INAC神戸の監督に星川氏が復帰/六川亨の日本サッカーの歩み
2021.02.24 17:30 Wed
ネットでサッカーの記事を検索していたら、スポーツ紙が9月に開幕するサッカー女子プロリーグ「WEリーグ」への参入が決まっているINAC神戸がゲルト・エンゲルス監督の契約終了を発表。後任には元監督の星川敬監督(44歳)を招聘したことを報じていた。
FC十文字を母体とする大宮は、「なでしこジャパン」前監督で11年W杯ドイツ大会優勝の佐々木則夫氏(62歳)が総監督に就任。監督には大宮育成普及本部長の岡本武行氏(53歳)を迎え、コーチに元なでしこジャパンFWの大野忍氏が就任したと報じていた。
そこで星川監督である。同氏は日テレ・ベレーザの監督として09年になでしこリーグと皇后杯に優勝。翌10年はINAC神戸の監督に就任すると、ここでも皇后杯に優勝した。そして11年は澤穂希、大野忍、近賀ゆかりらの獲得に成功し、なでしこリーグと皇后杯の2冠を達成。さらに12年は両タイトルでの連覇に加え日韓女子チャンピオンシップも制して3冠を達成した。
ところが星川監督は数々のタイトルを獲得したにもかかわらず、12年12月にINAC神戸の監督を辞めヨーロッパに渡ってしまった。星川監督とは親しい間柄ではないが、何度か味の素フィールド西が丘で話を聞いたことがある。その時に印象に残っていた言葉が、「いくらリーグで結果を出しても、代表の監督にはなれません」という一言だった。
確かに彼が指摘した通り、歴代のなでしこジャパンの監督はリーグ戦の結果とは無関係だ。
1990年代以降でも、鈴木保氏(89~96年)は加茂周氏が日産(現横浜FM)の監督時代にコーチとして支え、その後は日産の監督も務めたが、日産FCレディースの監督としてはLリーグで6チーム中4位、10チームでも4位が最高の成績だった。
唯一の例外は宮内聡氏(97~99年)で、帝京高校時代に選手権で優勝を飾り、古河(現ジェフ千葉)でもリーグ優勝とアジアクラブ選手権優勝に貢献。日本代表としても守備的MFとして活躍した。93年から97年まで指導したプリマハムFCくノ一ではLリーグでチームを初優勝に導く。そして昨シーズンからはちふれASエルフェン埼玉の代表取締役会長に就任した。
宮内氏に続くのが上田栄治氏(02~04年)で、現役時代はフジタ工業(現湘南)のFWとして活躍し、リーグ優勝3回、天皇杯優勝2回を誇る。現役引退後はJFA(日本サッカー協会)のナショナルトレセンコーチや技術委員などを歴任し、06年には女子委員長も務めた。
異色なのが上田氏に代わって監督を務めた大橋浩司氏(04~07年)だろう。中学の教師をしながらJFAのS級ライセンスを取得し、01年からJFAの専属指導者になる。なでしこジャパンの監督として06年のアジア大会で準優勝して北京五輪の出場権を獲得すると、07年の女子W杯にも出場した。
大橋氏からバトンを受けた佐々木則夫氏(08~16年)については説明も不要だろう。帝京高校でインターハイ優勝、選手権3位となり、明大を経てNTT関東(現大宮)でプレー。33歳で現役引退後は大宮の監督や強化普及部長などを務め、06年からなでしこジャパンのコーチとU―20女子代表の監督を務め、ドイツW杯優勝とロンドン五輪で銀メダルの成果を残した。
そして現在の高倉麻子監督は、現役時代は読売ベレーザで数々のタイトルを獲得し、指導者としてS級ライセンスを取得後はU-17日本女子代表の監督としてW杯初優勝などの成績を収めてAFCの女子年間最優秀監督賞を7回も受賞した。
日本初の外国人監督となったハンス・オフト氏以降、日本人の代表監督は誰もがJクラブで実績を残した。加茂周氏は日産でリーグと天皇杯、横浜フリューゲルスで天皇杯に優勝、岡田武史氏はリーグ連覇、西野朗氏は柏でナビスコ杯、G大阪で3冠獲得、森保一氏はリーグ優勝3回といった具合だ。
ところがなでしこジャパンの監督は、監督になるための基準や目安がこれまでは曖昧だった印象が強い。リーグで結果を残すよりも、上田氏や大橋氏のようにJFAの仕事をした指導者が優先されると指摘されても仕方ないだろう。
しかしそれも、WEリーグの誕生で変わるかもしれない。資格の関係で女性監督はまだまだ少ないが、それが増えることで代表監督もリーグで結果を残した監督が就任するようになるかもしれない。あるいは男性監督かもしれないし、能力があれば外国人監督だっていい。いまはまだ先行き不透明なWEリーグだが、9月にはどんな成長を遂げているのか。プロになった選手たちの声を聞くのが楽しみでならない。
