田嶋幸三氏のまたぎフェイントの思い出/六川亨の日本サッカーの歩み

2020.04.15 15:20 Wed
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先週の木曜コラムでは、田嶋幸三JFA(日本サッカー協会)会長のショートインタビューを紹介させていただいた。現在62歳の田嶋会長だが、現役時代を知らない読者も多いことだろう。彼は1976年、浦和南高校の3年生の時に、エースストライカーとして全国高校サッカー選手権(第54回)で優勝した(決勝は静岡工に2-1の勝利)経験を持つ、将来を嘱望された選手でもあった。当時の高校選手権は大阪で開催されたため(翌年から首都圏に会場が変わり、水沼貴史らを擁した浦和南が決勝で静岡学園を5-4で下して連覇を達成)、同い年の私はテレビで観戦するしかなかったが、衝撃だったのは「またぎフェイント」でゴールを量産したことだった。恐らく日本で初めて「またぎフェイント」を世に知らしめた選手ではないだろうか(本人にそのことを言うと本気で照れていた)。

ペナルティエリア内でゴールを背にしてボールをキープすると、左足で外側から内側にまたいで右に回り込むと見せ、左足のアウトサイドで左にボールを押し出し、素早く反転して右足でシュート--というのが得意のパターンだった。カズ(三浦知良)は内側から外側への「またぎフェイント」を得意としているが、田嶋氏はその逆だった。

そんな「またぎフェイント」だが、このプレーを世界に知らしめたのは1970年のメキシコW杯で優勝したブラジルのリベリーノ(清水などで監督を経験)だったのではないだろうか。「左足の魔術師」と呼ばれたレフティーで、ドリブルしながら田嶋氏と同様に外側から内側にまたぎ、右へ抜くと見せて左足のアウトサイドで左へと抜いていく。

そのフェイントのスピードと、キレのある動きは真似したくても不可能で、サッカー部の先輩からは「曲芸みたいなプレーはするな!」と怒られたものだ。

そのリベリーノとコリンチャンス時代にチームメイトだったのがセルジを越後氏である。越後氏は「リベリーノからまたぎフェイントを教えてもらったので、僕も得意とするフェイントを教えたんだ」と同氏が現役引退後、サッカー教室で全国を回っていた頃に聞いたことがある。

その越後氏のフェイントとは、ドリブルしながらDFとの間合いを計りつつ、右足のアウトサイドで右方向にボールを押し出し、DFがつられたら素早く右足のインサイドで切り返して左へ抜いていくというものだった。一瞬の右足首のスナップを効かせたフェイントでもあり、越後氏は「ボールが伸びたように見えて、すぐに縮まるから“ゴムのフェイント"と名付けた」と言っていた。

日本では、読売クラブ時代のジョージ与那城氏(元日本代表)が得意とするフェイントで、多くの選手が幻惑されたものだ。そして海外では、ロナウジーニョやウィリアンなどブラジルの選手が得意とするフェイントであり、今では「エラシコ」の名前で定着していると言えば、そのプレーをすぐに思い出す読者も多いだろう。

メッシやC・ロナウドは「エラシコ」と「またぎ」を織り交ぜたフェイントで対戦相手を幻惑する。そんな彼らの芸術的なプレーを、安心して見られる日が一日でも早く訪れることを願わずにはいられない。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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驚異的な強さの川崎F。今季のベストゲームは?/六川亨の日本サッカーの歩み

