の大差で圧倒すると、準々決勝の東山(京都)こそ2-1の接戦となったが、準決勝の高川学園(山口)、決勝の大津(熊本)を6-0、4-0と一方的な試合内容で撃破して、インターハイ、プレミアリーグ・イーストに続く3つ目のタイトルを獲得した。

青森山田の強さは、技術的にも戦術的にも優れた選手を中高一貫指導などで育てながら、屈強なフィジカルと無尽蔵とも思えるスタミナで対戦相手を凌駕したことだ。彼らの試合を今大会で初めて見たベテランの記者は「期待していたけど、こんなつまらないサッカーなの?」と疑問を呈した。

しかし、それも彼らの“強さ"の一端である。

今大会では前回優勝の山梨学院(山梨)が初戦で佐賀東(佐賀)に、プレミアリーグ・イーストの流通経大柏(千葉)が近大和歌山(和歌山)に1回戦で敗退した。さらに前評判の高かった静岡学園(静岡)もPK戦で関東第一(東京)に敗れた。

一発勝負のトーナメントでは何が起こるかわからない怖さがある。青森山田はそれを承知の上で、極力リスクを排したサッカーで結果を求めた。東山や高川学園が5BKで守備を固めてきたら、ロングスローやCK、FKといった“飛び道具"でゴールをこじ開けた。足でのシュートは身体を投げ出してブロックできるが、ヘディングシュートは防ぎようがないからだ。

青森山田のCB丸山大和は決勝戦でニアに飛び込みGKの鼻先でヘディングから先制点を奪ったが、マーカーを振り切った時点で勝負ありだった。

そしてこのセットプレーからの空中戦は、今大会中に亡くなられた小嶺忠敏監督が国見時代に得意とした戦法であり、永井秀樹氏や大久保嘉人氏らテクニシャンを擁していても、フィジカルとスタミナ、空中戦の強さで相手をねじ伏せた。

たぶん当時の国見も今の青森山田も、ポゼッションスタイルのサッカーをやろうと思えばできただろう。しかし、あえて封印し、「球際、切替え、運動量」の3原則を徹底的に鍛えて実践した。それが最も効果的だったのが、高川学園との試合の後半だった。

前半で2点を失った高川学園は、後半になると反撃のため4BKに戻し、パスをつないで攻め込もうとした。それは逆に青森山田が最も得意とするスタイルだ。ミドルサードでのこぼれ球や、相手が抜きにかかっても、屈強なフィジカルからマイボールにする球際の強さを発揮。そしてボールを奪うやいなや、すかさず反撃に転じてショートカウンターを仕掛ける。この切替えの速さ、戦術眼の高さは特筆ものだった。

ボランチのMF宇野禅斗は視野が広いため、サイドでフリーの選手にワンタッチでミドルパスを付けることができる。すると両サイドハーフに加えてサイドバックも攻撃参加するため、例え一度は相手ボールになっても高い位置でプレスをかけてボールを奪い返し、ゴールに結びつけていた。

一昨年は静岡学園に逆転負けを喫し、昨年は山梨学院にPK戦で涙を飲んだ。このため、よりリアリストになってのリベンジが今大会の青森山田だったのではないか。そう感じさせるほど、彼らの強さは際立っていた。

とはいえ、小嶺監督の国見がそうだったように、絶対的な存在にはなれないのも歴史が物語っている。青森山田のサッカーに対し、来年はどこの高校がどんなスタイルで挑むのか。これもまた高校選手権の楽しみである。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた

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史上最短の梅雨明けで試合開催には細心の注意を/六川亨の日本サッカーの歩み

