J1過密日程を改めて考える/六川亨の日本サッカー見聞録

2020.09.18 10:30 Fri
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J1リーグは16日に4試合を行い、2位のC大阪はFW都倉が神戸GK前川の顔面をヒットする“勇み足"で一発退場になったものの、柿谷のヘッドによる1点を守りきって首位・川崎Fとの勝点差5をキープした。神戸GK前川の父親は元日本代表で、広島や大分で活躍した前川和也氏である(日本が初優勝した92年のアジア杯準決勝の中国戦で交代出場し、トンネルで失点したプレーはいまも忘れられない)。


前川だけでなく、9日の第15節、FC東京対横浜FC戦では、横浜FCのボランチ安永がJ1デビューを飾った。彼の父・聡太郞氏は95年に横浜Mのリーグ優勝や、99年の清水のセカンドステージ優勝に貢献したFWである。こうした二世選手の活躍は、今後も増えることだろう。

ところで、C大阪対神戸戦はJ1リーグ第25節、FC東京対大分戦(2-3)と横浜FM対清水戦(3-0)は第24節、そして鳥栖対札幌戦(0-2)は第12節だったことをご存じだろうか。

鳥栖対札幌戦が第12節だったのは、鳥栖に新型コロナのクラスターが発生したため4試合が延期されたからだった。残りの3試合は、いずれも横浜FM、FC東京、神戸の3チームがACLに出場しているからだ。

そのACLだが、いま現在も東地区のグループステージがどこの都市で開催されるのか詳細は決まっていない。9月11日にはFC東京の長谷川監督が、質疑応答で「正式にJリーグから(日程変更などの)通達は来ていない。JFA(日本サッカー協会)からもきちんと来たわけではないので、なんとも言えない。正式に決まったら話をしたい」と、現状では対処しようのないお手上げ状態であることを明かした。

ACLの日程変更に関してJリーグの担当者は、「新しい日程だとJリーグの最終節とACLの決勝がかぶる(12月19日)。出場3チームと折衝中だが、Jリーグの最終節を後ろ倒しするのは天皇杯があって難しい」と答えていた。

彼の言う通り、12月20日の日曜日は天皇杯5回戦の2試合が、23日の水曜日には準々決勝2試合が組まれている。今年の天皇杯は変則スタイルで行われ、Jリーグ勢は23日の準々決勝にJ2とJ3の1位が出場し、J1の2チームは27日(日曜日)の準決勝から登場する。

Jリーグ勢が19日のACL決勝に出場したら、20日に最終節を移すことはできない。そこで23日に移すことは物理的に可能だ。実際、9月16日はJ1の4試合とJ2の1試合に加え、天皇杯の1回戦16試合も開催された。しかし、いくら可能とはいえJ1リーグの最終節と天皇杯の準々決勝を同日開催することは、常識的に考えても回避すべきだろう。

となるとJ1リーグの日程を前倒しするしか方法はない。現状では毎週末にリーグ戦が組まれていて、空いているのは水曜しかない。それも限られていて、10月は21日と28日、11月は11日と18日、そして12月は2日と9日だ。

恐らくJリーグはコロナの影響や自然災害などを想定して予備日を取っていたのだろう。これらに加えて「金J」を復活させるのか。

一番簡単な解決方法は、AFC(アジアサッカー連盟)が、「今シーズンのACLは中止になりました」と一言アナウンスすることだ。そうすれば、ACLのスポンサーと放映権を持っているテレビ局、そして代理店以外は諸手を挙げて喜ぶに違いない。

最後に、連戦における選手起用で監督はどんな苦労をしているのか。FC東京の長谷川監督のコメントを紹介しよう。

「基本的に3試合、4試合連チャンで出るとパフォーマンスは顕著に落ちてくる。2試合で落ちる選手もいる。そこらへんをトラッキングシステムで把握し、顔色を見ながら、普段の仕事(サッカー)を見ながら判断したり、ドクターやスタッフと話したりしながら判断している。ちょっとしたシグナルをどうキャッチするかが大事になる。選手は、誰もが(試合に)出たがるので、聞けば誰もが『大丈夫です』と言う。19連戦の、次(第16節の神戸戦)は9連戦目(2-2)でやっと半分。さらにACLを入れれば連戦が増えてくる。全試合フル出場は不可能なこと。どこかで見切りながら使うしかない」