J1リーグ首位の川崎Fは18日の試合で名古屋を3-0と一蹴し、連勝を11に伸ばした。これは単一シーズン(翌年にまたがない)で、90分以内での勝利としてはJ1リーグ最多記録である。 今シーズンの川崎Fは開幕戦で鳥栖と0-0で引き分けたものの、その後は10連勝で首位を独走。第12節で名古屋に0-1と敗れて連勝はストップしたが、8月26日の神戸戦(第24節)で2-2と引き分けた後は再び連勝街道に入り、今月18日の名古屋戦で記録を更新した。 リーグ戦で敗れたのは名古屋戦の1敗だけ。ルヴァン杯でも4試合で16点を奪う破壊力を見せたが、準決勝でFC東京に0-2と敗れた。それでもここまでリーグ戦は21勝2分け1敗、カップ戦は4勝1敗という数字は驚異的だ。 現在、川崎Fが積み重ねた勝点は24試合で65点。過去の最高勝点は74点だから、残り10試合での更新はかなり濃厚と言える。2位C大阪の勝点は48(残り10試合)、3位FC東京は同47(残り8試合)、4位G大阪は45(残り11試合)となっている。2位のC大阪と4位のG大阪が残り試合を全勝したとしても総勝点は78でストップ(これはこれで凄い数字である)するため、川崎Fはあと5勝すれば勝点80に達し、2年ぶり3度目のリーグ制覇が決定する。 自力での最短Vは11月21日の大分戦となるが、他チームの勝敗次第では早まる可能性も高い。その一方で、大分戦の前にはわずかながら逆転Vの可能性を残すFC東京と鹿島、連覇の消滅した昨シーズンの覇者・横浜FM戦が控えている。彼らが意地を見せるのか、それとも川崎Fが連勝記録を伸ばすのか。今シーズン最大の見どころと言っていいだろう。まさか川崎Fが失速し、残り試合で4勝しかあげられないとは考えにくいのだが……。 そんな川崎Fに対し、ルヴァン杯の準決勝で2-0の勝利を収めたFC東京は「川崎F対策」の見本のような試合をした。この一戦は、FC東京はもちろん、今シーズンを振り返ってもベストゲームと言われるようになるだろう。そこでこの試合を簡単に振り返ってみたい。 伏線は7月8日の第3節、味の素スタジアムで行われたリモートマッチ(無観客)第2戦だった。FC東京は川崎Fの多彩な攻撃に翻弄され、前半だけで4失点を喫して完敗した。長谷川監督にとっても屈辱の一戦だった。 転機となったのは9月2日のルヴァン杯準々決勝で名古屋に3-0と勝ったことだ。長谷川監督が就任してカップ戦では初めてベスト4に進出。ただ、この時点で指揮官は多くを語らなかった。 当時のFC東京は、リーグ戦に加え、延期になったもののACLでの勝ち上がりを想定し、前倒しで日程を消化していた(横浜FMと神戸も同様だがルヴァン杯は敗退)。このため8月15日の名古屋戦から10月18日の横浜FC戦まで、中2~3日の連戦が19試合も続いた。 長谷川監督も「連戦でのプレーは3試合が限度」と、選手のローテーションを強いられた。そこで川崎Fとのルヴァン杯準決勝を4試合後に控えた9月27日の鳥栖戦前、いつから川崎F戦を見据えてローテーションを開始するのか質問された。鳥栖は3連敗中で15位ということもあり、多少メンバーを落としても勝てるのではないかという思いが質問した記者にはあっただろう。 それに対して長谷川監督は「どういう使い方をするのか見ていただければわかると思います」とだけ答えた。そして鳥栖戦にはJ1初スタメンとなる左SBバングーナガンデ佳史扶や、経験の浅い品田、内田らを起用したものの0-3で敗退した。 それでも浦和、湘南に連勝して迎えた川崎F戦、指揮官は「去年もホームでは0-3で敗れた。準々決勝に勝ってから、この準決勝に照準を合わせてきた」とリベンジに賭ける思いを吐露した。 そんな長谷川監督が警戒したのが、川崎Fのサイド攻撃だ。「元々、切り替えが速くて球際に強いベースがあったが、それが鬼木監督になってさらに強くなった」と前置きし、「今まで(の攻撃)は中、中で大島と小林のホットラインだったのが、今は学(斉藤)とか三笘を左に張らせ、右に家長がいて、たまに旗手を使う」と現状を分析。 さらに今シーズンは「脇坂とか碧(田中)とかボランチがサイドに張り出して、どのチームも守りづらくなっている」と多彩なバリエーションを警戒した。 FC東京の攻撃陣で期待したい選手としては、前回対戦をケガで欠場した永井の名前をあげたが、永井にしても自身のタスクとして前線からのプレスで「センターバック2人を疲労させることと、ボランチにボールが入るとつながれるので、そうさせないようにしたい」と守備面で貢献することを課した。 