EAFF E-1選手権の今後/六川亨の日本サッカー見聞録

2019.12.13 21:30 Fri
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Getty Images
EAFF E-1選手権の前身である東アジア選手権が始まったのは2002年日韓W杯の翌年だった。まず02年に東アジアのレベルの向上を図って東アジア8協会(日本、韓国、中国、台湾、グアム、香港、マカオ、モンゴル)が韓国に集まり、東アジア連盟(EAFF)を設立。初代会長にはJFA(日本サッカー協会)の岡野俊一郎氏(故人)が就任した。

その後03年にスタートした大会は、基本的に奇数年(第3回大会と第4回大会は08と10年の偶数年)、日本、韓国、中国の3カ国による持ち回りで開催されてきた。05年には女子の大会もスタートし、13年にはオーストラリアもゲスト参加したものの最下位に終わった。

かねてから中東にはペルシャ湾岸諸国によるガルフ・カップが1970年にスタートしている。ASEAN(東南アジア諸国連合)では1996年より東南アジア選手権(現スズキカップ)があり、AFC(アジアサッカー連盟)内での発言力を高める意味でもEAFFの設立は急務とも言えた。

そして10年には、別の政治的な背景も出てきた。翌年1月に開催されるAFCの選挙に向け、EAFF理事会ではFIFA(国際サッカー連盟)副会長に鄭夢準(チョン・モンジュン)氏(韓国)、FIFA理事に張吉龍(チャン・チーロン)氏(中国)と田嶋幸三JFA副会長(当時)を推薦することを決めた。AFC内でEAFFの発言力を高めると同時に、情報収集も大きな目的だった。

しかし1月、ドーハの選挙を前に張吉龍は田嶋副会長に「立候補を取りやめた。田嶋さんを推薦する」と言いながら、選挙に立候補。このため東アジアの票が割れ、2人とも落選した経緯がある。

捲土重来を期した田嶋副会長は精力的にアジアを飛び回り、4年後の15年にFIFA理事に初当選する。日本人としては小倉純二元JFA会長に次ぐ4人目のFIFA理事だ。そして昨日12日、クアラルンプールのAFC総会で田嶋JFA会長は5人の枠を7人で争った選挙でトップ当選を果たし、4年の任期を延長することになった。

前置きが長くなってしまったが、昨日行われたEAFF E-1選手権の韓国対香港戦(2-0)は、ゴール裏に香港のサポーターが40~50人ほどいたが、それ以外のスタンドはガラガラの状態だった。サポーターの数では香港の方が上回っていた。

韓国対香港戦の前に行われた、なでしこジャパン対台湾(9-0)の公式入場者が218人なので、入っていたとしても300人くらいだろう。中国対日本戦の方がはるかに観客は多かったものの、それでも800人である。日本なら、味の素フィールド西が丘がちょうどいいスタジアムといったところか。

結論から言うと、もうそろそろEAFF E-1選手権は見直す時期ではないだろうか。選手強化のために国際試合の必要性は十分に理解している。今大会は22歳以下の選手にとっては来年1月にタイで開催されるU-23アジア選手権へ生き残りをかけた大会であり、それは来夏の東京五輪につながるという特殊な事情もある。

しかし国内組の選手はJ1リーグが終わって中2日での中国戦だった。いまのところケガ人がいないのは幸いなところ。ただ、来シーズンもJリーグと天皇杯を含めたカップ戦、さらにACLと東京五輪、W杯予選と過密日程になるのは目に見えている。

来シーズンはEAFF E-1選手権こそないものの、カタールW杯のアジア予選も本格化する。EAFF E-1選手権は日本と韓国を除いた8カ国の大会の成長の場とし、日韓は指導者の派遣や講習会などのサポート役に回るのはいかがだろうか。

【六川亨】
1957年9月25日生まれ。当時、月刊だった「サッカーダイジェスト」の編集者としてこの世界に入り、隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長や、「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。日本サッカー暗黒の時代からJリーグ誕生、日本代表のW杯初出場などを見続けた、博識ジャーナリストである。
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