オランダ遠征で吉田の変化を発見/六川亨の日本サッカー見聞録

2020.10.16 15:00 Fri
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10月15日、来年秋にスタートする女子のプロリーグ、通称「WEリーグ」の参加11チームが決定した。最高責任者である岡島チェアによると、当初は手を上げた17チームに対し、「8チームから10チームくらいでいこう」と選考委員会で決めていたものの、最終的に「財政基盤を重視した」結果、次の11チームに決定した。マイナビ仙台レディース、浦和レッドダイヤモンズレディース、大宮アルディージャ、ちふれASエルフェン埼玉、ジェフユナイテッド市原・千葉レディース、日テレ・東京ヴェルディベレーザ、ノシマステラ神奈川相模あら、AC長野パルセイロ・レディース、アルビレックス新潟レディース、INAC神戸レオネッサ、サンフレッチェ広島F.Cの11チームだ。

ちふれASエルフェン埼玉と長野パルセイロ・レディースはなでしこリーグ2部からの挑戦で、これまで女子チームを持っていない大宮は2部のFC十文字がチームの母体になり、広島は1からのチーム作りとなる。

岡島チェアは成否のカギとして、常時5000人の集客とFIFAランクで日本より上のレベルの国からの選手獲得をあげた。さらに5000人に関しても、現状は男性客がメインだが、今後は将来の女子サッカーを担う小中学生ら「黄色い声でスタジアムがいっぱいになること」を理想に掲げた。

そのため土日は子供たちの練習や試合と重なり観戦できない現状を改善するために、指導者とコミュニケーションを取りながら、WEリーグの試合を土曜のナイターや金曜開催にするプランなどを明かした。

かつて30年以上前、JSL(日本サッカーリーグ)も同じ悩みを抱えたことがある。小中学生の足をいかにしてスタジアムに向かわせるか。一時は小学生以下を無料にしたものの、子供たちは集まったが、単にスタジアムを遊び場所にして飛び回っているため辞めることにした。

日曜は仕方ないとしても、土曜は練習や試合を止めてJリーグを見に来て欲しい──そうJリーグの初代チェアマンである川淵氏も苦慮したものだ。集客の1つのキーワードとして「地域密着」が上げられるものの、初年度の参加チームは首都圏と地方の大都市という顔ぶれだけにこちらも苦戦が予想される。

とはいえ走り出しただけに、その成功を祈りつつ、暖かく見守りたいと思っている。

といったところで話は変わり、オランダでの親善試合で日本は植田の代表初ゴールでコートジボワールを下した。森保ジャパンがアフリカ勢と対戦するのは今回が初めてだが、2試合とも完封にキャプテンの吉田も「僕の記憶にないし、非常にコンディションのいい相手だった。この無失点をこれからも続けていきたい」と意気込みを語った。

この2試合連続しての無失点で一番の驚きは、実は吉田のプレーだった。これまでの吉田というと、勢いをつけて片足ジャンプヘッドでクリアしようとしてかぶり、相手に裏を取られたり、インターセプトを狙ってアタックしたはいいが、これもかわされて裏をとられて独走を許したりと、あまりいい印象はなかった。

アグレッシブなプレーだからこそリスクと隣り合わせは承知している。それでも強く印象に残っているのは、やはり失点に結びついたからかもしれない。

しかしカメルーン戦とコートジボワール戦の吉田は、4バックでも3バックでも常に冷静沈着だった。サイドの選手が抜かれそうになればすかさずカバーに回るなど、「力の抜けた」さりげないプレーでDF陣を支えていた。

驚かされたのは、コートジボワール戦では浮き球をヘッドで強くヒットするのではなく、上半身を反らすようにして力を抜き、柔らかいパスを味方に落としたプレーだ。解説者の戸田氏も褒めていたが、DFが単にヘッドでクリアするか、それを味方につなぐかで、その後の展開は天と地ほども変わる。全盛時をちょっと過ぎた頃の中澤佑二や田中マルクス闘莉王が得意としたプレーでもあった。