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた
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クリアソン新宿のホームスタジアムはどこになるのか?/六川亨の日本サッカー見聞録

Jリーグは2月25日、今年初となる第1回の理事会を開催し、「Jリーグ100年構想クラブ」として新たにクリアソン新宿(関東リーグ1部)、鈴鹿ポイントゲッターズ(JFL)、ヴェルスパ大分(JFL)の3クラブを認定した。 これにより「Jリーグ100年構想クラブ」は、すでに認定されているラインメール青森(JFL)、いわきFC(JFL)、栃木シティFC(関東リーグ1部)、VONDS市原(関東リーグ1部)、南葛SC(関東リーグ2部)、ヴィアティン三重(JFL)、F.C.大阪(JFL)、奈良クラブ(JFL)とあわせて11クラブとなった。 クリアソン新宿というチームを知らない読者も多いかもしれないが、昨年12月には日本経済新聞に取り上げられ、つい最近もスポーツ紙がチームを紹介していた。新宿区をホームタウンとして将来のJリーグ入りを目指しているチームである。 Jリーグは93年の発足以来、23区をホームタウンにするチームはなかった。当時は東京都をホームタウンにすることに川淵チェアマンが大反対をした。それもそうだろう。黄金時代を迎えていた読売クラブ(後のヴェルディ川崎。現東京V)を筆頭に、東京都に本社のある三菱(浦和)、古河(後の市原。現千葉)、日立(柏)も東京都をホームタウンにしたかったからだ。 そこで東京都だけはホームタウンから外れてJリーグはスタートした。そして98年にFC東京が東京ガスからチーム名を変更し、東京都をホームタウンにしたものの、メインの活動は味の素スタジアムがある調布市や練習グラウンドのある小平市だった。さらに01年にはヴェルディがホームタウンを東京へ移すことが認められ現在のチーム名に至った。 ただし東京Vもホームタウンは東京都で、スクールは都内23区で活動しているものの、厳密な意味でホームタウンはどこかと聞かれると答に窮してしまう。それでもあえて言うなら、FC東京と同様に練習グラウンドとクラブハウスのある東京都稲城市がホームということになるのだろうか。 その東京Vが、一時期は23区の練馬区にスタジアムを建設してホームタウンにするという噂があった。昨年で営業を終えたレジャーランドの豊島園の再開発で、防災の拠点にもなるライフラインの整ったスタジアムを建設するというプランだった。そのための署名活動をサッカー仲間に手伝ってもらって集めたものだ。 しかし旗振り役だった区長の退任によりこのプランは雲散霧消した。 そしてクリアソン新宿である。新宿をホームタウンにするからには、ホームスタジアムも新宿区ということになるだろう。しかし、その候補地があるかどうか疑問だ。以前、東京都リーグや練習試合で区内の落合中央公園、西早稲田中学、西戸山公園、同多目的広場などで試合をしたことがあるが、いずれも正規のサッカーグラウンドを確保するには難しいスペースだった。ましてスタンド設置など不可能に近い。 となると候補地は新宿区以外となるが、既存の味の素フィールド西が丘はJ1基準ではないし、すでに東京Vや以前はFC東京U-23がJ3リーグでホームとして使っていた。駒沢陸上競技場は病院が隣接しているためナイター使用ができず、同じくFC東京と東京Vがホームとして使っている。 夢の島競技場は江東区を準ホームにするFC東京が慣例的に使ってきたし、江戸川陸上競技場はすでに東京23FC(関東1部)がホームとして使用している。葛飾区がスタジアムの新設計画があると聞くが、当然ここは南葛飾SCのホームになるだろう。 こうして改めて考えると、「Jリーグ100年構想」の学校の芝生化は着々と進んでいるが、芝生のスタジアム建設はそう簡単ではないことが分かる。 個人的には板橋区出身のため、23区をホームにするクラブの誕生を心待ちにしている。そしてホームタウンは地域限定になればなるほど、地元ファンにとっては愛着が沸くと思っている。 今回、クリアソン新宿と同時に「Jリーグ100年構想クラブ」に認定されたヴェルスパ大分は、チーム名こそ「大分」だがホームタウンは別府市と由布市だ。チーム名の一部にスパとあることからもわかるように「温泉」がキーワードとなっている。 コロナ禍で観光地はどこも苦労していると思うが、こうした地域密着の理念は大いに歓迎したい。 <hr><div id="cws_ad">【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.02.27 13:40 Sat
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今季の判定基準とVARに期待すること/六川亨の日本サッカー見聞録

