まるで優雅なダンス! フェイント1つで3人を抜くジダンのエレガントゴール【インクレディブル・ゴールズ】
2020.07.04 12:40 Sat
サッカーファンなら誰もが一度は見たことがあるであろう歴史に残るスーパーゴール。今回の企画『Incredible Goals』(信じられないゴール)では、これまでに生まれた驚愕のゴールを紹介していく。今回はレアル・マドリーのジネディーヌ・ジダン監督がユベントス時代に決めたゴールだ。
カンヌでのデビュー後、ボルドーで頭角を現したジダン氏は、1996年から、レアル・マドリーへと移籍する2001年までユベントスでトップ下として活躍。在籍5年で公式戦212試合に出場し31ゴール36アシストを記録している。
いくつもの名ゴールを決めているジダン氏だが、2000年の1月23日に行われたセリエA第18節のレッジーナ戦でのゴールも圧巻だった。
1-0とユベントス1点リードの64分、ユベントスは敵陣左サイドでスローインを得る。スローインを受けたジダンは、ダイレクトでFWアレッサンドロ・デル・ピエロに渡し、そのままワンツーで抜け出す。
3人を騙したシュートフェイントはもちろん、その後の持ち替えやフィニッシュもすべてがワールドクラスで、これぞジダンというエレガントなゴールだった。
◆3人を騙すジダンのエレガントな切り返し
カンヌでのデビュー後、ボルドーで頭角を現したジダン氏は、1996年から、レアル・マドリーへと移籍する2001年までユベントスでトップ下として活躍。在籍5年で公式戦212試合に出場し31ゴール36アシストを記録している。
1-0とユベントス1点リードの64分、ユベントスは敵陣左サイドでスローインを得る。スローインを受けたジダンは、ダイレクトでFWアレッサンドロ・デル・ピエロに渡し、そのままワンツーで抜け出す。
ペナルティアーク付近まで侵入したジダンは、シュートフェイントで3人のDFを一気にかわすと、左足に持ち替え、ボックス内へと侵入。最後は左足でゴール左上に強烈なシュートを叩き込んだ。
3人を騙したシュートフェイントはもちろん、その後の持ち替えやフィニッシュもすべてがワールドクラスで、これぞジダンというエレガントなゴールだった。
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ユベントスに所属するアルゼンチン代表FWパウロ・ディバラ(25)がトッテナムに移籍する可能性がここに来て急上昇しているようだ。イギリス『スカイ・スポーツ』が伝えている。 昨シーズン、ユベントスでの序列を下げたディバラ。最近までマンチェスター・ユナイテッドに所属するベルギー代表FWロメル・ルカクとのトレード案が、ディバラの合意を残すのみというところまで迫るも、同選手側の高額な給与と代理人への手数料が要求されたことで破談に終わった。 その後も引き続き去就について注目が集まるディバラだが、急展開。今夏、同選手の獲得に興味を示していたトッテナムが移籍金6440万ポンド(約83億2000万円)でクラブ間合意に達したようだ。残すは、トッテナムとディバラによる個人条件の交渉のみだという。 プレミアリーグの移籍市場が閉幕まで残り2日。果たしてトッテナムは、ディバラ獲得を取り付けることができるだろうか。 2019.08.07 08:40 Wed4
バロンドールまで上り詰めた“チェコの大砲”、パベル・ネドベド【ピックアップ・プレイヤー】
サッカーでは、GK、DF、MF、FWとそれぞれ役割の全く異なるポジションで、それぞれにスター選手がいる。今回の企画『Pick Up Player』では、現役を問わず各クラブを代表する選手たちをプレー動画付きで紹介していく。 今回は元チェコ代表MFパベル・ネドベド氏だ。 <div id="cws_ad">◆現役時代の“チェコの大砲”ネドベド氏の好プレー集<br /><div style="margin:0 auto; max-width:100%; min-width:300px; " ><div style="position: relative; padding-bottom:56.25%; height: 0; overflow: hidden; "><iframe src="https://embed.dugout.com/v2/?p=eyJrZXkiOiJSdnQ4NXBmViIsInAiOiJ1bHRyYXNvY2NlciIsInBsIjoiIn0=" style="width: 300px; min-width: 100%; position: absolute; top:0; left: 0; height: 100%; overflow: hidden; " width="100%" frameborder="0" allowfullscreen scrolling="no"></iframe></div></div></div> チェコの首都プラハで生まれたネドベド氏は、当時同国2部リーグでプレーしていた父にサッカーを教わった。少年時代は毎日12時間練習していたとの逸話もある。 1990年7月にシュコダ・プルゼニ(現ヴィクトリア・プルゼニ)でプロキャリアをスタートさせ、デュクラ・プラハを経て名門スパルタ・プラハへと加入。主力として活躍し、リーグ連覇にも貢献した。 1996年にセリエAのラツィオに加入。1999-2000シーズンでは無尽蔵のスタミナやチェコの大砲と呼ばれる強烈なシュートを武器に大活躍して、リーグ優勝に貢献するなど、ラツィオの黄金期を支えた。しかし、経営悪化による主力放出の煽りを受け、2001年7月にユベントスへ移籍することに。 2002-03シーズンにはすでにユベントスの欠かせない存在となっていたネドベド氏は、公式戦46試合14ゴール3アシストを記録。数字以外でも故障者が続出していたチームで輝きを放ち続け2年連続のスクデット獲得に導いた。 しかし、チャンピオンズリーグ(CL)では決勝に導くも、自身は準決勝での累積警告で決勝に出場できず。チームもPK戦の末にミランに敗れる屈辱を味わうことに。それでも同年のバロンドールを受賞するなど、目覚ましい活躍を見せた。 努力家として知られるネドベド氏はプロ選手になってからも多くの練習やコンディション調整に時間を費やしてきた。そんなストイックなネドベド氏の有名な言葉がバロンドール受賞時の言葉である。「こんなに素晴らしい賞を貰っても、私は何も変わりません。明日はいつも通り練習します」 ユベントスのカルチョ・スキャンダル後もチームに残留し、現役最終年となった2008-09シーズンも公式戦44試合7ゴール9アシストと数字を残しながらも、37歳で惜しまれつつ現役を引退した。 アンドレア・アニェッリ会長からの信頼も厚いネドベド氏は、2015年からユベントスの副会長に就任。チームのセリエA9連覇をサポートしつつ、CL優勝を目指している。 2020.08.30 06:00 Sun5