まずは川崎Fのストロングポイントを消す。セオリー通りと言えばセオリー通りだが、どのチームも実践しようとして失敗してきた。しかしFC東京は、開始10分まで、まずは中をしっかりと固めつつ、登里のドリブル突破はファウルでストップするなど自陣ゴールへの接近を遮断した。 そして14分、永井のドリブル突破で獲得したFKを、レアンドロは難しい角度ながら直接決めて先制する。永井は守備でも積極的なプレスを実践し、彼の動きに連動したレアンドロがあと一歩でGKのパスをカットしそうになるなど“あわや"というシーンも演出した。 対する川崎Fも家長のキープ力や交代出場の三笘のドリブル突破からチャンスをつかんだものの、決定機は後半24分に大島が左ポスト直撃のシュートを放ったくらい。 今シーズンの川崎Fは、テレビのニュースなどで得点シーンを振り返ると、フリーでシュートを打っている場面が多い。それを見て簡単にゴールを決めていると思われるかもしれないが、川崎Fの凄さはそこに至る過程にある。パスとドリブルを複数の選手で織り交ぜて守備陣を完全に崩しているからこそ最後はフリーの選手が生まれる。 しかしFC東京は、サイドはもちろんバイタルエリアでも数的優位な状況を維持して侵入を阻止し、ゴール前では体を張ったアタックで川崎Fのクロスやシュートをブロックした。 敗れた鬼木監督は「相手の圧力があった。クオリティで勝負しなければいけないところで、しっかりついてきたり、スライドしたりしていたので剥がせなかった」と悔やみつつ、「矛盾はあるけど、サイドを崩しきれなくても大胆にやる。ていねいに崩すところとの使い分けが必要だった」と課題を指摘した。 鬼木監督にすれば、パスであれドリブルにしろ、正直すぎて攻撃に意外性がなかったということだろう。これはこれで贅沢な悩みであると同時に、FC東京が最後までゴールを死守できた理由でもある。 FC東京のリーグ制覇という悲願はほぼ絶望的だ。現実的な目標としてルヴァン杯優勝と、リーグで2位以内に入り天皇杯と来季のACLの出場権獲得、そして来月ドーハで集中開催されるACL制覇ということになる。その前の10月31日、今シーズン3度目となる川崎F戦が控えている。 ルヴァン杯準決勝と同じモチベーションで臨み、川崎Fから18年5月以来5試合ぶりとなるリーグ戦での勝利を奪うことができるか。それとも川崎Fがルヴァン杯の雪辱を果たし、連勝記録を12に更新するか。 川崎Fは18日の試合から約2週間後のナイトゲームになるのに対し、FC東京はその間に横浜M(24日)、柏(28日)と2試合を消化し、なおかつ柏戦から中2日での多摩川クラシコとなる。相手は休養十分とはいえダービーだけに負けたくないし、さりとて柏とはルヴァン杯の決勝も控えているだけに手の内は見せたくないだろう。難しい決断を迫られる長谷川監督の選手起用も見物である。 <div id="cws_ad"><hr>【文・六川亨】</br>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.10.20 21:25 Tue
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スコアレスドローでもメリットのあったカメルーン戦/六川亨の日本サッカーの歩み

先週9日の日本対カメルーン戦は、これといった見せ場もないまま0-0のドローに終わった。両チームとも1年ぶりの代表マッチのせいもあるが、そもそも日本に限らず代表戦に好ゲームを期待するのは間違いである。 年間の活動は3、6、9、10、11月の5ヶ月に限られ、さらにIMD(国際マッチデー)は2週間しかない。このため週末と週中の2試合と、その前後の3~4日しか練習時間は取れない。ここに日本のように海外からの移動を含めれば、練習時間はさらに限られる。 これでは「コンビネーションの熟成」をしている時間などほとんどない。そこに今回はコロナが追い打ちをかけた格好だが、海外組によるヨーロッパでの試合は0-0のドローとはいえメリットも少なくなかった。 