寝耳に大洪水のFIFAの思惑/六川亨の日本サッカーの歩み

2020.12.30 22:00 Wed
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今年も残すところあと2日になったが、クリスマスの25日にはとんでもないニュースが飛び込んできた。FIFA(国際サッカー連盟)は来年5~6月にインドネシアで開催予定のU-20W杯と、10月にペルーで開催予定だったU-17W杯の2大会の中止を決定した。両大会とも2年延期し、23年にそれぞれの国で改めて開催する予定だという。


この一報を聞いたJFA(日本サッカー協会)の反町技術委員長は、同日14時から急きょリモートによる会見を開いた。

両大会の中止を聞いた瞬間は「正直な話、とんでもないクリスマスプレゼント」と受け止め、U-19日本代表候補がキャンプ中でもあるため、「寝耳に大洪水」だったと表現した。

今年の流行語大賞は新型コロナによる「3密」に決定したが、もしも新型コロナの影響がなく、もう少し早く「寝耳に大洪水」が発せられていれば、流行語大賞の候補になったのではないかと思ってしまう。

それだけ“反町語録"として残したい名言だし、その半分くらいの発信力が森保監督にあればとも思うが、こればかりはキャラクターだけに無理強いはできないだろう。

イギリスでは新型コロナの変異ウィルスが確認され、日本も海外からの帰国者が感染していることが28日に判明した。感染拡大は新たなフェーズに入ったかもしれないが、情報は圧倒的に不足している。

そうした中でFIFAがU-20とU-17のW杯を中止したのは当然の措置とも言える。

ただ、穿った見方をすれば、両大会ともFIFAの持ち出しによる赤字の大会だから、簡単に中止を決定できたとも推測できる。その一方で、来年2月と間近に迫ったクラブW杯については一向に中止のアナウンスが聞こえてこない。恐らくは簡単に中止できない諸事情がFIFAにはあるのだろうと勘ぐりたくなる。

今年は新型コロナにより、Jリーグは過密日程ながらも全試合を実施できた。一方ルヴァン杯は大会方式を変更しながらも、なんとか決勝までこぎ着けた。天皇杯も大幅な変更を余儀なくされつつ、J1勢同士による100回記念の決勝を残すのみとなった。いずれも関係者の努力の賜物と言っていい。

と同時に、これらに共通するのは放映権であり大会スポンサーとの契約などである。契約事項に守秘義務があるため詳細が明かされることはないが、試合や大会を“実施しなければ"違約金が生じてしまう可能性がある。それは日本だけでなくAFC(アジアサッカー連盟)も同じだろう。だからこそACLの形式を簡略化し、辞退するチームが出ても決勝戦を開催せざるを得なかった。

FIFAとしては、コンフェデレーションズカップがなくなったぶん、2月のクラブW杯で1年9ヶ月後のW杯のシミュレーションをしたいのだろう。なぜならFIFAの役員と世界各国から集められたW杯組織委員会のメンバーが一堂に会する機会は、これが最初で最後になりかねないからだ。

と同時に、新型コロナの変異ウィルスの感染拡大の危機がありながら、それでも来年2月にFIFA主催の国際大会を開催することに、逆にFIFAの焦りを感じてしまう。クラブW杯は将来的に24チームに拡大する予定だが、そのために中国企業とどのようなスポンサー契約を交わしているのか。気になるのは私だけだろうか。

反町技術委員長は、国際大会こそ中止になったもののアジア選手権、W杯のアジア予選が中止になったとAFCから連絡はないので、そのための強化を粛々と進めるという。FIFAがW杯を中止するくらいだから、AFCも同じ判断を下す可能性が高いだろう。それでも技術委員長としては「強化の歩みをストップさせてはいけない」と準備を進めるしかない。