JFA(日本サッカー協会)は2月16日、今年最初となるレフェリングの判定基準(スタンダード)とVARの説明会を開催した。これは今シーズンのJリーグの判定基準を紹介するもので、ルールに変更があった場合は適用される時期も含めて把握しておかなければならない重要なブリーフィングだ。 結論から言うと、特に新たな変更点はなかった。脳しんとうにより交代した選手は再出場できないことはJリーグで決定しているものの、グラスルーツのレベルではJFAの理事会での承認を経てからの決定となる。 そして司会役の元国際主審の扇谷マネジャーは以下の4つのプレーについて留意点を強調した。 (1)コンタクトプレーについては昨シーズン同様、レフェリーは選手が倒れたからといって簡単に笛を吹かずノーファウルとする。 (2)昨年7月に改正された通り、守備側の選手がスライディングで倒れた際に、攻撃側の選手のクロスが手に当たったとしても、守備側の選手の手は体を支えるためハンドとならない。ただし、その手が横や縦に伸びていたらハンドとなる。 このジャッジに関してオブザーバーで会議に参加した松尾主審は「ボールが手のどこに当たったか、どういう風に当たったのか判断は難しい」と、ペナルティーエリア内ではPKに直結するだけに、ジャッジの難しさを話した。 (3)オフサイドでは、直接ボールに触れなくても、インパクト(妨害)するプレー、GKを惑わすようなプレーはオフサイドであることが確認され、具体例としてクラブW杯決勝のバイエルン・ミュンヘンのレバンドフスキのプレーが指摘された。 (4)著しく不正な、一発レッドに相当するプレーは、ファウルを受けた選手のチームが1タッチでゴールできるなど得点に結びつく可能性があればアドバンテージを取るが、そうでなければ攻撃側のアドバンテージは取らず、プレーを止めて不正を行った選手を即座に退場処分にする。 これは、アドバンテージによるプレー続行で、ファウルを犯した選手が万が一にも得点したり、さらなるカードに値するプレーをしたりした場合など余計なリスクを背負うことになるからだ。本来なら退場にする選手が新たなアクションに関与してしまうことを避けるためである。 ただ、不正なプレーがイエローの場合は、主審の判断により攻撃側のアドバンテージをとることは認められる。 そして最後に、昨シーズンは第1節で終わったVARの説明が行われ、「どこまで戻ることができるか」についてのレクチャーがあった。VARらはスタジアム外のコンテナ内などで映像を見ながら、プレーをチェックしている。J1リーグでは12台のカメラが映像をとらえ、1プレーにつき3~4台のカメラでチェックしているそうだ。 そこであるチームがボールを奪い、攻撃をスタートさせるとVARは「APPスタート」と言って映像をチェックする。このAPPとはVARのタグ付けを意味し、「事象に関して最後の攻撃の起点にタグ付け」することだという。 そう言われてもピンとこない読者も多いのではないだろうか。そこでヒントになるのが昨年のACL準決勝、蔚山現代対神戸戦である。 