こうした変化について吉田自身はサウサンプトンからサンプドリアへの移籍を口にした。

彼いわく「運動量や強度がイングランドの方が圧倒的にあるけど、ゴール前の質はイタリアの方が鋭い。イブラヒモビッチやロナウドのようなベテランは、試合ではほとんど動かないのに1チャンスをモノする集中力と決定力がある。彼らを止めるためにゴール前でしっかりブロックすることが仕事です」と自身のプレーの変化を語った。

確かに、イングランドのCBは伝統的に屈強だがプレーは正直だ。アンフェアなプレーを嫌う「ジョンブル魂」が今も息づいているのかもしれない。そして対してイタリアのDFは、「色々なタイプがいる」と述べるにとどめておこう。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた
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メキシコ戦も代わり映えのしない選手交代/六川亨の日本サッカー見聞録

J1リーグは川崎Fが優勝に王手をかけ、ACLに出場する3チームはドーハへと旅立った。試合はCS放送でしか見られないが、それも仕方ないだろう。 FIFA(国際サッカー連盟)はクラブW杯を来年2月1日から11日にかけて開催するらしい。スポンサーやテレビ放映権の契約などから開催しないわけにはいかないのだろう。一方AFC(アジアサッカー連盟)は、来年2月のACLプレーオフを実施しないと発表したばかり。お互い契約にがんじがらめになっているのかもしれないが、この足並みの悪さはなんとかしてほしいものだ。 そして日本代表である。メキシコに0-2と敗れたことで、森保監督に対する風当たりもだいぶ強くなっている。もしも原口のミドルシュートと、鈴木がGKと1対1のチャンスを確実に決めていれば2-2のドローだったかもしれない。あるいは、左足のキックにはいつも不安がつきまとうものの、シュートブロックに定評のある権田のような活躍をシュミット・ダニエルがしていたら、2-0で勝っていたかもしれない。 そんなお気楽なことを書いているとお叱りを受けるかもしれないが、それだけ期待が高かっただけに、その反動として森保監督に批判が集中したのだろう。 前半のメキシコにはつけいる隙が十分にあった。情報不足(日本はパナマ戦からスタメンを9人交代)からか、様子見のところもあった。しかし前半で見切ると、マルティノ監督はハーフタイムに2人の選手交代とシステム変更で日本の攻撃に蓋をする。そして攻撃の選手2人を同時交代でゴールを狙いに行き(実際には交代直前にヒメネスが先制)、終盤は試合を締めにかかった。 特に難しいことをしたわけではない。セオリー通りの采配と言えるだろう。 そして森保監督である。柴崎(橋本)と鈴木(南野)の交代が予定通りだったのかどうかは不明だが、その後に切った交代カードも効果的かと問われれば首をひねらざるをえない。例えが悪いのは十分承知しているつもりだが、どこを切っても同じ顔の「金太郎飴」よろしく、あまり代わり映えしないのだ。 パナマ戦後のことである。