まず両チームとも(ケガ人を除けば)コンディションが良かった。日本で親善試合を開催する際は、来日するチームはもちろんのこと、日本の主力選手も海外から参戦するのでコンディションがいいとはとても言えない。各国のリーグ戦のスケジュールにもよるが、試合前日に帰国する選手がいたりする。これでは1試合しか出場できず、結果としてコンディションを崩すために来日したようなものだ。 さらに対戦相手にしても、2年前の9月から始まった欧州ネイションズリーグ(偶数年に開催)のため、日本は“客を呼べる”ヨーロッパ勢を招待することはできなくなった。森保ジャパンにしても南米や北中米の国々との対戦ばかり。さらにこれは森保ジャパンに限らず、それ以前から親善試合に来日するチームはコンディションが万全ではないこともあり、手を抜くこともしばしばだった。 そんな相手に、例え大勝しても強化に役立ったかと言えば首をひねらざるを得ない。実際、日本はカメルーンと過去3勝1分けだが、ガチンコ勝負だったのは2010年南アW杯のグループリーグ(本田の決勝点で1-0)くらい。残りの3試合はいずれも日本で開催されたものだった(2001年のコンフェデ杯と03年と07年のキリン杯)。 しかし今回の対戦では、選手も全員がヨーロッパでプレーしており、なおかつ遠い極東での試合ではなくヨーロッパということで多少は注目度もアップしたのだろう。後半25分過ぎに運動量が落ちて日本の反撃を許したものの、それまではサポートの早さと的確さで複数のパスコースを作り、ショートパスをつないで日本を苦しめた。 ボールを失えば、すぐに攻守を切り替えて奪いに来る。ヨーロッパのサッカーのスタンダードを実践するあたり、彼らの本気度がうかがえた。ポルトガル人のコンセイソン監督は「11月にアフリカ・ネーションズ杯の予選でモザンビークと戦うための準備」と日本戦を位置づけていたが、その言葉通り「個の力」に頼らない洗練されたサッカーを披露した。 そんなカメルーンに対し、日本はボールポゼッションで劣勢に立たされたが、それこそ森保監督が望んだシチュエーションだったはずだ。準優勝に終わった去年1月のアジア杯、グループリーグで敗退した今年1月のUー23アジア選手権でも、森保ジャパンはボールポゼッションでアジア諸国に劣勢を強いられた。それだけアジア各国のレベルが上がっていることの裏返しでもあるだろう。 と同時に、それでもアジア杯では勝利を収めて決勝まで勝ち進んだ。サッカーはゴールを競うスポーツのため、日本はもうアジアにおいてもボールポゼッションにこだわる必要はないと個人的に感じている。劣勢の試合であってもいかに結果を出すか。そのために必要なのがショートカウンターであり、セットプレーの精度である。 こうした視点から試合を分析すれば、ヨーロッパでのマッチメイクはW杯を想定した格好のテストの場である。そして相手CBのミスから伊東が右サイドを突破し、大迫の放ったヘディングシュートや、右CKから吉田のヘッド、あるいは終了間際の久保の直接FKが決まっていれば3-1の勝利を収めただろう。 前述したように、代表チームの練習時間は限られている。コンビネーションを熟成する時間はほぼないと言っても過言ではないだろう。このため集合したら、意思の疎通――カウンターの意識付けーーを図ることと、セットプレーの確認くらいしかできないのが現実である。 では、カメルーン戦で3-1の勝利を収めていたら手放しで喜んだかというと、たぶんこちらも否定しただろう。例えば「結果だけで内容のない勝利」と。「結局ケチをつけたいだけなのか」と言われてしまうと返す言葉もないのだが……。 海外組に限らず国内組のトップレベルの選手も、状況に応じて選択しなければならないプレーは理解していると思われる。さらに戦い慣れたポジション以外にも複数のポジションでプレーできる柔軟さもある。あとは球際の激しさ、フィジカルコンタクトの慣れということになるだろう そうした上で、「違いを生み出せる特別な選手」がいる。それが中島であり久保であり、最近は三笘だと思っている。