試合は52分に右CKから山口蛍のゴールで神戸が先制した。さらに75分、MF安井拓也のボール奪取から神戸はカウンターを仕掛け、最後はMF佐々木大樹が押し込んで追加点を奪ったかに見えたが、VARによるオンフィールドレビューの結果、主審はゴールを取り消した。 安井がボールを奪った時点でAPPはスタートし、ゴールが決まったものの事象は安井まで戻された。そして安井のプレーが反則か反則ではないかのジャッジで、最初はノーファウルと判定した主審がオンフィールドレビューを見てジャッジを覆したため、神戸の追加点は取り消された。 このプレーに関しては昨年末のコラムでも書いた。安井のプレーが反則かどうか。これはもう主観の問題のため論議しても結論は出ないだろうし、主審がジャッジを下した以上、それを覆すことはできない(その後、蔚山の同点ゴールに副審はオフサイドのフラッグを上げたものの、VARでゴールが認められ、延長で神戸はPKからの失点で敗退)。 日本(Jリーグ)においてVARは、2019年にルヴァン杯(決勝トーナメント)などで試験的に採用され、リーグ戦では20年のJ1リーグから本格運用する予定でいた。しかしご存じのようにコロナ禍でリーグは延期され、VARも密になることなどから採用が見送られた。 このため今シーズンが実質的な本格運用となる。そこで気になるのが、「VARオンリーレビュー」と「オンフィールドレビュー(OFR)」の違いだ。 両者の違いについてJFAのHPには、 「VARオンリーレビュー(VARの助言だけ)」→オフサイドポジションでいたかどうか? ボールが手にあたったかどうか? という、映像から事実として確認できる事象に対して使用する。 それに対して 「オンフィールドレビュー(OFR。主審が映像を確認する)」→選手同士がどの程度の強さで接触したのか? ボールが腕にあたったが意図的であったか? また、その腕を用いて自身の体を不自然に大きくしたか? という、主観的な判断が必要となる事象に対して使用する。 とある。前者は明らかな事実を確認できるため、確認中に映像がスタジアム内のオーロラビジョンに流されることはない。それに対して後者はファン・サポーターも映像を確認できるものの、あくまで最終決定権は主審にある。 この「主観的な判断」が正しいのかどうか。これこそが一番難しい判断ではないだろうか。VARの本格導入により、例えばゴール後の歓喜のシーンにタイムラグが生じるかもしれないし、VAR判定を求めるファン・サポーターのブーイングが起きるかもしれない。それは選手も同じだろう。 VAR元年となる今シーズンのJ1リーグ。これはこれで楽しみでもある。 <hr><div id="cws_ad">【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.02.20 13:30 Sat
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モンゴル戦の変更で思い出すホームゲームの変更/六川亨の日本サッカー見聞録