同じことは今後U-15日本代表にも当てはまるだろうし、W杯アジア2次予選にも影響が及ぶかもしれないが、現状は先がまったく読めない状況だ。

個人的な意見としては、日本代表(女子も含め)からアンダーカテゴリーまで、韓国や中国、オーストラリアなど近隣諸国とのテストマッチの回数を増やしてはどうだろう。いずれもアジア予選では日本に立ち塞がるライバルだし、コロナの影響を避けながらマッチメイクすることも可能だと思う。

改めて近隣のライバルと切磋琢磨する絶好の機会と思うのだが、いかがだろうか。
【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた

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これが育成ヴェルディの成果。15歳MFがJ2リーグ最年少デビューを飾る/六川亨の日本サッカーの歩み

コロナ禍での開幕となる2021年シーズンのJリーグが2月26日にスタートした。観客は5000人以下で、ビジターの観戦は自粛という条件つきではあるが、まずは無事にJ1とJ2リーグの全21試合を開催できた。 王者の川崎Fは盤石の戦いで横浜FMを2-0と一蹴。というよりもケガ人が多く、システムを3-4-3に変更した横浜FMは自滅に近かった。 意外だったのは浦和の完成度の高さである。リカルド・ロドリゲス氏は監督に就任して2ヶ月だというのに、攻守に意思の疎通が図られ、FC東京に一度もファストブレイクを許さなかった。専門誌の順位予想でも総合で8位というランクだが、開幕戦で鹿島をアウェーながら3-1と下した清水と同様、ダークホースになる可能性を感じさせた。 もっともFC東京は昨年11月末のACL上海申花戦で、悪質なタックルから負傷したディエゴ・オリベイラは本調子からほど遠く、レアンドロとアダイウトンのブラジル勢も合流が遅れたためコンディションが上がっていないようだ。 そして28日の日曜は東京V対愛媛戦を取材した。昨シーズン活躍したボランチの藤田譲瑠チマは徳島へ、サイドMF井上潮音は神戸へ移籍したため東京Vも多少は苦戦するかと予想した。すると予想通り、DFラインからパスをつないでビルドアップを試みるが、愛媛の前からのプレスにミドルサードでボールを失うことが多かった。 藤田のようにプレスを受けてもそれをかわし、タメを作れる選手がいない。それでもベテランの小池純輝が個人技で2点を奪って勝利を決定づけた(トータル3-0)が、それ以上に驚いたのはこの試合でJ2出場が3試合目となる17歳のサイドアタッカー阿野真拓のスピーディーなドリブル突破だ。 身長は158センチしかないが、それを豊富な運動量でカバーし、90分間フル出場でチームの勝利に貢献した。憧れの選手はメッシで、藤吉コーチからは名前の真拓(まひろ)をもじって「マッシ」と命名されたそうだ。メッシのようにゴールを量産できるドリブラーになれるかどうか、今後の成長が楽しみである。 そしてサプライズはさらに続いた。3-0とリードを広げると、永井秀樹監督は15歳の橋本陸斗をピッチに送り込んだ。2種登録されたのが2日前の26日ということだから、選手名鑑に載っていないのは当然のこと。 15歳10ヶ月26日でのJ2デビューは史上最年少だ。J1からJ3の最年少デビューでも15歳5ヶ月1日の久保建英(FC東京U-23でJ3リーグ)、15歳10ヶ月6日の森本貴幸(東京VでJ1リーグ)に次ぐ3番目の若さである。 永井監督は「期待通りというか、楽しみながらいいプレーを見せてくれた」と11分の出場に合格点を与えた。当の橋本は「感動しました」と素直に喜びを語りながらも、「自分は交代で入ったのでスプリントしようと思っていました」と自分の役割をしっかりと認識。 交代出場した2分後には右サイドを突破した小池から絶好のクロスが来たものの、「足を伸ばしたけど届きませんでした」と初ゴールを逃してしまった。 久保もそうだったが、橋本もこれからが成長期。現在の身長は168センチだが、父親はバングラデシュ人、母親は日本人で「身体能力とかスピードとかは自分が練習してやったことではなくハーフが関係していると思います」というように、潜在能力の高さもある。 それでも「プロの世界はトラップがズレたら飛ばされる。世界では15歳で、トップトップでやっている選手がいるので、自分も結果を残していかないといけないと思います」と自身のやるべきことを自覚している。 当然、次はJ初ゴールを期待されるだろう。楽しみな逸材がまた1人増えた今シーズンのJリーグである。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.03.02 19:30 Tue
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INAC神戸の監督に星川氏が復帰/六川亨の日本サッカーの歩み