「個の力」で突破できるのはもちろんだが、中島は日本の攻撃のスイッチを入れるだけでなく、南野や堂安の輝きも引き出せる。 久保は、右サイドでプレーした際に、堂安と違いカットインだけでなくタテへの突破がある。さらにセンターでも左でもプレーできるフレキシブルな選手だ。彼らが両サイドに位置することで、システムに関係なく攻撃の選択肢は広がるだろう。この2人に加えて、三笘も得意のドリブルがどこまで通用するのか見てみたい選手である。 国内組の三笘は別の機会に譲り、中島は今回招集されていない。となると「違いを生み出せる」のは久保しかいない。コートジボワール戦では彼がスタメン起用されることと、どんな違いを生み出すのかに期待してキックオフを待ちたい。 <div id="cws_ad"><hr>【文・六川亨】</br>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.10.13 08:50 Tue
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ルヴァン杯で川崎FとFC東京が激突/六川亨の日本サッカーの歩み

JリーグとNPB(日本野球機構)による第17回の対策連絡会議が5日に行われ、入場者の規制緩和に伴い、感染の防止に加え、マスギャザリング(特定の場所に人々が集中するイベントの再開)と疫学(病気の流行を除去)の専門家をオブザーバーに加えた会議を開催した。 菅新内閣は経済活性化のためGO TO〜の様々な施策を打ち出しており、イベントでも50%の入場を許可するなど規制を緩和した(Jリーグは30%でスタート)。ただし、それがいつ70%になり100%になるのかは誰もわからない。 そこで座長の賀来満夫(東北医科薬科大学)ドクターは、「70%になったらどうするか。(クラシック)コンサートなどは話さないので70%を越えているが、スポーツはそうはいかない。しかし応援でも声を出さなければ70%にチャレンジしていくことも必要ではないか」と話し、「観客の行動が決める」との見解を示した。 同様に三鴨廣繁(愛知医科大学)ドクターも「プロ野球とJリーグはここまで順調に来ています。関係者の努力の賜物で、この取り組みを日本は2021年に東京五輪とパラリンピックを控えているので、こちらにつながると確信している。疫学などの専門家と前向きな議論をできると期待しています」と新たな局面に入りつつあることを示唆した。 果たして東京五輪・パラリンピックで海外から訪れた観戦者が、日本のルールを守るかどうか。違反しても、いまのところ退場してもらうか、次回の入場を断るぐらいしか罰則はないだけに、余計なお世話だが気になってしまう。 そして面白いデータもあった。オーストラリアやブラジルなど南半球はこれから夏を迎える。ということは、すでに冬は過ぎ、いまは春といったところだが、今冬のオーストラリアはインフルエンザが流行しなかったそうだ。 その原因としては、マスクと手洗いを徹底したことが1つ。インフルエンザは吐く息から感染すると2年前から言われているそうで、そのためマスクが効果的だったのではないかと推測されている。そしてもう1つが、ウイルス同士が干渉しつつ、インフルエンザには基礎免疫があり感染予防につながったが、コロナにはそれがないのでオーストラリアでも感染を抑えきれなかったのではないかと見られている。 ちなみにインフルエンザのワクチンは、感染を防ぐのではなく重症化を防ぐのが目的で、効果は40%ということも初めて知った。 さて今週のもう1つのテーマが、ルヴァン杯準決勝の川崎F対FC東京戦だ。すでにリーグ戦は川崎Fが独走態勢に入っており、2年ぶり3度目の優勝は確実ではないだろうか。2位に浮上したFC東京とは勝点12差だが、FC東京はACLの関係で2試合多く消化している。この6勝点を加えると18差。川崎Fは残り13試合で6連敗してFC東京と同勝点になるという「ありえない」展開だ。 このため他の上位チームは天皇杯の出場権を獲得できる2位か、来シーズンのACLの出場圏を獲得できる3位以内がリーグ戦の現実的な目標となるだろう。