森保監督は不慮のケガやアクシデントで選手を招集できなかったとしても、「誰とでも組める――を連係連動しながらトライして欲しい。理想を求めながら、理想通りにいかなくてもその中でいかに勝っていくか」をテーマに掲げた。 こうしたチーム作りは、特に攻撃陣は似たようなタイプの選手が揃う危険をはらんでいる。 例えば理想論として、攻撃的な布陣を組んだ時は1トップに大迫、2列目は左に中島、トップ下に南野(鎌田)を配置したとする。右は堂安なのか久保なのか、はたまた三好らテクニシャンタイプか、伊東、浅野、あるいは永井のようなスピード系を起用したとする。要はそのとき好調な選手だ。選手が変わればプレースタイルも変わるが、それでも攻撃のバリエーションに大きな変化は生じない。 森保監督の采配はワンパターンと言われるが、そうした選手を揃えているのだから変化が起きようがない。これがクラブチームだったら、主力選手のコンビネーションを熟成させる時間もたっぷりあったことだろう。しかし代表チームにそうした余裕はない。 メキシコ戦で森保監督は6枚の交代カードのうち5枚しか切らなかった。正確には「切れなかった」と言うべきだろう。5枚目の三好にしても、何を彼に期待したのか意図を感じ取れなかった。 この試合を「ロストフの悲劇」に例えるメディアもあったが、それは大げさというもの。単なるテストマッチだし、相手の格も違う。それでも教訓としたいのは、劣勢のベルギーがフェライニという長身FWを投入したことだ。古くは06年ドイツW杯初戦のオーストラリアも、日本にリードを許すとケーヒルという飛び道具を使って逆転に成功した。 洋の東西を問わず、いつの時代も劣勢で残り時間が少なくなったら空中戦に活路を見いだすのがセオリーだ。しかし森保ジャパンは地上戦しかできない弱点がある。長身FWがいたとしても「ドメスティックな選手」と諦めているのかテストすらしていない。ここらあたり、日本人の特性を理解している日本人監督ゆえの弊害かもしれない。 となると、やはり“劇薬"を使えるのは外国人監督ということになるのだろうか。あるいは過去にもあったように、外国人選手に日本国籍を取得してもらうしか方法はないのだろうか。 もう1つ、「ロストフの悲劇」を忘れないのはいいが、その前にアジア最終予選を勝ち抜かなくてはカタールに行けない。19年のアジア杯はトルクメニスタン、オマーン、ウズベク、サウジ、ベトナムといずれも1点差の薄氷を踏む勝利で、サウジ戦などはワンサイドで押し込まれた。そして決勝でもカタールに1-3の完敗だ。まずは足下を見つめ直す意味でも、来年のテストマッチは中東勢との対戦を増やして欲しい。 <div id="cws_ad"><hr>【文・六川亨】</br>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.11.19 19:30 Thu
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様々な問題はらむ1月4日のルヴァン杯決勝/六川亨の日本サッカー見聞録