ネットでサッカーの記事を検索していたら、スポーツ紙が9月に開幕するサッカー女子プロリーグ「WEリーグ」への参入が決まっているINAC神戸がゲルト・エンゲルス監督の契約終了を発表。後任には元監督の星川敬監督(44歳)を招聘したことを報じていた。 WEリーグに関しては、なでしこリーグの女王である浦和が森栄次氏を監督から総監督にして、楠瀬直木監督との2頭体制になったり、雪辱を期す東京ヴェルディ日テレ・ベレーザは現監督の永田雅人氏(47歳)がS級ライセンスを持っていないため、GMの竹本一彦氏(65歳)を監督に迎え、永田氏はヘッドコーチとしてチームを指導するなどチーム作りに関する話題が豊富だ。 マイナビ仙台は日テレ・ベレーザやINAC神戸で指揮を執ったベテランの松田岳夫氏(59歳)を監督に招聘。ちふれASエルフェン埼玉は、現役時代は日本女子代表として活躍した半田悦子氏を、長らく指導してきた常葉大橘高から抜擢した。 FC十文字を母体とする大宮は、「なでしこジャパン」前監督で11年W杯ドイツ大会優勝の佐々木則夫氏(62歳)が総監督に就任。監督には大宮育成普及本部長の岡本武行氏(53歳)を迎え、コーチに元なでしこジャパンFWの大野忍氏が就任したと報じていた。 そこで星川監督である。同氏は日テレ・ベレーザの監督として09年になでしこリーグと皇后杯に優勝。翌10年はINAC神戸の監督に就任すると、ここでも皇后杯に優勝した。そして11年は澤穂希、大野忍、近賀ゆかりらの獲得に成功し、なでしこリーグと皇后杯の2冠を達成。さらに12年は両タイトルでの連覇に加え日韓女子チャンピオンシップも制して3冠を達成した。 ところが星川監督は数々のタイトルを獲得したにもかかわらず、12年12月にINAC神戸の監督を辞めヨーロッパに渡ってしまった。星川監督とは親しい間柄ではないが、何度か味の素フィールド西が丘で話を聞いたことがある。その時に印象に残っていた言葉が、「いくらリーグで結果を出しても、代表の監督にはなれません」という一言だった。 確かに彼が指摘した通り、歴代のなでしこジャパンの監督はリーグ戦の結果とは無関係だ。 1990年代以降でも、鈴木保氏(89~96年)は加茂周氏が日産(現横浜FM)の監督時代にコーチとして支え、その後は日産の監督も務めたが、日産FCレディースの監督としてはLリーグで6チーム中4位、10チームでも4位が最高の成績だった。 唯一の例外は宮内聡氏(97~99年)で、帝京高校時代に選手権で優勝を飾り、古河(現ジェフ千葉)でもリーグ優勝とアジアクラブ選手権優勝に貢献。日本代表としても守備的MFとして活躍した。93年から97年まで指導したプリマハムFCくノ一ではLリーグでチームを初優勝に導く。