今季は「#atarimaeni CUP」のみ開催、大学サッカーに思うこと/六川亨の日本サッカー見聞録

2021.01.23 08:30 Sat
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今シーズンの大学サッカーは、新型コロナの影響で夏の総理大臣杯、冬の全日本大学選手権(インカレ)が中止に追い込まれた。その代わりに、今年限定の大会として「サッカーができる当たり前」に感謝をこめて#atarimaeni CUPが1月6日に開幕した。全国各地の大学32チームがトーナメントで争った同大会は1月21日に準決勝2試合を行い、法政大が早稲田大を2-0で下して23日の決勝戦に進出。リーグ戦は4位に終わった法政大だが、17年の総理大臣杯優勝、18年のインカレ優勝、19年の総理大臣杯準優勝と4年連続して全国大会の決勝戦に進出し、カップ戦に強いところを見せた。

決勝で対戦するのは2回戦で優勝候補の本命だった明治大をPK戦で下した東海大だ。神奈川県リーグ所属だが、準決勝でも関東リーグ3位の順天堂大を1-0で下すジャイアントキリング。県リーグ所属の大学が全国大会の決勝戦に勝ち進むのは史上初の快挙だ。


準決勝の2試合を取材した印象は、「法政大が頭1つ抜けている」というのが正直なところ。リーグ戦2位の早稲田大を相手に、前後半ともハーフコートマッチに近いワンサイドゲームからキャプテンの右SB関口が機敏な状況判断で2ゴールを奪った。

関口は卒業後に甲府へ加入し、ゴールを守った身長2メートルのGK中野はすでに昨シーズン、札幌でJ1デビューを果たしている。彼ら以外にもプロに進む選手が総勢8名もいるのだから、ワンサイドゲームになるのも当然だったかもしれない。

前半はリトリートして守備を固め、0-0で折り返した早稲田大だったが、後半になると前線から積極的なプレスを仕掛けた。しかし法政大はそのプレスを個人技とグループ戦術の組み合わせで、いとも簡単にくぐり抜けて攻撃につなげて早稲田大ゴールに迫った。

ただし早稲田大もMF鍬先(長崎に内定)、キャプテンのDF杉山、卒業後は清水に内定している3年生FW加藤を欠くなど必ずしもベストメンバーではなかった。リーグ戦を取材したことのある記者がノートを見ながら、「その時に出ていたのはキーパーとセンターバックとサイドバックの3人だけ」と教えてくれたが、そうだとしたら一方的な展開になったのも致し方ないだろう。

この#atarimaeni CUP、1回戦から3回戦までは非公開で、準決勝と決勝はメディアとスカウトに公開しつつ有観客試合にする予定だった。しかし非常事態宣言により無観客試合になったのは残念だった。

そして第1試合のハーフタイムには懐かしい早稲田大サッカー部OBと会った。昨年、京都の強化育成本部長に就任した、元日本代表の加藤久氏である。

加藤氏は「我々の頃とはレベルが違う」と笑いながら長足の進歩を遂げた大学サッカーに驚きながら、「どのチームも似たような選手が多いですね」と正直な感想を漏らした。

昔の早稲田大のサッカーは、「百姓一揆」と揶揄されるロングキック主体のサッカーだった。前線には大型ストライカーを擁し、制空権を握った。古くは釜本邦茂氏に始まり、70~80年代はこの日、取材に訪れていた原君の父である原博実氏(Jリーグ副チェアマン)や関塚隆氏(元JFAナショナルチームダイレクター)らが活躍した。

しかしプロリーグ誕生により日本サッカー全体が底上げされたこと、人工芝の普及により練習環境が整ったこと、体系的な指導体制が整備されたことなどから選手の技術は飛躍的に向上。どの大学もボールを保持して攻めるスタイルを採用するようになった。

そこで思い出すのが18年のインカレで、上田(鹿島)、紺野(FC東京)を擁して優勝した時の長山監督の言葉だ。彼ら2人をスタメンではなく交代で起用した理由を聞くと、次のような答えが返ってきた。