今週もまたいろいろな出来事があったが、まずはルヴァン杯決勝が1月4日に開催されることが決まった。12日の会見を簡単におさらいすると、柏にこれ以上クラスターが拡大しないと仮定して、自主隔離後に練習を再開できるのは11月18日になる。21日には鳥栖戦が控えていてベストメンバーで臨めない可能性もあるが、この点について村井チェアマンは「14名で戦うことを納得している」と柏も了解済みであることを説明した。 このため柏はルヴァン杯決勝の開催時期に関して特に問題はない。 難しいのがACLに出場するFC東京だった。もしも12月19日の決勝までドーハに滞在すると、「20日に帰国予定」(FC東京の大金社長)とはいえ2週間の隔離となると、練習再開は1月3日になる。その間、例えば決められた選手だけによる合同練習と自宅隔離の措置を関係各所に働きかけるそうだが、認められるかどうか見通しは立っていない。 長谷川監督も「今年中にやってもらえればよかったが、1月4日に決まったので、粛々とやるしかない」と腹をくくっているようだ。 いずれにせよ以上の理由から最短で開催できるのは1月4日と決まった。そして早めに決定してアナウンスしたのは、すでに完売している2万4千人の観客が「宙ぶらりんになり、12月下旬まで引っ張れない」という村井チェアマンの判断からだった。大金社長自身、FC東京のファン・サポーターから「1月4日はスケジュールの都合で観戦に行けない」と言われたという。 それもそうだろう。サッカーファンにとって新年の1週間は高校選手権の季節でもあるが、1月4日は月曜で、俗にいう「仕事始め」の日だ。普通のサラリーマンなら出社するのが当たり前でもある(リモートによる仕事始めもあるかもしれないが)。このためチケットの払い戻し手続きなどを考慮して早めの決定となった。 と、ここまでは日程の話。次に問題になるのが戦力、外国人選手の出場の可否についてだ。現時点でFC東京のレアンドロは1月1日までの契約となっている。いわずと知れた天皇杯決勝までの契約である。そして他の外国人選手も同様の契約となっているケースが多いし、それはJSL(日本サッカーリーグ)時代も同じだった。 日本に居住しているとなると、日本に税金を払わないといけない。そしてブラジルでも税金を二重に取られる可能性がある。そこで日本に居住していないことにするには、連続した滞在期間を11か月以下にする必要がある。このためほとんどの外国人選手はシーズンが終了(天皇杯で勝ち上がった場合を除き)すると同時に母国へ帰る。 帰ったはいいが、それっきり音信不通で、リオのカーニバルで遊んでいたりして、いつ来日するか不明のブラジル人選手が過去にはいたこともある。あるいはかなりの体重オーバーで帰国する選手も多かった。 両チームの攻撃陣には得点源となるアタッカーが多いだけに、彼らが抜けると大幅な戦力ダウンとなる。大金社長は「選手と話すのはこれからですが、ベストを尽くしてハードルを越えたい」という思いは柏の瀧川社長も同じ気持ちだろう。 もしもルヴァン杯の決勝に外国人選手が出場すれば、当然帰国が遅れたぶん来日も遅れる。シーズオフ後は2週間のオフィシャルレストデーが義務付けられているが、大金社長は「1月4日に戦う選手にはプラス4~5週(の準備期間が)ないと厳しい」と本音を漏らす。 とはいえ来年のJ1リーグは2チーム増で、さらに五輪のため過密日程になるのは明白だ。加えて味の素スタジアムは五輪会場のため、FC東京にはアウェーの連戦が追い打ちをかける。ルヴァン杯と天皇杯の決勝に進出したチームは、来シーズンの序盤は厳しい戦いを強いられることになるかもしれない。 そして13日には日本がパナマと対戦し、南野のPKによる1点を守って1-0の勝利を収めた。こちらの試合に関しては、前半はシステム以前の問題として“頭”が働いていなかった。このため動き出しが遅く、パスコースを作れないため、パナマのプレスにボールを失っては攻め込まれる展開が続いた。もう少し気の利いた相手なら2点は食らっていただろう。 そんな試合で睡魔を吹き飛ばしてくれたのが遠藤と鎌田の2人だった。まだ1試合だけ、それも格下のパナマ相手とあって2人を高く評価するのは早計だが、森保ジャパンの中心選手としてターニングポイントになる11月のオーストリア遠征――かもしれないとだけ言っておこう。 <div id="cws_ad"><hr>【文・六川亨】</br>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.11.15 13:00 Sun
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ベテランの活躍も目立つ今シーズン/六川亨の日本サッカーの歩み

