W杯隔年開催が12月に決定か?/六川亨の日本サッカー見聞録

2021.10.22 20:30 Fri
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Getty Images
一部スポーツ紙によると、FC東京が元アーセナル監督のアーセン・ベンゲル氏にアドバイザー的なオファーを出したとあった。ベンゲル氏といえば、元名古屋の監督でチームを天皇杯優勝に導くなどその手腕は高く評価された。

1995年には加茂周監督の後継候補として磐田監督のハンス・オフト氏らとともに名前があがったものの、名古屋が辞退したため実現はしなかった。

そのベンゲル氏だが、すでに71歳を過ぎた。監督ではなくアドバイザーとして招聘し、どのようなメリットがFC東京にあるのかいささか疑問である。

確かにアーセナル時代は“監督業"としてチームを強豪に育て上げただけにとどまらず、若手選手の育成システムの構築やフランス人選手の獲得など“組織改革"にも手腕を発揮した。だからこそ2018年まで22年もの長きに渡って監督を務めた。

あまりプレミアリーグに詳しくないので恐縮だが、以前、「プレミアシップ・マガジン」という月刊誌を創刊した。これは現地で発行されている「Four Four Two」という雑誌と提携して、原稿と写真の提供をうけて発行していた。

そこで知ったのは、プレミアリーグの監督は練習を指導しないということ。練習の指揮を執るのはヘッドコーチの役目で、監督の仕事はスタメンを決めるのと、時には試合後に相手の監督と紅茶を飲むことだった(凄く大雑把ですが)。そういえば、稲本の練習試合(リザーブリーグ)を北ロンドンに見に行った時も監督はいなかった。

そうした土壌にベンゲル監督はヨーロッパ・スタイルを導入して成功を収めた。ところがJのクラブはすでに年齢別のアカデミーが組織されている。FC東京なら毎年のように下部組織から人材が育ち、さらに高校サッカーや大学サッカーからも優秀な選手を獲得している。

そんなクラブにベンゲル氏が来てやることがあるのかどうか疑問でならない。

むしろベンゲル氏と言えば、彼の提唱したW杯の隔年開催の方が気になるところだ。W杯は来年のカタール大会が終われば、次回26年からは48チームに規模を拡大する。そうなれば、日本が予選で負けることはまずないだろう。と同時に、W杯を開催可能な国も限られてくる。

2002年のW杯は日本と韓国と共催だったが、32カ国なら日本単独でも開催できるだろう。しかし48カ国となるとどうなのか。26年はアメリカ・メキシコ・カナダの3カ国による共催だ。たぶん世界的に見ても国土の広さとインフラ環境と経済力からW杯を単独で開催できそうなのはロシア、イングランド、フランス、ドイツ、イタリア(?)、スペイン、日本くらいだろう。

EUROですら2カ国の共催でないと開催できなかった例があり、スイスとオーストリアでの大会は、両国の列車の車輪の幅が違うため、国境を越える移動にはかなりの時間がかかったと聞いた。

こうして肥大化することで開催国が限られる上に、さらに隔年開催を推し進めるジャンニ・インファンティーノFIFA(国際サッカー連盟)会長の狙いがどこにあるのか理解に苦しむばかりだ。当然のことだが、UEFA(欧州サッカー連盟)もCONMEBOL(南米サッカー連盟)も反対することは火を見るより明らかだ。

それでもインファンティーノ会長は「12月までに最終決定を行う」と明言したという。決定方法として、限られた理事によるFIFA理事会で決を取るのだろうか。

JFA(日本サッカー協会)は21日の理事会後に須原専務理事が会見を行い、W杯の隔年開催の決定について「FIFAが日程を発表しました」と報告しつつ、「それに向けて情報を集めているところです。代表チーム、選手、クラブなど多面的な影響が出てきます。過去に例のない提案なので、どう意思決定をしていくのかも含めて法務委員会を含めて議論していきたい」と今後の見通しを話した。

先日の反町技術委員長の会見では、AFC(アジアサッカー連盟)はW杯の隔年開催に賛成のようだ。出場枠が拡大され、出場国には分配金がもたらされるのだから、発展途上国(地域)としては歓迎するだろう。問題は須原専務理事が述べたように、「どう意思決定をしていくのか」だ。