ただし、一発勝負のルヴァン杯は別物――そう考えているのが準決勝で激突するFC東京の長谷川監督である。 話は9月下旬に遡る。苦手の仙台に1-0、優勝争いのライバルC大阪に2-0と勝った後の26日、15位の鳥栖戦を前にリモート会見に臨んだ長谷川監督は、ルヴァン杯を見据えたローテーションを採用するかという質問に「どういう使い方をするか、見ていただければわかると思います」と答えた。 その鳥栖戦、CB森重こそ累積警告で出場停止だったが、左SBにJ1初出場のバングーナガンデ佳史扶をスタメン起用したほか、永井とレアンドロもベンチスタートとスタメンを入れ替えてきた。そして結果は0-3の完敗。「結果がすべて」と敗れた指揮官は多くを語らなかった。 続く30日の浦和戦は、森重と左SB小川が戻り、永井とレアンドロもスタメンに復帰(ディエゴ・オリベイラは累積警告で出場停止)、9月12日の神戸戦で負傷離脱した高萩も5試合ぶりにベンチへ戻った。試合は永井の決勝点で1-0の勝利を収めた。そしてFC東京が埼玉スタジアムで勝利を奪ったのは、2003年7月以来13年ぶりの快挙でもあった。 FC東京が初めて浦和と対戦したのは2001年のこと。前年にJ1へ昇格したものの、入れ違いに浦和がJ2に降格したため2000年は対戦がなかった。そして初対戦はまだ日韓W杯前ということで、埼玉スタジアムは未完成(01年10月に完成)のため浦和駒場での対戦となった。 4月14日の初対戦を呂比須ワグナーなどのゴールで3-1の勝利を飾ると、2002年は3万人の観衆の前で1-0の勝利を奪った。さらに翌2003年もケリーのゴールで1-0と3連勝したが、ここからFC東京は長いトンネルに入った。 3連勝のあとは7連敗と苦手にし、12年と13年は2試合とも2-2のドローに持ち込むも、そこからまた5連敗で、昨シーズンも勝利を目前にしながらアディショナルタイムの森脇のゴールで1-1のタイスコアに終わった。それだけに、この浦和戦の勝利は上位争いに加わる意味でも価値のある勝点3だった。 そして迎えた4日の湘南戦、相手がいくら最下位とはいえ、スタメンを見て驚いた。スタメン11人を入れ替え、GK波多野(今シーズンは3試合出場。以下同)、CB丹羽(1)、ジョアン・オマリ(6)、左SBバングーナガンデ佳史扶(1)、品田(6)と一桁出場が5人。サブに至っては田川(12)以外の4人がJ1出場0で、CB木村が2、MF平川が1という顔ぶれだった。 それでもアダイウトンのゴールで1-0の勝利を収め、さらに長谷川監督は2人目となるJ1通算200勝を達成した。ただし200勝も通過点に過ぎないだろう。すべては7日の川崎F戦に照準を絞ってきたからだ。 一方の川崎Fの鬼木監督も、3日のC大阪戦ではレアンドロ・ダミアンと三笘をベンチに温存するなど余裕の采配を見せた。両チームとも攻撃陣には個の力で突破できるタレントが揃っているだけに、気の抜けない試合になることは間違いないだろう。名勝負を期待して7日を待ちたい。 <div id="cws_ad"><hr>【文・六川亨】</br>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.10.06 14:00 Tue
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浦和戦勝利で思い出した横浜FC昔話/六川亨の日本サッカーの歩み