関東甲信越や東海地方は27日に梅雨明けを宣言した。史上最短の梅雨明けらしい。このため先週末から異常な暑さが続いていた。その影響なのかどうか不明だが、J1リーグは川崎Fと鹿島がそれぞれ磐田と名古屋に揃って1-1のドローで小休止。柏を4-0と粉砕した横浜F・マリノスが抜け出した格好だが、その差はまだ勝点3のためないに等しい。 一方J2リーグに目を向けると首位の新潟を2-0で下した横浜FCが第14節以来となる首位に返り咲いた(新潟は2位に転落)。とはいえこちらも勝点は1差だけに、今後も激しいデッドヒートを繰り広げることだろう。 J2リーグはこの2チームに仙台を加えた3強による“自動昇格争い”という構図になりつつある。激しいのは“昇格プレーオフ”圏内の6位争いだ。現在6位の長崎が勝点35のため、14位の東京V(勝点29)や15位の徳島(同28)も連勝すればプレーオフ圏内に浮上することが可能である。 そんな昇格争いで、日曜は千葉が東京Vを3-1で下して7位まで浮上した。試合は千葉が右FKからDF新井一耀のヘッドで先制すると、その後もPKと右CKから加点して3-1で逃げ切った。後半アディショナルタイム3分にはGK新井章太が相手選手を突き飛ばして退場処分を受ける。すでに千葉は5人の選手を交代していたため、DFチャン・ミンギュがGKとしてプレー。1点を失ったのはやむを得ないだろう。 この試合を取り上げたのは、そうした激しい試合内容だけでなく、キックオフが14時3分だったことだ。公式記録によると気温が31.2℃となっているが、前日の16時3分キックオフの横浜F・M対柏戦も30.6℃だった。どこで計測したのかは不明だが、炎天下の試合で気温が31.2℃というのは考えにくい。 この試合を取材したカメラマンは、「ズボンが焼けるような暑さだった」と話していた。ピッチに水が撒かれていたとはいえ、照り返しも相当なものがあっただろう。かなりの消耗戦になったことは想像に難くない。 なぜ炎天下でのキックオフ時間になったのかというと、例年ならこの時期はまだ梅雨の真っ最中で、4日前の天皇杯3回戦、川崎F対東京V戦はナイターのせいもあり23.9℃と肌寒かった。まさかこれほど早く梅雨が明けて、連日のように猛暑が続くとは誰も予想できなかっただろう。 そこで今週末のJ1とJ2で昼間キックオフの試合があるか調べてみたら、秋田対山口が14時キックオフとなっている。現時点で東北地方はまだ梅雨明けしていないが、果たして週末はどうなっているのか。さらにJ3リーグはナイター設備のない試合会場もあるため15時や16時30分キックオフという試合もある。テレビ中継の事情もあり、簡単にキックオフ時間を変えることはできないだろう。 審判団も含めて、くれぐれも体調管理に細心の注意を払い、救護班や救急車など万が一に備えて試合を開催して欲しい。それは観戦・応援に訪れたファン・サポーターへのケアも同様である。<hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.06.27 21:30 Mon
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声出し応援は成功。そしてアジアカップの代替地は?/六川亨の日本サッカーの歩み

