Jは1ヶ月以上の延期決定の裏側/六川亨の日本サッカー見聞録

2020.04.03 22:45 Fri
©超ワールドサッカー
JリーグもNPB(日本野球機構)も、新型コロナウイルスに翻弄された3日間だった。まず時間軸で3日間を振り返ってみよう。4月1日、Jリーグは第4回臨時実行委員会を開催した。

ここでの会議では、ヴィッセル神戸とザスパクサツ群馬から新型コロナウイルスの感染者が出てしまったが、「J3は4月25日、J2は5月2日、J1は5月9日の開幕・再開に向けて最大限の準備をしていこう」(村井満チェアマン)と、当初の日程に変更はないことが確認された。
その上で、各リーグの日程調整とエリートリーグの中止、順位決定の方法と昇降格の枠などリーグの公平性をいかにして保つか、選手とチームを守るための地域ドクターとの連携やファン・サポーターに対するプロトコル(規定)作りについて、各担当セクションがJクラブと継続して意見交換することが確認された。そしてライセンス制度に特例を認め、融資制度についても特例措置を設けるなど、財政面で支援することを発表した。

同日の夕方には政府の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」が現状を分析し、提言を発表した。日本の現状については、「今のところ諸外国のような、オーバーシュート(爆発的患者急増)は見られていないが、都市部を中心にクラスター(集団)感染が次々と報告され、感染者数が急増している。そうした中、医療供給体制が逼迫しつつある地域が出てきており医療供給体制の強化が喫緊の課題となっている」と状況の悪化を指摘した。

そして「感染拡大警戒地域」、「感染確認地域」、「感染未確認地域」の3つの地域区分ごとに、基本的な考え方や想定される対応などを示し、「3密」を避けることや「学校の一斉臨時休業」、「重症者を優先した医療提供体制の確保」などの必要性を訴えた。
これを受けて4月3日、JリーグとNPBは第5回となる「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」を実施し、11時30分過ぎからwebによるブリーフィングに臨んだ。そして、状況はより深刻になっていることが報告された。

三鴨廣繁氏(愛知医科大学大学院)は「我々は会議の中で医学的な見地から開催できる道を模索してきたが、事情が変わってきた」として、具体的に「3月28日から感染の局面が変わってきた。虫垂炎で入院したのにコロナが見つかるのが増えてきた」と状況の変化を指摘。その上で第3の意義として「スポーツ界は社会への説明責任を果たさないといけない」ため、「苦渋の決断を3人は出さなければならなかった」と5月末以降のリーグ再開・開幕を要請した。

同じく舘田一博氏(東邦大学医学部)も「政府の提言で何とか持ちこたえているが、確実にフェーズ(局面)は変わりつつある」とJリーグとプロ野球から感染者が出たことを重視し、現状は「蔓延期」であり、「誰が感染してもおかしくない。いつピークを迎え、収まっていくのかを推定するのは難しい。数週間でピークアウトするとは考えにくく、1ヶ月~2ヶ月のスパンで考えないといけない。厳しい判断だが、できるだけ後ろにずらして欲しい」と三鴨氏の意見に同意した。

その後の質疑応答では座長の賀来満夫氏(東北医科大学)が、「政府は拡大地域、感染が増えていない地域、未確認地域の3つがあったが、我々の統一見解として、どこでも感染が見られる地域になっている。3つの考え方は、いまの段階では難しい」と危機感を強め、「未確認の地域では屋外でやって欲しいというが、選手の移動を考えると難しい状況になっている」とも指摘した。

それをフォローするように舘田氏も「いまは未確認でも、明日いつ出てもおかしくない状況。政府より厳しい認識」と付け加えた。

これまでJリーグは再開・開幕に向けて5段階の準備をしてきた。[1]は想定される入場ゲートに必要数なサーモメーターと消毒液、マスクの確保。[2]はJ3からの再開を想定し、ここでサーモメーターの習熟度を上げてJ2、J1と再開する。その理由として鳥取(ガイナーレ鳥取)と岩手(いわてグルージャ盛岡)は感染者がゼロで、スタジアムも小規模という事情もあった。