9月23日のJ1リーグ第18節、アウェーで川崎Fと対戦した横浜FCは、敗れたものの2-3と大善戦だった。それまで浦和を3-0、広島を5-1と粉砕してきたのだから、横浜FC戦も大差の勝利を収めると予想された。 しかし結果は3-2の僅差で、一時は2-1と追い上げられる展開を強いられた。今シーズン初めて「キング・カズ」がスタメンに名を連ね、さらに中村俊、松井のベテランもそろい踏み。そんな横浜FCを鬼木監督は「ああいう選手たちがいると、それだけでプレッシャーになったと思う」と脅威に感じたことを素直に認めつつ、「そういう意味で、受けずにアグレッシブに行かないといけないと改めて思う」と反省した。 カズ(三浦知良)、中村俊輔、松井大輔――改めて一時代を築いた3選手のスタメン出場に、横浜FCのオールドファンは14年前の06年を思い出したのではないだろうか。 05年に横浜FCの監督に就任した足達氏は、シーズンを11位で終えた。迎えた06年、開幕戦で愛媛に0-1と敗れた横浜FCのフロントは、わずか1試合で足達監督を解任した。開幕戦後のスピード解任は今でもJリーグの最短記録である。 後任監督にはコーチだった高木氏(現大宮監督)が就任すると、高木監督はベテランを要所に配し、守備重視のサッカーで見事初のJ1昇格を果たした。その原動力となったのが、カズであり、彼と2トップを組んだ城彰二(キャプテンを務め、06年で現役を引退)であり、ボランチの山口素弘とCBの小村徳男だった。 そして07年、初めてのJ1リーグに挑むに当たり、フロントはさらなる補強に動いた。横浜Mから久保竜彦と奥大介(故人)の元日本代表FWを獲得したのだ。横浜FCは開幕戦となったアウェー浦和戦は1-2で敗れたが、久保が得意の左足で超ロングシュートを決めたのは今でも語り草になっている。 この07年は、最終節でもドラマが待ち受けていた。5月26日、第13節のホーム大分戦に2-1で勝って以降は勝利から見放され、その後の20試合は3分け17敗という惨憺たる成績だった。このため8月28日に高木監督を解任し、ジュリオレアル新監督を迎えたが、前述したように一向に成績は上向かない。 10月20日の神戸戦にも0-3で敗れ、残り5試合でJ2降格が決まる。これは当時最速の降格決定だった。 そして最終戦の相手は優勝争いを演じている浦和だった。一時は独走態勢にあった浦和だが、第30節終了時点であと1勝すればリーグ連覇という状況で3試合連続のドローと足踏みをしていた。その間に鹿島に追い上げられ、勝点1差に詰められたものの、勝てば自力優勝が決まるという有利な状況に変わりはなかった。まして相手はJ2降格が決まってモチベーションの低下している横浜FCである。誰もが浦和の優勝は確実と思った。 ところが試合はカズのスルーパスから根占真伍(東京Vからレンタル移籍)が決勝点を奪って見せる。試合はこのまま終了し、清水を3-0で下した鹿島が6年ぶり5度目のリーグ制覇を達成。連覇を逃した浦和は、これ以降リーグタイトルから遠ざかっている。 歴史は繰り返すのか、川崎Fに2-3と善戦した3日後の9月26日、横浜FCはアウェーで浦和と対戦した。さすがに中2日ということでベテラン3人はベンチからも外れたが、仙台大卒のルーキー松尾が2ゴールを奪い、今シーズン6勝目をあげた。 彼だけでなく、DF袴田やボランチの安永、ユース出身FWの斉藤光毅らは初のJ1で試合を重ねるたびに自信を深めているように感じられる。今後もどのようなサプライズを起こすのか。超ベテランと若手を巧みに操る下平監督の手腕にも注目したい。もちろん期待したいのは、カズダンスと中村俊の直接FK、松井のアクロバティックなゴールであることは言うまでもない。 <div id="cws_ad"><hr>【文・六川亨】</br>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.09.29 11:00 Tue
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家長昭博と木村和司氏のひらめき/六川亨の日本サッカーの歩み