「上田がいると彼に合わせてロングキックを蹴ってしまう。紺野がドリブルを始めると、みんな彼のドリブルを見て足が止まってしまう」

長山監督の説明を聞いて「なるほど」と思った。2人がいると彼らに頼る、単調な攻撃になってしまうのだろう。

だがしかし、それがストライカーとしての上田と、ドリブラー紺野のスキルを伸ばしたのではないだろうか。

選手の個性、ストロングポイントを伸ばす指導は大事だし、特に長身のGK、CB、FWの育成は喫緊の課題だ。そのためには、例えばロングキック主体のチームがあっていいような気もする。

たぶん簡単には答えが出ない問いかけでもあるだろう。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた
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W杯2次予選は日本でセントラル開催の裏側/六川亨の日本サッカー見聞録

JFA(日本サッカー協会)は13日、カタールW杯アジア2次予選の残り6試合が日本でのセントラル開催になることと、その対戦スケジュールを発表した。 まずは5月28日、フクダ電子アリーナでのミャンマー戦(19時30分キックオフ。無観客試合)でスタートする。軍事クーデターにより政情が不安なミャンマーだが、13日の理事会後、須原専務理事は次のように見通しを語った。 「ミャンマー協会とは密に連絡を取っています。協会から『行ける』と連絡が来ていますし、日本で練習もしたいと言っている。我々としては受け入れ態勢を整えるだけで、まだ来日のフライトまでは決定していません」 ミャンマーに対しては市民への発砲など人権問題で国際的に批判が集中しているものの、「いまのところ、その議論は出ていません。(日本政府への)入国許可はこれから取ります」(須原専務理事)ということだった。 サムライブルーはその後、札幌に移動してキリンチャレンジカップのジャマイカ戦(19時30分)、7日はパナソニックスタジアム吹田でのタジキスタン戦(19時30分)があり、同日はヤンマースタジアム長居でキルギス対モンゴル戦(16時)もある。 11日は再びキリンチャレンジカップのセルビア戦(19時25分)がノエビアスタジアム神戸で開催され、ミャンマー対キルギス戦がヤンマースタジアム長居で行われる(16時)。そして15日にサムライブルー対キルギス戦(19時25分)がパナソニックスタジアム吹田で、タジキスタン対ミャンマー戦(19時25分)がヤンマースタジアム長居で開催される予定だ。 新型コロナウイルスの感染が拡大するなかでサムライブルーの活動が決定した背景について、須原専務理事は「基本ポリシーは2つです。まず関係者の安全の確保、次いで政府・自治体の考えと一致させること。中止や延期は想定していませんが、その時の状況を考慮し、タイムリーに動いていきたい。3月の経験と知見があり、安全な準備態勢を取りたい」と、3月の韓国戦やモンゴル戦、U―24アルゼンチンとの2試合などが評価されたことを強調した。 当初W杯予選はオーケーでも、セルビア戦は中止になることが危惧された。この点についても「強化試合は公式戦のパフォーマンスを上げるためと話して理解してもらった」と須原専務理事。さらに今回の特例について「W杯予選と五輪の準備は大切なポイント」とも話した。 今週初めのNPBとJリーグの対策連絡会議でも、政府は緊急事態宣言を継続しながら、プロ野球とJリーグの有観客試合を自ら認可した。それと同じように、5月31日で緊急事態宣言が解除されるかどうか分からない状況で政府・自治体がサムライブルーの活動を認可したのは、3月の実績があるとはいえ、東京五輪開催のためのプロパガンダと思えてならない。 3月と同様に、海外から訪れる選手はバブル方式で対処し、公共交通機関を使わず、札幌への移動はチャーター機を用意し、ホテルに隔離し、定期検査を欠かさず実施。さらに必要な措置を政府と自治体と議論する予定だ。 サムライブルーだけでも来日するチームはジャマイカ、セルビア、ミャンマー、モンゴル、キルギス、タジキスタンの6チーム。これに日本の海外組を加えたら、バブル方式での対処はかなりのコストがかかるはず。 さらに6月上旬はU-24日本代表の強化試合が博多と豊田であり、なでしこジャパンは広島、栃木での試合が予定されている。対戦相手が各1試合なら4チームが来日する計算になり、サムライブルーと合わせれば10チーム×23人で230人の選手に加え、監督やコーチなどのスタッフを含めれば300人近くの大所帯になるだろう。そんな彼らが日本列島を大移動する。 だからこそ、「五輪のシミュレーションになる」とも言える。他の競技ではここまで来日チームを招聘できないだろうし、バブル方式やPCR検査などのノウハウもサッカー界はここ1年で蓄積してきた。JFAとしてはW杯予選を実施したいし、五輪でメダルを獲得したい。一方の日本政府は、国内外からの逆風に対して感染者を出さず、無事に国際大会を開催できれば安全のアピールになる(それも身銭を切らず)。 そうした日本政府の思惑(だったとして)を癪に感じているのは僕だけではないだろう。 最後に改めてアジア予選の現状を確認した。グループFの日本は現在5連勝で勝点15の首位で、あと1勝すればグループリーグ突破が決まる。残り1試合で勝点3の最下位モンゴルは予選敗退が決定。残る1枠を勝点10のタジキスタン(残り2試合)、同7のキルギス(残り3試合)、同6のミャンマー(残り3試合)が争っている状況だ。 日本がミャンマー戦に勝利して予選突破を決めたら、2位争いに注目してみるのも面白いのではないだろうか。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.05.14 21:15 Fri
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W杯2次予選はスタジアム変更?/六川亨の日本サッカー見聞録