世界各国のFA(サッカー協会・連盟)の投票によるのか、それとも大陸連盟での合議になるのか。可能性としてはFIFA理事会での多数決による決定が高いだろう。なにしろ12月といったら、あと2ヶ月しかないからだ。むしろUEFAやCONMEBOLの反対により、決定が先送りされる可能性に期待したい。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた



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松木玖生にアルベル監督がアドバイス/六川亨の日本サッカー見聞録

J1リーグはW杯予選と本大会があるため、例年より早く2月18日、19日に開幕する。このため各チームとも始動時期が早まり、15、16日には川崎FやFC東京、神戸などが新体制の発表会を実施した。 そうしたなかで、やはり注目を集めたのはFC東京に加入する松木玖生だろう。高校選手権で優勝してのJリーグ入り。新入団会見はズームで行われ、チームに合流するのは沖縄キャンプからだが、「小さい頃から見ていた選手とプレーするのは夢だし憧れだったので楽しみです」と期待をふくらませていた。 そんな松木に、青森山田では堅守からのカウンターを武器にしていたが、アルベル新監督はボールを保持して攻めるポジショナルプレーを標榜している。両者のサッカーの違いに戸惑いはないかと質問した。 すると松木は迷うことなく、「青森山田では、青森山田のサッカー(堅守速攻)をしていましたけど、日本代表(U-22日本)ではパスサッカーをやっていたので、そこは問題ないと思います」と断言した。 恐らく青森山田は、高校選手権やインターハイなどは一発勝負のため何が起こるか分からない。このため黒田剛監督も極力リスクを排したサッカーを採用したのだろう。それはプレミアリーグ・イーストでクラブ勢と対抗するためにも当てはまったのかもしれない。自分たちのストロングポイントは何かを考えれば、当然の結果だったと言ってもいいのではないか。 そんな松木に対し、アルベル・プッチ・オルトネダ監督は「まずはいま、注目されているのでそのプレッシャーを外すことが仕事になる」と松木が現在置かれている境遇について理解を示した。その上で、「久保(建英)はいいプレーヤーかもしれないが」と断った上で、「彼ですらヨーロッパでプレーすることに苦労している」と現状を説明した。 そして「高校年代では素晴らしい活躍をしたのは間違いない。同じ年代の大会で素晴らしい成績を収めたが、ヨーロッパの同年代を相手に活躍できるかどうかは分からない。まずは地に足をつけること。高校で活躍したが、それ以上でも以下でもない。彼はまだまだ若い。プレッシャーを与えずに、順調に成長するよう温かい目で見守っていきたい」と持論を述べた。 まさにその通りと頷いてしまった。 アルベル監督が例に出した久保は、FC東京のトップチームに登録され、J3リーグでデビューしたときは、松木の入団会見の2倍くらいのメディアが殺到した。沖縄キャンプや小平での練習後、引き上げてくる選手に話を聞くのは基本的に自由だったが、久保だけは事前に広報に取材したい旨を伝える必要があった。 それだけチームも気を遣った選手であると同時に、長谷川健太元監督は厳しく接した。このため短期間ではあるが横浜Mにレンタル移籍して出場機会を増やし、FC東京に復帰後、念願のリーガ・エスパニョーラへの移籍を果たした。 先日の国王杯、RCDエスパニョール戦ではFKから鮮やかなゴールを決めたが、評価されるにはさらなるゴールが必要だろう。 松木に関しては、ヨーロッパのスタンダードを知る指揮官の下で経験を積めるメリットは大きい。希望するポジションはボランチということで、青木拓矢や安部柊斗らがライバルになるが、得点嗅覚が松木の大きな武器になる。とはいえ、それは試合に出られての話。そのためにも、まずは沖縄キャンプでどれだけアピールできるか。 松木だけでなく、FC東京ならGKヤクブ・スウォビィクやCBエンリケ・トレヴィザンら活躍が楽しみな選手がいるし、それは他のチームも同じこと。今シーズンは例年になく選手の移籍も活発だったため、チームがどう変貌するのか。こちらも楽しみに開幕を待ちたい。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.01.18 22:00 Tue
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J昇格請負人だったウーゴ・マラドーナの訃報/六川亨の日本サッカー見聞録