そして昨シーズンからはちふれASエルフェン埼玉の代表取締役会長に就任した。 宮内氏に続くのが上田栄治氏(02~04年)で、現役時代はフジタ工業(現湘南)のFWとして活躍し、リーグ優勝3回、天皇杯優勝2回を誇る。現役引退後はJFA(日本サッカー協会)のナショナルトレセンコーチや技術委員などを歴任し、06年には女子委員長も務めた。 異色なのが上田氏に代わって監督を務めた大橋浩司氏(04~07年)だろう。中学の教師をしながらJFAのS級ライセンスを取得し、01年からJFAの専属指導者になる。なでしこジャパンの監督として06年のアジア大会で準優勝して北京五輪の出場権を獲得すると、07年の女子W杯にも出場した。 大橋氏からバトンを受けた佐々木則夫氏(08~16年)については説明も不要だろう。帝京高校でインターハイ優勝、選手権3位となり、明大を経てNTT関東(現大宮)でプレー。33歳で現役引退後は大宮の監督や強化普及部長などを務め、06年からなでしこジャパンのコーチとU―20女子代表の監督を務め、ドイツW杯優勝とロンドン五輪で銀メダルの成果を残した。 そして現在の高倉麻子監督は、現役時代は読売ベレーザで数々のタイトルを獲得し、指導者としてS級ライセンスを取得後はU-17日本女子代表の監督としてW杯初優勝などの成績を収めてAFCの女子年間最優秀監督賞を7回も受賞した。 日本初の外国人監督となったハンス・オフト氏以降、日本人の代表監督は誰もがJクラブで実績を残した。加茂周氏は日産でリーグと天皇杯、横浜フリューゲルスで天皇杯に優勝、岡田武史氏はリーグ連覇、西野朗氏は柏でナビスコ杯、G大阪で3冠獲得、森保一氏はリーグ優勝3回といった具合だ。 ところがなでしこジャパンの監督は、監督になるための基準や目安がこれまでは曖昧だった印象が強い。リーグで結果を残すよりも、上田氏や大橋氏のようにJFAの仕事をした指導者が優先されると指摘されても仕方ないだろう。 しかしそれも、WEリーグの誕生で変わるかもしれない。資格の関係で女性監督はまだまだ少ないが、それが増えることで代表監督もリーグで結果を残した監督が就任するようになるかもしれない。あるいは男性監督かもしれないし、能力があれば外国人監督だっていい。いまはまだ先行き不透明なWEリーグだが、9月にはどんな成長を遂げているのか。プロになった選手たちの声を聞くのが楽しみでならない。 <hr><div id="cws_ad">【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.02.24 17:30 Wed
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海外組のFW陣は復調するか/六川亨の日本サッカーの歩み