JFA(日本サッカー協会)の反町技術委員長が5月6日、定例の技術委員会後にリモートによる記者会見に臨んだ。質問は今月28日から始まるカタールW杯アジア2次予選と、U-24日本代表の活動に集中した。 まず28日のミャンマー戦は、AFCの発表では千葉県となっていたが、反町技術委員長と広報部長もフクアリ(フクダ電子アリーナ)での開催を認めた。問題は、対戦相手のミャンマーが来日できるかどうかである。 5年前のリオ五輪では、初戦の相手であるナイジェリアがサッカー協会の金銭問題からアメリカ・アトランタのキャンプ地から出発できず、出場が危ぶまれたことがあった。日本の有名な美容整形外科のT須院長が費用を出すと言って話題になったことを覚えている読者もいるのではないだろうか。 U-24日本を率いた手倉森監督(現仙台監督)も「ナイジェリアだけにナイと言われても。あれば、アルジェリア。いや、アルジェリアが来ちゃダメか」と得意のダジャレを飛ばしていたものだ(試合は日本が4-5で敗戦)。 しかしながら今回のミャンマーは、軍事クーデターで内乱状態とかなり深刻な状況である。このため反町技術委員長も試合開催に関して質問されても「わからない。こっちが聞きたいくらい。情報が入って来ない。情報があれば対応できるが、情報がない。AFC(アジアサッカー連盟)の発表を受けて準備しているくらい」とお手上げ状態だ。 試合は5月28日に予定されているので、当日に試合を開催できなければ「見なし開催」として日本の勝利になるのか。それともIMD(インターナショナルマッチデー)は6月15日まであるので、それまでに試合を消化すればいいのかについても、「AFCはミャンマーがゲームをする意思があると捕らえている。15日までに終えないといけないと互いに合意している。我々は最善の準備をするしかないし、調べようがない」と苦しい胸の内を明かした。 影響を受けるのは28日のミャンマー戦だけではない。当初の予定では、サムライブルーは6月3日の札幌ドームでのキリンカップで活動をスタートさせ、7日にパナソニックスタジアム吹田でW杯予選のタジキスタン戦、11日にノエビアスタジアム神戸でのキリンカップ、そして15日に再びパナソニックスタジアム吹田でキルギス戦という日程だった。 しかし東京、大阪、兵庫、京都の4都府県には緊急事態宣言が出されていて、現状では今月末まで延期される可能性が高い。さらに感染が拡大している愛知と福岡も対象に加えると同時に北海道、千葉、埼玉、神奈川、にもまん延防止等重点措置の適用や延長の可能性が出てきた。 これらがいつまで延長されるのか不明だが、サムライブルーは4試合すべてが、U-24日本は6月5日の博多での試合と12日の豊田での試合が、なでしこジャパンは14日の京都での試合に影響が出ることも予想される。 このことに関しても反町技術委員長は「試合の日程を発表できないのは、そういう背景があるから」と認めつつ、「Jリーグの大阪ダービー(5月2日)も無観客になった。状況はよくないのだと思う。我々はどこであろうと、しっかりやりきる準備があることを示すしかない」と先行きが不透明でも準備を進めるしかないことを強調した。 改めて言うまでもなく、すべては新型コロナの影響で、「大阪、千葉を再考せよと政府が言ってくるかどうか」(反町技術委員長)でスタジアムの変更を余儀なくされるかもしれない。それでも最悪なケースを予測しつつ、できる限りの準備(関西圏がNGなら関東圏を最検討するなど)を進めるしか乗り切る方法はないだろう。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.05.07 16:50 Fri
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パルチザンと横山ジャパン/六川亨の日本サッカーの歩み