昨年末のこと、残念なニュースが飛び込んできた。一昨年末に亡くなったディエゴ・マラドーナの末弟であるウーゴ・マラドーナ(52歳)が急逝したとの報道だ。死因はナポリにある自宅で心臓発作を起こしたらしい。 ディエゴ自身もこれまで放映された映画やアマゾンTVが放送しているドラマなどで、ナポリ時代に薬物に手を出したことを告白している。もしかしたらウーゴも同じ道を辿ったとしたら、兄ディエゴは“英雄"だったかもしれないが、ファミリーにとってナポリ時代は悔やまれてならない。 ウーゴの存在を身近に知ったのは、92年に浜松市をホームにするPJMフューチャーズに加入した時だった。 PJMは、アメリカ人のポール・J・マイヤーが開発した人材育成のための能力開発システムで、当時、本田技研の研修を担当していた桑原勝義氏が興味を持ったことから“おとぎ話"はスタートした。桑原は藤枝東高時代に高校選手権で優勝し、その後は日本代表にも選ばれた好選手で、本田サッカー部の監督も歴任した(現JFL理事長)。 桑原氏の夢は、一貫した育成システムで育てた選手を2002年のW杯で日本代表に送り込むことだった。そのために本田を辞め、87年にクワバラスポーツクラブと、本田サッカー部の選手を中心にしたPJMフューチャーズを立ち上げた。 当初の予定は7年後の94年にJSL(日本サッカーリーグ)1部入りを果たすことだったが、時代はJリーグ創設へと動き出した。 Jリーグ入りへ、静岡からはJSL1部のヤマハと本田に加え、県リーグ所属の清水クラブ(後の清水エスパルス)の4チームが名乗りを上げた(その後は中央防犯、現アビスパ福岡もJリーグ入りを表明)。後発であり劣勢が否めないPJMにとって、Jリーグ入りへ起死回生の策だったのが当時29歳のディエゴ・マラドーナの獲得だった。 90年7月、PJMフューチャーズのオーナーでありPJMジャパンの社長の有田平は「移籍金は20億円以上、年俸も希望次第」と発表した。しかしナポリとの契約が93年5月まで残っていたため、マラドーナの獲得は夢のまま終わった。 そんなPJMフューチャーズに転機が訪れたのは東海リーグに昇格した91年、マラドーナ3兄弟の末弟であるウーゴを獲得したことだった。兄に似てずんぐりむっくりの体型のウーゴは、「背番号10は兄ディエゴのためにとっておく」と話していた。ディエゴの夢である「兄弟3人(ラウルとウーゴ)でプレーする」ための布石ではないかと報道されることもあった。 残念ながら兄ディエゴは90年イタリアW杯後の91年にコカイン服用の疑いでイタリア警察から告発され、FIFAからは15ヶ月の出場停止処分を受け、兄弟が揃って日本でプレーする夢はかなわなかった。 それでもウーゴはPJM(後の鳥栖フューチャーズ)でプレーした92年から94年の3年間(東海リーグとJFL)で49試合出場31ゴール、95年は福岡ブルックスに移籍し、JFLでは27試合出場で27ゴールを奪ってJリーグ昇格に貢献、97年には札幌でもチームをJリーグ昇格へと導いた。 偉大すぎる兄と比較されながらも、そのひたむきなプレーは鳥栖や福岡、札幌のファン・サポーターの脳裏に焼き付いているのではないだろうか。遅ればせながら、哀悼の意を表します。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2022.01.10 12:30 Mon
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駒大のロングボール・サッカーの効果/六川亨の日本サッカー見聞録