JFA(日本サッカー協会)は2月9日に技術委員会を開き、3月30日に予定されているW杯2次予選のモンゴル戦を、当初のウランバートルではなく日本で開催すると発表した。委員会後のブリーフィングで反町技術委員長が明かした。 反町技術委員長によると、「モンゴル政府の考え方として、6月末まで国内では国際試合ができない。鎖国状態で(コロナを)ブロックしているので、6月まで禁止している」状況だという。 そして「推測ですが」と断った上で、中立地の第3国での開催を模索したが、コロナ禍で代替地が見つからず、「最終的に日本でやりたい」という結論に落ち着いたようだ。 日時は3月30日の19時30分キックオフで、会場は千葉のフクダ電子アリーナ。試合は無観客で行われ、モンゴルのホームゲームとして開催される。 フクダ電子アリーナで開催される経緯について、反町技術委員長は「僕らが決めてはいないので理由は不明」としながらも、「コミュニケーションは取っている」ことから、成田空港に近いこと、都心より千葉県の方がホテル代も安いことを指摘した。 それに加えてスタジアムの使用料も抑えられ、スポーツトラック(来日した選手・スタッフは宿泊ホテル、練習場、試合会場以外は外出禁止)も遵守しやすいなどが推測できる。 3月25日には日産スタジアムでミャンマー戦も予定されているが、現在のミャンマーは軍部のクーデターにより非常事態宣言が出されている。これについて反町技術委員長は「コロナだけでなく政治的な事情に驚いていて難しい状況。あと1ヶ月しかないが連絡は取れている。情報と状況は得ている」と説明しつつ、試合を開催できるかどうかに関しては「はっきり言えません」と言葉を濁した。 反町委員長ならずとも、頭を抱えたくなることの連続だ。対戦相手のホームゲームが日本で開催されるのは、たぶん初めての出来事ではないだろうか。 しかし、その逆は過去にもあった。1976年3月に開催されたモントリオール五輪予選だった。 最終予選に進出したのは日本と韓国、それに当時はAFC(アジアサッカー連盟)に所属していたイスラエルだった。 ここで簡単にイスラエルの歴史を紹介しよう。ユダヤ人国家としての独立は第二次世界大戦後の1948年だったが、パレスチナ人を支援するアラブ諸国とは独立当初から戦争状態にあった。 サッカーでは1956年にAFCに加盟し、70年メキシコW杯に初出場してベスト8に入る。しかし当時からアラブ諸国はイスラエルとの対戦を拒否したため、予選では東アジアやオセアニアに入ることが多かった。 そして1973年に第4次中東戦争が勃発し、イスラエルが占領地を拡大したためサウジを中心とするOPEC(石油輸出国機構)は原油の生産を制限した。世に言う「オイルショック」である。日本もその影響で、スーパーマーケットからティッシュペーパーやトイレットペーパーが買いだめのため姿を消した。 その後もイスラエルはパレスチナだけでなくヨルダン川西域を占領したため、アラブの過激派はテロ攻撃に出る。当時の日本には左翼の過激派として連合赤軍なども活動しており、アラブの過激派に同調したため、日本の警備当局と外務省は安全を保証できないとしてイスラエルの入国を認めなかった(74年に平壌4・25が来日して日本代表と対戦したときは、右翼の街宣車が国立競技場を周回したこともあった)。 この結果、日本はホームで韓国と対戦(0-2)したが、ホームゲームはこの1試合だけ。イスラエルとのホームゲームは韓国のソウルで行い(0-3)、アウェーゲームはテルアビブで1-4の大敗を喫した(アウェーの韓国戦は2-2)。 モントリオール五輪にはイスラエルが出場してベスト8に進出したが、イスラエルが国際舞台に出たのはこれが最後だった。それというのも1974年にAFCを除名になると、地域連盟未登録での予選参加を余儀なくされ、アジアやオセアニア地域で試合を重ねたものの、ボイコットが予想されるアラブ諸国とは一度も同じグループに入らなかった。 FIFA(国際サッカー連盟)にとってもイスラエルは扱いづらい“鬼っ子"だった。こうした問題は1992年にイスラエルがUEFA(欧州サッカー連盟)に加盟したことで解決した。以来、一度も予選を突破できずW杯とEUROには出場できていない。 当時のイスラエルにはシュピーグラーという名MFがいて、非常にエレガントなプレーをしていた記憶がある。ソ連出身で、代表での歴代最多ゴール(32)を誇り、パリSGやニューヨーク・コスモスでもプレーし、コスモスではペレとチームメイトだった。 サッカーが政治に翻弄された76年の出来事でありイスラエルの歴史だったが、まさか100年に一度という厄災(コロナ禍)と予期せぬクーデターでホームゲームが変更になるとは予想できなかった。 3月は無事に2試合を開催できるよう、コロナの収束を願わずにいられない。 <hr><div id="cws_ad">【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.02.12 15:00 Fri
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マンチェスター・ユナイテッドのユニ苦情で障害者への気づき/六川亨の日本サッカー見聞録