11月8日のJ1リーグでは、いわゆる“ベテラン"と呼ばれる選手の活躍が目立った。ニッパツ三ツ沢での横浜FC対神戸戦(2-1)では、後半42分にカズ(三浦知良)が交代出場して自身が持つJ1最年長出場記録を53歳8か月13日に更新した。 そしてピッチでは、スタメン出場のイニエスタ(36歳)との競演が実現。プレー時間こそ短かったが、試合後は肩を組んで会話するシーンを観られた三ツ沢のファンは幸せだったに違いない。 一方、仙台で行われた仙台対鳥栖戦(0-3)では、後半34分に“鳥栖の"梁勇基がユアスタでのデビュー戦を飾った。仙台一筋に16シーズンを過ごした梁勇基も、もう38歳。いつユニホームを脱いでもおかしくなかったが、鳥栖に新天地を求め、初めて帰還した古巣でのプレー後は選手・サポーターから暖かく迎えられた。 仙台ではレジェンドだった梁勇基だが、北朝鮮代表ではついにW杯出場の夢はかなわなかった。東アジア選手権などでは新潟、名古屋、大宮などで活躍した安英学(42歳)とともにチームの主力として活躍。試合後のミックスゾーンでも2人は直立不動の姿勢で記者からの質問に、ていねいに答えていたのが印象的だった。 その安英学は鄭大世(36歳。清水)とともに10年南アW杯に出場した。そして同じ南アでの大会でW杯デビューを飾ったのがGK川島だった。 日本代表は現在テストマッチのため、海外組がオーストリアのグラーツに集結している。9日はすでにグラーツ入りした川島と浅野がリモートでの会見に臨んだ。そこで川島は、記者から「グラーツは南アW杯の前にレギュラーとなった場所」と教えられても、「それは全然覚えていなかったです。あの時はどこの街でやるかとか、どのスタジアムでやるかとかを考える余裕はなくて、まったく記憶になかった」と驚いていた。 ここで当時の状況を簡単に説明しておこう。川島が初めて日本代表に招集されたのは川崎F時代の06年3月のキリンチャレンジ杯だった。監督はイビチャ・オシム氏で、彼の指導を受けたのも現チームでは川島1人だけとなった。 しかしGKには川口と楢崎という巨大な壁があり、川島にはなかなか出番が回ってこなかった。07年にベトナムなど東南アジア4カ国で開催されたアジア杯でも出番はなし。初めてキャリを積んだのは08年2月の東アジア選手権(現EAFF E-1選手権)だった。 オシム監督から岡田監督になってもGK3人の顔ぶれに変わりはなく、南アW杯最終メンバーは川口(116試合出場)、楢崎(同75試合)、川島(同8試合)の3人が選出された。ただ、川口は相次ぐ負傷によりブランクがあり、岡田監督はチームのまとめ役としてキャプテンを託すなど、第3GKとしての選出であり、川口自身もそれを受け入れての4度目のW杯参加だった。 このため第1GKは楢崎と思われた。ところが高地トレーニングとしてスイスのサースフェー入りした4日後の5月30日、オーストリア・グラーツへ移動してのイングランド戦では川島がスタメンに抜擢された。 日本は開始6分に田中マルクス闘莉王のゴールで先制すると、後半8分にはランパードのPKをGK川島がストップ。その後も川島はルーニーの決定的なシュートをCKに逃げるなど堂々としたプレーを見せたが、イングランドのサイドからのライナー性のクロスに田中マルクス闘莉王と中澤が相次いでOGを献上して逆転負けを喫した。 しかし川島は続くコートジボワールとのテストマッチ(0-2)と、W杯では全4試合にスタメンで出場し、日本のベスト16進出に貢献した。その後もW杯は14年ブラジル、18年ロシアと3大会連続出場し、11試合出場は長友、長谷部と並んで最多出場記録である。 24歳の時に代表へ初招集された川島も、いまでは37歳と立派なベテランだ。 グラーツには、当時も今もオシム氏が住んでいる。森保監督も機会があれば会って話を聞きたいと楽しみにしているし、川島も「(フランスから)ここに来る時に考えていたのは、イングランド戦ではなくオシムさんのことでした。試合に出させてもらうことはなかったですが、色んな意味で大きなことを考えさせられ、刺激をくれた人でした」と再会を熱望している。 かつてオシム氏は「ベテラン」という言葉を嫌った。「私のチームにベテランはいません。ベテランとは戦争から帰ってきた者に使う言葉であり(本来は退役軍人や老兵のことを指す。熟練者を意味するベテランは和製英語で、日本でしか通用しない)、サッカーは戦争ではありません。まだプレーできる選手の集まりです」とのことだ。 川島を始め、梁勇基もイニエスタも、そしてカズも「まだプレーできる選手」に変わりはないということである。 <div id="cws_ad"><hr>【文・六川亨】</br>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.11.10 18:25 Tue
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柏にクラスター発生で日程の大幅調整が必要か?/六川亨の日本サッカー見聞録