Jリーグは6月21日に実行委員会後、ズームによる会見で先々週の声出し応援2試合の結果を発表した。11日の鹿島対福岡戦(カシマスタジアム)、12日の東京V対岩手戦(味の素スタジアム)のゴール裏下段を声出し応援エリアに指定。格子模様にサポーターを配置し、不織布マスクの着用で声出し応援を許可した。 結果はというと、産総研の担当者が「あまりに良すぎる」と驚くほどで、「不織布マスクの着用で飛沫はほとんど見られなかった」そうだ。 今後は7月に6試合、サポーターを市松模様に配しての声出し応援を実施する予定でいる。最終的には2019年以前のように100パーセントの観客で、マスクなしでの声出し応援が理想になるが、まだいつになるのかゴールは見えていない。 声出しエリアを設定すると入場者は50パーセントに制限されるため、入場料収入を上げたいクラブは“声出し応援”より100パーセントの入場者を優先したいというジレンマを抱えている。 それでも、例えば20日のNPB(日本野球機構)とJリーグによる「新型コロナウイルス対策連絡会議」後のブリーフィングはドクターの報告後、記者から質問は1つも出ずにわずか18分で終了した。それだけコロナが沈静化傾向にある証拠と言っていいだろう。 さて今週はアジアカップに動きがありそうなので現状をおさらいしてみた。本来なら23年に中国各地で開催予定だったが、新型コロナの感染拡大で上海をロックダウンするなど危機的な状況にある。このため開催を返上したのが先月のことだった。 これを受けて日本を始めUAE、カタール、オーストラリアらが招致に手を上げた。さらに韓国も立候補し、サウジアラビアとインドも開催の意思を示しているそうだ。そして東アジアで開催なら6月が濃厚で、西アジアでの開催なら近年がそうであるように1月開催となる。 今から66年前に誕生した大会は、当初は4カ国でスタートした。日本は1992年に広島で開催し、決勝戦では高木琢也の決勝点でサウジアラビアを下して初優勝を飾った(監督はハンス・オフト)。その後もフィリップ・トルシエ監督で2000年のレバノン大会、ジーコ監督で2004年の中国大会、さらにアルベルト・ザッケローニ監督で2011年のカタール大会で優勝と、最多のタイトルを獲得している。 そんな歴史ある大会の開催地がどこになるのか。近年の歴史を振り返ると、前回2019年の開催国であるUAEと、前々回の2015年に開催したオーストラリアは、いくら何でも開催年が近すぎる。今年はW杯を開催するカタールも2011年に開催しているのだからこの3カ国は除外してもいいだろう。 その点、日本は1992年だから31年ぶり2度目の開催ということになる。W杯の開催から20年以上が経過し、スタジアムも老朽化している部分があるかもしれない。これを機に改修してはいかがだろうか。 ただし、日本に次ぐ3度の優勝を誇るサウジアラビアは一度もアジアカップを開催したことがない(インドも同じ)。さらに韓国も1960年の第2回大会を開催して以来63年も遠ざかっている(優勝も第1回大会と第2回大会の2回だけ。準優勝と3位は各4回)。 日本と同様にW杯を開催しているため韓国のスタジアムのキャパシティに問題はないはずだ。果たしてAFC(アジアサッカー連盟)がどんな結論を出すのか。「中国が開催権を返上したのだから、代替地は同じ東アジアで」という理屈がAFCに通用するのかどうか。JFA(日本サッカー協会)の交渉力も含めて要注目だ。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.06.21 21:00 Tue
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したたかだったチュニジア/六川亨の日本サッカーの歩み