先週末は25日のインカレ決勝、駒澤大対阪南大(3-2)を取材し、週明けの28日は第100回を迎える全国高校選手権の開幕戦、関東第一高校対中津東(6-0)の試合を取材した。その間には27日に鹿島の“常勝軍団”の礎を築いた鈴木満FD(フットボールダイレクター)の、今シーズン限りの退任によるオンライン会見も取材した。 鈴木氏は鹿島の前身である住金サッカー部の選手や監督を務め、Jリーグ誕生後も強化スタッフとして30年もの長きに渡りチームの栄光を下支えしてきた。いわゆる「オリジナル10」で、93年のJリーグ開幕から今日まで同一チームの現場で活躍してきたのは鈴木氏しかいない。鈴木氏は来年3月まで現職にとどまるので、機会があったら彼の功績を紹介したい。 さて28日に開幕した高校選手権、関東第一対中津東の試合は洗練されたパスサッカーの関東第一が6-0の大差で圧勝した。決定機を確実に決めていれば、もう2~3点は入っていただろう。一方の中津東は、パスをつないで攻めようにも関東第一の素早いプレスに後手に回り、早い時間に失点したこともあり本領を発揮できなかった。 そこで改めて考えたのが、インカレで06年の第55回大会以来14大会ぶり7度目の優勝を果たした駒澤大のサッカーだ。昔も今も変わらず、ボールポゼッションではなく、マイボールになれば迷わず前線の2トップにロングパスを出して大型FWを走らせるサッカーだ。現チームの左SBの桧山悠也は、ボールを持つと迷うことなく左クロスを送っていた。 SBが攻撃参加しても、タテに突破を仕掛けるわけでもなく、ボールをキープしては相手を引きつけて、サポートに寄ったボランチやCBにバックパスを出すシーンをよく目にする。それはそれで、ボールキープの時間を増やし、相手DFをワイドに広げようという狙いがあるのだろう。 しかし見ている方としては、時として歯がゆく感じるものだ。せっかく攻め込んだのに、いつの間にかボールは味方GKまで戻っていることも1回や2回ではない。 その点、桧山のプレーはシンプルでわかりやすいため、見ていて気持ちよかった。前線で待ち構えるFWとしても、せっかくゴール前でマーカーと駆け引きをしているのに、クロスがなかなか入らず、ボールが自陣GKまで戻っていては、またイチから動き直さなければならずフラストレーションも溜まるのではないか。 駒澤大学の秋田浩一監督は「10回つないで1点くれるなら考えも変わりますが、サッカーは点を取るゲーム」と割り切っている。これはこれで的を射ている“真理”だろう。 試合は阪南大が2度のリードを奪いながら、そのたびに駒澤大がアーリークロスや右CKからのヘディングシュートで追いつき、最後は左サイドからのアーリークロスが風上で右に流れるところ、右サイドから詰めていた交代出場の島崎翔輝が押し込んで決勝点とした。 駒澤大の伝統でもあるキック・アンド・ラッシュとフィジカルを鍛えたサッカーは、それはそれで“あり”だと思う。チーム戦術に合った前線のFW起用など、他校にはないストロングポイントを持っているからだ。 ポゼッション・スタイルが全盛の現在、どこを切っても同じような“金太郎飴”のスタイルを否定する駒澤大のサッカーは、むしろ新鮮ですらある。 そして高校選手権に話を戻すと、中津東は攻め手がなかった。ならばパスをつなぐポゼッション・スタイルではなく、キック・アンド・ラッシュに活路を見いだすべきではなかったか。そこまで練習していないため無理だったかもしれないが、そうした柔軟性、戦術の多様性は高校年代から身につけておいた方がいいと思う。 日本代表は、アジアではポゼッション・スタイルで勝ち抜けても、W杯では難しい。かつて日本は、「フィジカルで欧州や南米の列強に劣っているのだから、技術で対抗すべきだ」という意見が大勢を占めた。それを否定したのがアルベルト・ザッケローニ監督でありヴァイッド・ハリルホジッチ監督だった。「インテンシィティ」や「デュエル」である。 長身選手をターゲットにするロングパスも戦術の1つである。高校年代ではかつて国見や市立船橋が得意としていた戦法だ。これをポゼッション・スタイルも含め、対戦相手やピッチ状況に応じて使い分ける。これは高校年代や大学年代では難しいことだろうか。 そんなことを、インカレ決勝後に取材した高校選手権の初戦を見て思った。インカレ決勝のカードは、正直期待していなかったが、予想外の好ゲームに興奮したことを記しておきたい。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.12.30 09:40 Thu
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大岩五輪監督にはノルマが必要/六川亨の日本サッカー見聞録