「一難去ってまた一難」ではないが、Jリーグが予期せぬ危機に直面している。ルヴァン杯決勝を4日後に控えた11月3日、柏にクラスターが発生した。すでに報道されたように、選手4名、コーチングスタッフ11名の計15名がPCR検査の結果、陽性だったことが判明した。 ネルシーニョ監督と濃厚接触したあるスタッフは39度以上の発熱で入院したそうだ。さらに柏保健所のヒアリングの結果、中止となった仙台戦から柏へ戻る際にバスに同乗していた選手、スタッフに加え、スタジアムに隣接するスタッフルームを使用していたスタッフやクラブハウス、グラウンドでの接触などから選手21名、トップチームのスタッフ8名の計29名が濃厚接触者と判定されたという。 これ以上、感染が広がらないことと、感染した選手・スタッフが重症化しないことを願うばかりである。そして気になるのは、延期・中止となったルヴァン杯の決勝だけではない。濃厚接触者の拡大でリーグ戦も消化できるのかどうか先行きは不透明だ。 8月にクラスターの発生した鳥栖は、15日間の活動停止後も、すぐに公式戦を戦うのはコンディション的に難しいとの判断から9日間の練習期間を与えられた。これを柏に当てはめ24日後とすると、11月28~29日の第30節となる(ただし柏は試合なし)。 その後は土曜、土曜、水曜、土曜の日程で4試合が控えているが、問題は活動停止期間中の仙台、大分、鳥栖、鹿島の4試合をどこに組み込むかだ。12月19日(土曜)の最終戦は決まっている。その前の土曜(12日と5日)も試合があり、16日(水曜)も埋まっている。このため空き日は12月2日と9日の水曜となるが、それでも2試合が浮いてしまう計算になる。 1つの考え方として、コロナ禍の今シーズンはJ2リーグへの降格がないことと、リーグ戦は75%を消化できれば成立するというレギュレーションだ。すでにJ1リーグは10月31日で75%をクリアしている。このため柏と対戦相手2チームは今シーズンを33試合で終了するというプランだ。 仙台(18位)、鳥栖(15位)、大分(12位)の3チームは、例年ならまだ降格ゾーンにいるものの、今シーズンは降格がないため救済される。問題になるのは、柏(9位)と鹿島(5位)にはリーグ優勝の可能性こそないものの、天皇杯とACLの出場権を獲得できる2位以内の可能性があることだ。 この不公平を解消するためには、再開日を1節前倒しして25日の鹿島戦(第29節)からスタートし、予備日の28~29日にも試合を組み込むことだ。これならどのチームも残り試合を消化できる。ただし柏は中2~3日での8連戦というハードな日程を受け入れざるをえない。 とりあえず、リーグ戦の日程はこれで確保できたとしよう。問題はルヴァン杯決勝である。 もしもFC東京がACLのラウンド16(12月6日)か準々決勝(10日)で敗退したら、帰国後2週間ほどの自主隔離期間があったとしても、FC東京と柏が天皇杯に出場しなければという条件付きで12月26日(土曜)か30日(水曜)に開催は可能だ(新国立で開催するかどうかは別にして)。 厳しいのはACLで決勝まで勝ち進んだ場合である。帰国後に2週間の隔離期間を取るとすると、試合ができるのは早くても1月4日以降となる。ルヴァン杯(前ナビスコ杯)は単一スポンサーでのギネス最長記録を更新している大会だ。今シーズンも大会開催にあたり大会方式などのレギュレーション変更を快諾してくれた。このため村井チェアマンも、新シーズンの日程変更も視野に入れていると話すほどルヴァン杯決勝の開催には前向きである。 過去に例のないルヴァン杯決勝中止と延期。しかし、一度前例を作っておけば、次からは柔軟に対応できるメリットもある。個人的には、決勝戦だけは過去の例からも両チームのコレオグラファーなどで盛り上がるルヴァン杯決勝を、元旦の風物詩にしてもいいと思っている。そして天皇杯はアマチュアの最高峰の大会として、年末年始を避けて決勝を行えばJリーグ勢の負担も緩和されるだろう。もちろんACLの出場権はルヴァン杯の勝者に与えられることは言うまでもない。 <div id="cws_ad"><hr>【文・六川亨】</br>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.11.06 21:50 Fri
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新型コロナとカタールW杯の相関関係/六川亨の日本サッカー見聞録