やっぱり試合はしてみないと分からないものだ。W杯予選で敗退しているパラグアイはあんなものだろう。試合よりも海外旅行とショッピングを選手たちは楽しみにしていたかもしれない。 それに比べてW杯の出場権を獲得しているガーナとチュニジア、とりわけ西アフリカのガーナを筆頭にコートジボワール、カメルーン、セネガル、ナイジェリアといった屈強なフィジカルを武器にする“ブラック・アフリカ”は日本が苦手とする相手だった。そのためどんな“肉弾戦”が展開されるか楽しみにしていた。 ところが蓋を開けてみるとガーナは2軍チーム。W杯を前にして、これほど拍子抜けした相手も珍しい。ガーナにはガーナなりの事情があったのだろう。コロナ禍に加えてヨーロッパはシーズンオフという事情もあり、マッチメイクに応じてくれたことに感謝すべきかもしれない。 そしてチュニジアである。奇しくも20年前の6月14日、日本は長居陸上競技場でチュニジアと対戦した。お互いに第3戦で、日本は引き分け以上で、チュニジアは勝利すれば初のベスト16進出となる。試合は森島寛晃と中田英寿のゴールで日本が2-0の勝利を収め、首位でグループリーグを突破した。 あれから20年が経ったわけだが、正直チュニジアには多くを期待していなかった。地中海に面してヨーロッパに近い北アフリカの国々は、西アフリカほどフィジカルは強くない。アラブ系のため、どちらかというとサッカーのスタイルは中東に近い。ブロックを作ってのカウンター狙いだろうと予想したが、それは全くの見当違いだった。 これほど“したたか”で、“攻守に隙のない”チュニジアを見たのは初めてだった。試合開始直後こそ浅野拓磨のスピーディーなプレスに戸惑ったようだが、その後は日本のプレスを巧みなパスワークでかわして左サイドから攻め込んだ。 プレスにも慌てずにフェイントで時間とスペースを作り、落ち着いて攻撃を組み立てる。日本がDF陣でボールを回してポゼッション率を上げつつ、最期は伊東純也や三笘薫の個人技によるドリブル突破からしかクロスを上げられなかったのに対し、チュニジアは左サイドからの攻撃だけでなく、中央突破あり、得点に結びついた右サイドからのカウンターもあった。 日本は、かねてから懸案だった吉田麻也の背後を突かれた際の対応と、最終ラインに落ちて攻撃をコントロールする遠藤航が狙われてボールをロストした回数が多かったのも、W杯の本大会を見据えれば収穫と言える。 ブラジルは自分たちのサッカーをするだけだったが、W杯で対戦するドイツをはじめ、大陸間プレーオフを勝ち上がってきた第2戦のコスタリカも、今回対戦したチュニジア同様に日本をスカウティングし、対策を練ってくるだろう。 それを考えると、現状では伊東のスピードと三笘のドリブルを警戒しつつ(それ以外に警戒する選手がスタメンではいないのも寂しいが)、攻めどころとしては遠藤と吉田はセンターでプレーすることが多いため、ショートカウンターの狙い所でもある。 6月の4試合では、長友佑都の右SBと板倉のCB、伊藤洋輝の複数ポジションを務められる適性がわかった収穫はあった。その一方で、遠藤が狙われた際の対応には守備意識の高い守田英正の起用なども再考すべきだろう。 大迫勇也の代わりはいないこともわかったが、ボランチの人材は豊富かもしれない。それが6月のSAMURAI BLUEの4試合を取材した、現時点での結論である。藤田譲瑠チマやチェイス・アンリ、鈴木唯人は7月のE-1選手権の日本代表候補の楽しみにとっておくことにしたい。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.06.17 18:10 Fri
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日本対ブラジル戦で思ったこと/六川亨の日本サッカーの歩み