JFA(日本サッカー協会)は12月16日の理事会で、24年のパリ五輪を目指すU-21日本代表監督に大岩剛氏、23年のU-20W杯を目指すU-19日本代表の監督には冨樫剛一氏、同じく23年のU-17W杯を目指すU-16日本代表の監督には森山佳郎氏が就任することを承認した。 3氏のプロフィールについてはすでに当サイトで紹介済みなので省略する。理事会後の会見に臨んだ反町康治JFA技術委員長は大岩氏の起用について「選手のほとんどがJリーグに出ているか出始めている。大人のフットボールをやっているのでJ1の監督経験が必要」と説明した。 これまでサムライブルーの監督に関して名前が上がった日本人には、「J1リーグ優勝」が暗黙の了解としてあった。ロシアW杯を率いた西野朗元監督であり、森保一現監督であり、彼ら以外では名古屋の監督に就任した長谷川健太氏、川崎Fの鬼木達現監督だった。 この点に関して反町技術委員長は「鹿島では17年に2位になっている。勝点は川崎Fと同じで、得失点差の2位だった(勝点72で並んだものの、川崎Fは+32、鹿島は+31で川崎Fが初優勝した)。18年はACLで優勝している。アジアの戦いを熟知しているのも要素の1つ」と大岩監督の実績をフォローした。 ACLの優勝は高く評価できるものの、1回だけで「アジアの戦いを熟知している」と断言できるのか。「選手のほとんどが海外組」のサムライブルーでは、「海外での監督経験が必要」ではないのかと突っ込みたくなったが、それは“重箱の隅をつつく”ようで大人げない。 これまで五輪代表の監督はW杯後に決まってきた。しかし東京五輪はホストカントリーとして予選がないため、17年10月に森保一氏が監督に就任。今回の大岩氏もW杯の前年と早い時期での監督就任となった。このため「五輪は日本サッカー界では重要な位置を占めている。東京ではメダルに届かなかったので、次のパリではメダルに届いて欲しい」と反町技術委員長も期待を込める。 その一方で「能力の高い選手はサムライブルーに行く。この年代は登竜門になって欲しい」(反町技術委員長)と、久保建英や堂安律らはサムライブルーでの活動をメインにしながら、最後に五輪代表に合流したチーム作りの難しさも指摘した。 過去の例では、チーム発足時と、OA枠も含めた最終メンバーでは大幅に顔ぶれが変わるのが五輪代表でもあった。それだけ選手の成長曲線も著しく、“生もの”なのが五輪代表と言っていい。 そんなチームに、注文をつけたいことが1つある。森保監督が五輪の監督に就任したのは17年のこと。ついでに高倉麻子監督がなでしこジャパンの監督に就任したのは16年のこと。2人と東京五輪ではメダル獲得を期待され、本人もその目標を口にしてきた。 しかし森保監督は5年、高倉監督は6年に渡って代表チームの監督を務めたものの、メダルを獲得できなかっただけでなく、代表チームの強化が進んでいるかどうか、チェックされることなく五輪を迎え、あえなく敗退した。 その反省を踏まえ、日本代表と五輪代表の監督には一定のノルマを設けるべきではないだろうか。森保監督は、五輪代表監督に就任した翌年18年の1月に中国で開催されたAFC U-23選手権(現U-23アジアカップ)に参加。グループリーグは3連勝で突破したものの、準々決勝で優勝したウズベキスタンに0-4と完敗した。このときのウズベキスタンは圧倒的な強さを誇った。 しかし同年のロシアW杯後は日本代表の監督も兼任することで、五輪代表チームは横内昭展コーチが指揮を執ることになった。この変則態勢のため、本来なら東京五輪の出場権を賭けた20年1月のU-23アジアカップが森保監督を評価する唯一の公式戦となったが、グループリーグ3連敗であっけなく敗退。チームの完成度が低いのは当然だが、森保監督もどんなタイプの選手がいるのか、適性を見ているという印象を受けた。男女とも五輪が1年延期になったのは不幸中の幸いと思ったものだ。 その点、大岩監督は五輪代表に専念できる。まずは来年の22年5月にウズベキスタンで開催されるAFC U-23アジアカップが初の公式戦となり、9月には中国でのアジア大会が待っている。大岩監督にとって大一番は、24年に予定されているAFC U-23アジアカップでパリ五輪の出場権を獲得すること。16年に日本が韓国を逆転で下して優勝したように五輪キップをつかんで欲しいが、森保監督の五輪代表監督としての5年間を見ていると、その前にノルマというかハードルを設けてチームの成長を検証すべきではないか。 なかなかベストメンバーを組めないという制約もあるが、何もせずに監督任せで「メダルは取れませんでした」では、技術委員会もJFAも無責任すぎると言われても仕方ないだろう。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.12.18 11:45 Sat
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FC東京の筆頭株主がIT大手のミクシィに/六川亨の日本サッカー見聞録

