中田英寿氏が三菱UFJ信託銀行の新サービス「Dprime」のブランドアンバサダー就任、五輪へ見解「ベストな状態で戦えるのが良い」

2021.07.05 22:00 Mon
三菱UFJ信託銀行株式会社(取締役社長・長島巌)は、パーソナルデータを管理・運用する情報銀行サービス「Dprime」のメディア発表会を1日に開催。元日本代表で実業家である中田英寿氏がブランドアンバサダーに就任した。「Dprime」は、「パーソナルデータ」を管理・運用する情報銀行サービス。パーソナルデータを集約し、個人ユーザーの同意に基づき、データ利用企業へ提供。個人ユーザーはパーソナルデータ提供の対価として、企業から新しい体験の機会や自身に最適化された商品・サービスなどのギフトを受け取ることができるものだ。

中田氏がブランドアンバサダー就任に至った経緯については、「中田氏は現在のように個人が SNSやブログなどを持つことが当たり前ではなかった時代から、自らのメディア「nakata.net」立ち上げ、早くからデジタルを活用した情報発信を実施していること。また、現在は、実業家としてJAPAN CRAFT SAKE COMPANYの代表を務め、日本酒のブロックチェーン構築や日本酒アプリ「Sakenomy」の開発などデジタル技術を活用した新しいビジネスに積極的に取り組んでおり、新しいサービスである情報銀行サービス「Dprime」とイメージが合致したため」としている。
今回のサービスではギフトを受け取れるものになるが、欲しいギフトについては「旅好きなので、旅に関するギフトがあると積極的に使いたいと思います」とコメント。中田氏らしい答えで返した。

また、自身は1996年のアトランタ五輪と2000年のシドニー五輪と2度のオリンピックを経験しているが、東京オリンピックについては「僕をサッカーやっていましたが、今はサッカー観ていないのでなんとも言えないですが、オリンピックに関してどうというのはなかなか難しいです」とコメント。今の日本代表について話すのは難しいとした。
ただ、自身の経験を踏まえてオリンピックについては「選手として2度出させてもらいましたが、万全の状態で出させてもらえるからこそ、僕にとっては意味がありましたし、万全の状態ではない時に出ることの意義はあると思いますが、自分はオリンピックに出たかったわけではなく、より高いレベルの試合がしたい。その思いが強かったので、選手目線で考えると、ベストな状態で戦えるのが良いと思います」とコメント。コンディションを含めて、万全の状態でプレーできる方が、アスリートにとってはありがたいと語った。

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BE:FIRSTがアンバサダー就任の「FILA」、かつては中田英寿氏も同ブランドのスパイクを着用

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