6月6日に開催された日本対ブラジルの親善試合は、ブラジルがネイマールを始めヴィニシウス・ジュニオールやハフィーニャ、カゼミロ、ダニエウ・アウベスらベストメンバーで来日したため、チケットは“プラチナ・ペーパー"となり、雨の降りしきる生憎の天候にもかかわらず国立競技場には実に6万3638人の観客が詰めかけた。 言うまでもなくブラジルは現在FIFAランク1位で、W杯優勝5回の「サッカー王国」である。それが2002年の日韓W杯以来20年ぶりに来日ということもあってチケットは早々に売り切れた。 それというのもJFA(日本サッカー協会)は、4月に入るとJFAに登録している第2~4種などの年代別選手、女子サッカー、さらには40歳以上のシニア登録のチーム代表者に、各都道府県協会からチケットの先行販売の連絡をしたからだった。 東京都からの連絡を受け、私が所属する東京都リーグのオーバー60チーム内で観戦希望者を募ったところ、かなりの数の観戦希望者がいたものの、全員分のチケットを購入することができた。 コロナ禍で代表戦がなかなか開催できず、開催しても無観客試合だったり、W杯予選は地上波テレビで放映されなかったりと、ここ2年で日本代表を取り巻く観戦環境は激変した。試合を開催すれば観客が集まるという時代ではなくなった。 加えて欧州ネイションズリーグの創設もある。本来なら日本もブラジルも、ヨーロッパでW杯本大会を戦うヨーロッパ勢とスタイルの似たチームとテストマッチをしたかったはず。しかしネイションズリーグの誕生によりヨーロッパ勢との対戦はほぼ不可能になった。このため日本もテストマッチは南米、北中米、アフリカ勢に限られ、国内で試合を開催しても観客動員(コロナによる入場制限はあったが)は苦戦を強いられてきた。 そんな苦しい時期を乗り越えて、入場制限のない国立競技場でのブラジル戦である。JFAの努力の甲斐もあって、久々に6万人超の観客が国立競技場に詰めかけた。 しかし、満員の観客席を見ると、座席の狭さを改めて感じてしまった。例えば試合中にトイレへ行こうとしたら、座っている列の観客全員に立ってもらわないと移動できない。昨年の東京五輪は無観客試合だったこともあり、さして問題にならなかったが、今後の利用を考えると陸上トラックを撤去するかどうかも含めて幅広く意見を募り、議論すべき問題だろう。 試合はネイマールのPKによりブラジルが1-0の勝利を収めて連勝を伸ばした。日本も善戦したが、残念ながら決定機はゼロ。ゴールの可能性としてはカウンターが有効なのは言うまでもないが、ブラジルはしっかりと対策を取ってきた。 伊東純也にはスペースへ飛び出す、スペースそのものを与えず、足元へのパスを選択させることで彼のスピードを封じにきた。古橋亨梧にはマルキーニョスとエデル・ミリトンのCBがしっかりと対応し、ミドルシュート1本に封じた。 チッチ監督はロシアW杯のラウンド16でメキシコを2-0で下した後、日本対ベルギー戦を見て日本が2-0とリードしたため、準々決勝では日本との対戦を予想したと言った。結果はご存じの通り日本はベルギーに逆転負けしたが、日本がW杯でジャイアントキリングを起こすにはカウンターが有効な武器になることは言うまでもない。 攻守の切り替えの速さや前線からのプレスによるショートカウンターが強豪国に対して有効なのは事実だが、そうしたリスクにもブラジルは、チッチ監督は対処しようとしているのかもしれないと6日の試合を見て感じてしまった。「サッカー王国」として20年もファイナリストから遠ざかっているだけに、万全を期すのは当然だろう。 そしてドイツのハンジ・フリック監督、スペインのルイス・エンリケ監督も同じように考えているのなら、それを上回る“サプライズ"を日本は用意しなければならなくなる。それは“個の力"なのか、それとも“組織力"なのか。ブラジル戦を取材して、楽しみ半分、不安半分の森保ジャパンだった。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.06.07 22:15 Tue
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5月31日は何の日?/六川亨の日本サッカーの歩み