28日はACLに出場するFC東京、横浜FM、神戸の3試合がナイトゲームで行われ、FC東京と横浜FMはそれぞれ柏と広島に1-3で完敗した。この結果、すでに横浜FMはリーグ連覇の可能性を断たれているが、現在勝点47で4位のFC東京も残り6試合を全勝したとしても勝点65どまり。すでに川崎Fは勝点65を稼いでいるため、31日の第25節、直接対決の“多摩川クラシコ”で引き分けた瞬間にFC東京のリーグ初優勝も潰える。 逆転優勝の可能性があるのは2位のG大阪と3位のC大阪だが、それも川崎Fが残り10試合で5勝すれば消滅してしまう。もはや現実問題として川崎Fの優勝は疑いようがなく、J1リーグの興味は天皇杯と来シーズンのACLの出場権を獲得する2~3位争いに絞られたと言ってもいいだろう(もしも残留争いがあれば、こちらは8位の柏以下11チームによる熾烈な争いとなる)。 そして、なかなか詳細のはっきりしなかったACLも日程が決まった。本来ならホーム&アウェーが原則だが、今シーズンは変則的に中立地での集中開催で、グループステージの残り試合は11月24日から12月4日にかけて行われ、決勝戦は12月19日にドーハでイランのペルセポリスとの対戦が決まっている。 会場はいずれもカタールのドーハで、11年のアジアカップ決勝の舞台となったハリファ・インターナショナルスタジアムや、22年のW杯のために新設されたエデュケーションシティ・スタジアム、アルジャヌーブ・スタジアム(今回は準々決勝、準決勝、決勝で使用。4万人収容で、市内からはメトロでアクセスできるらしい)などで開催される。 すでに同大会の取材申請に関してリリースが出されているものの、現状カタール入国は特別な事情(人道的な理由など)を有する者が対象であり、48時間以内に発行された陰性証明書などが必要だと外務省のホームページには書かれている。試合はもちろん練習もどこまで取材が許可されるのか、日本代表のヨーロッパ遠征と同様に不透明な部分が多い。このためACLを取材する記者、カメラマンはテレビ局を除き皆無に近いだろう。 そしてACLの勝者が出場するクラブW杯に至っては、まだ正式な発表はないがJFA(日本サッカー協会)の田嶋会長、FIFA(国際サッカー連盟)のインファンティノ会長もオンライン会見で今年の開催は中止と発言していた。それもこのコロナ禍では当然のことだ。 05年に再スタートを切ったクラブW杯は、日本とモロッコ、そしてUAEの3カ国による“持ち回り開催”と言っても過言ではなかった。近年は17、18年に開催したUAEが招致に熱心だったが、19年と20年はカタールに決まった。それというのもコンフェデ杯が17年を最後に廃止になったからだった。 クラブW杯はFIFA主催の数少ない大会だった。しかし参加国が少ないため試合数も少なく、オセアニアのようにアマチュアチームも参加するなど国際大会としての体をなしていなかった。開催に手を上げるのもアジアかアフリカの国々に限られた。このため廃止は自然の流れと言えた。 FIFAは代替大会としてクラブW杯を21年から4年に1度の大会とし、24チームに増やすリニューアル案を持っていた。その第1回大会は来年6~7月、中国で開催される予定だった。そこで困ったのがカタールである。 コンフェデ杯そのものに権威はないに等しい。重要なのは大会がW杯開催国で、W杯の1年前に開催されることだった。プレW杯ということで、大会運営、選手・関係者のセキュリティ、輸送、通信・衛星環境、スポンサーヴィレッジ、ケータリング、ボランティア、観戦者を含めた宿泊施設などなど、あらゆることを想定したテストができる。 そうした絶好の機会がカタールW杯では失われたため、FIFAは強引に19年と20年のクラブW杯をテストイベントとしてカタールで開催することを決定した。そうしたシミュレーションの数々が、今回の新型コロナで吹っ飛んでしまったのである。 メディアやファンにとっても、これまでコンフェデ杯はW杯の“予行演習”だった。もしもクラブW杯が12月にカタールで開催されていれば、W杯で使用される8会場を取材したり、スタジアムへのアクセスやホテルのロケーションなどをチェックしたりと、やるべきことは多岐に渡ったはずだ。 来夏に中国で開催予定の新クラブW杯は東京五輪やEUROと重なるため中止の可能性が高い。それを強引に12月のカタールに持ってきてW杯のプレ大会にできるかどうか。FIFAの“力業”がいまから見物である(予選が開催されることが前提になるが)。 <div id="cws_ad"><hr>【文・六川亨】</br>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.10.31 11:30 Sat
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