[3]は3密の「密集」を避けるため、アウェーサポーターの感染自粛。[4]は「密接」を避けるため観客席の間隔を空け、キャパシティを50パーセント以下にする。[5]は政府、自治体から自粛要請があればそれに従い、無観客試合か延期にする、というものだった。

[1]はクリアしていたことで、再開・開幕の日程を決めた。しかし、感染者がいない地域でも明日には出るかもしれないということで[2]のプランの危険性を指摘された。同様に[3],
[4]についても、規模を縮小したとはいえ公共交通機関を利用することと、スタジアムに一定程度の人が集まることで感染のリスクが高まるため回避を要請された。

そして[5]だが、無観客試合でも選手の公共交通機関やチームバスでの移動では感染のリスクが高まること。さらに無観客試合では、テレビ観戦するためスポーツバーにファン・サポーターが集まり、「密集」になるリスクが高いと指摘された。まさに四面楚歌だ。

こうした、いわゆる“非常事態”に村井チェアマンの行動は迅速だった。NPBは12球団と数もすくないため、これまでも新型コロナウイルス感染症対策専門家会議後、球団代表と対策会議を持っていた。対するJリーグは56クラブと多いため、臨時実行委員会の開催には調整が必要だった。

しかし3日は15時から「運営担当会議の予定なので、実行委員も加わった」(村井チェアマン)と第5回の臨時実行委員会を開き、J1~J3の再開・延期は白紙に戻し、これまで政府の発表に合わせた2週間刻みの再開予定案も専門家チームの意見を採り入れ、「1ヶ月以上空けて日程を協議することで合意」し、「全会一致で難局に向かう」ことになった。

3日の村井チェアマンは、これまでのweb会議に比べ、口を真一文字に結んでいることが多かった。それだけ危機感を抱いたのだろう。だからこそ、専門家チームの意見を採り入れ、間髪入れずに臨時実行委員会を開き、1ヶ月以上の延期を決定した。こうした“非常事態”では、スピード感がいかに重要か理解しているからできた決断でもある。

と同時に思うのは、政府の「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」と、JリーグとNPBの「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」の温度差、危機意識の違いである。JリーグとNPBの専門家チームはやるべきタスク(課題)が明確なため、その対応策も具体的で、3氏からは責任感の強さも感じられた。

一方政府の専門家チームは、広い視野での対応となるので具体性に欠けるし、問題意識が希薄な印象――どこか他人任せで(当人は危機意識を募らせていると信じたい)、安部政権に忖度している印象が拭えなかった。

JリーグとNPBがいち早く「新型コロナウイルス感染症対策専門家会議」を立ち上げたこと、賀来、三鴨、舘田の3氏を専門家チームに迎えたことの功績は、新型コロナウイルスが終息した時にわかるだろう。

最後に、他の競技団体に先駆けて、「メディアの安全を考えてのことです」とwebブリーフィングを導入したJリーグの広報にも感謝したい。新型コロナウイルスとの戦いはまだまだ続くだけに、webブリーフィングで得た貴重な情報は今後も積極的に発信したいと思っている。

【文・六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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「J開幕記念日」があるなら「代表記念日」があってもいいのでは/六川亨の日本サッカー見聞録