昨夜14日は21時からプレミアリーグのサウサンプトン対ウルブス戦、22時からはラ・リーガのヘタフェ対レアル・ソシエダ戦をDAZNで観戦した。サウサンプトンの南野拓実はホーム初スタメンとなる序盤こそ左MFの位置で攻撃に絡み、10分には惜しい左足シュートを放ったが、時間の経過とともに次第に画面からフェードアウトする。 ドリブルで仕掛けるシーンは皆無で、パスが来ても無理せずリターンすることが多く、見ていてフラストレーションばかりが募った。試合はイングスの鮮やかなボレーで先制したサウサンプトンだったが、51分にPKから同点にされると、南野は62分に交代を余儀なくされる。そしてチームは66分に逆転ゴールを許して逆転負け。この結果6連敗で13位に後退した。 一方ヘタフェの久保建英は、前節のレアル・マドリー戦同様アレーニャとともにベンチスタート。チームは30分に左クロスから失点すると、ホセ・ボルダラス監督は58分に久保とアレーニャを同時投入したもののスコアを動かすことはできず、4試合連続ノーゴールの3連敗とこちらも泥沼にはまっている。 久保は交代直後の66分に右FKからゴールを狙ったが、ニア上狙いのシュートは低い弾道のため壁にブロックされてしまう。このシーン以外は、ヘタフェがロングボールを多用したため空中戦の競り合いと、こぼれ球に両チームの選手が殺到する肉弾戦となり、久保とアレーニャを起用した効果はほとんどなかった。 もしもこの2試合をFC東京のファン・サポーターが見ていたら、きっと「シュート打て!」と叫んでいたことだろう。 この2人に限らず、ブレーメンの大迫勇也は13日のフライブルク戦に80分から登場したものの見せ場を作ることはできなかった。 ほんの1年ほど前は、東京五輪のOA(オーバーエイジ)枠で1トップの絶対的候補にあげられていた大迫だが、今シーズン聞こえてくるのはネガティブな報道ばかり。 彼らだけでなく、海外でプレーする攻撃的なポジションの日本人選手は、押し並べて評価が低い。かろうじて鈴木優磨(シント=トロイデン)と伊東純也(ヘンク)が1月は結果を残したが、代表クラスの選手はほとんど国外でプレーしているベルギーリーグでの活躍のため、割り引いて考えるのは酷な仕打ちだろうか。 逆に評価を高めているのがセリエAとブンデスリーガの2人だ。冨安健洋(ボローニャ)と吉田麻也(サンプドリア)は試合結果にかかわらず高評価を得ている。同じくシュツットガルトの遠藤航も評価を高めた昨シーズンだったし、それは今シーズンも変わらない。さらに試合を重ねるたびにメディアも驚いているのが長谷部誠(フランクフルト)だ。 本人は代表からの引退を表明しているものの、リベロもしくはボランチとして必要なら代表に再招集すべきではないだろうか(FC東京の森重真人の左右両足の正確なフィードも代表の武器になると思っている)。 今週末の20日はゼロックス・スーパーカップが開催され、来週26日にはJ1リーグの開幕でシーズンインを迎える。そして3月は、25日にW杯アジア2次予選のミャンマー戦、30日はモンゴル戦が控えている。 新型コロナの影響次第だが、2月12日現在の外務省ホームページはドイツ、スペイン、フランス、ベルギー、ポルトガルが日本からの入国を禁止している。イタリアとUAEは入国に際し条件付きか行動制限が課されている。 コロナ規制の緩和状況にもよるが、大迫、久保、南野、そしてアル・アイン(UAE)でデビューした中島翔哉らはコンディションと同時に、チームの所在地の条例により再入国に厳しい制限があるのなら招集を断念し、3月の代表戦の攻撃陣は国内組で編成しなければならないかもしれない。 そこで問題は、国内組でどんな攻撃陣を組めるかということになる。こちらは過去の実績に加え、今シーズンの活躍次第ということになるだろう。候補としては川崎Fの小林悠、家長昭博、三笘薫、横浜FMの前田大然、鹿島の上田綺世といったところか。それとも意外なニューカマーが出現するか。ここらあたりに注目して見るのも面白いのではないだろうか。 <hr><div id="cws_ad">【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.02.16 12:15 Tue
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小異を捨てて大同に就く今シーズンのJ/六川亨の日本サッカーの歩み

