1993年のエポック②ソロモン諸島取材編/六川亨の日本サッカーの歩み
2020.05.26 14:00 Tue
今週は先週に引き続き、93年4月から5月にかけて、U-17W杯オセアニア最終予選を取材した際のエピソードをお届けしよう。
オーストラリアのケアンズ経由で無事にソロモン諸島の首都ホニアラに到着したのは午後の3時過ぎ。現地通貨であるソロモンドルは事前に購入することができないため、米ドルの現金とトラベラーズチェック、そして日本円の3種類で取材費を持参した。もちろんクレジットカードも持っていたが、当時は使える所も限られていた。
「まずは空港に着いたら現地の通貨を購入すればいいだろう」と思っていたのだが、飛行機から降りたとたんに嫌な予感がした。タラップを降りて地上に立つと、目に飛び込んできたホニアラ国際空港(当時の名称は第二次世界大戦中に名付けられたヘンダーソン飛行場。その前は日本軍によりルンガ飛行場と呼ばれていた)は、丸太を組んでできている平屋の小屋だったからだ。
それまで国際空港といえば大なり小なり立派な建物で、両替店やショッピングモール、レストランが併設されているものと思っていた。しかし丸太小屋の中にお店は1軒もなく、人もまばら。スーツケースはベルトコンベアではなく人力のリヤカーで運ばれてくる。もちろん出迎えてくれるはずのサッカー協会らしき人の姿はどこにもないし、外には客待ちのタクシーすら1台もない。
このままでは空港に足止めになる。そう思ったところで、同じ飛行機で現地に着いた白人夫婦と現地人が乗り合いタクシーのような1ボックスカーに乗り込むので、同乗させてもらうことにした。車中、同行したカメラマンは「現地通貨がないのに、どうするんですか」と不安げに聞いてくるので、「どこかのホテルに止まるだろうから、そこで降りて両替しよう」と言うと納得してくれた。
なんと、そこにいたのは日本人だったからだ。そして、このメンダナホテルを建設・運営しているのは長野県に本社がある北野建設で、正式名称はソロモン・キタノ・メンダナホテルという。支配人に事情を話すと、「今日は泊められるが明日は満室なので、紹介するホテルに移って欲しい。そして明後日からなら帰国するまで泊まることが可能です」ということだった。
まさかソロモン諸島に日本企業が進出しているとは夢にも思わなかったが(当時はまだパソコンが普及していなかったので調べようがなかった)、まさに「地獄に仏」とはこのことを言うのだろうと実感した。さらに幸いなことにメンダナホテルは大会のオフィシャルホテルで、オセアニア所属の各協会の役員も宿泊しているという(優勝候補のオーストラリアの選手も)。明日の午前中には大会初日ということで、会議が開催されることも知った。
翌日、オブザーバーとして会議に参加すると、いきなり司会のオーストラリアサッカー協会会長の女性から「W杯のホストカントリーの日本から、記者とカメラマンの方が取材に訪れてくれました」と紹介された。立ち上がって挨拶したまではよかったが、「ではスピーチを」と言われた瞬間に凍り付いた。
予選リーグは日差しの和らぐ午後4時からだった。グラウンドに木で組んだ櫓のような2階が大会本部だ。記者席などないため、櫓の上の屋根が取材場所となった。上がってみるとすでに先客がいた。髪の毛を肩まで伸ばし、真っ黒に日焼けしているので、てっきり現地のメラネシア系住民と思ったところ、「日本の方ですか」と話しかけてきたので、昨日に続き驚きの連続だった。
彼の名前は渡邊カズノリといい、なんとU-17ソロモン諸島の監督だった。北陽高校、大阪商業大サッカー部出身で、卒業後は指導者と英語の習得を目指し、JICA(ジャイカ。国際協力機構)の青年海外協力隊に応募してボランティア活動をしている。当時はソロモン諸島代表のコーチを務めながら、U-17代表の監督も任されたそうだ。
大会は予想通りオーストラリアが圧倒的な強さを見せて日本行きを決めた。地元ソロモン諸島も健闘したものの、ベスト4で力尽きた。それでも健闘したと言っていいだろう。主力選手がたびたび欠けるので三浦監督に聞くと、「いまマラリアで休んでいます」と、まるで風邪でも引いたかのように平然と答えていた。
4月28日に現地に到着し、7泊8日。帰路はオーストラリアのブリスベーンで1泊し、日本に着いたのは5月6日だったが、初めての、そして2度とないソロモン諸島での取材だった。大会期間中には島内を散策したが、女性が浜辺で働いているのに対し、男性は「ウォーク・アラウンド」と言って、朝から晩まで同じ部族の人と歩き周るのが仕事のようだ。そして知人と会うと、座り込んで話すことの繰り返しで日がな1日を過ごす。島内には、第二次世界大戦中の日本軍の戦車や飛行機などの残骸が展示されていたことも忘れがたい。
帰国してJFA(日本サッカー協会)に提出するリポートを作成したら、次は翌週末に開幕するJリーグの準備だ。9日にはUAEでアメリW杯アジア予選を取材していた主任の金子達仁君も帰国した。Jリーグ開幕に向けて万全の体制が整った。そして8月21日からはU-17W杯が開幕した。以下、次週に続く(次週はU- 17W杯本大会と、それに続くアメリカW杯アジア最終予選をレポートします)。