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WEリーグに関しては、なでしこリーグの女王である浦和が森栄次氏を監督から総監督にして、楠瀬直木監督との2頭体制になったり、雪辱を期す東京ヴェルディ日テレ・ベレーザは現監督の永田雅人氏(47歳)がS級ライセンスを持っていないため、GMの竹本一彦氏(65歳)を監督に迎え、永田氏はヘッドコーチとしてチームを指導するなどチーム作りに関する話題が豊富だ。マイナビ仙台は日テレ・ベレーザやINAC神戸で指揮を執ったベテランの松田岳夫氏(59歳)を監督に招聘。ちふれASエルフェン埼玉は、現役時代は日本女子代表として活躍した半田悦子氏を、長らく指導してきた常葉大橘高から抜擢した。そこで星川監督である。同氏は日テレ・ベレーザの監督として09年になでしこリーグと皇后杯に優勝。翌10年はINAC神戸の監督に就任すると、ここでも皇后杯に優勝した。そして11年は澤穂希、大野忍、近賀ゆかりらの獲得に成功し、なでしこリーグと皇后杯の2冠を達成。さらに12年は両タイトルでの連覇に加え日韓女子チャンピオンシップも制して3冠を達成した。
ところが星川監督は数々のタイトルを獲得したにもかかわらず、12年12月にINAC神戸の監督を辞めヨーロッパに渡ってしまった。星川監督とは親しい間柄ではないが、何度か味の素フィールド西が丘で話を聞いたことがある。その時に印象に残っていた言葉が、「いくらリーグで結果を出しても、代表の監督にはなれません」という一言だった。
確かに彼が指摘した通り、歴代のなでしこジャパンの監督はリーグ戦の結果とは無関係だ。
1990年代以降でも、鈴木保氏(89~96年)は加茂周氏が日産(現横浜FM)の監督時代にコーチとして支え、その後は日産の監督も務めたが、日産FCレディースの監督としてはLリーグで6チーム中4位、10チームでも4位が最高の成績だった。
唯一の例外は宮内聡氏(97~99年)で、帝京高校時代に選手権で優勝を飾り、古河(現ジェフ千葉)でもリーグ優勝とアジアクラブ選手権優勝に貢献。日本代表としても守備的MFとして活躍した。93年から97年まで指導したプリマハムFCくノ一ではLリーグでチームを初優勝に導く。そして昨シーズンからはちふれASエルフェン埼玉の代表取締役会長に就任した。
宮内氏に続くのが上田栄治氏(02~04年)で、現役時代はフジタ工業(現湘南)のFWとして活躍し、リーグ優勝3回、天皇杯優勝2回を誇る。現役引退後はJFA(日本サッカー協会)のナショナルトレセンコーチや技術委員などを歴任し、06年には女子委員長も務めた。
異色なのが上田氏に代わって監督を務めた大橋浩司氏(04~07年)だろう。中学の教師をしながらJFAのS級ライセンスを取得し、01年からJFAの専属指導者になる。なでしこジャパンの監督として06年のアジア大会で準優勝して北京五輪の出場権を獲得すると、07年の女子W杯にも出場した。
大橋氏からバトンを受けた佐々木則夫氏(08~16年)については説明も不要だろう。帝京高校でインターハイ優勝、選手権3位となり、明大を経てNTT関東(現大宮)でプレー。33歳で現役引退後は大宮の監督や強化普及部長などを務め、06年からなでしこジャパンのコーチとU―20女子代表の監督を務め、ドイツW杯優勝とロンドン五輪で銀メダルの成果を残した。
そして現在の高倉麻子監督は、現役時代は読売ベレーザで数々のタイトルを獲得し、指導者としてS級ライセンスを取得後はU-17日本女子代表の監督としてW杯初優勝などの成績を収めてAFCの女子年間最優秀監督賞を7回も受賞した。
日本初の外国人監督となったハンス・オフト氏以降、日本人の代表監督は誰もがJクラブで実績を残した。加茂周氏は日産でリーグと天皇杯、横浜フリューゲルスで天皇杯に優勝、岡田武史氏はリーグ連覇、西野朗氏は柏でナビスコ杯、G大阪で3冠獲得、森保一氏はリーグ優勝3回といった具合だ。
ところがなでしこジャパンの監督は、監督になるための基準や目安がこれまでは曖昧だった印象が強い。リーグで結果を残すよりも、上田氏や大橋氏のようにJFAの仕事をした指導者が優先されると指摘されても仕方ないだろう。
しかしそれも、WEリーグの誕生で変わるかもしれない。資格の関係で女性監督はまだまだ少ないが、それが増えることで代表監督もリーグで結果を残した監督が就任するようになるかもしれない。あるいは男性監督かもしれないし、能力があれば外国人監督だっていい。いまはまだ先行き不透明なWEリーグだが、9月にはどんな成長を遂げているのか。プロになった選手たちの声を聞くのが楽しみでならない。
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