Jリーグは昨日8日、午前中に今年2回目となるNPB(日本野球機構)との対策連絡会議を、午後からは実行委員会を開催した。 10都府県の緊急事態宣言の延長によりJリーグはガイドラインを改定。政府方針に従い大規模イベントの観客の上限は5000人、20時以降の外出自粛に伴いナイトゲームのキックオフ時間は18時以前とし、ビジター席の設置は都道府県の状況に応じて個別に対応することなどが発表された。 そうした状況でJリーグもNPBも、現在頭を痛めているのが「外国人問題」だ。 NPBの斉藤コミッショナーは「外国人の入国が早まらないとチームを構成できない。入国しても2週間の待機がある。この課題についてNPBも会議し、Jリーグと一緒に(政府に)提言したい」としながらも、「国民と医療機関が納得しないと政府も動けないだろう」とその難しさを話していた。 この「外国人問題」を複雑にしているのが、すでにJリーグでプレー経験や指導経験があり、在留資格のある外国人と、新規の外国人で差があることだ。前者は自宅などで2週間の待機後は活動を許されるが、緊急事態宣言により新規の外国人は入国が一切認められていない。 村井チェアマンも「新規の外国人はエビデンスがないのでこれからの問題」と頭を悩ませている。 実際のところ、選手23人、監督やコーチなどのスタッフ6人、その家族24人の計53人が入国できないでいる。さらに新規入国に際し、ビザの発給を待っている外国人もいて、こちらはJリーグも「人数を把握できていない」という状況だ。 徳島は、チームをJ1リーグに導き今シーズンから浦和の監督に就任したリカルド・ロドリゲス監督の後任として、スペイン人のダニエル・ポヤトス監督とマルセル・コーチを新たに招聘したものの、来日の目処が立っていない。 このまま緊急事態宣言が3月まで延長されれば、徳島は2月27日の開幕戦(アウェーの大分戦)を指揮官不在で戦わざるをえなくなる。 今シーズンのJ1リーグに関して、FC東京の長谷川監督は次のように話した。 「降格のない昨シーズンは、どのチームも自チームの良さを出す戦いをしてきた。しかし今シーズンは4チームが落ちるので、終盤戦だけでなく序盤戦から難しい戦いになると思う。どのチームも勝点1にこだわる戦いをしてくるだろうし、自陣にブロックを作って守りを固めてくることが予想され、得失点差も関係するのでスタートを大事にしたい」 そう話しつつ、FC東京はジョアン・オマリに代わる新外国人CBブルーノ・ウヴィニを獲得したものの来日は未定のため、メディカルチェックができず正式契約に至っていない。そうした選手は他のチームにもいて、同じような状況に置かれているだろう。 こうした不公平感も含め、8日の理事会について村井チェアマンは「昨年は先を見通せず、混乱・混迷のスタートだった。今年は覚悟を決めていて、ピリッとしている。タフなシーズンになるし、公平不公平はこれからもある。小異を捨てて大同に就く(意見の違いがあっても大勢が支持する意見に従う)。そんな感じでした」と振り返った。 今シーズンのJリーグは昇格と降格を復活させた。このためシビアに結果を出さざるをえないことから、例えば13名以上の選手を確保できず、代替日程をセットできないチームは「見なし開催」として0-3の敗退にすることを決めた。これも「小異を捨てて大同に就く」ことの1つだろう。 コロナ禍が今後どうなるのか。そしてワクチンの接種はいつ始まるのか。不確定な要素も多々あるが、昨年1年間のエビデンス(医学的根拠)をベースにしつつ、今年も「走りながら考える」しかないのが実情だ。 それでもJリーグは26日に開幕し、有観客で試合をできるのは大きな進歩と言えるだろう。 <hr><div id="cws_ad">【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.02.09 21:25 Tue
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ゼロックス杯の変遷と日本サッカーの歩み/六川亨の日本サッカーの歩み