ちょっと前の出来事だが、1月17日のイングランド・プレミアリーグ、リバプール対マンチェスター・ユナイテッド戦のユニホームについてSNSに苦情が殺到した。それを毎日新聞の1月27日夕刊が一面で大々的に報じたことがあった。 苦情の内容は、リバプールがホームカラーである「赤」のユニホームを着用したのに対し、マンチェスター・Uはアウェーのユニホームとして「深緑」のユニホームを着用。これ自体は特に問題になるとは思われなかったが、色覚障害を持つ人々にとって「深緑」は「黒」に見え、同じく濃い色の「赤」と見分けがつきにくかったことが問題になった。 毎日新聞によると、国内では男性で20人に1人、女性で500人に1人、計約320万人以上に色覚障害があるという。そして冒頭の問題は14年のCL(チャンピオンズリーグ)でも発生し、プレミアリーグでは試合の10日前に対戦チームが着用するユニホームを提出し、色覚障害を持っていても識別できるかどうかをチェックしてきたそうだ。 今回も試合前に紛らわしいことが指摘されたものの、マンチェスター・Uがストッキングを「深緑」から「白」に変更することで許可されたという。しかし近年は「スマホなど小さな画面で試合を見るファンも増えているため、対応として不十分だった」との識者の声を掲載していた。 これらの記事を読んで思い出したのがテレビとサッカー(W杯)の関係である。 いまでこそサッカーボールはカラフルになり、大会ごとに違うデザインのボールが使われたり、W杯やCLではデザインが一新されたりするのは通例となった。それ以前のサッカーボールはというと、五角形と六角形の革を貼り合わせた「白黒」のサッカーボールを思い出すのではないだろうか。 日本が銅メダルを獲得した68年メキシコ五輪でも、ブラジルが3度目の優勝を果たした70年メキシコW杯でも、この「白黒」ボールが試合球として初めて使われた。 この「白黒」のボールが登場したのは60年代と言われている。それ以前は「白」一色のボールが一般的だった(さらにその前になると「茶色」一色で革紐がついていたそうだが、さすがにそのボールを蹴った経験はない)。 ではなぜ「白黒」のボールが登場したかというと、テレビの普及と無関係ではないらしい。当時のテレビはもちろんモノクロだ。このため「単色」だとテレビでは見にくいこと、「白黒」だと土のグラウンドでも見分けやすいこと、選手(特にGK)にとってはボールの回転がわかりやすいことなどの利点があって急速に普及した。 そしてユニホームについてだが、FIFA(国際サッカー連盟)は近年まで「色つきユニホーム」同士の対戦を認めていなかった。どちらかが「色つき」なら、対戦相手は基本的に「白」を着用しなければならなかった。 これは元FIFA会長のジョアン・アベランジェの戦略として、「発展途上国へのサッカーの普及」があったからだ。 日本は64年の東京五輪を契機にテレビのカラー化が進んだものの、一般の家庭に普及したのは70年代後半だった。しかしながらアフリカを始めとする発展途上国では80年代に入ってもカラーテレビの普及は進まず、まだまだモノクロのテレビでW杯を視聴する人々が多かった。 このため「赤」対「青」のユニホームの試合では、濃淡の差こそあるものの見分けがつきにくい。このためFIFAは長らく「色」対「白」のユニホームの着用を義務づけてきた。例えば06年ドイツW杯決勝は「青(イタリア)」対「白(フランス)」、3位決定戦は「白(ドイツ)」対「エンジ(ポルトガル)」、準決勝なら「白(フランス)」対「エンジ(ポルトガル)」、「青(イタリア)」対「白(ドイツ)」といった具合だ。 それが10年南アW杯決勝では「赤(スペイン)」対「オレンジ(オランダ)」、14年ブラジルW杯決勝は「白(ドイツ)」対「青(アルゼンチン)」、18年ロシアW杯決勝は「青(フランス)」対「白と赤のチェック(クロアチア)」と「色」対「色」の試合が許されるようになった。 その詳細な理由はわからないが、発展途上国では大がかりな工事が必要な固定電話よりもスマホの普及率が高いように、カラーテレビよりスマホやタブレットで試合を視聴するファンが多くなったからかもしれない。 しかし今回の件で色覚障害者に配慮する必要が指摘された。 Jリーグは今シーズンから、視認性に優れたユニバーサルデザインの書体と色彩による背番号と選手名を導入する。過去の例ではデザインを優先した背番号のため「2」と「7」、「11」と「17」など区別のつきにくい番号があったし、縞模様のユニホームにより背番号が見にくかったり、濃い色だと汗をかくことによってさらに濃くなり背番号を判別できなかったりすることが多かった。 それらを解消し、色覚障害者にも判別しやすいよう専門家からアドバイスを受けて視認性を確保するようだが、今回の変更は背番号と名前に限られ、ユニホームの「色」までは規定されていない。こちらはシーズンが始まってからでも構わないので、実際の試合から専門家にアドバイスをもらうなど色覚障害者への配慮もお願いしたい。 <hr><div id="cws_ad">【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.02.05 12:25 Fri
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Jリーグが決定した脳しんとうの交代枠での疑問/六川亨の日本サッカー見聞録