川崎Fの勢いが止まらない。アウェーの浦和戦も3-0の完勝で連勝を5に延ばし、前日に2位のC大阪が鹿島に1-2と敗れたため、18試合を消化して勝点差は8に開いた。驚異的なのは、5試合とも攻撃陣が爆発して3ゴール以上奪っていることだ。18試合の総得点も55で、1試合平均3ゴールという高いアベレージを誇っている。 そして凄いのは数字だけではない。浦和戦の先制点は右サイドでボールを持った家長が、フワリと意図的に浮き球のラストパスを送り、右SB山根がボレーで決めたもの。敵に囲まれた家長に、一見するとパスコースはなかった。もしもグラウンダーのパスなら間違いなくカットされていただろう。 そこで家長は右足で掬うようにボールを浮かせ、山根に「ボレーして下さい」とでも言っているかのようなラストパスを送った。この瞬間的なひらめきによる芸術的なパスは、今後も家長のプレーを語る際に繰り返し登場するのではないだろうか。 そして、このパスを確実に決めた山根も冷静だった。普通なら、予測不能なパスに慌ててしまい、シュートを力むこともある。しかし山根は「素晴らしいボールが来たので、力を抜いて枠に打った」と自然体でのプレーだったと振り返った。これはこれで、力を抜いて打った山根も凄かった。 「狙って何回もできるものじゃない」とは山根の本音だろうが、「力を抜いて枠に打つ」というボレーシュートの基本に忠実なプレーが鮮やかなゴールに結びついた。 この「力を抜いて枠に打つ」というプレーだが、口で言うのは簡単でも実際にプレーするとなるとなかなか実践できないのがサッカーの難しいところでもある。 先週のNHKのBS放送によるJ1リーグ中継の1場面だった。横浜M対C大阪戦で、横浜Mが直接FKを獲得した時のことだ。アナウンサーが解説者の木村和司氏に「どこを狙いますか」と聞いたところ、木村氏は平然と「ゴールの枠の中ですね」と答えた。 するとアナウンサーはマイクを前に二の句を告げず、沈黙したまま次のプレーに移った。 アナウンサーからしてみれば、「壁の右上」とか「壁の左にスペースがあるので、そこをグラウンダーで狙ったら」といったように、具体的な答を予想していたのだろう。しかし木村氏からは「ゴールの枠の中」という、聞きようによっては極めて当たり前の答えに絶句してしまったのかもしれない。 現役時代はFKの名手として対戦相手に恐れられ、日本代表では85年10月26日のメキシコW杯アジア最終予選の韓国戦で決めた直接FKは、今もファンの間で語り草になっている。曲がりながら落ちるFKを得意としていた木村氏だが、そんな木村氏からしてみれば、シュートは「ゴールの枠」に飛ばさなければ、いくら打っても点にならない。「ゴールの枠」を狙うのは当たり前のことであり、そのプロセスとしてどのコースを選択するかということになるのだろう。 個人的にも、リップサービスのあまり得意ではない木村さんらしいコメントの数々に、個性と同時に天才的プレーヤーの感性(ひらめき)を感じずにはいられなかった。 これは余談だが、辛口解説でお馴染みのセルジオ越後氏がまだ現役(?)というか、サッカーの指導者で全国を回っていた時のエピソードである。「クロスバーね」と言ってペナルティーエリアの外からボールを蹴ると本当にバーに当てる。「右ポストね」と言っても同じだ。 そこで直接FKの秘訣を聞いたところ、返ってきた答えが次のようなものだった。 「壁を越えて落とそうとか、壁の横を巻いて曲げようと考えるから失敗するのね。壁があっても、クロスバーやゴールポストは見えているでしょ。だからバーやポストを狙えばいい。当たって内側に入ればGKは取れないし、もしも直接決まらなくても跳ね返れば味方が決めるチャンスが残るでしょ。バーを越えたらその瞬間にノーチャンスなんだから」 こうした発想をするサッカー関係者は、当時の日本サッカー界にはいなかった。月に1回、専門誌で連載していた「セルジオ越後のさわやかサッカー教室」の取材の際に聞く話があまりにも面白いので、いっそこれを連載にしようということになった。 そこでJリーグの誕生を契機に始まったのが「セルジオ越後の天国と地獄」(サッカーダイジェストさん)というコラムである。 <div id="cws_ad"><hr>【文・六川亨】</br>1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2020.09.22 18:45 Tue
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