5月15日は「Jリーグ開幕記念日」ということで、本来なら16年ぶりにJ1へ復帰した東京V対横浜FMの試合を国立競技場で開催したいところだったのではないだろうか。しかし今シーズンの開幕戦で両者は対戦しているため、15日の「オリジナル10」の対戦は東京V対G大阪、広島対鹿島の2試合しかなかった。 この「Jリーグ開幕記念日」が始まったのはJリーグ誕生から30周年となる昨シーズンのこと。昨年は14日に鹿島対名古屋、浦和対G大阪と30年前の5月16日に開催されたカードが再現された。 さて、「Jリーグ開幕記念日」があるのだから、「日本代表の記念日」があってもいいのではないかと思いついた。問題は、はたしてどの試合を「日本代表の記念日」にするかである。 オールドファンにとっては、日本が初めてW杯のアジア最終予選に進出した1985年10月26日の韓国戦が思い出深い試合ではないだろうか。森孝慈監督に率いられた日本は、1次予選で北朝鮮とシンガポールを退けると、2次予選で香港に圧勝。当時の予選方式は東と西で分かれていたため中東勢と対戦することはなかった。 そして最終予選では、58年以来28年ぶり2回目のW杯出場を目指す韓国との決戦となった。ホームでの第1戦は、なんの宣伝もしていないのに国立競技場は6万2千人の観衆で埋まった。MF木村和司の伝説のFKから1点を返した日本だったが1-2で敗退。11月3日のアウェーも0-1で敗れ、日本のW杯初出場は幻と消えた。 この因縁の10・26は、2年後の87年にも日本の行く手を阻む。ソウル五輪のアジア最終予選、ライバルである韓国は開催国のため予選には参加しない。日本は1次予選でインドネシアとシンガポール、最終予選でタイとネパールを下し、中国との決戦に齣を進めた。10月4日のアウェー広州での試合はFW原博実の決勝点で1-0の勝利を収めた。 10月26日、ホーム国立競技場での試合は0-0の引分けでも20年ぶりの五輪出場が決まる。本来ならホームゲームは1週間後の10月10日に予定されていた。ところがその日は国立競技場で東西対抗戦があり、すでにテレビ放映も決まっている。さらにその1週間後の17日は日本リーグの開幕戦があるため、国立競技場で試合が開催可能なのは早くて10月26日ということになってしまった。 雨中の決戦には5万人の観衆が詰めかけたが、結果は0-2の敗戦。2年前にW杯出場が絶望となった同じ日に、五輪出場も幻と消え、石井義信監督は退任した。 こうした因縁のある10・26だが、日本が負けた日を「記念日」とするには縁起が悪い。となると、やはり日本がW杯初出場を決めた97年11月16日、マレーシアのジョホールバルでFW岡野雅行の延長Vゴールからイランを3-2と下したフランスW杯アジア第3代表決定戦が「記念日」にふさわしいのではないだろうか。 1968年10月24日のメキシコ五輪3位決定戦、地元メキシコをFW釜本邦茂の2ゴールで下して銅メダルを獲得した日も「記念日」として捨てがたいが、やはりW杯初出場を決めた日を「記念日」とするべきだろう。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> 2024.05.17 22:00 Fri

神戸vs京都にみるVARの功罪/六川亨の日本サッカー見聞録

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U-23ウズベキスタン戦で思い出したこと/六川亨の日本サッカー見聞録

今年1月のこと。アジアカップの取材のため、ドーハのカタール国立博物館近くのツイン1泊1万円近くのホテルに滞在した。海外取材にしては、いつもの倍近くの値段のホテルだった。これまでのように“貧乏旅行"もいいけど、そろそろ年齢に応じたホテルに泊まろうと思った次第である。 そしてこのホテル、宿泊している日本人はカメラマンの兄と僕の2人だけだったが、やたらとウズベキスタン人が多い。というか、1月中はウズベキスタン人しかいなかったと言っても過言ではない。そんな彼らと朝食中に会話したところ、誰もが“避暑"ならぬ“避寒"でドーハを訪れたという。 ウズベキスタンの首都タシケントの1月の平均気温は5を下回ることも珍しくない。そんな彼らにとって、ドーハは飛行機なら3時間くらいで訪れることのできる絶好の“温暖地"なのだという。彼らの誰もが「ドーハはとても近いんだよ」と教えてくれた。日本なら、さしずめ東京から沖縄といったところか。 そんなウズベキスタンはW杯予選で訪れたことがあるが、中国と同様に人種のるつぼでもある。ドーハのホテルで会った彼らは、一見するとヨーロッパ人にしか見えない夫婦もいれば、どう見ても中国人かモンゴル人のような、黒髪に日本的な顔立ちの若者たちも多かった。唯一、見分けられたのはイスラム教徒の民族衣装を着ている女性たちだけだった。 日本対ウズベキスタンのU-23アジアカップ決勝の話をする前に前置きが長くなったのはご容赦願いたい。日本からも熱心なサポーターが応援に駆けつけたが、それ以上にウズベキスタンのファンが多かったのは、彼らにとって中東、カタールやUAEはとても身近な国だということを今年1月のアジアカップで初めて知ったことを紹介したかったからだ。 日本戦に出場したウズベキスタンの選手たちも、目鼻立ちは整っているが、髪の色も含めてどこかアジア的な雰囲気を感じずにはいられない。ドーハのホテルで会った若者たちも、髪の毛は短いもののきちっと刈り揃えたり、サイドを刈り上げたりするなど清潔感が漂っていた。 そんなウズベキスタンはグループリーグから決勝まで無失点で勝ち上がってきた。アンダー世代からの強化の賜物だろう。実に隙のない、好チームだったが、残念ながら彼らには藤田譲瑠チマや荒木遼太郎のような“ファンタジスタ"がいなかった。絶対的なストライカーも、日本にもいないしどの国も求めているが、いないのに救われた。 それでもウズベキスタンは五輪初出場である。地道な強化が実った成果と言える。3位決定戦で延長戦の末にインドネシアを下して16年リオ五輪以来6度目の出場を決めたイラクも好チームだったし、3位決定戦でイラクに敗れたインドネシアの躍進にも驚かされた今大会だった。彼らには是非ともギニアとのプレーオフに勝って68年ぶりの五輪出場を決めて欲しいし、U-23日本との対戦も実現して欲しいものである。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> <span class="paragraph-title">【動画】日本とのハイレベルな戦いを見せたウズベキスタン、試合ハイライト</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="tBhQOgt4Ukk";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.05.04 20:30 Sat