日本代表の俊足FW浅野拓磨が5月2日、自身のブログでパルチザン・ベオグラード(セルビアリーグ1部)との契約を解除したことを発表した。その理由として、たび重なる給料の未払いと、それに対する不誠実な対応を挙げた。 浅野は16年に広島からアーセナルへ完全移籍し、16-18年はシュツットガルト、18-19年はハノーファーに期限付き移籍。そして19年8月にパルチザンに完全移籍した。 今シーズンはここまで33試合に出場して18ゴールと、ヨーロッパ1部リーグで日本人最多となる得点を決めていて、記録更新が期待されていただけに残念でもある。それでも今シーズンの活躍で注目度が上がったのは確かだろう。このため契約解除がスムーズに進めば5大リーグへの移籍も可能かもしれない。 そのパルチザンだが、旧ユーゴではレッドスター・ベオグラードと並ぶ名門チームである。国内のタイトルではユーゴスラビアリーグ優勝11回、ユーゴスラビア/セルビア・モンテネグロリーグ優勝8回、セルビアリーグ優勝8回を誇っている(リーグ名の変遷からも複雑な国家であることが分かる)。 そんなパルチザンが91年7月に来日して、大宮サッカー場(現NACK5スタジアム大宮)では1-1、三ツ沢球技場(現ニッパツ三ツ沢)では1-0で日本を下している。 当時のパンフレットによると、オーディオ・ビジュアル機器メーカーのアイワ(aiwa)がパルチザンの胸スポンサーだったことから「日本 ユーゴスラビア親善サッカー」として開催されたことが紹介されている。 前年に開催されたイタリアW杯で、ユーゴは準々決勝でマラドーナ率いるアルゼンチンにPK戦で負けたものの、“ピクシー(妖精)”ストイコビッチが注目を集めただけに、タイミングとしてはマッチしていたのかもしれない(残念ながらストイコビッチはレッドスター所属)。 イタリアW杯でユーゴを率い、パルチザンでも監督として来日したのがイビチャ・オシム氏だったことを知ったのは、彼が日本代表の監督に就任してからだった。それよりも驚いたのは、ユーゴ大使館で開催されたパーティーだった。 ホールでの駐日ユーゴスラビア大使の挨拶が終わると、選手は急いで別室に用意されていたバイキング形式の食堂に駆け込み、タバコを吸いながらビールやワインを飲んでいる。紫煙で食堂がかすむほど、選手は一斉にタバコを吸っていた。 「プロなのに(厳密に言うと社会主義連邦共和国である旧ユーゴにプロは存在しないが、似たようなものだと思っていた)昼間からアルコールを飲んでタバコを吸っていいのか」と訝しんだものだ。 当時の記録によると、大宮での観衆は9500人、三ツ沢が1万人となっているが、正式にカウントしたのではなく、目分量で「だいたい、こんなところだろう」と記録係が決めた可能性が高い。それだけ注目度も低かったということだ。 当時の日本代表は横山ジャパンの時代で、日本国籍を取得したラモス瑠偉とブラジルから帰国した三浦知良が加わり、さらに大学生だった森山泰行(順天堂大)、礒貝洋光(東海大)らを抜擢するなど若返りを図っていた。 しかしこの2試合後、7月27日に長崎県諫早市で開催された日韓定期戦で0-1と敗退。その後のバルセロナ五輪アジア最終予選でもU-23日本代表は6チーム中5位に終わり、横山監督は更迭された。 93年に始まるJリーグを控え、続々と選手がプロ契約を結んでいくなかで、監督だけがアマチュアのボランティアでは限界があると、当時の川淵三郎技術委員長は考えていたのも当然である。 そして翌年の3月にハンス・オフト監督と契約するまで、9カ月近くも日本代表の活動は一切ないという異常事態(92年5月のキリンカップがオフト監督の初陣)だったが、当時はそれを誰もおかしいとは思わなかったこと自体、異常だったと言える。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.05.03 21:30 Mon
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カズがルヴァン杯で最年長出場記録を更新/六川亨の日本サッカー見聞録