『5・15』といえば何の日か、サッカーファンならご存じだろう。30年前の5月15日、「Jリーグが開幕した日」である。国立競技場には多くの観客が集まり、ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)対横浜マリノス(現横浜F・マリノス)の一戦に熱い視線を送った。 ただ、国立での試合はチケットに氏名を入れたり、グッズのお土産がついたりしてプレミアムチケットとなったが、翌日の試合はチケットが売れ残っていたそうだ。当時Jリーグの広報室長を務めた佐々木一樹さんによると、「国立での開幕戦を見て火がつきましたね」とのこと。以後、“中立地"ではあるがアクセスのいい国立競技場での試合はどのカードも満員御礼となった。 さて次の質問。『5・31』といえば何の日かわかるだろうか。昨日、日本代表のズーム取材で吉田麻也にその質問が出た際、彼は「当時は名古屋に移り住んで2年目、中学2年生でした」と答えていたが、日韓W杯の開幕から20年目という節目の日だった。 5月31日、ソウルでの開幕戦では前回王者のフランスがセネガルにまさかの敗戦を喫した。セネガルはトルシエ・ジャパンが欧州遠征をした際にも完敗した伸び盛りのチーム。対するフランスはジネディーヌ・ジダンを負傷で欠いたことが響き、終わってみればグループリーグ最下位で大会に別れを告げた。 この試合を取材後、日本に帰国すると北は札幌から南は大分まで、全10会場での試合を取材するため飛び回る日々の連続だった。成田空港に着いたらそのまま駐めておいた自家用車で埼玉スタジアムに向かったりした。さらに新潟などは深夜まで都心に向かう新幹線を走らせるなど特別な措置を取ってくれたため、乗り合わせたメキシコ・サポーターの大騒ぎを目の当たりにすることができた。 日本はというと、初戦でベルギーと2-2で引き分けると、続くロシア戦は1-0とW杯初勝利をあげる。さらに最終戦のチュニジアにも2-0で勝って、グループHを首位で通過した。これは後でJFA(日本サッカー協会)関係者から聞いたことだが、チュニジア戦が行われたのは大阪・長居スタジアムで、日本がもしも2位通過なら、相手はグループCを首位で通過するだろうブラジルだが、試合会場は神戸ウイングスタジアムのため移動のロスがないと判断して試合日程を組んだそうだ。 ところが日本は1位通過したため、一度ベースキャンプのある静岡に戻り、そこから宮城への移動を強いられた。そして我々取材陣も、神戸でのブラジル対ベルギー戦後、寝台車で東京駅に早朝に着くと、上野駅に移動して今度は東北新幹線に乗り換えて仙台を目指した。 残念ながらトルシエ・ジャパンの冒険は仙台で終わったが、海外でのW杯と違いこれだけ濃密な1ヶ月を過ごしたのはもちろん人生初の経験である。それだけに、JFAにはもう一度、今度は単独でのW杯招致に向けて動き出して欲しいと願わずにいられない。 そして最期の質問。26年前の5月31日は何の日か覚えているファン・サポーターはいるだろうか? 前日の30日には、宮沢喜一W杯招致議員連盟会長と衛藤征士郎衆議院議員、釜本邦茂参議院議員らがスイス・チューリッヒのグローデン空港に着いたので取材に行った記憶がある。そして報道陣は後で知ることになるのだが、JFAの長沼健会長や岡野俊一郎副会長ら幹部会は30日の午後にFIFA(国際サッカー連盟)のブラッター事務局長から電話があり、W杯の日韓共催を打診された。すでに韓国は共催を受け入れている。このため日本はどうかという提案だった。 そこで宮沢元総理は、文書で正式な書面をもらうことと、「最期はサッカーのことだから、皆さんで決めて下さい」と判断をJFAの幹部会に委ねた。幹部会での意見は分かれたという。当時のJリーグに引き分け制度はなかったため、川淵三郎JFA副会長(兼チェアマン)は単独開催での決戦投票を主張したそうだ。これに対し釜本氏の「それでも半分くるならいいんじゃないですか」との一言が共催を後押ししたと言われている。 そして「もしFIFAが望むならJFAは共催を検討する」というレターを作成し、翌31日の早朝、岡野俊一郎JFA副会長がFIFAハウスに持参した。 31日は早朝から快晴だった。本来なら明日6月1日の投票で2002年のW杯開催国――日本か韓国か――は決定する。31日はFIFA理事会が開催されるが、会見の予定はなかった。それでも“噂"は飛び回っていた。アベランジェFIFA会長がスイス・ローザンヌのIOC(国際オリンピック委員会)を訪れ、サマランチ会長と相談したらしいとか、ルールにはない共催に流れは傾いているといった噂だ。 このため理事会の開催されているFIFAハウスの前には各国の記者でごったがえしていた。そして理事会終了後、北中米カリブ海のジャック・ワーナー理事(2015年に収賄罪で逮捕)が記者にもみくちゃにされながら「コ・ホスティング(共催)」と話したことでW杯初となる共同開催が決定した。 当日は、翌日の投票を控え、知人のドイツ人記者、マーティン・ヘーゲレ氏と会う予定だった。このため彼の好きな醤油と日本酒を持参したが、電話したところ「もう共催で決まったので、スイスには行かない」という返事だった。たぶん彼はもっと早い段階で日韓共催を知っていたのだろう。なんとも慌ただしいチューリッヒでの数日間だった。しかし、結果として共催も悪くはないと思った2002年の日韓W杯である。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.06.01 22:45 Wed
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