Jリーグは今年最初の理事会会見を、女子プロリーグのWEリーグも同様にメディアブリーフィングを28日に実施した。WEリーグの岡島チェアは開幕を9月中旬の11、12日になるプランを明かし、プレシーズンマッチを4月に開催する予定だ。 Jリーグはコロナ禍における「みなし開催」のルール、「移籍ウインドー」の期限、「交代枠5人の継続」と「飲水タイム」の変更点、「脳しんとう」に関するルールの制定などを決定した。これらはすでに当サイトの国内ニュースで報じられているので詳細は割愛する。 脳しんとうに関してJリーグは、5人の交代枠とは別に1試合1人の交代を認めた。 村井チェアマンも「選手の安全を守るために極めて重要。本人が気付かずにプレーを続けてしまう。一定期間に2度だと生命に影響があるので速やかに対処すべき問題だった。トップリーグのJリーグが啓発・予防することは極めて重要だと思う」とルールの必要性を訴えた。 おそらく村井チェアマンには18年の柏GK中村の事例が脳裏にあったのではないだろうか。 中村は18年5月の名古屋戦で、巨漢FWジョーと競った際に空中で体が1回転して頭から落下。すぐに試合はタイムアップを迎えたものの、中村は起き上がることができずに担架でピッチを後にした。その後、脳しんとうと頸椎捻挫の診断で入院を余儀なくされた。 さらに7月のFC東京戦では東のクロスに対応しようとしたところ、FW富樫の膝が中村の頭部に入り、仰向けに倒れたまま意識を失った。名古屋戦と同様にそのまま病院へ搬送されて2度目の入院となり、3ヶ月半の離脱となった。 その後、中村は無事に復帰したが、クロスを処理する際にボールの落下点に入れていないと感じるシーンを目撃した。柏ファンのカメラマンにその話をすると、彼も同様の印象を抱いていた。 元日本代表FWの原副チェアマンも現役時代は「何度もやりましたよ。1年くらい半身に痺れが残りました。後遺症が出るというのはいろんなデータを見てもハッキリと分かっていること。本人も『大丈夫です』と言ってしまう」と、骨折や捻挫と違って目に見えない症状もあることの難しさを話した。 ずいぶん昔のことだが、1982年元旦の天皇杯決勝でのことだった。日本鋼管(93年に廃部)対読売クラブ(現東京V)の試合(2-0で日本鋼管が初優勝)で、日本鋼管の日本代表でもある長身FWが空中戦で頭部を負傷した。 脳しんとうのためゴール裏で治療を受け、ドクターは交代してベンチに下がるよう促したが、本人は断ってピッチに戻ろうとした。しかし2、3歩ほど歩いたところで意識を失い前のめりに倒れるところをチームメイトに支えられ、ベンチに下がらざるを得なかった。 今回のルール化によりドクターの判断で交代させられることが明記されたのは朗報だ。とはいえ、「脳しんとうによる交代は、その前に何人の交代が行われているにかかわらず、行うことができる」としながら、「1試合において、各チーム最大1人の脳しんとうによる交代を使うことができる」と限定することに疑問を感じるのは筆者だけだろうか。 たぶんこれは、IFAB(国際サッカー評議会)の通達通りの決定だろう。しかし、90分の試合中に脳しんとうでプレー続行が不可能になる選手は1人とは限らない。「コロナ禍で3人から5人に交代枠が増えたのだから、それで対応すればいい」という意見もあるだろう。 個人的には、交代枠が3人だろうが5人だろうが、「選手の安全を守る」(村井チェアマン)ためなら、Jリーグは独自に「人数制限のない」脳しんとうの交代枠を作るべきである。そうすることで、何か不具合が生じるとも思えないからだ。 そして最後に、28日のJリーグ理事会で一番聞きたかったことは、昨年12月に参与となった元東京V社長の羽生氏の件についてである。28日発売の週刊文春はクラブを子会社化したゼビオが、羽生氏の不正会計や背任疑惑を報じた。 すでに昨年暮れから羽生氏とゼビオ側は、ネットメディアなどを通じてそれぞれの「言い分」を発信。主張は真逆だっただけに、その成り行きに注目していた。 この件に関し村井チェアマンは「オリジナル10で(この導入はさすが!と思った)、日本サッカーにとってブランド力が高く、ヴェルディとともにJリーグはスタートしました。メディアは様々に報じていて危惧しています。いまは事実確認をするしかありません。現在チームからは『事実を確認中』との報告なので待っています。1月中旬にヴェルディから内部監査に関して、事実確認をしていると監査部に報告があり、注視しているところです」答えるにとどめた。 現状、答えられるのはここまでだろう。これまた個人的な感想だが、「1月中旬に~」以降の「監査部に報告があり注視している」は、言わなくてもよかったと思う。それをあえて言ったことに、問題の深刻さと村井チェアマンの決意を感じてしまった次第でもある。 <hr><div id="cws_ad">【文・六川亨】<br/>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2021.01.30 17:45 Sat
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