オーストラリアのケアンズ経由で無事にソロモン諸島の首都ホニアラに到着したのは午後の3時過ぎ。現地通貨であるソロモンドルは事前に購入することができないため、米ドルの現金とトラベラーズチェック、そして日本円の3種類で取材費を持参した。もちろんクレジットカードも持っていたが、当時は使える所も限られていた。
「まずは空港に着いたら現地の通貨を購入すればいいだろう」と思っていたのだが、飛行機から降りたとたんに嫌な予感がした。タラップを降りて地上に立つと、目に飛び込んできたホニアラ国際空港(当時の名称は第二次世界大戦中に名付けられたヘンダーソン飛行場。その前は日本軍によりルンガ飛行場と呼ばれていた)は、丸太を組んでできている平屋の小屋だったからだ。
このままでは空港に足止めになる。そう思ったところで、同じ飛行機で現地に着いた白人夫婦と現地人が乗り合いタクシーのような1ボックスカーに乗り込むので、同乗させてもらうことにした。車中、同行したカメラマンは「現地通貨がないのに、どうするんですか」と不安げに聞いてくるので、「どこかのホテルに止まるだろうから、そこで降りて両替しよう」と言うと納得してくれた。
この読みは的中し、そこそこ立派なホテルで止まったのでタクシー代を支払うことができた。次は今日の宿泊場所である。まずはいまいるメンダナホテルに泊まれるかどうか交渉しようと支配人のオフィスを訪ねると、意外な事実を知ることになった。
なんと、そこにいたのは日本人だったからだ。そして、このメンダナホテルを建設・運営しているのは長野県に本社がある北野建設で、正式名称はソロモン・キタノ・メンダナホテルという。支配人に事情を話すと、「今日は泊められるが明日は満室なので、紹介するホテルに移って欲しい。そして明後日からなら帰国するまで泊まることが可能です」ということだった。
まさかソロモン諸島に日本企業が進出しているとは夢にも思わなかったが(当時はまだパソコンが普及していなかったので調べようがなかった)、まさに「地獄に仏」とはこのことを言うのだろうと実感した。さらに幸いなことにメンダナホテルは大会のオフィシャルホテルで、オセアニア所属の各協会の役員も宿泊しているという(優勝候補のオーストラリアの選手も)。明日の午前中には大会初日ということで、会議が開催されることも知った。
翌日、オブザーバーとして会議に参加すると、いきなり司会のオーストラリアサッカー協会会長の女性から「W杯のホストカントリーの日本から、記者とカメラマンの方が取材に訪れてくれました」と紹介された。立ち上がって挨拶したまではよかったが、「ではスピーチを」と言われた瞬間に凍り付いた。
予選リーグは日差しの和らぐ午後4時からだった。グラウンドに木で組んだ櫓のような2階が大会本部だ。記者席などないため、櫓の上の屋根が取材場所となった。上がってみるとすでに先客がいた。髪の毛を肩まで伸ばし、真っ黒に日焼けしているので、てっきり現地のメラネシア系住民と思ったところ、「日本の方ですか」と話しかけてきたので、昨日に続き驚きの連続だった。
彼の名前は渡邊カズノリといい、なんとU-17ソロモン諸島の監督だった。北陽高校、大阪商業大サッカー部出身で、卒業後は指導者と英語の習得を目指し、JICA(ジャイカ。国際協力機構)の青年海外協力隊に応募してボランティア活動をしている。当時はソロモン諸島代表のコーチを務めながら、U-17代表の監督も任されたそうだ。
大会は予想通りオーストラリアが圧倒的な強さを見せて日本行きを決めた。地元ソロモン諸島も健闘したものの、ベスト4で力尽きた。それでも健闘したと言っていいだろう。主力選手がたびたび欠けるので三浦監督に聞くと、「いまマラリアで休んでいます」と、まるで風邪でも引いたかのように平然と答えていた。
4月28日に現地に到着し、7泊8日。帰路はオーストラリアのブリスベーンで1泊し、日本に着いたのは5月6日だったが、初めての、そして2度とないソロモン諸島での取材だった。大会期間中には島内を散策したが、女性が浜辺で働いているのに対し、男性は「ウォーク・アラウンド」と言って、朝から晩まで同じ部族の人と歩き周るのが仕事のようだ。そして知人と会うと、座り込んで話すことの繰り返しで日がな1日を過ごす。島内には、第二次世界大戦中の日本軍の戦車や飛行機などの残骸が展示されていたことも忘れがたい。
帰国してJFA(日本サッカー協会)に提出するリポートを作成したら、次は翌週末に開幕するJリーグの準備だ。9日にはUAEでアメリW杯アジア予選を取材していた主任の金子達仁君も帰国した。Jリーグ開幕に向けて万全の体制が整った。そして8月21日からはU-17W杯が開幕した。以下、次週に続く(次週はU- 17W杯本大会と、それに続くアメリカW杯アジア最終予選をレポートします)。
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