ルヴァンカップのグループステージ8試合が28日に行われ、横浜FCの三浦知良(カズ)が54歳2カ月2日の最年長出場記録を更新した。 とはいっても、それほど大きな話題にならなかったのは、横浜FCが2-0とリードした後半45分からの出場だったからだろう。カズ自身の衰えぬ現役へのこだわりと、そのための厳しい修練には頭の下がる思いだが、それでも“引退のタイミング”を逃してしまった印象を拭えないのは私だけだろうか。 カズが横浜FCに加入したのは2005年のことだった。東京プリンスホテルで開催された入団会見で、「サントスでプロデビューし、イタリアのジェノアや神戸でプレーし、不思議と港町のクラブに縁があります」と話したことをいまでも覚えている。 この05年はカズにとってもクラブにとってもターニングポイントだった。学校や病院の給食、企業の社内食堂を展開するLEOCが筆頭株主になり、カズだけでなく山口素弘、望月重良ら元日本代表を補強。監督には元JAPANサッカーカレッジの足達勇輔を招聘した。 ところが翌06年3月4日のJ2リーグ開幕戦で愛媛に0-1で敗れると、足達監督はわずか1試合で解任される。これはいまでも最短記録である。そして後任にはコーチだった高木琢也が就任した。 高木監督は第2節から第18節まで15戦無敗(9勝6分け)などの記録で勝点を積み上げ、念願のJ2リーグ優勝とJ1昇格を勝ち取った。初めてのJ1リーグ開幕戦はアウェーの浦和戦。埼玉スタジアムでの試合は、この年から加入した“ドラゴン”こと久保竜彦の超ロングシュートで一時は1-1の同点に追いついたが、浦和の永井雄一郎に決勝点を決められた。 そして高木監督は8月の横浜ダービーで1-8と大敗後に解任され、チームも最下位に終わりJ2へと降格した。 その後、チームの指揮官はジュリオ・レアル、都並敏史、樋口靖洋、岸野晴之、山口素弘、ミロシュ・ルス、中田仁司、タヴァレス、下平隆宏と9人が務め、今シーズン途中で成績不振から下平監督は解任され、ユースチーム監督の早川知伸が指揮を執ることになった。 この間、カズは一選手として黙々とトレーニングに励み、出場に向けて準備をするだけだった。10年前は両親や叔父さんなどが試合観戦によく訪れたものの、近年はその回数もだいぶ減った。 LEOCのグループ会社の代表取締役社長である小野寺氏はカズの大ファンのため、「何歳になってもカズに引退を勧めることはない」とか、「カズを試合に起用しない監督は解任される」といった憶測も流布されているが、それはカズに失礼な話だろう。 いつ訪れるかわからない出場機会に備えてトレーニングを積むことほど、精神的に苦しいことはないと思うからだ。それでもカズが引退を決意するとしたら、それはゴールを決めた時ではないだろうか。ストライカーの矜持として、J1リーグでのゴールでサッカー人生を締めくくる。ダンスを踊るかどうかは別にして、その瞬間に立ち会いたいと思うのは私だけではないだろう。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.04.29 19:25 Thu
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ESL構想はあっけなく崩壊/六川亨の日本サッカー見聞録