シーズンの到来を告げる毎年恒例の「富士ゼロックス スーパーカップ2021」の記者発表が2月1日に開催された。今年もJ1リーグ開幕の約1週間前の20日13時35分より、埼玉スタジアムでキックオフとなる。過去の直近3大会はリーグ戦と天皇杯の覇者が異なったため新鮮味があったが、川崎FとG大阪のファン・サポーターには申し訳ないが、今年は両チームの対戦にちょっと食傷気味の感がある。 そんな両チームのファン・サポーターにとって気になるチケット販売だが、2月1日現在で詳細は発表されていない。首都圏に出されている緊急事態宣言がいつまで延長されるかにより、有観客にするか無観客にするか、有観客にするなら5000人以下にするなどの状況を見ているのだろう。(2日に3月7日まで延長となることが政府から発表) 他に気になったのは、冠スポンサーである富士ゼロックスが、4月から「富士フィルムビジネスイノベーション」に社名を変更することだ。これに伴い大会名称も変更になる予定だが、来年以降もスポンサーを継続するのかどうか。こちらは新型コロナの影響も予想されるだけに、軽々に判断することはできないだろう。 会見では、同一企業で長期に渡り「スーパーカップ」のスポンサーを務めたことで、ギネス記録と認定されて、ギネスワールドレコーズの授与式も行われた。1994年にスタートして実に27年間、J1リーグの年間王者と天皇杯覇者の対決を支援してきた。 ギネス認定といえば、1992年にスタートしたヤマザキナビスコカップ(2016年よりルヴァンカップに名称変更)も、同一スポンサーによる最長の「カップ戦」として2012年にギネス記録に認定されている。 同じカップ戦だが、わかりやすく整理すると「スーパーカップ」はタイトルホルダー2チームによる一発勝負で、「カップ戦」の方はJ1リーグに参加するチームによるトーナメントの争いで、「リーグカップ」と認識すればいい。 歴史的な背景として、「リーグカップ」の前身は1973年にスタートしたJSL(日本サッカーリーグ)カップだった。当時のJSLに所属する1部と2部のチームによるトーナメント戦で、現在のルヴァン杯と形式は同じだ。こちらは91年まで16回ほど開催され、Jリーグ誕生の前年に当たる92年に「ヤマザキナビスコカップ」としてリニューアルされ、現在まで続いている。 それに比べてややこしいのが「スーパーカップ」である。誕生したのはJSL時代の1977年で、当時はスポンサー企業の冠大会ではなく、ただ単に「スーパーカップ」と呼ばれていた。大会は現在と同じくリーグ戦(JSL)の優勝チームと天皇杯覇者の対戦で、84年まで8回開催された。 この大会と同時期に誕生したのが、海外から有名チームを招いて日本代表と対戦する「ゼロックス・スーパーサッカー」だった。77年はペレのいるニューヨーク・コスモス、78年はヨハン・クライフ率いるワシントン・ディプロマッツ、82年はディエゴ・マラドーナが全盛時代だったボカ・ジュニアーズ(マラドーナはその後も同大会で南米選抜とナポリでも来日)といった具合に世界のスーパースターが来日。そして90年のバイエルン・ミュンヘンを最後に大会は自然消滅した。 そしてJリーグ開幕前の92年、JSLと天皇杯、JSLカップ、そしてコニカカップ(JSL第3の公式大会として90年と91年の2回だけ開催)の優勝4チームによる「ゼロックス・チャンピオンズ・カップ」が1回限りの大会として開催された。 その後、Jリーグが誕生した翌年の94年、改めてリーグ王者と天皇杯覇者が激突する「ゼロックス・スーパーカップ」が誕生し、2009年からは「富士ゼロックス スーパーカップ」として今日まで続いてきた。 70年代末から90年まで続いた「ゼロックス・スーパーサッカー」は、同時期に誕生したジャパンカップ(キリンカップ)に比べ、招待チームが1チームのため来日するチームも豪華だった印象がある(トヨタカップは別格として)。 両大会とも目的は日本代表の強化だったが、ファンのお目当ては来日するスター選手のプレーだった(日本代表が弱かったせいもある)。しかし93年のJリーグ誕生と日本サッカーのレベルアップに伴い、キリンカップも国際Aマッチの大会にグレードアップした。 こうして振り返るとキリン、ヤマザキビスケット、富士ゼロックスの3社は暗黒の時代から日本サッカーをサポートし、代表の強化とファンに娯楽を提供するため魅力的なチームの招聘に尽力してきた。 今回は個人的に、ゼロックスサッカー(カップ)の変遷の記憶が曖昧なため、整理する意味でその足跡を簡単に辿った次第である。正直な印象として、「よく途中で大会が途切れなかったな」と思わずにいられなかった。 4月には社名が変わり、それに伴う人材の異動もあるだろう。新型コロナもいつ収束するかわからないが、同社には来年も大会を継続して欲しいと願わずにはいられない。 <hr><div id="cws_ad">【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.02.02 20:40 Tue
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