日本対カタールで細谷が152日ぶりに復活/六川亨の日本サッカー見聞録

公式戦152日ぶりのゴールとは知らなかった。昨夜のカタール戦で延長前半11分に決勝点を決めた細谷真大のゴールである。昨シーズンは14ゴールをマークしてJ1得点ランクの5位タイに躍進したものだ。 ところが1月のアジアカップでは初戦のベトナム戦のスタメンに起用されながら、前半45分で上田綺世との交代を余儀なくされた。次に出番が回ってきたのは準々決勝のイラン戦で、逆転ゴールを決められた後の後半アディショナルタイムだったが、1度もボールに触ることなくタイムアップを迎えた。 不調はシーズンが始まってからも変わらず、開幕前の千葉とのダービーマッチ(ちばぎんカップ)ではシュート0本。1週間後の京都との開幕戦ではPKを外して試合はドロー。公式戦8試合連続無得点と不振のままカタール入りした。初戦の中国戦では1人退場になった影響もあり、これといった見せ場を作れなかった。 UAEとの第2戦では後半28分から登場すると、2度の惜しいシーンがあったものの、シュートがゴール枠を捕らえることができない。韓国戦も後半32分から出場したが、ヘディングシュートはバーを越えたりGKの正面を突いたりしてゴールが遠かった。それでもグループリーグ3試合で起用し、カタール戦でもスタメンに復帰したのだから、大岩剛監督も細谷の復活を期待したのだろう。 ゴールシーンは身体でパスコースを作り、荒木遼太郎からのスルーに1タッチで抜け出し豪快に決めた、細谷らしいゴールだった。得点シーンを振り返り「まずは太郎が前を向いた瞬間に自分もポジションを取ろうとして、うまく出してくれました。落ち着いて流し込むだけでした」と荒木を称えたが、2人の息がピタリと合った決勝点と言える。 昨年11月25日の鳥栖戦以来の一発に、「本当にやっとのゴールだった。なかなかチームを勝たせられなかったので、今日は勝たせられてよかった」と安堵の表情を浮かべたが、エースの一撃を誰よりも喜んだのは大岩監督ではないだろうか。さらには内野航太郎にも初ゴールが生まれた。 準決勝の相手はイラクとベトナムの勝者だが、細谷自身「優勝しかない」と言い切るように、ここまできたら2度目のアジア制覇でパリ五輪出場に花を添えたいところ。とはいえ韓国がインドネシアにPK戦で敗れたように、どの国も侮ることはできない。 唯一の救いはこれまで中2日の連戦だったのが、中3日と1日ほどレストデーが増え、イラクとベトナムは中2日での日本戦になることだ。この差が日本にとって有利に働くことを期待したい。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> <span class="paragraph-title">【動画】ついに目覚めたエース!細谷真大が値千金の決勝ゴール</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="pZnkovlMOfU";var video_start = 0;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.04.26 12:35 Fri