「大山鳴動して鼠一匹」ではないが、欧州スーパーリーグ(ESL)構想はたったの1~2日で崩壊したようだ。 イングランド・プレミアリーグのアーセナル、チェルシー、リバプール、マンチェスター・シティ、マンチェスター・ユナイテッド、トッテナムの6クラブ、スペインのレアル・マドリー、バルセロナ、アトレティコ・マドリーの3クラブ、そしてセリエAのユベントス、インテル、ミランの3クラブが参加して創設される予定だったESL。しかし創設の発表直後からUEFA(欧州サッカー連盟)とFIFA(国際サッカー連盟)はもちろんのこと、各国FA(協会や連盟)と各クラブの監督や選手、著名なOB選手、ファン・サポーター、さらにイングランドでは政界も巻き込んでの大ブーイングが起こった。 その結果、イングランドの6クラブは早々にESLからの離脱を表明。そしてインテルとミラン、アトレティコも6クラブに続き撤退を表明している。 このESL構想、過去にも何度か創設が噂に上ったものの、いずれも消滅してきた歴史がある。例えは古いが詐欺の口実に使われる「M資金(第二次世界大戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領下の日本で接収した財産などを基に、現在も極秘に運用されていると噂される秘密資金)」のようなものだ。 古くは1998年頃からESLの構想はあった。「強豪同士の試合を増やせばスタジアムは満杯になる」というビッグクラブのオーナーの発想で、それは今も変らない。そこでUEFAは各国のカップ戦の勝者が戦うカップ・ウィナーズ・カップを廃止して、CL(チャンピオンズ・リーグ)の出場チームを24から32に増やし、イングランドやイタリア、スペイン、ドイツといった実績のある国には出場権を4クラブに増やした。 次に創設が噂されたのは2010年のこと。今回と同様にレアルのフロレンティーノ・ペレス会長が創設を訴えた。彼曰く、「The best always play the best」(強豪は、いつも強豪と戦う)と、CLから脱退して欧州4大リーグの上位チームによる欧州スーパーリーグ構想をぶち上げた。 しかしこの時も具体的な参加チームなどが発表されるわけではなく(クラブからの参加の意思表示はなく)、ペレス会長のかけ声倒れに終わった。 そんなESL構想が、今回は12クラブが参加を表明したのは、ひとえにコロナ禍の影響に他ならないだろう。Jリーグは制限があるとはいえ有観客で試合を開催しているが、ヨーロッパの主要リーグはいまなお無観客だ。このため入場料収入はもちろんのこと、飲食やレプリカユニホームなどの物販からの収入もない。 にもかかわらず、選手とスタッフには賃金を払い、試合運営のための経費もかかる。昨年10月、バルセロナは約250億円の減収により、最終的に約120億円の赤字になったとAFP(フランス通信社)が報じていた。おそらく他のビッグクラブも似たような財政事情だろうし、現状では放映権料の引き上げ交渉も難しいだろう。 そのためのESL構想だったが、今回はファン・サポーターが「NO」の意思表示をしたことで、クラブも考えを改めざるをえなかったのではないだろうか。なぜなら彼を抜きにクラブの存続はありえないからだ。これはこれで、サッカー界にとって健全なリアクションではないだろうか。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.04.23 20:35 Fri
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