かねてから噂のあったIT大手の株式会社ミクシィがFC東京の経営権を取得した。12月10日、午前10時から開催された第20回臨時株主総会で、議決権を所有できる24000株(51・3パーセント)の取得が承認されたため、同社は14時からJFA(日本サッカー協会)ハウスで会見を開き、子会社化したことを発表した。 FC東京のファン・サポーターにとってミクシィは聞き慣れない会社かもしれないが、ゲーム会社の「XFLAG」と聞けば、ユニホームの胸スポンサーとすぐにわかるだろう。同社がFC東京のスポンサーになったのは2018年のこと。東京ガス、三菱商事、清水建設、きらぼし銀行、TOKYO MX(東京メトロポリタンテレビ)、MITSUI&CO(三井物産)の6社とともに中核企業としてチームを支えてきた。 しかしコロナ禍によりFC東京は2期連続しての赤字見込み(20年1月期の純利益4900万円が21年1月期は3億2500万円の赤字に転落)に加え、来期も経営の見通しが立たない。このため12月8日には、来年5月をもってVリーグのバレーボールチームが活動を休止することが発表されていた。 その理由を会見に出席した大金直樹社長は「バレーボールの事業環境が厳しく、中長期的な展望が開けない。ミクシィさんの承諾を得て決めた」と話し、ミクシィの木村弘毅代表取締役も「FCさんの決断を尊重した」と理解を示した。 コロナ禍で経営が苦しいのはFC東京だけではない。にもかかわらず今回の“譲渡”に至った背景には親会社の事情が絡んでいる。 Jリーグの親会社として東京ガスと大宮のNTTドコモは公共性の高い会社と言える。このため一般企業のように「利益を追求する」必要はそれほどない。ミクシィへの第三者割当による23000の新株発行も、創設時の1株5万円、計11億5000万円で売却した(これによりミクシィの保有株は1000株、4・2パーセントから24000株、51・3パーセントと過半スピードを獲得)。東京ガスとしては一般企業のように株価を上げるよりも、チームの強化を優先して株主の理解を得てきた。 しかしながら、公共性の高い会社だからこそ、FC東京が赤字を出した際はチームを保有することに対して批判も出やすい。そこで、年度末の決算では「10円とか100円のプラス収支が理想的」(FC東京関係者)ということになる。 大宮に至っては、クラブ経営が赤字でも親会社の補填により毎年収支は±0という理想的な決算になっている(しかしNTTドコモがスポンサーから撤退するという噂もあるようだ)。 さらにNTTドコモらBtoC(ビジネス・トゥ・コンシューマ。企業から消費者)といったように、出資金を広告宣伝費として使える利点がある。一方の東京ガスはBtoB(ビジネス・トゥ・ビジネス。企業から企業)といったように、業務形態そのものが消費者にはわかりにくいハンデがある。 サッカーファンにとってわかりやすい例を上げるなら、かつて“丸の内御三家”と言われた三菱(現・浦和)、日立(現・柏)、古河(現・千葉)はJSL(日本サッカーリーグ)の主要チームだった。日立なら家電メーカーとして消費者に馴染みがあるだろう。三菱なら家電、自動車など多くの商品で消費者とつながっている。 Jリーグ創設当初、浦和のスポンサーは外資系企業が多かった。その理由を当時は広報部長だった藤口光紀氏に聞いたところ、「三菱はグループとして国内の同業社をほぼカバーしているため、スポンサー・バッティングが起きる。だから外資しか選択肢はなかった」と話していた。 ところが古河は、電線やケーブルを企業相手に売っている会社のため、サッカーファン以外は会社の存在をほとんど知られていない企業でもあった。そこでJリーグ創設の際はJR東日本と組まざるを得なかった裏事情があった。 FC東京に話を戻すと、やはりコロナ禍のダメージが大きかったのだろう。それでも、鹿島(メルカリ)や町田(サイバーエージェント)の例を出すまでもなく、日本経済同様Jリーグも変革の時代を迎えているようだ。 そしてベンチャー企業の役員はおしなべて若い。このためサッカーに対する理解もあり(プロ野球世代とは明らかに違う)、サッカーに対するリスペクト、憧憬も感じさせる。これはこれで歓迎すべき事柄だろう。来年で30周年を迎えるJリーグ。蒔いた種は決して無駄ではなかったかもしれない。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.12.12 12:25 Sun
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