新理事会と残念だった西尾隆矢の報復/六川亨の日本サッカー見聞録

JFA(日本サッカー協会)は4月18日、宮本恒靖JFA新会長と新理事による最初の理事会(年度的には第6回)を開催した。既報のとおり技術委員長には影山雅永氏(JFAテクニカルダイレクター)が就任し、新たに各種部会が設置され、代表チームの強化を担当する技術委員会強化部会の部会長には山本昌邦氏(ナショナルチームダイレクター)が就任。ユース育成部会の部会長にはU-18日本代表監督で、解説者の城彰二氏の弟の城和憲氏が就任した。 理事会後の記者会見に臨んだ湯川和之専務理事は、かつては読売クラブの選手で、90年代初めにJFAへ転出。日本代表のマネジャーとしてチームに帯同し、日本の成長を見守ってきた。宮本会長とは97年のワールドユース(現U-20W杯)で選手とマネジャーという間柄。「今日はカジュアルな形での理事会が行われた」と変化を報告しつつ、「新理事にはサッカー界の説明をしました。今まで当り前のことが当り前にできない」と、半数近くが初めてJFAの理事になったことで、サッカー界の現状説明に時間を費やしたことも明かした。 また7月13日(土)には能登半島地震復興支援マッチとして、金沢のゴーゴーカレースタジアムでなでしこジャパンの壮行試合が開催されることも報告された。対戦相手やキックオフ時間などの詳細は未定となっている。 理事会の報告はここまでで、影山技術委員長はドーハへ行っていないとのことだが、U-23アジアカップの初戦、中国戦に関してはCB西尾隆矢のレッドカードに触れないわけにはいかないだろう。いくら相手に背後から身体をぶつけられたからといって、エルボーでの報復は問答無用で一発退場だ。ましてVARがあるのだから、どんな言い訳も通用しない。 大事な初戦、それも開始17分と早い時間帯での軽率なプレーは非難されても仕方がない。まして今大会のグループリーグは中2日の連戦だ。できればターンオーバーで戦いたかったところ、初戦から日本は総力戦による“緊急事態”に追い込まれた。本来ならDF陣のリーダーにならなければいけない西尾だけに、あまりに軽率なプレーは今後の起用にも影響するかもしれない。 森保一監督はカタールのアジアカップで失点を重ねながらもガマン強くGK鈴木彩艶を起用し続けた。果たして大岩剛監督は“汚名返上”の機会を西尾に与えるのかどうか。出場停止が何試合になるかわからないものの、こちらも注目である。 今回の西尾とは違うケースだが、04年に中国で開催されたアジアカップの準決勝、バーレーン戦で遠藤保仁が不運なレッドカードで退場処分になったことがある。パスを出して前線へ走り出した遠藤に、背後からバーレーンの選手が近寄ってきた。遠藤の振った腕が偶然にもバーレーン選手の顔に当たると、オーバーに倒れ込む。すると主審は遠藤にレッドカードを出したのだった。 当時はVARなどない。そしてカードが出てしまえば取り消しようがない。0-1とリード許し、さらに10人になった日本だが、中田浩二と中澤佑二、玉田圭司の2ゴールで4-3の大逆転を演じた。 当時もいまも、日本を相手にどうやったら少しでも有利な状況に持ち込めるか各国は必死に研究しているだろう。まずは挑発に乗らないこと。そして今回のケースでは、主審は見ていなくてもぶつかられたら西尾は倒れてもよかった。ただ、Jリーグでそうしたプレーは推奨されていないし、日本人のメンタリティーからしても相手を欺くようなプレーはやりにくい。 となれば、やはり相手の挑発には乗らないことと、球離れを早くしてフィジカルコンタクトを避けるのが、体力の温存やケガの予防につながるのではないだろうか。明日のUAEもどんな罠を仕掛けてくるのか、油断のならない相手であることは間違いないだろう。 <hr>【文・六川亨】<br/><div id="cws_ad">1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた</div> <span class="paragraph-title">【動画】中国戦で西尾隆矢が一発退場…</span> <span data-other-div="movie"></span> <script>var video_id ="hszXHBrGzek";var video_start = 161;</script><div style="text-align:center;"><div id="player"></div></div><script src="https://web.ultra-soccer.jp/js/youtube_autoplay.js"></script> 2024.04.19 17:00 Fri
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